第七十三話 お姫様の付き人
その日私がいつものように、渋々勉強のためにパメラの部屋に入ると、そこには小さな執事がいた。
近頃王宮でよく目にする背中。
「……ルーク?」
訝しげに眼を細めながら、その小柄な燕尾服の少年に声を掛ける。
私の声に振り返った彼は微笑み、恭しく低頭してみせた。
「おはようございます、カナリア姫殿下」
顎を引き、背筋を伸ばし、丁寧に腰を折る。
パメラの指導の賜物か、以前と比べれば遙かに洗練された礼だ。
また、彼の声は落ち着いており、実に聞き取りやすかった。
「な、何をしているの?」
訳が分からずに首をかしげていると、少年の隣に居たパメラが口を開いた。
「本日より、姫様の執事としてルークには働いて頂くことになりました」
はぁっ!?
「えっ!? な、なによそれ、聞いてないわっ」
「今言いましたからね」
「な、なんでっ!?」
「ファウグストス公爵とサザーランド男爵の発案だそうです。それを王妃様が許可なさいました」
「お、お母様が……?」
「はい」
「……」
澄まし顔で答えるパメラからルークへと視線を動かすと、彼はぎこちなく微笑んでいた。
なんだかその顔が無性に腹立たしい。
「貴方も何をへらへらと笑っているのっ!」
「え、あ……な、なんといいますか」
八つ当たり気味に怒鳴ると、ルークは多少慌てた。
「僕は王宮では学ばせて頂いているばかりで、何一つとして仕事らしい仕事はしていませんでしたので。少しでも皆様に御恩返しが出来るのであれば幸いです」
嬉しそうに彼は言う。
「ということです」
ルークの後を引き取り、パメラが言った。
彼女は感心した様子で胸を張ってルークに向かって頷いている。
どうせ彼の言葉に感動でもしたのだろう。
(ほんっとうに、パメラはルークに甘いっ!)
内心で唸りながら、私は再びルークの全身を見やった。
普段のような民族衣装ではない。
王宮で働く男性使用人の多くが着用しているものと同じ燕尾服だ。
見慣れた筈の服であるのに、ルークが着ているからか、なんだか変な感じだった。
しかし……小柄ながらも、引き締まった肉体をしているからか、それとも柔和な雰囲気のせいか。
幼い割に馬子にも衣装、といった感じではなかった。
むしろ、ひどく似合っている。
「今後はなるべく姫様に同行させて頂くことになると思います」
ルークが平然とそう言ってのける。
い、いやいやいやっ。
(突然困る!)
「だ、だめよっ!」
咄嗟に出た言葉にパメラが溜息をついた。
「姫様はいつも使用人や護衛をつけても、すぐに逃げ出すでしょう? 私も何度追いかけさせられたことか」
肩を竦ませる教師の言葉。
「うっ……そ、それが何よ……」
「ルークであれば逃げられるようなことはないだろう、と。ファウグストス公爵の御言葉です」
つまりは御目付役、ということか。
「それに王宮で仕事もせずに過ごしていると体裁が悪いのですよ、ルークも」
「そんな勝手に……」
「姫様が真面目に授業を受けて下さっていれば、このようなことにはならなかったのです」
この話はここでおしまい、ということなのか。
締めくくったパメラは普段通りの口調に戻って言った。
「では今日の授業を始めましょうか」
私の反論はどこへやら。
燕尾服を身に纏ったルークと共に、いつも通りのパメラの指導が始まった。
☆ ☆ ☆
授業が終わり。
「なんでついてくるの」
口をへの字に曲げて私は言った。
「え? い、いや僕は今執事ですから」
なぁにが執事ですから、よ!
「執事は『僕』なんて言わないのよ」
「ぼ……私は姫様の執事です」
「……ふんっ」
ただでさえちょっと気に入らない少年だというのに、こんなことになってしまうとは。
「私の執事になったら、貴方は絵を描いたり修業したりする時間なくなるのにいいの?」
意地悪する様に私が言ってもルークは苦笑するのみであった。
「好きなことをするだけで生きていけるのならば、それに越したことはありませんが……中々世の中とは上手く出来ているものです」
む。
「……それ私への嫌味?」
「へっ? そ、そんな滅相もありませんよっ」
「ふぅん、あっそ」
身を翻し、足早に私が歩を進めると、慌てつつ私についてくるルーク。
彼が私と並んだタイミングで言った。
「少し下がりなさい。従者っていうのは主人の一歩後ろを付き従うものよ」
私が注意すると、ルークは「な、なるほど」と頷く。
「は、はい」
「あと歩き方がなんというか……そんな警戒する感じじゃなくて、お淑やかに」
この子はいつも、足音を忍ばせ、まるで暗殺者か何かのような歩き方をする。
まぁ足音を立てない、というのはいいけれど……度が過ぎれば執事としては余りにも不自然だ。
「はい」
「あとはあれね。貴方頭を下げる時に、いつも相手の瞳に一瞬視線を向けるでしょう?」
「よ、よく見てますね」
「まぁね。パメラは視線には余り注意しないけれど、人によっては警戒心を抱かれるからやめなさい」
「わ、わかりました」
「分かりました?」
「あ、しょ、承知いたしました」
「よろしい」
私は歩きながら横眼でルークの服装に目を向けた。
「……裾が曲がってる」
「あ、も、申し訳ありません」
そう言えば。
「というか貴方お茶淹れられるの?」
「お茶、ですか?」
「そうよ。執事だったら紅茶の一杯くらいは美味しく淹れられないと駄目なんだから」
「れ、練習します」
私が五月蠅く文句を言っても。
私がどれだけ注文を付けても。
あからさまな悪態をついても。
ルークは嬉しそうに返事をするだけだった。
(……)
――才能に恵まれた少年。
前向きで明るく、それでいて強く、様々なことに秀でている。
おまけに素直で、社交性がある。
今だって、感じの良い笑みで私を見つめている。
母親と仲が良く、毎日を楽しそうに過ごすルーク。
それに加えて彼は――自由だった。
籠の中の鳥では無い。
私とは、違う。
(……気に入らない)
彼自身が嫌いな訳ではない。
嫌な奴だとは思わない。
むしろ嫌いなのは――。
「……」
「……姫様?」
「……」
「あ、あの~?」
私はルークを無視して、そのまま歩き続けた。
イライラする。
心の中は名状しがたい、靄で満ちていた。
☆ ☆ ☆
ある日、私はこそこそと王宮の端へとやって来ていた。
使用人たちの目を盗み、ひっそりとこの場所へ。
当然の如く、ルークも連れていない。
彼が部屋に来る前に、早起きをした甲斐があったというものだ。
周囲に誰もいないことを確認しつつ、壁にこっそりと手を当て、横にずらす。
すると壁の一部が見事にスライドしていき、人一人が通れるくらいの横穴が現れた。
「ふふふっ」
躊躇いもなく足を踏み入れ、中を進んでいく。
小さな小さな私だけの洞窟。
気が向く度にこっそりと、少しずつ掘り進めていた私だけの秘密の通路だ。
「ふんふふ~ん♪」
上機嫌に鼻歌交じりで、しばし歩いて行くと、淡い光が通路の先から漏れ出でてくるのが見えてくる。
私は光の横手の壁に手を当て、これまたゆっくりと動かした。
出口は開かれる。
通路の抜けた先は王宮では無かった。
「うーんっ!」
晴れやかな気分で伸びをする。
思わず微笑み、私は拳を握り締めて呟いた。
「よし」
「何がよし、なんですか?」
「きゃっ!?」
だが直後背中から聞こえた声に慌てふためき、私は狼狽することになった。
振り向けばそこには、平然とした様子で佇むルークがいる。
「あ、あんた何でっ!?」
「なんで、と言われましても……私は姫様の従者ですから。姫様を追って来たのです」
「ど、どうやって?」
「姫様が開けたであろう、あの穴からです」
うわっ、ばれちゃってる!?
「で、でも姿は無かった筈なのに」
「姫様が何やらこそこそと、悪戯をしそうな顔をなさってましたので、気配を消して様子を窺っていました」
「こ、こらぁっ!」
なんて口の聞き方か!
というか全然まったく、これっぽっちも気付かなかった!
「……う」
というか。
それにしても、この状況は不味いのでは……?
「あ、あのルーク?」
「なんですか?」
「い、いやその……このこと」
彼が一言お父様やお母様に告げれば、直ちに、あの穴は塞がれてしまうだろう。
ようやく王宮の外に出る通路が完成したというのに、そうなっては全くつまらない。
「はぁ……」
「な、なによ、その溜息っ」
「アゲハの街に遊びに行きたいのですね?」
「う……」
ルークにずばり核心を突かれ、焦ったが、ここまできたらもう開き直る他ない。
「そ、そうよ! いっつもいっつも同じ王宮の中だなんてつまらないわっ! だから私は外に出たくてっ」
「……なるほど」
「わ、私は……」
ほんの少しでいいから、何か、普段とは違う、何かを……。
言葉に詰まり、俯く。
すると。
「承知いたしました」
「えっ?」
意外な言葉が聞こえた。
思わず顔を上げると、ルークと目が合った。
相変わらず整った顔をしている。
とはいえ睫毛が長く、瞳は大きい、女の子のような面立ちだけれど。
「では行きましょうか。あ、それとも姫様はどこか行きたい場所があるのですか?」
「……」
「……姫様?」
首を傾げる彼に向かって私は小さく呟いた。
「いいの?」
「え?」
「だからその、お母様とかに言い付けたりしなくて」
てっきり、腕を引かれ、強制的に帰らされると思った。
少なくとも他の使用人ならばそうするだろう。
そういう思いで彼を見上げる。
「ふふっ」
だけどルークは微笑んだ。
いつも柔和な笑みを浮かべていることが多い少年であるが……その時の笑顔は普段よりも、なんだかずっと優しく感じられた。
「たまにはいいんじゃないですか」
「え……」
「毎日毎日王宮で姫様は勉強を為さっています。人間誰しも息抜きは必要ですよ」
そう言って彼は私の一歩後ろに控え、低頭する。
「そ、そう……よね」
落ち着いたその態度は、なんだか本当に私付きの従者のように見えた。
「……ふ、ふん、行くわよ」
「畏まりました、カナリア姫殿下」
こうして私は一人のお供を連れてアゲハの街へと繰り出した。