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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第七十二話 宮廷画家

 

「はぁ~あ」


 王宮の中央庭園。

 そこは王宮の外からやって来た人間にとっては、凄まじい威容を放っているように見えるらしい。

 なんでもここまで美しい庭園というのは王国広しといえど、この場所だけだとか。

 花々にしても、建造物にしても、手入れにしても、いずれも一級品だそうだ。

 生まれた時からこの場所に居た私には、彼らの感動を上手く理解出来ないけれど、褒められて悪い気はしない。

 私が何かを成し遂げた訳では決してない。

 それでもなんだか自分の生まれた場所が誇らしく感じられるのだ。


「……」


 そんな美しき庭園で私は一人、庭先のテーブルに肘を付いていた。

 

 ぼーっとしていると、ヒラヒラと宙を舞っている一匹の蝶々が視界に入って来た。

 美しい翅を誇らしげにはためかせている。

 蝶々ですら王宮では珍しい。

 私は無意識の内に視線を蝶々に向けてフラフラと彷徨わせてしまっていた。


 その時。


「……ぁ」

「あ、姫様」


 会いたくない奴に会った、と私は思った。

 最近の気に入らない奴筆頭のルークが目を丸くして私を見つめている。

 口を開けっぱなしにしてぼーっとしていた顔を見られたのが妙に気恥ずかしく感じられ、居心地が悪かった。


「ん?」


 その日、ルークは普段とは違い、何やら大きな荷物を肩から提げていた。


「何を持ってるの?」

「あ、これですか? 画材ですよ」


 どういうわけか彼はひどく楽しそうだった。


「は? 貴方絵を描くの?」

「いえ、興味はありましたが……正直経験はほとんどありません。ただ……ビルモ様が教えて下さるらしくて。折角の機会ですので、師事したいと思い、アトリエに行く途中だったんです」


 そう言ってルークは笑った。


 サーストン=ビルモ。

 それはミストリア王宮の現宮廷画家の名前だった。

 

 ビルモ様はかなり変わった人物であり、しかも身体的な不利も背負ってこの世に生まれた画家である。


 彼は言葉を話すことが出来ない。

 生まれながらに声帯に病を患っており、上手く音を出すことが出来ないのだ。


 しかしその分、まるで言葉の代わりに誰かに何かを伝えたがっているのか、彼は必死に絵の腕を磨いた。

 元々爵位も無い、貴族としては低い身分でありながらも、現在の地位を、他を圧倒する芸術の才能で勝ち取った努力家でもある。

 まぁ彼にとっては、努力でもなんでもなく、ただ好きな事をしていたら、いつの間にやら、という感じらしいけれど。


「ふぅん」

「すいませんが、急いでおりますので。これで失礼致します」

 

 どこか浮き浮きとした足取りで去っていく少年の姿を見て。


「あいつって……」


 なんでいつも。

 何をするにも。


 あんなに楽しそうなのだろうか。

 

「ふんっ……なによ……」


 なんだかむしゃくしゃする。

 私は口をへの字に曲げて、少年の背中を見送った。




   ☆   ☆   ☆




 久しぶりに王宮の最奥とでも言うべき場所へと来ていた。

 

 窓は無い。

 それも当然、ここは地下だ。

 扉を閉じれば完全なる密室である。


 頑強な扉と壁。

 一面大理石の床。

 厳粛な雰囲気が蔓延している部屋だった。

 8本の荘厳な柱が立ち並び、その間に張り巡らされた結界による淡い光がゆらゆらと暗い室内を照らしていた。


 ここは王族の人間しか立ち入ることの許されていない場所――『祈りの間』。


 この場所はいつだって静謐な雰囲気を携えており、神聖だ。

 ここに居るだけで心が引き締まるような気がする。


 そして。

 柱の中央に座する一つの魔法具に目を向けた。

 それはミストリア王国の秘宝。


 『審判の剣』


 建国時にかの大賢者『カーマイン』が振るったとされる伝説の宝剣である。

 強大な力を持ち、ミストリアの血を引く者しか扱うことが出来ない聖なる魔法具だった。


「綺麗だなぁ」


 両頬に手を当てながら、光り輝く宝剣を私は眺めていた。

 結界によって手を触れることなど出来る訳もないが、こうして傍にいるだけで力強さを感じる。


「……」


 この場所はとても静かだ。

 私は時折、逃げるようにしては、こっそりとこの場所に忍び込み、時を過ごしていた。


 馬鹿げたことに思われるかもしれないけれど。

 なんだかこの場所に居ると、御先祖様達の温かな心に包まれているような、不思議な安心感を覚えるのだ。


 どれだけの時間この部屋で佇んでいただろうか。


「……そろそろ戻らないと」


 後ろ髪を引かれる思いで踵を返した私は『祈りの間』を後にした。




   ☆   ☆   ☆




 『祈りの間』から、自室へと向かう途中。


「ふん、田舎者の分際でよくもまぁ、平然と王宮に居座れるものだ」

「ああ。私だったら恥ずかしくて無理だね」

「陛下も何故、あのような男を宮廷画家になど据えたのか」

「理解に苦しむよ」

 

 王宮の廊下で、そんな話をする貴族の姿を見かけた。


「あのような卑賤な身の上の人間が描いた作品など……」

「あぁ。汚らわしいよ」


 ああいった悪口を言う貴族は一人や二人では無い。

 お父様はビルモ様の才能を高く買っているが、それは他の貴族達の僻みを買うことになってしまっているのだ。

 時には身体的特徴を槍玉に上げて、からかう人間もいる。

 自分よりも身分の低い人間が、ただ『絵が上手い』という理由で自分達以上の待遇を得られているのが気に入らないのだろう。


「……」


 私もあまり聞いていて気持ちの良いものではない。

 まだ彼らが私の存在に気づいていない内に、この場所から離れ――、


「待て」


 ――ようと思ったが、思わず足を止めてしまった。


「今、なんと言った?」


 どこか幼さを残しながらも、力強い声が聞こえたからだ。


 思わず曲がり角からこっそりと顔を出すと、そこには案の定ルーク=サザーランドがいた。

 彼は普段の柔らかな表情を引っ込め、険しい顔で二人の貴族を睨んでいる。


「なんだ、このガキは?」

「……ん、私は見覚えがあるぞ。確か、そう……なんでも紅牙騎士団の魔女が拾って来た子供じゃなかったか?」

「……平民の拾い子如きが何故こんな場所に居る?」


 二人の貴族は嫌悪感を隠そうともせずに侮蔑の声を投げかけた。


「そんなことはどうでもいい」


 しかしルークは、些かも動じることなく言う。


「ビルモ様のことを悪く言っていたな?」


 挑発するような声色。

 子供らしからぬ詰問口調だった。


「なんだその口の聞き方は! 何様だ、貴様! 私達を誰だと思っている!」

「卑賤の身で頭が高いぞ!」


 絵に描いたような王国貴族の言い分に私は思わず顔をしかめた。

 だがルークは全く気にしない。


「あの方の絵を、貴方達は見たことがないのですか? ビルモ様は大変素晴らしい才能を持った王国の宝だというのに……先ほどの言葉は何なのですか?」


 その言葉を聞いて、私は内心で唸った。


「見たことが無いのならば見るべきです。碌に知りもしないのに、悪口を言うものではありません」


(あちゃ~……)


 ビルモ様の絵画が素晴らしい。

 そんなことはあの二人だって百も承知なのだ。

 承知の上で、納得がいかないから、憂さを晴らすように陰口を叩いているだけ。


 ルークの言い分は的外れなのだ。


「なんだ、こいつさっきから?」


 相手をするのが面倒になったのだろう。


「おい、摘み出せ、このガキを」


 二人の貴族は近くに居た衛兵に声を掛けた。


「所詮薄汚い人間同士で慣れ合っているのだろう」

「気持ち悪い。お前はもちろん、あのような人間になど近寄りたくもないわ」


 吐き捨て、彼ら二人はルークを抑えにかかった衛兵の背中を見つめる。

 すぐさま一人の衛兵の腕がルークに迫った。


 だが。


「……」


 衛兵はルークの眼前で動きを止めた。


「おい、何をしている!」


 彼はぴくりとも動かない。

 よくよく観察してみれば、あの衛兵は全身から夥しい量の汗を流していた。


「……おい」


 その時、低い声でルークが言った。


「ビルモ様に謝れ」


 次の瞬間――触れるどころか、ルークに近寄ることも出来ずに衛兵は倒れ伏した。


「なっ! お前何をした!?」


 慌てふためく貴族に対してルークは無表情のままに呟く。


「別に何も」

「う、嘘をつけ!」

「この騎士の『気』が弱かっただけでしょう」 


 平然と訳の分からない事を言い切り、彼は続ける。

 そんなことはどうでもいい、と。


「ビルモ様への謝罪、だ」


 子供とは思えぬ怒気を見握らせたルークを前にして明らかに二人の貴族は怯えた表情になった。


「ふ、ふざけるなっ! あ、あのような薄汚い、聾者如きに!」


 その言葉を聞いた次の瞬間。


 ルークの怒気が殺気へと変化した。


「貴様……っ!!」


 怒声と共に一歩を踏み出すルーク。

 普段の温厚さは完全に鳴りを顰め、今や彼は怒りに我を忘れていた。


(……っ!)


 ついに少年の手が貴族の男達に届くかと思われた寸前――、


「あっ!」


 いつの間に現れたのか。


 ――サーストン=ビルモがそっとルークの肩に手を置いた。


「っ! ビルモ、様……」

「……」


 ルークが振り返り、見上げると、そこにはビルモ様の穏やかな表情があった。

 ビルモ様はゆっくりと首を振る。

 そして振り上げられたルークの拳を優しい手つきで包み込むと、そっと下ろした。


「し、しかしこの人達はっ!」


 ビルモ様の悪口を言っていた、と。

 ルークは続けたかったのだろうが、ビルモ様の変わらぬ表情に気圧されるかのようにして、口を噤んだ。


 ビルモ様は一度貴族達に目を向けた。

 彼の不思議な雰囲気に呑まれたのか、貴族二人は狼狽し、すぐさま踵を返して、そのまま逃げ出す。

 結局彼らの口から謝罪の言葉は出なかった。


「び、ビルモ様……」


 未だ納得のいかない様子で宮廷画家を見上げる少年に、やはりビルモ様は穏やかな表情を向け、もう一度首を振った。


「……」

「……ぁ」


 言葉がなくても伝わることもある。

 彼は暴力はよくない、と言いたいのだろう。

 言いたい奴には言わせておけ、と。


 そのどこか儚い微笑みには、ルークの怒りを鎮静化させるだけの力があった。


 結局。


「……すいません、でした」


 ルークの方がビルモ様に謝った。


 少年の謝罪が意外だったのだろう。

 

 ビルモ様は、今度は可笑しそうに。


 愛おしそうに目を細め、少年に微笑んだ。 

 


  


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