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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第七十一話 少年とお姫様

 

 サザーランド親子がミストリア王宮にやって来た翌日。

 私が教育係のパメラから昨日逃げ出したことに関して御小言を言われていると、部屋の扉からノックの音が聞こえてきた。


「あっ、誰か来たわっ!」

「こら、姫様っ!」


 私はこれ幸いと思い、ドアへと駆け出す。

 だって、これ以上パメラの小言は聞いていられないもの。


「はいはい、どちら様ですか?」


 私が機嫌良くドアを開けると、そこに立っていたのは一人の少年だった。

 見覚えのある顔。というか昨日出会ったルークだ。


「あっ、こんにちは」


 感じの良い笑顔で告げるルーク。


「?」


 しかし対する私は頭に疑問符を浮かべた。

 彼は何故私の部屋へ来たのだろうか。

 曲がりなりにも私も一応は王族だ。

 別に私個人としては気にならないけれど、一般的に突然訪問するのは無礼に当たる行為である。


「今日から姫様と一緒にパメラ女史の教育を受けさせていただくことになりました」


 だけど続く言葉に目を丸くした。


「えっ!?」


 な、なにそれ聞いてない。

 思わず振り返るとパメラが駆け寄ってきた。


「では貴方がルーク=サザーランドさんですか」


 私は聞いていないけれど、パメラはなんだか知っている様子だった。


「あ、はい。宜しくお願いします、パメラ女史」


 ゆっくりとお辞儀をするルーク。

 彼は礼儀を心掛けているつもりなのだろうが、残念ながら作法が為っていなかった。


 こっそりとパメラの顔を見上げると、やはり彼女は難しい顔をしてルークを見ている。

 

「礼をする時は首を曲げてはなりません。背筋を伸ばしたまま腰を折るのです」


 そして叱咤した。


「えっ?」


 今度目を丸くしたのは私ではなくルークだ。


「あと言葉と動作は分けなさい。一度言葉を発してから、ゆっくりと礼をするのです」

「は、はい……っ」

「いいですか。腰はこう。それで……あと腕は曲げない!」


 いきなり初対面の少年に説教を始めるパメラ。

 彼女はルークの肘を小突きながら、ガミガミと指導を始めた。


(うわぁ)


 私は内心で可哀想に、と思ったが意外なことにルークは素直だった。

 パメラの忠告に従い、言われた通りにすぐさま、礼をし直してみせる。

 まだまだ洗練されている、とは言い難いが、まぁ先程よりはマシになっていた。


「ふむ。30点、といったところでしょうか」


 いきなり見知らぬ人間に駄目出しをされた上に、辛辣な評価を言い渡される。

 普通の貴族男子だったら、拗ねて怒り出しそうなものだったが、ルークの口から出た言葉は罵声ではなく、感謝だった。


「早速の御指導ありがとうございます」


 笑顔を浮かべて、今まさに教わった通りの礼でもって、頭を下げた。

 なんとまぁ、素直なものである。


「ふむ」


 チラリとパメラの視線が私に向いた。


「どこかの我侭な御姫様よりは見所がありそうな子が来ましたね」

「なっ、なによ……」


 どこか批難されているような気がして(間違いなくされている)、居心地が悪くなるも、パメラの私への怒りはいつの間にか収まったようであり、御小言は御仕舞になっていた。逃げ出す隙は見逃してしまったけれど。


 こうして今日も今日とてパメラによるマナーの教育指導が始まった。

 

  


   ☆   ☆   ☆




 初めて目にした時。

 ルークに対する私の第1印象は『変わった雰囲気の少年』だった。

 だが私の中に存在するルークの今の印象は『生意気な少年』になっていた。


「……」


 なんせパメラから事ある毎にルークは褒められるのだ。

 いや、確かに隣で見ていても、ルークは真面目で素直、しかも飲み込みが早く、逐一パメラに感謝の意を示す。しかも文句一つ言いはしない。

 教える側としては理想的な生徒だろう。


 パメラも良い歳であるし、まるで可愛い孫に対するかのような態度である。

 私よりもルークのことを可愛がっていることは明白であり、私としては面白くないことこの上なかった。


「なにさー」


 今日の授業が終わり、私が不貞腐れ気味に廊下を歩いていると、件の少年が視界に入った。

 やはり彼は小柄な癖にやたらと目立つ。

 よく分からないけれど、ついつい目に留まってしまうのだ。

 例えマリンダ様と一緒にいなくても不思議な存在感を放っていた。


(どこ行くのかしら)


 私は昨日と同じようにこっそりとついて行くと彼は料理人達が出入りする厨房脇の休憩室へと入っていった。


(つまみ食いでもするつもりかしら)


 そんな事を考えつつ、私は今日は堂々と厨房の中へと入っていった。

 今日はパメラの授業はちゃんと受けたのだ。

 逃げ隠れしなくてはいけない道理など無い。


「……あれ?」


 私が休憩室に入ると、中はもぬけの殻だった。

 休憩室には誰も居ない。

 ということは厨房の方に皆居るのだろうか。

 

 私は休憩室の奥の扉を開け、厨房へと向かう。

 するとそこには王宮勤めの宮廷料理人とルークの姿があった。

 宮廷料理人の彼の名前は確か……ミリスとかいう名前だった筈だ。


「いいか? この時に注意しなくちゃいけないのは火加減じゃない。食材を投入する順番と水の量だ」


 何やら熱心にミリスがルークに教えていた。


「ふむふむ」


 ミリスの言葉を聞きつつ、ルークはうんうんと頷いている。

 鍋に視線を向けながらも、手元の紙に何やらメモを書いているようだった。


「水の量が多過ぎると、形が崩れやすくなってしまう。かといって水の量が少ないと火の通りが悪くなる上に、最悪焦げ付く可能性がある」

「どれぐらいを目安にすればよいのでしょうか?」

「この料理でこの量ならば、今鍋に入っている分量がベストだ。こればっかりは経験を積んで感覚を身につけてもらうのが一番良い。しっかりと見て覚えろ」

「はい」

「次に野菜の切り方だが……」


 見たところ、ルークは料理を教わっているらしい。

 先程パメラの礼儀作法の授業を受けたばかりだというのに元気なものだった。


「……ではこれは」

「違う違う。そういうミスは素人がやりがちなんだが……」


 ルークは真剣な表情でミリスの話を聞いている。

 その横顔からは、ふざけた様子などは微塵も感じられなかった。


「……ふんっ」


 なんだか不真面目な自分が責められたような気がして、私は肩を怒らせながら自室へと戻った。




   ☆   ☆   ☆




 その日の夜のことだ。

 

「お母様、お母様っ! お星様がとっても綺麗よっ!」


 満天の夜空を見上げながら、私は出来る限り明るい声色で話しかけた。


「……そうね」

「今日はお庭でね……っ」

「……カナリア」


 平坦な声音で名前を呼ばれ、思わず声が裏返ってしまう。


「な、なぁに、お母様っ?」

「……貴女昨日もパメラの授業をサボろうとしたらしいわね」


 感情の抜け落ちたような低い声。

 鏡台に座り、私に背を向けたままお母様は言った。


「あ、その」

「……どうしてお母さんの言うことが聞けないの?」


 どうして。

 どうしてだろうか。


 パメラが嫌いな訳じゃない。

 だけど勉強も行儀作法の授業も好きじゃない。

 私はもっともっと色んなことに触れたい。


 だけどお母様が私の言うことを聞いてくれる訳もない。


「ごめんなさい」

「……しっかりして頂戴ね」

「で、でもお母様、勉強なんかよりも面白い――」

「……はぁ、もういいわ」

「…………」


 近頃一層無感情になった、お母様は呆れたように溜息をつくと、そのまま寝台へと向かってしまう。


「……ごめんなさい、お母様」

「……本当にそう思うなら、言うことをちゃんと聞いて頂戴」

「……」


 私はお母様の方を見ていることが辛くて、窓から外に目を向けた。

 見上げれば月が見える。

 暗い夜を照らす明るい月と無数の星達。


(……綺麗だなぁ)


 ぼんやりと夜空を見上げていたら、ふと視界の端に何かを捉えた。


(あれは……)


 昨日から何度も目にした少年の姿が林の中に消えていく。


(何をしているのかしら)


 誰もが寝静まるような時間だ。

 現にベッドに目を向けるとお母様は既に眠りについている。


「…………」


 息を殺し、ゆっくりと静かに部屋の扉を開ける。

 廊下を見渡し、人が居ないことを確認した私は、ルークが消えていった林に向かって歩き出した。




   ☆   ☆   ☆




 こんな夜遅くに何をやっているのか。

 

 気になってやってきた私が目にしたのは汗だらけで倒れ伏すルークの姿だった。


「えっ!?」


 驚き、口元に手を当てる。


「はぁ……っ、く、はぁっはぁっ」


 荒い呼吸を繰り返すルークを冷酷な瞳が見下ろしていた。


「まだまだ、だな」


 言ったのはマリンダ様だった。

 月光を背後に背負った凛とした立ち姿のまま、彼女は息一つ切らさずに続ける。


「スピードはともかくパワーとスタミナが全然駄目だな。旅の中でも思ったことだが、ルークはやはり火力が足りない」

「……そっか」


 どこか落ち込んだ様子で佇む少年を見ていて、慌てたようにマリンダ様は付け加えた。


「いや、防御力は高いんだがな」

「……だけどマリンダの攻撃は防げない」


 ルークの呟きに対してマリンダ様は胸を張って答える。


「当たり前だ。私を誰だと思ってる?」

「要するにまだまだ鍛錬が必要、ってこと?」

「……あぁ、お前は若いんだ。いずれ私を超えていくこともあるだろう」

「うーん……先は長そうだなぁ」


 苦笑しつつ立ち上がるルーク。

 と、同時にその視線が林の影に隠れていた私の方向へと向けられた。


「こんばんは、カナリア王女殿下」


 うっ……ば、ばれている。

 見つかったことに驚いた私であったが、このまま隠れているのも良くない気がして、渋々林の中から顔を出した。


「な、何をしていたの?」

「修行です」

「修行?」

「魔術の鍛錬、武術の鍛錬です」

「修行……」


 朝はパメラの講義を受け、昼は料理を学び、夜は戦闘の修行。

 彼は毎日そんな生活を送るつもりなのだろうか。

 

「貴方は近衛騎士団に入りたいの?」


 私は聞いた。

 私の知る限り、王宮で訓練をしているのは、王宮近衛騎士団だけだ。


「いえ……」


 しかし私が問うと、彼は頭を振ってマリンダ様へと目を向けた。

 ルークの視線を受けたマリンダ様は思案するように顎に手を当てる。


「こいつには紅牙騎士団の一員になってもらう予定です」


 呟くようにマリンダ様は言った。


 考えてみればマリンダ様は紅牙騎士団の団長である。

 息子であるルークも自分と同じ騎士団に入れるのは当然であった。


「そのために修業を?」

「いいえ。騎士団云々が無くとも修業は続けますよ」


 汗だくの額を拭うこともなく。

 平然と笑顔のままにルークは言う。


「どう、して?」


 私が尋ねるとルークは初め困ったような顔になったが、やがて可笑しそうに笑いながら言った。


「そうですね……母を超えたいから、ですかね」


 その言葉を聞いたマリンダ様も薄く笑った。


「生意気だな」

「ははっ、そう?」


 楽しそうに微笑み合う親子の姿。

 それが私には眩しく映った。

 どちらもなんだか信頼し合っているように見えて。

 心が繋がっているように見えて。


「…………」


 月明かりの下で。


 私は仲の良い親子に、狂おしい程の羨望を感じていた。



 



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