第七十話 珍客
「あぁっ、姫様お待ちください!」
今日も今日とて教育係の悲痛な叫び声が王宮内に木霊した。
「あははっ、嫌よー!」
呼び止める声が絶えず聞こえて来るが構うものか。
毎日毎日つまらないお稽古事にお勉強。
飽き飽きしてしまう。私はもっと遊びたいのだ。
「ふふ~ん♪」
昨日庭先の林の中に鳥の巣を見つけた。
庭師のポートが知ったらカンカンに怒って、鳥の巣を取っ払ってしまうに違いない。
そうなる前に私は鳥達をしっかり観察するのだ。
昔から色んな生き物に興味があった。
足のいっぱい生えた虫ですら嫌いでは無い。むしろくねくねと動く姿は見ていて面白い。
その他にも子犬と戯れたり、見たことの無い木々や花々を愛でたり。
それはピアノやダンスなどよりも、よほど楽しいことだった。
「さ~て、と」
王宮内には余りにも動物が少ないのだ。
結界が張ってあるが故に、野生の動物達が出入りすることが無い。
しかし時折、こうして一時的に結界を解いた隙間を縫って、外の生き物が度々姿を現すことがある。
そういった動物達は王宮で育つ人間にとっては、とても貴重なのだ。
何故皆が共感してくれないのか。
それが私は不思議でならなかった。
「……あれ?」
こそこそと隠れるように王宮内を移動していると、見慣れない二人組の姿が目に入った。
一人は目が覚めるような紅の髪を靡かせた美女であり、背筋を伸ばし、堂々と歩く姿は見ていて惚れ惚れする程だ。
整った鼻梁をしており、鋭い目つきは鷹を思わせる。
美人は美人には違いないが、どこか怖い印象を周囲に与える人だと思った。
もう一人は私と同じ歳くらいの男の子だった。
少年はどちらかというと小柄であり、女性ほど怖くはなく、むしろ柔和な気配を身に纏っていた。
瞳は大きく、中性的な顔立ちをしている少年の印象は女性とは対照的だ。
しかし歩く姿は女性同様に、堂々としており、何故か歴戦の戦士を思わせる。
二人共が王宮では見たことも無いような珍妙な服装をしていた。
首元をすっぽりと覆うような大きな青い布が肩にかかっている。
どこかくたびれた様な切れ目の入った上着を羽織り、足元まで隠してしまう程の長いスカートを履いていた。
靴も王宮では見たことの無い形をしている。
服装だけならば、どこか見窄らしい。
だが服を身に纏っている二人が余りにも堂々としているため、全く違和感を感じなかった。
とにもかくにも目立っている。
私がここ最近で目にした物や人の中では、間違いなく一番興味を惹かれた。
「……どなたかしら?」
こうして私の興味は林の鳥から、珍しい客人へと移っていった。
☆ ☆ ☆
「…………こそこそ」
そろそろと二人の後をついていく。
二人に見つかってはいけないのはもちろんのこと、教育係のパメラに見つかってもいけない。
これは中々に難易度の高いミッションだ。
二人の客人は迷うことなく王宮内を進んでいく。
案内をするような人物はおらず、誰も彼もが二人の姿、特に女性を目にすると、後ずさるようにして道を開けた。
みんな、どこか彼女を怖がっているようである。
とはいえ、訝しげな表情をしている訳ではないので、あの二人が不法侵入者、ということは無いのだろう。
やがて二人の客人は王宮の中庭を通り抜け、王族以外の貴族達が一時的に貸与される部屋が並ぶ一画へと入っていった。
そして、とある一室の前で立ち止まると、コンコン、と軽くドアをノックした。
「私だ」
女性の言葉はたったそれだけ。
無愛想な物言いではあったが、室内からは楽しそうな声が聞こえてくる。
「はいはい、どうぞ」
そうして二人の人間が室内へ消えていった。
(あれ、あそこって……)
私はその部屋に誰がいるのかを知っていた。
(ユリシア様のお部屋、よね?)
ミストリア王国では名高き公爵四家の一角、ファウグストス家。
現当主であるユリシア=ファウグストスは、現在研究の一環として王宮へと度々足を運んでいる。というか泊り込んでいる。
とはいえ少なくとも3日に一度は家に帰り、娘と一緒の時間を過ごしているらしいけれど。
「……うーん」
一体なんのお話をしているのだろうか。
自慢じゃないけれど、私はユリシア様が貴族の中で一番好きだった。
尊敬している、と言い換えてもいい。
彼女は他の貴族とは少し違う。
例え公爵家の人間であっても、ただ偉い、というだけではなく、絵物語の中の英雄の様な高潔さを感じさせる女性だった。
決して権力を笠に着て威張り散らすようなことはせず、いつも慈愛に満ちている。
それでいてとてつもなく優秀だ。
ミストリア王国でもたった8人しかいない特級魔術師の一人。
老化防止の魔法薬を開発した功績によって特級魔術師になったというが、それ以外にも様々な魔法薬を完成させており、その道の第一人者であることは間違い無い。
彼女自身非常に優秀な魔術の技量を持っており、昔は紛争地域で戦場に立って戦っていたこともある女傑だという。
時折研究に没頭しすぎる余り、身形が乱れることもあるが、それがまた貴族らしからぬ愛嬌を感じさせる。
大人達にはそんな一面が不評のようだったが、王宮にいる子供達にとっては、素晴らしい実力を持っていても、肩肘張らずに子供っぽさも垣間見せるユリシア様は、親しみ易い方であった。
更には一児の母であるとは思えぬ程に美しい女性でもある。
私はよく、ユリシア様から昔の武勇伝を聞いては心躍らせているのだ。
どうしても客人とユリシア様の御関係が気になり、ドアの傍まで近づき、耳をドアに寄せた。
自分でも淑女として、はしたない真似だということは分かっていたが、気になるものは気になるのだ。
そうして中の様子を少しでも探ろうとした私であったが、すぐに計画は御破算になった。
何故なら急に扉が開いたからだ。
寄りかかっていた私はそのまま態勢を崩し、部屋の中へと倒れ込んでしまった。
「うわわわっ!?」
驚きの声を上げながら、「床に顔をぶつける!」と思った私であったが、目をつぶった私の額が痛みを感じることは無かった。
そろそろと目を開けてみる。
すると。
「大丈夫ですか?」
気づけば客人らしき少年が私の身体を支えていた。
腰を抱くような態勢で手を回し、心配するような表情で私の顔を覗き込んでいる。
今にも顔同士が触れ合ってしまいそうな距離だった。
これほど男の子の顔と私の顔が近づいたことは未だかつて無い。
みっともなさも相まってか、何故か私は無性に恥ずかしくなった。
「だ、大丈夫よっ!」
感謝の言葉すら告げずに私は自分の足で立つと、そそくさと彼の手から離れた。
頬を染めつつ、無意識の内に髪の毛を撫でていると、大人の女性二人が私をじっと見つめていることに気付いた。
「あらあら」
ユリシア様は私を見て楽しそうに微笑んでいる。
「どちらさんだ?」
客人の女性がユリシア様に尋ねた。
「もう。知らないの?」
「知らん」
「貴女も一応王国の貴族の一人でしょうに」
「本当に『一応』という扱いだからな。権力は使い勝手はいいが、それほどの興味は無い。面倒事も増えるしな」
「まったく……」
やれやれ、という風に肩を竦めたユリシア様は促すように私に手を差し伸べた。
「こちらはミストリア王国第三王女、カナリア=グリモワール=ミストリア様よ」
「なに? 王女様だと?」
「そうよ。どうしてマリンダは知らないのかしらね?」
ユリシア様に言葉を向けられ、マリンダ、と呼ばれた女性は「うっ」と声を漏らした。
「……そうだ、私が旅してた時に生まれたとか」
「貴女の旅はたったの二年間でしょうが! カナリア様が二歳以下に見えるの、貴女には?」
「……冗談だ」
グウの音も出なかったのだろう。
彼女はすぐさま話を変えた。
「ふむ。で? どうして王女様が私達の後をつけていたんだ?」
どうやら尾行は、ばれていたらしい。
「……そ、それは」
私が言い淀んでいると、ユリシア様が代わりに答えた。
「珍しかったのでしょうね」
「何がだ?」
「貴方達二人に決まってるじゃない」
視線を向けられたマリンダ様は己の服装を見下ろした。
「ん……あぁ、この服装か?」
「まぁ服装だけじゃないけど……それはどこの服なの?」
「南方の山岳民族の衣装だ。これが中々どうして動きやすくてな。着心地も悪くないし、最近ではお気に入りだ」
どうやら本当に気に入っているらしい。
彼女は淡い微笑みと共に嬉しそうに己の服装の裾を持ち上げている。
そこで一度思案顔になったマリンダ様はユリシア様に尋ねた。
「もしかして変か?」
「いいえ。とてもよく似合っているわよ。ただ王宮内では見ない服装だから目立ってるの」
「ふむ、そうか」
「こう言っても、貴女は別に服装を変えたりはしないでしょう?」
「当然だ。自分の着たい服を着て何が悪い」
マリンダ様の視線が私に向けられた。
「私の名前はマリンダ=サザーランドだ。そして……」
そう言って彼女は少年に頷いてみせる。
意図を理解したのか、少年もマリンダ様の隣に並び立ち、口を開いた。
「ルーク=サザーランドです」
私はその二人の名前に聞き覚えがあった。
(サザーランド……?)
そしてすぐに思い至った。
「サザーランド、って……あの紅牙騎士団の!?」
そう、そうだ。
紅牙騎士団。
何度もユリシア様からお話を伺っている最強の魔術師。
その名前が確かマリンダ=サザーランド。
かの有名な国防装置『バリアブル・フィールド』の開発者だ。
『バリアブル・フィールド』
それは装置からの一定範囲内において魔術を行使することが出来なくなる装置だ。
魔力自体は失われていないにも関わらず、それを使いこなすことが出来なくなる特別なフィールドを発生させる。
開発方法も解除方法もマリンダ=サザーランドしか知らず、未だにこの装置が破られたことは無い。
今やミストリア王国全土の国境付近、更には段階的に主要な砦付近に配備されており、この装置によって王国は規格外の防衛能力が保たれていた。
例え他国が攻めてきたとしても、このバリアブル・フィールド内では魔術が行使出来ない。
ならばそのフィールド範囲外から、敵が出てくるのを待ち、出てきた瞬間に総攻撃を仕掛ければ良い。
攻めには転じにくいが、こと守りに関しては、非常に大きな効果のある装置だった。
元々高い実力があったことに加え、この『バリアブル・フィールド』開発の功績によって、マリンダ=サザーランドは特級魔術師として認められている。
というか。
「む、息子がいらしたんですか?」
私が聞くと、ユリシア様も聞きたそうな顔になった。
「そうよ、それよ、マリンダ。その子は一体何なの? まさか貴女が旅先で生んだ子供ってこともないでしょうし……え、その子が二歳な訳は無いわよね?」
「当たり前だ、何を言ってる」
自分の先程の発言を棚に上げ、呆れたような声色でマリンダ様は言った。
「こいつはあれだ、拾った」
「はぁ?」
「いや、だから。拾ったんだ」
ユリシア様が訝しげな表情になる。
それはそうだろう。
子猫じゃあるまいし。
「まぁ要するに養子……のようなものだ」
マリンダ様がそう言うと、ルークは静かに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「は、はぁ」
あんまり要領を得ない様子ではあったが、ユリシア様は一応頷いた。
「ちょっとユリシアに頼みがあるんだ」
「なに?」
「実はだな……」
そう言って大人の女性二人が何やら話し出す。
私はなんとなく顔の高さが近いルークに視線を向けた。
すると私の視線に気付いたのか、少年もこちらに目を向ける。
「しばらく王宮に居ることになるかもしれません。そうなったら、どうぞよろしくお願いします」
彼はそう言って微笑んだ。
「そ、そう」
私はただ、それだけしか言えなかった。
どういうわけか、上手に会話を探る事も出来ない。
私からは先程転んだ事の気恥ずかしさもまだ消えておらず、自然と口数が少なくなっていたのだ。
「……むぅ」
それが、私がサザーランド親子と出会った最初の日だった。