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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第六十九話 焦燥のルノワール

 

 近くに来ると尚更よく分かる。

 これまた見事な結界だった。

 力強い魔力はもちろんのこと、美しく透き通るような結界の膜には僅かな撓みも淀みも存在しない。


「すごい強度ね……」


 見上げる私の口から思わず溜息が零れた。

 王宮で秘宝を守る結界にも匹敵するだろう。それほどに洗練された魔術だ。

 どうあっても中に居る存在が――それこそ何かとてつもない不慮の事態が起きたとしても――外に出ることを阻む、という術者の強い意志が感じられる。


 山狗を囲う檻のように存在する結界。

 その外側から中の様子を伺うと、どこか怯えた様子で私を見上げる山狗の姿が在った。

 

 山狗は蹲る様にして座っていたが、私と山狗とでは体躯の大きさが全然違う。

 体格差を考えれば見上げるのは私の方である筈なのだが、山狗はまるで母親に叱られた子供のように縮こまっているため、尚更弱々しく感じられた。

 これでは幼い子犬と大差ない。


「あっ、お姫様っ!」


 ぼんやりと魔獣の姿を見つめていると背後から声が聞こえた。

 振り向けば、未だ幼さを残すあどけない少女が視界に入る。

 屋敷に勤める最年少メイドであるイリーがこちらに向かって駆けてくるところだった。


「こんにちは、イリー」


 私が言葉をかけると、俯き、呟くように彼女は言った。


「こ、こんにちは……」


 どこか恥ずかしそうに、もじもじとした様子で挨拶を交わす少女。

 私と視線が合うと慌てて彼女は視線を逸らした。

 初対面時から思っていたが、イリーは随分と人見知りする性格らしい。


「今朝は早くからどうしたの、イリー?」

「あ、その……ダイアのご飯を持ってきたので」


 なるほど、よく見てみれば彼女は大きなバスケットを持っていた。


「へぇ……」


 中を覗くと、そこにはしっかりと調理されていると思しき肉と野菜のようなものが入っている。

 なんだか人間が食べても美味しそうである。

 後からテオに聞いた話によると、ペットに食べさせる物にしては上等すぎる料理らしいが、この時の私は「これが山狗の餌か」ぐらいにしか思わなかった。


「だけど、ちゃんと食べられるの?」


 ついつい私は尋ねる。

 もう一度結界の中に目を向けると、恐れを成した様子の山狗と目が合った。

 とてもではないが、食事を楽しみにしている姿には見えない。

 

「すごい怯えているけど」

「そ、それは……えと、初めて見た人がいるから、だと思います……」


 そう言って彼女は寂しそうな表情を山狗に向ける。

 しばらく黙ってイリーは山狗を見つめていた。

 しかし、自分の思考を振り払うためか、一度大きく頭を振って彼女は再び歩き出した。


「で、でも最近は随分と私に懐いてくれるようになったんですよっ」


 イリーはそっと結界の方へと近づいて行く。


 すると。


 なんと山狗の方もイリーに近づくようにして傍へと寄って来たではないか。

 恐る恐る近寄って来る山狗からは邪悪な気配はまるで感じない。

 イリーを窺う仕草からは、むしろ優しさのような感情が伝わって来るようだった。


「……へぇ」


 なるほど、彼女の言うこともあながち間違いではない。

 確かに懐いている。

 時折私に警戒をするような視線を向けるが、イリーに対しては山狗の警戒心は見違えるほどに抑えられていた。

 そんな山狗の反応が嬉しかったのか、少女は満面の笑顔を浮かべていた。


「よしよし。はーい、ご飯ですよー」

 

 楽しそうに餌を取り出すイリー。

 その時、もう一つの足音が背後から聞こえた。


「ひ、姫殿下?」


 どこか上ずった声で彼女は私を呼んだ。

 振り返らなくても、美しいソプラノの声で正体は分かる。

 メフィルさんの従者、ルノワールだ。


「あら、ルノワール、今日は学院は?」


 私が素朴な疑問を呈すると、彼女は若干慌てつつも、はにかみながら答えた。


「ほ、本日は学院はお休みなんです」

「あら、そうなの」

「え、えぇ」


 言いながら、彼女はゆっくりとイリーへと近づいていく。


 気のせいだろうか。


 なんだか意識的にルノワールは私と目を合わせまい、としているかのようだった。


「イリーさん」

「あっ、ルノワールさん!」


 ルノワールの声に振り向いたイリーの顔は、たちまち太陽のように輝いた。

 それは先程までの少女の様子と比較すれば劇的、といってもいい変化だ。


「ルノワールさんが約束の時間に遅れるなんて珍しいですね」


 目を丸くして驚きながらイリーは言った。

 どうやらルノワールは事前にここでイリーと会う約束でもしていたらしい。


「い、いえ。そ、そのすみません」


 動揺しつつも頭を下げるルノワールであったが、イリーに気にした様子は無かった。


「いえいえ! 全然大丈夫ですよ!」

「と、ところで。どうですか、ダイアの様子は?」

「見て下さい! ほらっ、私がご飯の用意をしてもちゃーんと食べてくれます! 逃げないんですよ!」


 まるで誇る様にイリーは瞳を輝かせている。

 胸を張る少女を見下ろしながらルノワールも微笑んだ。


「……本当ですね。ふふ、やはりイリーさんの優しい真心が伝わったのでしょう」

「え、えへへ。そうなのでしょうか?」

「ええ、もちろん。以前にも言ったでしょう? イリーさんの気持ちを、ダイアはしっかりと理解出来るんです」


 ルノワールとイリーの会話を聞いていて、イリーの様子の変貌に私は驚いた。

 先程まで私と話していた少女とは、もはや別人である。

 イリーとは、こんなに晴れやかに笑う少女だったのか。


「……でもでも、やっぱりルノワールさんの方が好きみたいです」


 いじけたようにイリーが言うとルノワールは苦笑した。


「出会いが出会いでしたから。ダイアが私に感謝の念を抱くのも無理ないことでしょう」


 しかしルノワールの言葉に、イリーはどうやら納得していない様子である。


「……それだけでしょうか」

「えっ?」

「一緒に居れば……誰だってルノワールさんのことを好きになりますよ。人間でも……動物でも」


 そう言ってルノワールを見上げるイリーの瞳の中には紛れもない憧憬の色が混じっている。


「……そのようなことはございませんよ」 


 小さく呟いたルノワールの背中を見つめながら。

 会話の途切れ目に私は尋ねた。


「この結界はどなたが作ったの?」


 静かな口調ではあったが、もしかしたら私の声色は鋭さを伴っていたかもしれない。


「……」

「ルノワールさんです!」


 ルノワールは答えてくれなかったが、代わりにイリーが元気よく答えてくれた。


「へぇ、すごいわね」

「それはもう! ルノワールさんの結界魔……」


 しかしイリーの言葉を遮り、ルノワールが慌てたような声を上げる。


「あぁっ、イリーさん。そういえば先程アリーさんが呼んでいましたよ」

「え、お姉ちゃんがですか?」

「は、はい。何やら急ぎの御様子でしたので。早く行ってあげるとよいと思います」

「分かりました!」


 「申し訳ありませんが、それでは失礼いたします」と丁寧に私にお辞儀をしたイリーは足早にこの場から去って行った。


「……」


 私は無言でルノワールに視線を向けると、彼女は緩やかに低頭した。


「そ、それでは私も失礼させて頂きます」


 そそくさと歩き去ろうとする彼女の背中を私は呼びとめた。


「ルノワール」

「……な、なんでしょうか?」


 振り返った彼女に私は微笑んだ。


「いいえ。素晴らしい結界ね。見事です」

「あ、ありがとうございます」


 もう一度、素早く頭を下げた彼女は逃げるようにして屋敷へと戻っていく。


 その背中を私は鋭い瞳で見つめていた。




   ☆   ☆   ☆




 注意深く。

 私はここ数日、ルノワールという従者を観察していた。


(やっぱり)


 似すぎている。

 あの少年に。


 ルーク=サザーランドに。


 あの面立ち。

 あの性格。


 料理上手。

 絵画が好き。

 結界魔術。

 

 そして何よりも――、


(彼女の雰囲気が……)



 ――懐かしさを呼び起こす。


 

 二人といない、独特の気配。

 彼だけが持っている不思議な存在感。

 慈愛に溢れているだけではない、確かな芯を持った力強さ。

 傍にいると、何故だか温かな安心感を覚える感覚。


 それをルノワールからも感じるのだ。


 見た目は完全に女性にしか見えない。

 声も私が知っているルークよりも随分と高い。


 だけど。


 理屈ではなく、心が言っている。



 ルノワールこそがルークその人である、と。



 しかし何故女の格好をしているのかが分からない。

 何か理由があるのだろうか。

 そもそもユリシア様は知っているのか。


 いや、ユリシア様とルークの仲の良さを考えれば、ユリシア様もグルである可能性は高い。


 確証はどこにもないが、私は既にルノワールとルークが同一人物であると決めつけていた。


「……」


 ルークの性格を考慮すれば、邪な理由で女性の格好をしているわけではないだろう。

 というか何故メフィルさんの従者をしているのだろうか。

 メフィルさん本人はこのことを知っているのか。


「……姫様?」


 真剣な表情のまま無言でベッドに腰かけていたからだろう。

 テオが心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「いえ」


 どれだけ推測を重ねたところで答えが出る筈もない。



 ――私はゆっくりと右の掌を左手で撫でた。



「なんでもないわ」


 右手の薬指。

 そこには一つの指輪が嵌っている。


「……」


 その指輪は王族が身につける装飾品としては随分と安物であった。


 しかし使っている宝石は安物のようだが、デザインは可愛らしい。

 ただ子供っぽいというだけではなく、どこか上品さも感じられた。

 大人の女性が身に着けていても違和感の無いような。

 そんな洒落た指輪。


「……」


 ベッドに横になり、私は指輪をじっくりと眺める。


 それだけで懐かしき思い出が蘇ってくるようだった。


「そろそろ寝ましょうか」

「……畏まりました」


 布団に包まりながら、私は思いを馳せた。



 ――まだ今よりも背も低く、我儘放題でいた日々を。

 


 そして。


 彼が。


 ルーク=サザーランドが傍に居てくれた掛け替えのない時間を。


 興奮気味の気持ちも、やがて時間と共に、眠気には勝てずに鎮静化していく。


 その日、私は夢を見た。


 長い長い――懐かしき日々の夢を。






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