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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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番外編 おかえり、ウェンディ ~後編~

 

 突然泣き出してしまった、あたしに気を遣ってくれたのだろう。

 まだ買い物を済ませていなかったが、メフィルお嬢様がカフェで休憩して行きましょう、と仰った。


「こうやって外でお茶をするのもいいものよね」


 お嬢様の言葉に頷きながら、ルノワールが静かに椅子を引いた。


「いや……なんか、本当にすいません」


 考えてみれば、この二人はあたしよりもずっと年下だ。

 時間が経つと、あたしは唐突な羞恥心に襲われた。


(はぁ……失敗したぁ)


 そんなあたしを微笑ましい表情で見守る二人の少女。


(あぁっ、二人の優しさが痛い~っ)


 あたしが内心で動揺していると、お嬢様がカップで湯気を立てるアッサムティーにゆっくりと口を付けた。


「ふふ、まぁいいんじゃない?」


 満足そうに一度頷き、彼女は言う。


「ウェンディの泣き顔なんてそんなに珍しくもないしね」


 楽しそうにクスクスと笑うお嬢様。


「そ、そのようなことは……っ」

「ないっていうの?」


 うっ……。


「いやその……お許しください、お嬢様」

「あははっ」


 恥ずかしさに身を縮こまらせつつ、あたしはお嬢様の変化に気づいた。


「……」


(なんだか以前よりも)


 よく笑うようになった。

 

 メフィルお嬢様は元々優しく、屋敷の人間に対しては気兼ねなく話しかけて下さる方ではあったが、ここまで笑顔が絶えない御方であっただろうか。


(いや)


 少なくともあたしの記憶の中では、むしろ寡黙な印象が強い少女だった。

 学校でも友人は少ないようであり、余り教室での話などもせず、アトリエで一人絵を描く時間が非常に長い人であった筈だ。

 

 それが今や……随分とよくお笑いになる。

 些細なことで微笑み、学院での話をあたしに聞かせてくれたりする。

 今でもアトリエに篭もることはあるが、以前ほど絵画一辺倒では無くなられたようであった。


 あのような凄惨な事件があり、リヴァイアサンに襲われたばかりであるというのに、メフィルお嬢様にはどこか余裕すらある。


 理由など一つしか、あたしには思い至らない。


 あたしは隣で音も立てずにカップを傾ける少女に目を向けた。


(この子、か)


 ルノワール=サザーランド。

 マリンダ様の御息女だという、彼女の存在だろう。


 話には聞いていた。

 非常に優秀な魔術師であり、料理上手。

 器量良しで気が利き、慈愛に満ちている、と。


 そんな少女がいること自体に、納得がいかないあたしであったが――メフィルお嬢様がルノワールを信頼しているのは間違いがないのだろう。


 ほんの些細な仕草や言葉の端々に、彼女への思いやりがある。

 またルノワールにしても、そんなメフィルお嬢様の好意に甘えるばかりでなく、従者として誠実であった。

 年齢が近いこともあるのだろうし、二人ともが絵画好き、ということも関係あるかもしれない。


 兎にも角にも、二人は理想的な主従なのだろう。


 僅かな時間しか一緒にいなかったが、あたしにもなんとなくそれが分かった気がした。




   ☆   ☆   ☆




 緩やかに昼下がりの時は過ぎていく。


 お茶菓子を楽しみながら、一人の少女が遠慮がちに口を開いた。


「ウェンディさんはガーデニングを嗜むと伺いました」


 そう言ったのはルノワール。


「え、ええ、まぁ」


 突然話を振られたあたしは曖昧に頷くのみだったが、メフィルお嬢様は興奮気味に声を上げた。


「すごいのよ、ウェンディの植物に関する知識は」


 まるで自分の姉を自慢するような口調に、思わず照れてしまう。

 お嬢様は続けた。


「そもそも屋敷の草花のほとんどは元々ウェンディが手入れしていたんだから」


 何故か胸を逸らして言うメフィルお嬢様。

 あ、あまり持ちあげないで欲しい。


「庭園の造形もウェンディの手が入ってる場所がほとんどなのよ」


 少しばかり恥ずかしい。

 だけど……そんなお嬢様の話しぶりが嬉しかった。


「そうだったんですか!」


 目を丸くしたのはルノワール。

 彼女から尊敬の眼差しが向けられた。

 美しい瞳の輝きが先程よりも強くなっている。

 ルノワールの瞳に擬音を付けるならば、キラキラ、だ。


「う、い、いやぁ……そこまで大したことでは」

「謙遜しなくてもいいでしょう?」


(うぅ、でもそれは、本格的に勉強した訳じゃないんですっ)


 屋敷の皆が疎いので、元々花が好きだったこともあり、自分で本などを読み漁り、ガーデニングをするようにはなった。

 確かに屋敷の中では一番詳しい。それは間違い無い。

 けれど、一流の庭師からすれば、恐らくは素人芸に毛が生えた程度でしかないだろう。

 本来のあたしはガサツな性分であるし。


「いや謙遜というわけでは……」


 故にそこまで誇れるものではない、と思う。


「……素晴らしいですね」


 しかし。


「えっ?」


 ルノワールは真剣な表情をしていた。

 彼女は照れたように目を細め、「実は……」と語り始めた。


「初めて屋敷に訪れた時……あの庭園の美しさに心を奪われました」


 思い出すように虚空を見つめ、彼女は薄く微笑んだ。


「ユリシア様の後に続き……公爵家の屋敷とはこういうものか、と。あの時の私は圧倒されたものです」


 美しいソプラノの声が耳朶を打つ。

 メフィルお嬢様も穏やかな表情で、彼女の話に耳を傾けていた。


「……そう、なの?」

「はい。正直なことを言わせてもらえば……あの庭園を造っているのは宮廷庭師にも引けを取らない一流の職人だと思っていました」

 

 それがまさか屋敷の使用人の一人でしたなんて。

 そう言って彼女は笑った。


「……あたし」


 二人の称賛にどう答えてよいのかが分からなかった。


 元々屋敷の皆は褒めてくれてはいた。

 だけどそれは身びいきな称賛だと思っていた。


 だがルノワールのこの表情はどうだろうか。

 この顔が嘘を付いているとは思えない。

 お世辞を言っているようにも思えない。


「……」


 上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。


 だけどあたしが何かを口にするよりも早く。


「不躾なお願いをしても……よろしいでしょうか?」

 

 そうルノワールが言った。


「なに?」

「……私にガーデニングのイロハを教えて頂けませんか?」


 はにかみながら、小首を傾げつつ、お願い事をするルノワールの姿は同性のあたしから見ても、動揺してしまうほどに愛らしかった。

 思わずドキリとしてしまう。


「い、いいけど……あたしなんかでいいの?」

「ええ、もちろんです!」

「そ、そう」


 ま、まぁ。

 あたしで良いのであれば、教えるのは吝かでは無い。


「ふふっ、ならウェンディは代わりにルノワールに料理を教えてもらったら?」


 楽しそうにあたし達の様子を見ていたメフィルお嬢様が言った。


「そ、それは確かに嬉しいかもしれませんね」


 これは自覚していることだが、あたしは屋敷の使用人の中で一番料理が下手くそなのだ。

 もちろん食べられないような、ひどいものではないが、お世辞にも上手だとは言えない。

 美味しいか、と問われれば、ぎこちない返事が返ってくることだろう。

 屋敷最年少のイリーの方が上手なのだから、恥ずかしい限りである。


「でしたら私は料理を、ウェンディさんはガーデニングを、ということで宜しいでしょうか?」


 嬉しそうに話すルノワールを見ていると、なんだか自然とあたしも楽しい気持ちになって来る。


「え、えぇ」

「わぁっ! ありがとうございます!」


 そう言って満面の微笑みを向ける彼女の姿を見て。


(あぁ)


 不思議と心地よい。

 心が温まる。

 安らかな気分になる。

 共に居たいと思わせる雰囲気がある。


「ふふっ」


 なんだか屋敷のみんながルノワールのことを好きに思う気持ちが分かったような……そんな気がした。




   ☆   ☆   ☆




 その日の晩。


「美味しいっ!?」


 ルノワールの料理を口にした途端に衝撃を受けた。

 これが屋敷の人間全員を魅了する彼女の実力か。

 

「ふふ、貴女もルノワールに師事するようになるなら、このレベルにまでならないとね」


 笑いながら冗談めかして言うユリシア様。


(うぅ、先は長そうだなぁ)


 そう思いつつ、夕食を口に運ぶ。

 あぁ、本当に美味しい。


 現在食堂には屋敷の使用人はローゼス夫妻を含め、全員が揃っていた。

 ユリシア様も、メフィルお嬢様も。

 和やかに一つのテーブルを囲む食事の時間。


 皆で談笑しつつ、ルノワールの作った極上の料理に舌鼓を打っていた。


 食事も終盤に差し迫った頃、ルノワールが厨房に引っ込んだ。

 どうしたのだろうか、と思っていると、彼女は特大のケーキを持って帰ってきた。


 一体何の祝い事だろうか、と首を傾げるあたしであったが、全員の視線が自分に集中していることに気付いた。

 笑顔であたしの傍までやって来るルノワール。

 目の前に置かれたケーキの上にチョコレートで文字が書いてある。



 『おかえり、ウェンディ』



 そう、読めた。


「え?」


 戸惑い、視線を揺らすと、誰もが微笑んでいる。


 メフィルお嬢様が一歩を踏み出し、あたしの目の前までやってきた。

 思わず立ち上がろうとしたあたしを制し、彼女は言う。


「ウェンディ」

「は、はい」


 メフィルお嬢様は今日一番優しい表情をしていた。

 彼女の瞳の色に吸い込まれるように、あたしは見つめ返す。



「あの時、私を守ってくれてありがとう」



「……っ」


 静まり返った食堂の中――メフィルお嬢様の声が耳から離れなかった。

 ただ黙ってあたしが固まっていると、彼女は微笑んだ。


「それと……おかえりなさい」


 周囲を見渡すと誰もが優しい表情で微笑んでいる。

 メフィルお嬢様だけではないのだ。

 屋敷の全員が同じ表情をしていた。


「……」


 皆の笑顔に包まれて。


 泣き虫なあたしはまたしても……流れる涙を抑えることが出来なかった。


「……ぁ」



 嗚咽混じりの掠れた声で――今一度あたしは大好きな家族に言った。

 


「ただいま、戻りました」


 あたしはこの場所で生きていく。

 命ある限り――この人達と共に在りたい。


 心の底から、そう思った。






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