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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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番外編 おかえり、ウェンディ ~前編~

 

 ファウグストス邸の巨大な屋敷を見上げながら、あたしは自分に喝を入れた。

 以前は当たり前のようにくぐっていた門が、今はひどく大きく見える。

 ためらいを振り払うように、両頬を軽く叩いた。


「よし……っ!」


 人知れず握り拳を固めつつ、一歩を踏み出す。

 門に向かって進むと、詰所の中に見知った顔を見つけた。

 久しぶりに見た同僚の顔に変わりは無い。

 一度目を見開いたオウカさんだったが、すぐに笑顔を作り、彼女は言った。


「おかえり、ウェンディ」


 あたしはオウカさんに近づき、返事をする。

 彼女は変わっていない。

 以前と何ら変わらない様子で私に声をかけてくれた。


「ただいま戻りました」

「もう具合は良いのかい?」

「はい」

「そうかい」


 呟き、彼女は声を詰まらせた。

 あたしの爪先から頭上まで、ゆっくりと視線を動かす。


「それは良かったよ……面会も出来なかったから」

「仕方ないですよ。状況が状況でしたし」

「……皆心配してたんだよ?」


 言葉の途中で涙ぐんだオウカさんが目を瞬かせた。


「本当に……無事で良かった」


 掠れた声で呟くオウカさんの顔を見て。

 自然とあたしの目蓋にも熱い雫が溜まってきた。

 胸が熱い。

 オウカさんは本気であたしのことを思ってくれているのが分かった。


 改めてあたし達は『家族』なんだと思えた。

 それが嬉しくて。

 同時に悔しさもせり上がってくる。


 あたしはメフィルお嬢様を守り抜くことが出来なかった。

 御側に控えていたというのに無様な姿を晒したのみ……不甲斐ないにも程がある。

 お嬢様は御無事であったらしいが、結局は彼女の手を煩わせてしまった。

 本来ならばあたしだけで、なんとか退けなければいけなかったのに。

 

「ごめんなさい」

「なんでウェンディが謝るの?」

「だってあたしは……メフィルお嬢様を危険な目に……」


 あたしが思わず謝罪の言葉を漏らすと、オウカさんは優しい表情のまま頭を振った。


「……二人共無事だったんだから。それが全てだよ」


 もはや流れ落ちる涙を止めることなど……出来はしなかった。


「ぅ……っく」


 頬を伝う涙を拭うこともせずにあたしは、ただ嗚咽を漏らしていた。


(帰ってきた)


 実感した。

 あたしはようやく帰ってきたのだ。

 

 あたしの居るべき場所に。

 あたしの家族の元に。


 あたしの家に。




   ☆   ☆   ☆




「おかえりなさい、ウェンディ」


 ユリシア様に呼ばれたあたしは、彼女の執務室へと向かった。

 オウカさん同様に、優しい微笑みであたしを迎えてくれる我が主人。

 誇り高きファウグストス家の現当主にして、特級魔術師。

 強く賢く優しく、そして美しい淑女だ。


 まさしく公爵家に相応しい貴人。

 ユリシア様はあたしにとっては憧れであり、理想であり……母だった。


「ただいま、戻りました」


 静かに、可能な限り丁寧に低頭した。


「あたしの不手際で御迷惑をおかけして……申し訳ありませんでした」


 神妙に述べるとユリシア様は苦笑した。


「もう。そんな風に畏まらないの」

「いえ、ですが」

「誰も貴女を責めたりしない。むしろメフィルを身を呈して守ってくれて、わたしはとても感謝してるのよ。メフィルもそう言ってるわ」

「……」


 優しい声が胸を打った。


「だから貴女は胸を張っていいのよ、ウェンディ」

「……ぅっ」


 しっかりしろ。

 さっき泣いたばかりじゃないか。

 主人の前でまで、情けない姿を見せたくはない。

 

「はいっ」


 なんとか笑みを形作ってあたしが返事を返すと、満足そうにユリシア様は頷いた。


「治療中、退屈じゃなかった?」

「あ、えと、いや」

「ふふっ。別に正直に言っていいのよ」

「あぁではその……少し」

「少しだけ?」


 探るような、からかうような声音で尋ねられ、あたしは正直に漏らした。


「いやあの……かなり退屈でした」

「はい、正直でよろしい」


 あたしももう、いい歳だが、ユリシア様からすれば子供同然なのだろう。

 微笑ましいものを見るような目であたしを見つめるユリシア様。

 少しばかり頬が熱くなる。

 

 その時部屋をノックする音が聞こえた。

 

「ルノワールです」

「あら、早かったわね」

「……?」


(ルノワール?)


 あたしは聞き覚えの無い名前に首を傾げた。  

 

「入ってもいいわよ」

「失礼致します」


 そう言って執務室に入ってきたのは、とびきりの美少女だった。

 彼女はファウグストス家の使用人服を身に纏っている。

 しかしあたしに見覚えは無い。


 屋敷を離れている間に新しくやって来た使用人なのだろうか。

 あたしが頭の中で疑問符を浮かべていると、ユリシア様が説明してくださった。


「紹介するわ、ウェンディ。この子はルノワール」


 ルノワールは恭しく低頭した。

 その礼は容姿を裏切ることなく、洗練されており、思わず惚れ惚れとするほどだった。

 まだ若い。

 間違いなくあたしよりは歳下だろう。

 しかしあたしよりも貫禄があるように見えたし、不思議な存在感に満ち満ちていた。


「初めまして、ウェンディさん。ルノワールと申します」


 笑顔で挨拶を述べるルノワールにあたしも慌てて会釈を返した。


「は、初めまして。ウェンディです」

 

 自己紹介を済ませると、何故かルノワールがじっとあたしを見つめていた。

 その表情は真剣だ。

 興味半分で観察している訳では無いだろう。

 

 ルノワールの不躾な視線に対してあたしが訝しげな表情を作っていると、ユリシア様が口を開いた。


「ごめんね、ウェンディ。ちょっとだけ、じっとしていて」

「は、はぁ……」


 要領を得ないままに、あたしが直立の姿勢を保っていると、やがてルノワールが一歩を踏み出した。


「失礼致します」


 彼女の手のひらがそっと、あたしの腕を握る。


「ちょ、ちょっと?」


 いくらなんでも初対面の人間に対して失礼な態度だ。

 あたしは不服を申立てようとしたけれど、ユリシア様の視線がそれを遮った。


 ルノワールの魔力が手のひらを通じてあたしの身体に入ってくる。

 痛くも痒くもない。

 むしろ優しい温かさに満ちた心地よい感覚が全身を駆け巡っていく。


(な、なんなの?)


 しばらくするとルノワールは手を離し、あたしから離れた。

 

「どう? ルノワール?」


 ユリシア様がルノワールに何かを尋ねた。

 訳が分からない。

 一体何なのか?


「……おかしな魔力は感じませんね。隠匿している訳でもないでしょう。流石に触れれば必ず分かります」


 ルノワールがそう言うと、ユリシア様はホッとしたように息を吐いた。


「そう、よかったわ」

「あ、あのユリシア様。今のは一体何だったのでしょうか?」


 たまらずあたしは尋ねた。

 いくらユリシア様の御意向とはいえ、流石に状況がさっぱり分からない。


「あぁ、ごめんね。今説明するわ」


 そうして語られたのは恐るべき洗脳魔術師の話だった。




   ☆   ☆   ☆




 メフィルお嬢様をずっと狙っていたゲートスキル習得魔術師。


「ベルモント=ジャファー……」


 最初の襲撃もその男の犯行だった。

 なんでも奴はその後もお嬢様を狙っていたらしい。


「そう。言い方は悪いけれど……ベルモントがウェンディを利用する可能性は十分にあったから」

「それは……そうでしょうね」


 あたしは自分で言うのもなんだけれど、ユリシア様からもメフィルお嬢様からも信頼されている、と思う。

 屋敷の人間を本当に洗脳状態におけるのならば、ベルモントにとってはこの上ない手駒となるだろう。


「では今のは……」

「ええ。ルノワールに調べてもらったのよ。彼女はベルモントの洗脳対象と何度か交戦経験があるし、魔術師としての技量でもベルモントを遥かに上回っている」


 ユリシア様の声音。

 そこにはルノワールに対する確かな信頼が込められていた。

 これはひどく珍しいことだ。

 失礼な物言いになってしまうかもしれないが、ユリシア様はとても疑り深い御方である。

 ルノワールは屋敷にやってきたばかりではないのか。


「随分とルノワールを信頼なさっているのですね」


 あ、いけない。

 思わずあたしは、嫉妬心の入り混じったような声音で呟いてしまった。

 今のは自分でも皮肉げな口調だったと思う。


「ふふ、ルノワールは今は屋敷の使用人をやってもらっているけど、実は元々彼女はわたしの個人的な友人なのよ」

「御友人、ですか?」

「ええ。この子はマリンダの娘だから」

「えっ!? マリンダ様の?」

「血は繋がっていないけどね」


 ユリシア様の言葉に驚きと納得の両方の思いが沸き上がった。

 マリンダ=サザーランド男爵。

 ミストリア王国に住まう者にとっては知らぬ者の居ないほどの有名人だ。

 かの紅牙騎士団の団長にして、ユリシア様の無二の親友。

 彼女にルノワールのような養子がいたとは知らなかった。

 

 しかしだとするならばルノワールを信頼しているのも納得出来ることだ。

 ユリシア様はマリンダ様を誰よりも信頼している。

 その娘であれば、なるほど彼女も信を置くだろう。


 視線を動かす。

 あたしをじっと見つめていたルノワールと目が合った。 

 感じの良い微笑みを浮かべ、軽く頭を下げるルノワール。


 随分とマリンダ様とは雰囲気が違うと思った。

 マリンダ様はもっと他者をグイグイと引っ張っていくような、圧倒的なリーダーシップを持つ方だ。

 どちらも大きな存在感を放っている、という点だけは共通していても、顔貌は当然として、身に纏う気配の質が随分と異なっている。


(まぁ……血は繋がっていないのだし、当然か)


「それで、そのベルモントはどうなったのですか……?」


 あたしが尋ねると二人は苦々しい顔になった。


「犯人は奴で間違い無いけれど、決定的な情報は何も持っていなかったわ」

「え?」

「しかも先日……自ら命を絶った」

「……そ、そうなのですか」


 重々しい沈黙が室内に広がっていく。

 詳しい状況を聞きたい所ではあったが、流石に使用人が主人に尋ねるような案件ではない。

 一度頭を振ったユリシア様が不穏な空気を払拭するように言った。


「とにかく、ウェンディが敵の手に落ちていないと分かって安心したわ」

「同感です」


 ユリシア様の言葉に頷くルノワール。

 なんだか随分と息が合っている。


「今日からは以前と同じくウェンディには屋敷の仕事をお願いしたいと思うのだけれど、いいかしら?」

「えっ……あ、はい。もちろんです」


 そのためにあたしは帰ってきたのだから。


「ウェンディが居なくなって、掃除も若干大変になった、ってオウカもぼやいていたし。これからは皆少し楽になるかしらね」


 茶化すように微笑むユリシア様。

 あたしは気になっていたことを尋ねた。


「あの……メフィルお嬢様の護衛は……」


 メフィルお嬢様が外出する際にはあたしが同行する機会が多かった。

 ユリシア様とローゼス夫妻を除けば、あたしが一番腕が立つからだ。


 しかしユリシア様の続く言葉に、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「あ、護衛は大丈夫よ」


 え?


「今はメフィルの護衛はルノワールに任せているの」


 え、え?


「だからウェンディは屋敷の仕事に専念して頂戴ね」


 笑顔で告げるユリシア様の言葉をあたしは呆然とした面持ちで聞いていた。






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