番外編 結成! お姉様ファンクラブ!
ミストリア王立学院。
その校舎は王族出資ということも相まって非常に大きい。
広大な敷地を存分に活用した建造物であり、何らかの用途に応じて自由に貸し出しを受け付けている予備の空き教室が無数に存在していた。
貸し出しは1人2日間までという規則がある。
更に一度貸し出し申請を行うと、再び申請をするまで30日間の間をあけなければならない。
これは特定の個人が部活動などとは別に教室を占領してしまう事態を避けるための措置である。
今日も今日とて、部活棟のとある空き教室に幾人かの女子生徒達の姿があった。
彼女達は正規の貸し出し申請を済ませており、この場所を使うことには何も問題はない。
学院のルールに則った健全な学生達だった。
そんな教室内には姦しい声が響き渡っている。
「その時、お姉様が颯爽とボールを受け止めなさって!」
興奮気味に一人の少女が身を乗り出すと、周囲の女子生徒達も大いに沸いた。
「えぇっ!? 素手でですかっ? 硬球のテニスボールですわよね!?」
「そうですよ! しかも背後から突然飛んできたボールをこう……サッと!」
「おおおっ!!」
驚愕と称賛の声が上がる。
わいわいと騒いでいる少女たちは実に楽しそうだった。
「わたくし、この前お姉様が絵を描いていらっしゃるのを偶然目撃したんです」
これまた一人の少女がポツリと漏らすと、場が彼女の話を聞こうと静寂に包まれる。
「場所はアゲハの街の公園で。その時はメフィル様と御一緒に絵を描いておられたのですけど……」
「まぁ……やはりあのお二人は仲がよろしいですわね」
「公爵家のご息女たるメフィル様に、美しきお姉さま」
「理想的な主従だと思いますわ!」
「でもでもお姉様は従者であってもカリスマがありますよ!」
「それは言うまでもないことでしょう?」
話が脱線しかけ、戸惑った少女が躊躇いがちに言った。
「えっと……話を戻しても?」
「あ、ごめんなさい。続けて下さい」
「はい。仲睦まじげに二人で公園の景色を描いていらっしゃいました。お二人ともとてもお上手で。お姉様は料理や魔術だけではなく、絵も素晴らしい技量がお有りでした」
「まぁ! 流石はお姉様ですわね!」
憧憬の眼差しで一人の少女が呟いた。
「あぁ……わたくしもお姉様と御一緒にお出かけしたい」
「そんなこと! わたくしだってしたいですわ!」
わいわいがやがや。
一人の少女が虚空を見つめながら、陶然とした様子で呟いた。
「はぁ……ルノワールお姉様」
そう、ここはルノワールを慕う少女達が日々集い、共に語り合う場。
本人の与り知らぬ所で密かに発足したルノワールのファンクラブだった。
☆ ☆ ☆
事の発端は、あのアラン湖でのリヴァイアサン襲撃事件だった。
あの日。
およそほとんどの同学年の生徒達は目撃した。
ルノワールという名の、ファウグストス家従者の力を。
同じ年齢でありながら、巨大な聖獣を相手に一歩も怯まず、最上級魔術の連続行使によって圧倒してみせた。
その堂々たる振る舞い、常軌を逸した戦闘能力。
主人であるメフィルに対する献身的な態度。
そして何よりも。
他の全てを圧倒し凌駕するほどにルノワールは美しかった。
あれほど強く、可憐な少女が一体どこにいるというのか。
普段は清楚な美人であり、時に母性本能が刺激されてしまうほどにお茶目な一面を見せ、いざという時には誰よりも凛々しい。
元々その容姿、性格も相まって人気のあったルノワールであったが、あの事件で更に爆発的な人気を博していたのだ。
とはいえ誰もがそのようにルノワールに対して好意的な態度を示しているかというとそうでもない。
中にはあのような力を見せつけられて、ルノワールに対して嫌悪感を抱いている者も少なからず居た。
嫉妬心もあるだろうが、その根本にあるのは『恐怖』や『畏怖』といった感情だ。
尋常ならざる力。
同じ校舎内で生活していれば、あのような力がいつ自分に向けられるか分からない。
そんなことを考えてしまう人間も当然存在したのだ。
聖獣を倒してくれたルノワールに感謝してはいても、手放しでルノワールに好意を向けることなど出来ない。
とりわけ心の中に、大なり小なり何らかの負い目を感じている人間には、こういう反応は顕著だった。
まぁそれはさておき。
この教室に居る彼女達は、人知れずルノワールの話をしている内にどんどんと仲良くなっていき、いつの間にか毎日のようにおしゃべりを繰り返すようになり、適度な場所を求めて空き教室を借り始め……そんなこんなで生まれたのが『ルノワールファンクラブ』通称『お姉様ファンクラブ』であった。
会員達が代わる代わる貸し出し申請を行うことで、連日この空き教室に集まっており、もはやこの部屋は『ルノワールファンクラブ』の集会場と化していた。
☆ ☆ ☆
再び一人の少女が教室へと足を踏み入れる。
上機嫌でやって来た彼女を目にした会員番号18番の少女が言った。
「あっ! 会長!」
その声に誘われるようにして、皆が教室入口へと目を向ける。
口々に挨拶を交わし、会長と呼ばれた少女――ヤライ=ハーヴェストは柔かに微笑んだ。
「ふふふ、みんな集まっている?」
「はい、なんだか機嫌がよろしいですわね?」
「そうなの! 聞いて頂戴!」
声高らかにヤライは言った。
「先程あたしお姉様と御一緒していたのだけど」
口々に羨望の声を上げる会員達。
そう、このファンクラブの会長ことヤライ=ハーヴェスト男爵令嬢は、なんといってもルノワールにかなり近しい立場にいる生徒なのだ。
ルノワールもヤライに対しては好意を抱いているらしく、よく楽しそうにおしゃべりをしている。
ヤライに対して嫉妬心を向ける人間も居るが、ヤライから得られるルノワール情報は貴重だ。
付け加えて言えば、ヤライは行動力があった。
一人が抜け掛けしたりしないように、自らがファンクラブを創設し、いくつかのルールを制定し、会長の座に収まることによって、全員でルノワールを応援しよう、と彼女は言いだしたのだ。
恥ずかしがり屋な少女達にとってはヤライの提案は素直に嬉しいものであったし、渡りに船でもあった。
「今日はね。以前お姉様に教えて頂いたお菓子を作っていったのだけど」
「まぁ! それはフワフワのチョコレートマフィンのことですか?」
「そうそれっ!」
バシッと手を掲げ、ヤライは言った。
「後で知りたい人には教えてあげるわ。で、ま、まぁ。あたし程度の実力じゃとてもお姉様には適う筈もないけどその……あ、味見をしてもらったのよ」
もじもじと頬を染め上げながらヤライが呟く。
ルノワールの料理の腕前が超一流だというのは、既に学院内では広く知られた事実だった。
仲の良い人達は彼女が以前は王宮の宮廷料理人に師事していたということも知っている。
どうしてそんな話が広まっているのか?
メフィルが自慢げに話したからだ。
「そしたら優しく微笑んで、美味しいです、って」
ムフフフ、とニマニマ微笑みながら告げるヤライの表情は淑女としては如何なものか、といった感じであるが、彼女が幸せそうなのだけは分かった。
大概感覚が麻痺しつつあるファンクラブメンバーも黄色い声を上げてはしゃいでいるのだから、なんというか……平和な光景である。
その時。
教室に乱入者が突然現れた。
「ちょっと! またこんな場所で集まって!」
眉を顰めながら怒鳴り気味に教室に入ってきたのは今や名高き学院の風紀委員クレア=オードリー。
会員達の間には俄かに緊張が走ったが、ヤライは堂々とした態度でクレアに相対した。
「何かしら、クレアさん?」
「この集まりは何なの?」
「ルノワールお姉様のファンクラブよ」
胸を張って言うヤライは何故か誇らしげだった。
そして、そんなヤライの態度はクレアにとっては気に入らないことこの上ない。
「前にも一度注意したけれど……」
「別に何も迷惑をかけるようなことはしていないでしょう?」
「こうやって連日一つの教室を占領しておいて」
「何か他の用がある時は別の教室を借りているし、なるべく外に声が漏れないように、外れの方の教室を選んでる。こちらとしては学院のルール以上に配慮しているつもりだけれど?」
ヤライの言い分は至極尤もであった。
彼女達は誰にも迷惑をかけていない。
むしろ、こうやって一つどころに集まって活動しているのは、一般教室などに迷惑をかけないようにするためだ。
「……む」
「まぁ貴女にしたら面白くないでしょうけど」
ヤライはクレアの内心を的確に把握していた。
故に少しばかり口を滑らせてしまった。
「……それはどういう意味?」
突然据わった目つきになったクレアを前にして流石にヤライは多少の焦りを覚えた。
要するにクレアは自分よりも強い同学年の存在であるルノワールが気に入らないのだ。
しかも彼女は公衆の面前で二度もの敗北を喫している。
クレアがルノワールを苦々しく思うのはある意味では必然であった。
「ふ、ふんっだ! こ、言葉通りの意味よ!」
「……」
クレアの視線に曝されながらも気丈に振る舞うヤライ。
「じ、自分だけが強いと思わないでよねっ!」
そう言ってヤライは振り返った。
そして一人の少女に視線を向ける。
釣られるようにして視線を動かしたクレアは思わず目を見開いた。
そこに見知った顔があったからだ。
「あ、貴女……!」
「以前は大変失礼いたしました」
クレアに対して慇懃無礼な態度で低頭する少女。
ヤライは声高に紹介した。
「会員No.2のリィルよ! 言っとくけど、リィルはとっても強いんだからね! クレアさんがひどいことしようとしたら、リィルが怒るんだから!」
「……」
ヤライはリィルの実力を知っているのだろう。
クレアは内心でヤライの自信の源に「なるほど」と思った。
クレア自身リィルの学生ならざる戦闘能力を身をもって知っている。
「貴女なんで……」
「この場所にいるのか、ですか?」
「え、えぇ」
「聞くまでもないでしょう?」
淡々とリィルは言う。
「ルノワールさんのことが好きだからです」
全く気負うことなく平然とした口調だった。
リィルはルノワール(ルーク)の前でなければ、基本的にクールな姿勢を崩さない。今もそうであった。
「きゃぁ~っ!」という楽しげな嬌声が聞こえたが、それら一切を無視してクレアは目を細めた。
「ふざけた理由で……っ」
「ふざけているのは貴女では?」
クレアの言葉をこれまた淡々と遮るリィル。
「は?」
「私達は学院のルールを順守しています。現状学院内の風紀を乱そうとしているのは、他ならぬクレアさんだと思いますが」
リィルの核心を付いた一言。
「……い、言いたいことはそれだけ?」
わなわなと肩を震わせるクレアの表情は鋭かった。
しかし。
「他にもありますが、一つだけ宣言しておきましょうか」
「なに?」
リィルは真っ直ぐ……クレアの瞳を射抜くように見詰めた。
「貴女の暴力に私達は屈しません」
覇気溢れる眼光。
言葉と共に腰を屈め、低い姿勢を取るリィル。
魔力が漲り、纏う雰囲気が変化した。
まさしく臨戦態勢だ。
それは数々の修羅場を潜ってきた戦士に相応しい立ち姿。
クレアは頭に血が上りそうになった自分をなんとか自制した。
(他の生徒達だけならば、いざ知らず)
これだけの多勢に無勢の中、リィルを相手にするのはクレアであっても難しい。
それに。
自分の行動が八つ当たりであることもクレアは理解していた。
「……今後、何か学院に迷惑をかけるようなことがあれば、容赦しないから」
それだけ言って彼女は身を翻した。
☆ ☆ ☆
クレアが去り、教室内はまた一層騒がしくなった。
「ふふんっ! さっすがリィル! 格好良かったわよ!」
ヤライが笑顔で手を叩くと、リィルもぎこちなく微笑む。
「そ、そうですか?」
「ええ、それはもう! ね、みんな?」
皆は口々にヤライに賛同し、リィルに笑顔を向けた。
実はリィルとヤライはかなり仲が良い。
元々互いにルノワールを大変に慕っていた、ということもあるし、二人ともがいつもルノワールの傍にいるために、自然に二人が会話をする機会も多い、というのもある。
単純快活なヤライと、寡黙で冷静なリィルの二人は、まるで互いの短所を補い合うかのように相性も良かった。
ヤライがファンクラブの設立を思いついた時も、最初に相談したのはリィルだったりする。
「よしよし」
「ちょ、ヤライさん止めてください」
「なによ~。お姉様に頭を撫でられていた時は、あんなに顔を真赤にして嬉しそうにしてたのに」
「ななななっ、なぜそれをっ!?」
ヤライの言葉に動揺を隠せないリィル。
そんな彼女を会員達が囲んだ。
「「「リィルさん、そのお話を詳しく!」」」
「ええっと、それは……っ」
そんなこんなで姦しく過ぎていく放課後の一時。
ルノワールの傍だけではなく。
リィルはしっかりと自分の居場所を作っていたのだった。