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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第六十四話 制裁

 

 恨み辛みの怨嗟が木霊する。


「馬鹿な……馬鹿な……っ!!」


 遠目にルノワールとリヴァイアサンの戦いを眺めていたベルモント=ジャファー。

 顔を真っ赤に染め上げた彼は一人叫んだ。


「有り得ない……聖獣だぞ! リヴァイアサンだぞ!?」


 目の前で、僅かな抵抗も虚しく打倒されたリヴァイアサンを見つめながら、彼は信じられない、といった思いで吠えている。


 まさかここまであの女が強かったとは、彼は予想だにしていなかった。

 辛くも打倒しただけならば、いざ知らず、ルノワールは聖獣を終始圧倒していたではないか。


 正真正銘の化け物。

 あの女はまさしく怪物であった。


「くそくそくそっ! あのクソ女!!」


 腸が煮えくり返りそうな思いで彼はルノワールを睨めつけていた。

 子供のように喚き散らす老人の姿は醜悪という他ない。

 彼は歯噛みし、地団駄を踏み鳴らした。


 その時、ベルモントの背後の茂みから微かな音が聞こえた。


「っ!?」


 腐っても裏稼業で長年暗殺者をしていた男。

 咄嗟に身を屈め、反射的に仰け反り、腰を落としたベルモント。

 その動きは機敏だ。


 しかし、彼の警戒心はすぐさま緩和された。

 そこに居たのが見知った少女だったからだ。


「なんじゃ……キサラか」


 傭兵団スレイプニル、戦鬼の妹キサラ。

 まだ数度しか会ったことが無いが、敵では無い。


「ベルおじさん、荒れてるね~」


 無邪気な笑みを浮かべるキサラを忌々しげにベルモントは睨んだ。

 彼女が自分を小馬鹿にしているような気がしたからだ。


「貴様……っ」


 だがベルモントの心の中など意に介さずに、少女は微笑んだ。


「嫌だな、そんなに怒んないでよ。あたしはベルおじさんを迎えに来たんだから」

「なんだと……?」

「……紅牙騎士団が近くに居るんだよ」


 その言葉を聞いて、ベルモントの表情も一変した。

 彼は昔一度、紅牙騎士団に殺されそうになったことがある。

 なんとか生き延びたが、その時のことは思い出したくもない記憶だった。


「そ、そうか……」

「『閣下』もすぐ傍まで来てるんだから。だから早く『処理』しないとね」

「なに、閣下が? それを先に言わんか! 早く儂を案内しろ!」


 鼻息荒くベルモントが言うと、キサラは笑みを深めた。


 少女には似つかわしくない――暗い暗い笑み。


「わかってるってば。そんなに慌てちゃっても~」


 言葉と同時。

 ベルモントの眼前からキサラが消えた。


「……ぁ?」


 直後、彼の背後に回ったキサラが冷たい声音で呟いた。

 少女の手には大斧がしっかりと握られている。



「ほんと……五月蝿いんだから」



 振り下ろされた斧が見事にベルモントの頭部に突き刺さった。




   ☆   ☆   ☆




 倒れ伏すベルモントを冷めた表情でキサラは見下ろしていた。


「こんな攻撃も躱せないなんてねぇ」


 これでゲートスキルを習得しているというのだから、笑わせてくれる。

 ゲートスキルを習得しているからといって、戦闘能力が高いとは限らない。

 この男は、その良い例だった。


「ととっ、いつまでもここに居たら不味いか」


 何もキサラはベルモントを殺しに来た訳では無い。

 先程の攻撃も峰打ちであり、彼は気を失っているだけだ。

 この男にはまだ役目が残っている。


 後は『処理』をするだけだ。


「よいしょ」


 手の平サイズの黒い石をキサラは取り出すと、ベルモントの額にそっと当てた。

 すると石に変化が現れる。

 黒い石が気味悪く鈍い光を放ち始めたのだ。


「おお、すごいすごいっ」


 スースーと、嫌な音を立てながら光る石を見てキサラは顔を輝かせた。


「本当に魔力を吸い込んでる!」


 吸魔結晶。


 魔石の一種であり、その性質は周囲から絶えず魔力を吸収することだ。

 現在キサラが持っているのは吸魔結晶に手を加えた代物であり、石の底部の窪みを押し込むと、石の頂点部から、魔力を吸い込む効果があった。


「よしよし、これでベルモントはただのおじさんだね~」


 あらかた魔力を吸い尽くしたキサラが満足そうに吸魔結晶を眺めた。

 既にベルモントからは、ほとんどの魔力が吸い上げられている。

 もはやここに転がっているのは、ただの老人でしかない。


「さて、と」


 魔力の無くなったベルモントを、興味深そうに眺めるキサラ。

 何かを待つようにして、じっと彼女は老人を見下ろしていた。



 やがて――奇妙な変化が現れた。



「おおっ! 本当に始まった!」


 ベルモントの身体が不気味な紫色の光を放ち始めたのだ。

 静かに、しっとりと、しかし確実に何か良くない『力』が彼の肉体を蝕んでいる。


「ぅぅぅ……」


 微かな呻き声がベルモントの口から溢れ出た。

 苦しげに彼は眉根を寄せ、泡を吹いている。

 よほど辛いのだろう。

 額の青筋が引き千切れんばかりに膨れ上がり、眼球は真っ赤に染まっていた。


「あははっ」


 だがそんな老人をキサラはさも楽しそうに見つめていた。

 元々彼女は、弱者をいたぶることが大好きなベルモントのことが嫌いだった。

 奴が自分に向けてくる下世話な視線も気に入らない。


 故にベルモントが苦しむのを見ているのは実に気分が良い事だった。

 まぁ単純に目の前で起きている現象に対する好奇心も大きかったが。


「すごいな、なるほどこれが『あの女』の力かぁ」


 ケラケラと笑うキサラ。

 その微笑みは年相応の愛らしいものであったが、彼女の見ている光景はとてもではないが、笑顔を浮かべていられるようなものではない。

 常人であれば背筋が凍り、恐怖で声が出なくなってしまってもおかしくなかった。


 しばらくすると、ベルモントの肉体からは光が消えていった。

 苦しみは終わったのか、彼がゆっくりと目を覚ます。


「どうかな、どうかな?」


 わくわく、といった様子でキサラがベルモントに尋ねた。


「自分の名前わかりますかー?」


 重い瞼をこじ開けたベルモントはキサラの顔を見ると、ぼんやりと呟く。


「名前?」


 頭を振りつつ思案を巡らす老人。


「わしの名は……ベルモント=ジャファー」

「そうだね、そうだね! じゃあ君はさっきまで何をしていた?」


 キサラの問いかけに、一度黙したものの、ベルモントはゆっくりと言葉を紡いだ。


「さっき、まで……?」

「そう。君はなんでこんな場所にいるのでしょうか?」

「……わしは、そう、リヴァイアサンを操り」

「その通り! 君はずっとメフィルという少女を狙っていたね?」

「メフィル……そうだ、それとあの忌々しいルノワールという女を殺すために……っ」


 激した感情が湧きあがってきたベルモントを無視してキサラは手を叩く。


「よーしよし!」


 満面の笑顔でキサラが言った。


「じゃあ最後の質問!」

「……?」


 ニンマリとした笑みを浮かべたキサラであったが、その瞳の中はほの暗い光で満ちている。

 まるで底知れぬ深淵を覗き込んだ面持ちになったベルモントは、少女から瞳を逸らすことが出来なくなった。



「あたしは……誰でしょう?」



 しんねりと瞳を覗かれながらベルモントは口を開こうとした。


「お主?」


 しかし。


「お主は……」


 と、そこで急にベルモントはもがき始めた。

 頭痛がするのか、顔を歪めている。


「……わか、らん。誰だ、お主は?」


 必死に記憶を探るも、ベルモントには全く心当たりがない。

 その言葉を聞いて、キサラは破顔した。


「あははっ、あはははっ!」


 楽しそうに。

 まるで虫けらを見下ろすような瞳でキサラは笑っていた。


「内緒だよ! じゃあね、バイバイ!」


 快活に笑いながら、その場から消え去っていく少女の背中をぼんやりとベルモントは見送っていた。



 彼が紅牙騎士団に見つかり、身柄を拘束されたのは、この直後のことだった。




   ☆   ☆   ☆




 アラン湖から山を二つほど越えた先。

 街道沿いを一台の馬車が走っていた。

 

「首尾はどうだった?」


 男がよく響く低音で呟いた。


「もーばっちり! いやすごいね!」

「それは何よりだ」


 キサラの言葉を聞いて、男は満足そうに首肯する。


「でもさー、よかったの?」


 上目づかいで彼女は言った。


「『公爵閣下』?」


 見上げる少女と視線を合わせると彼は問う。


「何がだ?」


 ゴーシュ=オーガスタス公爵。

 脈々と受け継がれている、由緒正しきオーガスタス公爵家の現当主。

 既に40代も半ばに差し掛かっているが、老いを感じさせない見た目をした紳士だった。

 顎鬚を蓄え、頭髪には白髪が混じり始めている。しかし、それらはしっかりと手入れが為されており、下品さなどは欠片も無かった。

 服の上からでは分かりにくいが、かなり鍛えられており、ミストリア貴族にしては珍しく、随分と引き締まった肉体を堅持していた。足腰もまだまだしっかりしている。

 

「いやー、ベルおじさんって弱かったけど、あいつの魔術自体は使い勝手良さそうだったし」

「意外だな、不満があるのか?」

「うーん、あいつが死んだこと自体に文句は無いんだけど」


 未だ頭を捻るキサラに対し、ゴーシュは呟くように述べた。


「潮時だよ奴は……」

「潮時?」

「そうだ」


 首を傾げるキサラに対し、彼は続けた。


「奴は状況次第ではいつ裏切ってもおかしくない男だった。魔術にだけは優れていたから使ってやっていたが……今回の作戦は明らかにやりすぎだよ」


 魔術が得意だからといって、そのまま有能な人間だとは限らない。

 取り立てて魔力が高くなくとも、有能な人間というのは、多くいる。


「このような大事になってしまっては流石に庇いきれん。必ずユリシアに尻尾を捕まれるだろう」

「だから切り捨てたの?」

「あぁ……実験・・にもなったしな」

「あぁ~、あの石すごかったよ!」


 ゴーシュは吸魔結晶のことばかりを指して実験・・と言った訳ではない。

 例の酸素欠乏症の状況をも指していたのだが、何もキサラに全てを話すつもりは毛頭ない。

 彼はそのまま先を続けた。


「無事に機能を確認出来たのは収穫だった」

「吸魔結晶ねぇ……これ欲しいなぁ」

「報酬としてやってもいいぞ」

「えっ!? いいの!?」

「あぁ」


 厳しい顔つきのままゴーシュは頷いた。

 

「あまり個数は無いから一つしか渡せないがな」

「うわぁ、ありがと!」


 はしゃぐキサラを見つめながらも、ゴーシュは真面目な表情を崩さない。


「でもさー、いいの? これで元々もらう筈だった報酬が無くなったりしたら怒るけど?」

「……ベルモントとは違い、君達は有能だからな」


 彼はスレイプニルという傭兵団を高く、高く評価していた。


「紅牙騎士団とは引き分けに終わっちゃったのに?」

「……君達は知らないだろうが」


 ゴーシュは一度頭を振って言った。


「奴らと一戦交えて、一人の欠員も出さずに、引き分けた。それだけでも、私からすれば評価に値するのだよ。少なくとも国内の勢力では不可能だった」

「へぇ」

「足止めすら難しかったのだ。それだけ奴らは強かった。マリンダが居ないとはいえ、紅牙騎士団と対等に渡り合った君達は貴重な戦力だ」

「……まぁ確かに強かったよ、中央大陸でもあそこまで強い奴らって早々いないよ」

「我が国の人材が優秀であるというのは、嬉しいことなのだが……」


 一度言葉を区切り、彼は呟いた。


「敵として相対するなら厄介な奴らだよ」

「あははっ! でもさ、公爵はいざとなったら、あたし達も切り捨てるつもり?」


 言葉の内容とは裏腹に無邪気な声でキサラは尋ねた。


「それは逆だろう?」


 だがゴーシュは顔色一つ変えずに淡々と答える。


「逆?」

「私の私有戦力では君達とは真っ向から戦えん。いざとなった時に私を見捨てるのは君達の方だろう」

「……『あの女』がいるのに?」

「彼女はあくまでも私の協力者であり、命令は下せん。基本的に彼女は我侭なのだよ」


 溜息を漏らすゴーシュ。


「そういう人間は危険なんじゃ?」

「野心は無いからな。それに『彼女』の力は大きすぎる。とてもではないが、ベルモントのように簡単に処理など出来ん。下手をすれば私の人生もそこで終了だ。奴もマリンダに恨みを抱いているようだし、上手く利害を一致させるさ」

「まぁ……あいつが強いのは認めるけどさ」

「気に入らんか?」

「うーん、すごいとは思うんだけど、ちょっとね」


 そうか、と呟きゴーシュは話を元に戻した。


「ドヴァンも野心などは無さそうだからな。ビジネスパートナーとして、君達は信頼に値する。それに……」

「それに?」

「ドヴァンは私の『やろうとしていること』に同意してくれているだろう?」


 とぼけた表情を作っているつもりだろうが、ゴーシュにとっては、キサラの心は見え透いていた。


「金銭や強敵。それも彼にとっては私と共に戦う理由だろうが、何より私の計画の方向性を知り、賛同してくれている。私は彼のことは同士だとすら感じているのだよ。彼にとっては迷惑なことかもしれないがな」

「へぇ?」


 目を細め見上げるキサラ。

 彼女の瞳を真っ向からゴーシュは見つめ返した。

 ゴーシュの瞳の色は美しく、一片の濁りも見られない。


「……うーん、やっぱり公爵はなんというか、こう……いいねっ!」


 具体性の無い言葉ではあったが、ゴーシュが気を悪くすることは無かった。


「お褒めに預かり光栄だよ」


 薄く笑い、ゴーシュはキサラへと横目を投げかける。


「例の件は進んでいるかね?」

「うん、バッチリ」

「それはなによりだ」


 やはり、スレイプニルは使える。

 優秀な集団だと心の中で賞賛しながらゴーシュは呟いた。


「メフィルを手中には出来なかったがユリシアを牽制出来ただけでも良しとしよう」


 少なくとも、あのルノワールという規格外の戦力を自由に行動させることを防いでいた。

 思えばそれはそれで、やはり奴も役に立っていたのだろう。

 あのような手駒がいるとは、流石にユリシアは一筋縄ではいかない。

 

「くくっ」


 ここで、初めてゴーシュは小さく微笑んだ。


「お役目ご苦労だった、ベルモント=ジャファーよ」


 

 



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