第六十三話 戦女神 vs. 聖獣リヴァイアサン
怒りの形相を浮かべたリヴァイアサンがルノワールを見つめていた。
常人であれば気絶しかねないほどに禍々しい眼球がギョロリと蠢く。
瞳の動きに合わせたかのように巨体に見合った威圧感が放たれた。
流石に魔獣の頂点と言われるだけはある。
その迫力は聖獣と呼ぶに相応しい。
「……」
激しい咆哮と共に、リヴァイアサンが先程よりも激しく突進を開始した。
身に纏った強大な魔力のトーガ、更には分厚く強固な鱗。
巨大な体躯は、凶器そのものだった。
だが。
あわやリヴァイアサンがルノワールに直撃するかと思われた直後――、
「はぁっ!!」
――中空に激しい衝撃が走り、轟音がアラン湖に鳴り響いた。
踊るように軽やかに空中を舞いながらルノワールが展開した結界は、リヴァイアサンの突進によって粉々に破壊されてしまう。
だがその瞬間リヴァイアサンの動きが僅かに停滞した。
一時の時間を稼ぐことが出来た。
ルノワールが手中に魔力を込める。
彼女は素早く呪文詠唱を始めた。
「豪炎なる者よ、我が魔力を糧に生まれ、そして降り注げ――」
本来の詠唱と比べれば大幅に簡略化された文言を唱え、ルノワールは天に向かって叫んだ。
「――メテオ・ストライク!!」
右腕から膨大な魔力が溢れ出し、天空に向かって一筋の光が差した。
光の先の空が割れ、まるで隕石のような巨大な火球がリヴァイアサンに向かって落とされる。
高質量、高魔力の物質がリヴァイアサンの頭上に直撃した。
火系最上級魔術『メテオ・ストライク』。
隕石に見立てた超級火炎質量体を天空から飛来させる魔術だ。
灼熱と稲光。
再び轟音が鳴り響き、リヴァイアサンが悲鳴を上げた。
しかしリヴァイアサンの強力なトーガ、更には衝突の直前に張り巡らせた結界がダメージを防いだ。
だがルノワールは決して手を緩めなかった。
この結果は予測済みだ。
一瞬の停滞もせずに、次の魔術へと移行する。
「大地の力、聳え立つ砦となれ――」
詠唱の途中で、次々にリヴァイアサンの周囲に土壁が形成されていく。
「――アース・フォートレス!」
言葉と同時に、中空に巨大な土の砦が形成された。
それはリヴァイアサンの巨躯を覆い尽くすほどの巨大な砦。
更に。
「――サウザンド・ランサー!」
続けて、それら砦から次々に、土槍が生まれ、凄まじい速度でリヴァイアサンに襲いかかった。
大地系上級魔術『アース・フォートレス』、そして大地系中級魔術『アース・ランサー』だ。
強固な土の砦の中で、無数のアース・ランサーが次々に聖獣に向かって射出された。
中級魔術とはいえ、ルノワール渾身の魔力が込められたアース・ランサーの威力は絶大だ。
先のメテオ・ストライクによって既に障壁は破壊されている。上空に気を取られていたリヴァイアサンの身体に次々と土槍が突き刺さり、その体から赤い血が飛び散った。
(……この感じ)
実際に戦闘を行い、リヴァイアサンの魔力に触れていると分かる。
目の前のリヴァイアサンからは、ダイヤからも感じた嫌な気配が混じっているのをルノワールはしっかりと把握していた。
恐らく近くには、散々メフィルを付け狙ってきた敵が居る。
故にルノワールは自分の手札をなるべく明かさないように、ミストリア王国の魔術を用いてリヴァイアサンを打ち倒そうとしていた。
(このまま……っ!)
一気に畳み掛けようとしたルノワールの眼前で、リヴァイアサンが身じろぎと共に、何やら大音声で叫んだ。
「ォォォオオオオオンンンン……っ!!」
鮮明に聞き取ることは出来なかったが、それは先程の悲鳴のような声音では無かった。
みるみる内に、リヴァイアサンの身体が群青色の蒼き魔力光で包まれていく。
(何かくる……っ!?)
そうルノワールが感じた直後、アラン湖の水面が荒れ狂い始めた。
魔力で操られた大渦がいくつもいくつも、生まれ出ずる。
荒々しく唸りを上げた幾筋もの渦がまるで意志を持ったかのように、リヴァイアサンの周囲に張り巡らされている土砦に突き刺さり、いとも容易く破壊した。
まるでサイクロンに襲われた海のように、アラン湖が揺れる。
そして。
嵐に見舞われた湖に、津波が発生した。
リヴァイアサンの群青色の魔力光で輝いている津波の脅威は推して知るべし。
自然災害で起きる津波以上に危険なのは明白だ。
(水系最上級魔術『タイダル・ウェイブ』!?)
少しだけ違うが、その亜種だろうとルノワールは思った。
微妙に本来の術式とは異なっている……しかし引き起こされた事象はほぼ等しい。
否。
人間の扱う『タイダル・ウェイブ』よりも、強力だった。
凄まじい勢いで、群青色の光がルノワールに襲いかかる。
「くっ……!?」
土砦を破壊しても、なお収まることのない嵐の渦。
ルノワールにとっては、それほどの脅威ではないが――、
(お嬢様達が……っ!)
周囲に居る人々は間違いなく耐えられない。
このままリヴァイアサンの無差別攻撃が、彼らの元へと届けば、大勢の人間が命を散らすことになる。
(それだけは……っ!!)
闘志と共に魔力がルノワールの身体の内からせり上がってきた。
「……やら、っせない……っ!!」
反射的に、ルノワールは魔力を練り上げ、一瞬にして魔術を完成させる。
ルノワールは自身が最も得意とする魔術を展開した。
結界魔術。
これだけは誰にも負けないと思える得意技。
瞬く間に無数の結界がアラン湖を包み込むように出現していく。
「くぅっ!?」
(数が多すぎる……っ!!)
流石に負担が大きい。
身体は炎のように熱くなり、頭痛が走った。
だがここで気を抜くわけにはいかない。
「僕は……っ!!」
リヴァイアサンの攻撃に耐えることが出来るだけの強度の結界を、絶えることなく作り上げていく。
流石のルノワールでも、早々簡単に出来る芸当ではない。
頭が割れそうになるほどの激痛が走り、彼女は顔を歪めた。
それでも尚、過去最高とも言える速度で、結界魔術を形成していくルノワール。
彼女の瞳から強い意志の炎は消えなかった。
発する魔力に呼応するように、どんどんとルノワールの全身が白き魔力光で満たされていく。
「……っ!!」
一際、大きな真白の魔力光に包まれたルノワールが目を見開き、天にも届けとばかりに叫んだ。
背には、大切な友人がいる。
クラスメイトや教師達、罪なき地元民。
そして。
メフィル=ファウグストス。
敬愛する我が主の世界を。
この力を使って、メフィルを、皆を――、
「――守ってみせる!!」
瞳の中には闘志の炎。
両腕に滾るのは、意志を反映し、その想いを実現するための力。
揺るぎない感情を乗せた大声で叫ぶルノワール。
次の瞬間。
アラン湖全土で、結界と渦の激突による、今日最大の衝撃が走った。
☆ ☆ ☆
この世の終わりを告げるかのような、決戦舞台を目にした人々は、皆一様に呆然と空を見上げていた。
一人の美しい少女が、華麗に空中を舞い踊り、巨大な聖獣リヴァイアサンと互角以上に渡り合っている。
いや、人々の目にも、明らかに少女の方が優勢であると映っていた筈だ。
まるで神話に登場する戦女神。
もはや絵物語のような光景だった。
(……ルノワール)
私は心の中で静かに呟いた。
自慢の従者。
誰にも負けない最強の魔術師。
激しい戦闘の最中で、何やらリヴァイアサンが叫び声を上げた。
その余波か、はたまた何かの魔術を行使したのか。
凄まじい勢いで、群青色の渦と津波が押し寄せてきた。
誰もが恐慌状態に陥り、悲鳴を上げている。
「……」
だけど私は恐怖を感じなかった。
何故か?
声が聞こえたからだ。
『貴女を守ってみせる』
胸の中で握り締めたペンダントから確かにルノワールの声が聞こえる。
彼女が大丈夫だと言うのならば、私は信じよう。
主人として。
友人として。
眼前に迫った津波を、私は自分でも不思議なくらい、落ち着いた心で見上げていた。
そして。
光がアラン湖に降り注いだ。
津波や渦と結界がぶつかり、相互に干渉し合って、共に消え去っていく。
強大すぎる魔力によって光に包まれていた魔術同士が、粒子となって空を舞う。
アラン湖のあちこちで、そのような現象が発生した。
群青色の魔力光と、白い魔力光が、まるで踊るように空中で弾けていく光景は、恐ろしい状況とは打って変わって幻想的な美しさであった。
「綺麗……」
私が思わず言葉にすると、隣に居たリィルが静かに呟く。
「流石はルノワールさん、ですね」
彼女の声には感嘆の響きが混じっていた。
「ええ」
私は同意し、視線をリィルへと移す。
「ルノワールは誰にも負けない」
胸を張って私が言うと、彼女は優しく微笑んだ。
☆ ☆ ☆
ルノワールは振り返り、周囲の様子を確かめた。
(よし)
ルノワールは結界の構築を終えると、再び反撃の態勢を整える。
メフィルの無事を確認した直後には、既に次の呪文を口にしていた。
「我が魔力を糧に、荒れ狂え、その風の導きによって、眼前の敵を打ち払え――」
静かに、しかし迅速に詠唱を唱えた。
「エアリアル・ストーム!!」
旋風が巻き起こる。
いや、それはもはや暴風であった。
リヴァイアサンを中心に風が集まり、回転速度を上げ、リヴァイアサンの周囲の水を巻き込み、突然の嵐が吹き荒れる。
一瞬、誰も彼もが視界を塞がれ、周囲の状況を掴むことが出来なくなった。
天に向かって風が伸びていき、リヴァイアサンが操作していた水が消え去っていく。
暴風が過ぎ去り、視界が良好になった時、ルノワールは両腕を上げ、リヴァイアサンを見下ろしていた。
リヴァイアサンと視線が交差する――その瞳もダイヤの時と同じく、どこか悲しみに溢れているようにルノワールには感じられた。
「……っ」
躊躇いがルノワールの思考を掠めたが、彼女の躊躇は一瞬だった。
「天より落ちし、雷神の怒り、我が手に集え――」
今日一番の魔力がルノワールの手のひらに集中し、魔術が構築されていく。
リヴァイアサンの頭部を遥かに上回るような巨大な光の塊が出現した。
彼女はその巨大な塊の柄の部分を掴み、思い切り振り下ろす。
雷系最上級魔術。
「『トール・ハンマー』!!」
叫び声と共に、リヴァイアサン目掛けて振り下ろされた巨大な光のハンマー。
咄嗟に展開した聖獣の障壁は木っ端微塵に破砕し、見事にリヴァイアサンに直撃した。
地鳴りがするほどの爆音と、衝撃が響き渡り、リヴァイアサンが今日最後の悲鳴を上げた。
「っっっすすぉおおおおおんんんっっ!!」
ついにその巨体がゆっくりと湖に倒れ、沈んでいく。
やがてリヴァイアサンの魔力の兆候も感じられなくなった。
未だに飛沫が舞う最中、周囲からはリヴァイアサンが倒れたことで、歓声が巻き起こっている。
「……」
叫ぶ人々の声を背に、ルノワールはリヴァイアサンに寂しそうな声色で呟いた。
「……ごめんね」
感傷は一時。
彼女はすぐに振り返り、主の元へと急いだ。
☆ ☆ ☆
ゆっくりと降り立ったルノワール。
彼女はメフィルの傍で恭しく跪いた。
「……怪我は無い?」
「はい。お嬢様こそ御無事ですか?」
「ええ、もちろん。顔を上げて、ルノワール」
言われるがままにルノワールがメフィルを見上げると、そこには優しい顔があった。
「ありがとう、ルノワール」
メフィルのその声を皮切りに、見守るように佇んでいた群衆から、一際大きな歓声が上がった。