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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第五十六話 遠足

 

 6月も中旬に差し迫った頃。

 既に春は過ぎ去り、アゲハの街には暖かな日差しが降り注ぎ始めた。

 良い天気だ。空を見上げれば透き通るような青空と、のんびりと広がりゆく真っ白な雲が視界を埋め尽くしていた。


 教室の窓から校庭へと目を向ける。

 心なしか活発に動き回る昆虫達を見かけることも多くなり、大陸北西の潮流からやってくる西風が、これから咲き乱れんとするヒマワリやカーネーションといった花々を優しく撫でていた。

 

「へぇ……合宿ですか」


 陽気な天気に思わず頬を緩めていた僕は手元のしおりを見ながら呟いた。


「ま、遠足よ」


 お嬢様が僕を見ながら言う。


(遠足?)


「遠足……ですか?」


 聞き慣れない言葉を聞いて僕が首を傾げていると、リィルが答えた。


「遠足とは学生達が教員の先導の元に、学院外に集団で移動する行事です」

「へぇ~」


 冷静な口調で言うリィルに僕が頷くとお嬢様は、どこか困ったような顔をなさった。


「いや、間違ってはないけど……」


 頭を振りつつ、まぁいいわ、と言いながらお嬢様も手元のしおりに視線を向けた。


 この時期、ミストリア王立学院の1年生達には課外学習という形で学院外へ出かける合宿が予定されている。

 合宿は毎年行われている行事であり、行き先も同じ。 

 王国北部にあるアラゴア山の麓、アラン湖。


 アラン湖は北大陸最大の巨大な湖であり、下流まで下っていくと王国北西部の海に出る。途上の川をアラン川といい、こちらも湖同様に北大陸最大の川だ。

 幅は最大箇所で100mを超え、水深も50mを有に超えるほど。

 また川の恩恵を受け、アラン川周辺には水田等が多く存在している。

 アラゴア山の麓のアラン湖は美しい自然に囲まれた観光地として有名であり、もう少し時期が経てば避暑地として様々な貴族達が訪れることになるそうだ。


 アラン湖のペンションをいくつか学院で貸切り、一泊二日の合宿を行う。

 これは、そろそろ学院に慣れてきた学生達の更なる親交を深めると同時に、気分転換をすることが目的だ。

 また、遊びに行くばかりではなく、一日目の午前中にはアラン湖の地形を利用した水魔術の実践課題も行うらしい。具体的な課題内容は伏せられているが、美術部のステラ先輩によると、それほど難しい課題では無いそうだ。


「同年代の方々とどこかへ出掛けるなんて初めてです」


 僕が呟くとリィルも頷いた。


「……私もです」

「なんだかワクワクしますね」

「……はい」


 僕達二人が微笑み合っていると、お嬢様が苦笑しながら仰った。


「水を差すわけじゃないけど……そんなに大したことないと思うわよ? ちょっとだけいつもとは違う場所へと行くだけよ」


 しかし僕はお嬢様の言葉に同意しかねた。


「いいえ、そのようなことはありません」

「え?」


 僕は微笑み、お嬢様に告げた。


「これだけ素晴らしいご学友に囲まれ、共に出掛けるのですから。きっと楽しいに決まっています。ええ、間違いありません」


 これは嘘偽りない本心だ。

 入学してから既に二ヶ月ほどが経過したが、クラスメイト達は皆良い人達ばかりだった。

 もちろん全員と仲良く心通わせている、などということは全然無いが、それでも敵意を向けてくるような人はいない。

 最初こそ公爵家という立場に遠慮していたクラスメイト達も、お嬢様のお人柄を理解してくれたのか、今では普通に話しかけてくれるようになった。

 昼食を一緒に摂ることもあれば、おやつ交換をしたり、時折商店街へと出掛けたりすることもある。

 歴史の課題で困っている僕を助けてくれる人もいれば、逆に魔術の課題では僕が手伝いをしてあげることもあった。


 学院生活とはこういうものか、と思った。


 同年代の人々と切磋琢磨しながらも、交流し過ごす日々はとても充実していた。

 ここのところ、お嬢様に対する攻撃も鳴りを潜めており平和な時間が続いている事も僕の心を満たす要因の一つだ。


「そ、そう」


 お嬢様が周囲に視線を向ける。

 僕が釣られて教室を見渡すと、誰もが僕に注視していた。


(あ、あれ?)


 なんだか教室の空気が変な感じだ。

 どういうわけかクラスメイト達は皆、ソワソワと慌てた様子で、チラチラと僕に視線を向けている。

 僕が戸惑っていると、お嬢様が呆れた口調で述べた。


「貴女の恥ずかしい台詞に皆、固まっているのよ」

「は、恥ずかしい、ですか?」


 そ、それほどおかしなことを僕は言ったのだろうか。


「はぁ……自覚ないのね」

「え、えぇとその……す、すいません?」


 よくわからないけれど敵意は感じない。

 僕は戸惑いつつも、周囲に対して微笑みかけた。




   ☆   ☆   ☆




 その日の夜。


「合宿ねぇ」


 学院で手渡されたしおりをユリシア様に見せ、僕は学院行事についての報告を行っていた。


「うーん、まぁ毎年の行事だし。行き先も例年通り……なんだけど」


 ユリシア様の表情が曇った。

 恐らく考えていることは僕と同じだろう。


「はい。敵からすればお嬢様を害するチャンスでしょう」


 警備が手薄になる学院外。

 更に言えば、目的地が決まっている以上……敵がお嬢様の日程を把握しているのならば、先回りして罠が仕掛けられている可能性もある。

 

「最近平和だったのは、合宿で行動を起こすための準備をしていたからかもしれません」

「安全を第一に考えるのならば、メフィルには欠席してもらうのが良いのかしらね」


 ユリシア様は何気なく仰ったが、僕はその言葉に強い抵抗を覚えた。


「それは……しかし」


 だが上手く言葉を紡ぐことが出来ない。

 護衛上、お嬢様の身の安全を第一に考えるならば、ユリシア様の言う通り、合宿は欠席するのが妥当だろう。


「帝国の方も慌ただしいし、ね」


 ユリシア様は独り言ちた。


 およそ1週間ほど前。

 ついに帝国とデロニアが軍事衝突を開始したとの報告が騎士団員から来たのだ。

 未だに国民には伏せられているが、いずれはその余波がミストリア王国に及ぶことだろう。


「王宮の対応は?」

「今はまだ静観するつもりみたいね。一応軍部は動いているみたいだけど……まぁ表向きの牽制はオードリー将軍に任せましょう」


 そう言って頭を振ったユリシア様の瞳が僕に向けられた。


「さて、と」

「合宿を行うのは何百人という数の魔術師の集団です。お嬢様が他の方から離れなければそうそう襲われることはないと思います」


 使用人としては大変な失礼に当たるが、僕はユリシア様が何かを言う前に、口早に述べた。


「……」

「それに学院での行事である以上は、敵方のリスクも消えている訳ではありません。もしも公爵家令嬢に万が一の事態があれば、その追求は――」

「それら全てを含めても欠席が無難だと、わたしは思うけど?」


 一言で切って捨てるユリシア様。

 正論だ。

 僕とてユリシア様の言葉が正しいことは嫌というほど分かっている。 


「……っ」

「スレイプニルも未だに国内に潜伏している以上は、敵は奴らに全ての責任を押し付けて、強引に学院生達を襲うかもしれない」

「それは事前に紅牙騎士団で調査を十分に行えば、その、危険は回避出来ると思います」

「そうね。でも学院内よりも不測の事態が起きる可能性が高いことは事実よね?」


 こう言われてしまっては頷かざるを得ない。


「……はい」


 僕が項垂れていると、ユリシア様は苦笑した。


「もう、そんな顔しないの。わたしが苛めてるみたいじゃない」

「えっ……」

「別に行かせない、なんて言ってないでしょ?」


 肩をすくめるユリシア様。


「もちろんメフィルの命を守ってもらうのは大事だけど……あの子の学院生活を守るのも貴女の仕事。わたしはそのつもりで貴女を護衛につけたのだけれど?」

「そ、それはもちろんです!」


 僕が声を上げて言うと、彼女は笑った。


「何か起きても貴女が守ってくれるのよね?」

「は、はい!」


 彼女は穏やかな表情で僕を見つめていた。



「信頼しているわ……貴女を」



 どこか深みのある声音でユリシア様は言葉を紡ぎ、その瞳はしっかりと僕を捉えて離さなかった。


「……ユリシア様」

「ふふ、楽しんでいらっしゃい」

「はいっ!」


 笑顔のユリシア様に見送られ、僕は執務室を後にした。




   ☆   ☆   ☆




 ルノワールが退室した後。


「……ふぅ」


 ユリシアは溜息をついて、一枚の資料に目を向けた。

 それはグエンからの報告書だった。


『王宮で謀反の気配。帝国と繋がっている貴族が居る可能性有り』


 貴族の裏切り。

 これは予め予期していたことではある。

 だが、敵は上手く身を隠し、立ち回っており、結局黒幕の正体は分からない。

 この報告をルノワールに告げなかったのは、彼女の任務には直接関係の無い情報だからだ。

 合宿に行く前に余計な不安を与えたくはなかった。


(怪しい人物は何人も居る)


 しかし、それら全てに監視の目を光らせることは不可能だ。

 だからといって何もせずにいる訳にはいかない。


「これから先……わたしは更にメフィルに構ってあげられなくなるわね」


 そう言う彼女は寂しげな顔をしていた。


 恐らく、今後更に状況が推移していけば、ユリシアは自分の時間がほとんど無くなっていくだろう。

 そんな予感があった。

 ファウグストス家の当主としての役目を果たさねばならない。

 

 しかしユリシアは、それほどメフィルのことを心配していなかった。

 あの子は強く賢い。

 自分のような母親の下であっても、立派に育ってくれた。

 


 そして何より――ルノワールがいる。



 誰よりも信頼している親友の一人がすぐ傍で娘を支えてくれる。

  

「……メフィルのことはお願いね」

 

 夜空を見上げたユリシアは、儚い表情のままに一人、月明かりに照らされた窓辺で呟いた。

 





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