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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第五十五話 リィルとクレア

 

 リィルはその日、一人で放課後の校舎を歩いていた。


 気配を殺し、足音を殺す。


 まるで暗殺者のような足取りで平和な校舎を闊歩する少女。

 見る者が見れば只者ではない、と感じられることだろう。

 とはいえ普通の学生であれば、リィルの存在に気づくことは出来ない。


「……」


 彼女は既にディルから伝えられている怪しい貴族の子息・息女達の情報は得ているし、更に言えば普段の活動日程も把握していた。

 兼ねてから予測していた通り、これといった脅威を持つこともない普通の貴族の子供達であり、彼ら個人には大した力もなければ影響力もないだろう。

 強いて言えば『花ノ宮』所属の貴族達には注意が必要だろうが、彼女達に関しては学院の枠を超えて他の騎士団員達が調査を行っている。

 リィルが担当しているのは、危急性がそこまで高くはないが、後々厄介な存在になるかもしれない……そんな貴族達の子供だ。


 騎士団員の人手が足りていない現状で、手の回せない優先度の低めな貴族達の動向を牽制する、そんな意味合いしかない。

 もしくは万が一の際の脅しの材料として使えるだろう。

 危険が付き纏うため、安易な行動は慎まねばならないが、その気になればいとも容易く貴族達を確保出来るとリィルは思っていた。


 学院に入学するようにディルが指示した主な目的はルークの手伝いであるとリィルは考えている。

 そしてそれは自分としても望むべきことだった。


(ルーク様の役に立てる……)


 リィルは半ば崇拝に近い形でサザーランド親子を慕っている。


 それは兄以外から、まともな愛情を受けられなかった幼少期にも起因しているだろうが、理由はそれだけではない。


 彼らは、英雄なのだ。

 空想の世界では無い、本物の英雄。

 少なくともリィルはそう考えている。

 

 同じ戦士として彼らの元で戦う、というのは、この上ない誇りを感じさせることだった。

 同時に喜びでもある。


 戦場におけるサザーランド親子の圧倒的なまでの力は、敵であれば恐怖を呼び起こし、味方であれば、尊敬、畏敬、憧憬の念を抱かせる。

 またそれだけに留まらず、彼らは普段はとても誠実であり、仲間思いであった。

 

 ルークに対しては尊敬だけではなく……異性としても好意を抱いていた。

 同年代で彼ほど自分の境遇を理解してくれる人間はいない、というのも大きな理由の一つだろう。


 自分のような無骨者に対してもいつも笑顔で接してくれる優しさもある。

 最初は全く意識してはいなかったが、いつの間にか、リィルは気づくとルーク=サザーランドを目で追っていた。

 そんな感じだ。

 兄に指摘されるまでは無自覚であったが、自覚してしまうともう駄目だった。


 彼を見つめていると胸がドキドキする。

 私を見て欲しい。

 だけど恥ずかしい。

 

 彼が笑いかけてくれると幸せな気分になる。

 ずっとその笑顔を私に向けて欲しい。

 だけど目を合わせられない。

 

 そんな、まるで普通の思春期少女のような感情が沸き立ち、鼓動が高鳴る。

 兄は良い事だと言ってはくれているが、これほどまで心を揺さぶる感情が本当に良いものなのかどうかはリィルにはよくわからない。


 ただ……悪くはない。

 悪くはなかった。


(……いけない)

 

 余計な思考に意識を奪われ、ついつい尾行対象を見失いそうになる。

 未熟な自分を叱咤し、彼女は追跡を続けた。

 

(……クレア=オードリー)


 かの有名なオードリー大将軍の息女。

 兄から、危険人物としてリストアップされたわけではない。

 ただ個人的に興味があった。

 ルークが何やらクレアに対して思う所があるような素振りをしていたからだ。

 昨日はメフィルの前にも現れた。


 今日もクレアは敷地内を徘徊している。今はちょうど中庭を過ぎていき、校舎の裏手側に差し掛かるところだった。

 彼女は風紀委員として、暇さえあれば現在のように学院の見回りをしている。

 そして何やらよからぬことをしている生徒達を個人裁量で裁いているのだ。


 クレア自身の並外れた戦闘能力に加え、花ノ宮の一員であるという事実。

 逆らえる者などは皆無に近く、彼女は独断で生徒達に制裁を加えていた。

 もちろん制裁といっても形振り構わぬ暴虐ではなく、悪事を働く生徒に限定されてはいるが……リィルの目には強引であるとしか思えなかった。

 多少は多目に見ても良いだろう、と思われるような状況であってもクレアは容赦をしないからだ。


 例えば校舎内での魔術の練習だ。

 これは一般的には安全な結界が張ってある一部の施設内でしか許されてはいない行為ではある。教師と風紀委員を除き、校舎内での魔術使用は基本的に禁止されているのだ。

 しかし実際はほとんど有名無実化しており、危険な魔術でなければ、教師達も黙認していた。

 

 だがクレアは許さなかった。

 少しでも魔術の行使を感じ取るとクレアは裁いた。

 またクレア自身の感知能力が高いことも重なり、既に何名もの学生がクレアによって強制連行されている。

 

 父親譲りの正義感と言えば聞こえはいいが、クレアのやっていることは権力と暴力による恐怖政治に近いものがある。

 何事にも限度というものがあるのだ。

 

(……おっと)


 歩き去るクレアの背を追うためにリィルは音もなく中庭に降り立った。

 学院の構造上、校舎内からでは、裏手側を視認するのは難しい。

 リィルはクレアが曲がっていった校舎の角へと差し掛かった。


 その時。


「……何をしているのかしら?」

「……っ!?」


 真正面からリィルを見つめるクレアと目が合った。


「あたしの後をつけてたわよね?」


 内心でリィルは愕然としていた。


(そんな……っ)

 

 未だ若輩者とはいえ、リィルは紅牙騎士団の現役団員である。

 修羅場も潜ってきたつもりだ。

 ルークのような天才と比べてしまえば霞んでしまうものの、リィルは同年代で自分に匹敵するだけの魔術師はそうそういないと思っていた。とりわけ戦闘に関する技術については尚更だ。


 多少の油断があったとはいえ、リィルは気配も音も極力消し去り、目立たぬように注意を払っていた。

 尾行はディルより直々に指南を受けてきた技術だ。

 よもや察知されてしまうとは考えていなかった。


「あたしでも気づけないくらい、見事な尾行だったわね」

「……」

「自衛関連の能力はお父様から嫌というほど叩き込まれてきたのだけれど……只の学生じゃないのかしら?」


(まさかこのような失態を犯してしまうとは……)


 気の緩みがあった。

 ルークと共に学院に通えることで舞い上がっていた。


(余計な行動をしたのは私のミス……)


 リィルは己の不甲斐なさを恥じた。

 とはいえ棒立ちのままでもいられない。


 しかしリィルがこの場からの離脱を図ろうとする間もなく。


「まぁなんにせよ」


 クレアが腰を落とし、足に魔力を溜め、一気に開放した。


「話は後で聞きましょう、っか!」


 迫る拳。

 思慮が足りない、などと非難をしている場合では無かった。

 話を聞くまでもなく、尾行をしていたリィルはクレアにとっては処罰の対象であるらしい。


 リィルは頬を逸らし、回避する。

 容赦無く女子の顔を狙う辺り、クレアの本気度合いが伺えた。

 

「……はっ!」


 だがリィルとて、そんじょそこらの学生ではない。

 素早く頭の中を切り替えると、すぐさま反撃に出た。


 クレアが追撃の左足を振りかぶる。リィルはその足元まで身を寄せ、距離を詰める。素早くクレアの左足を掴み上げ、巴投げの要領で投げ技の姿勢に入った。

 クレアの両足が宙に浮かび、態勢が崩れる。

 リィルは一気に地面にクレアを叩きつけるべく、魔力で肉体を強化しながら、腰を捻った。


 しかし。


「ふんっ!」


 技の途中で手応えが消えた。


「なっ」


 クレアは両足が宙に浮いたまま、風魔術で肉体を制御し、魔力を込めた肘打ちをリィルに放ったのだ。

 咄嗟の攻撃に対応出来ずにリィルは頬に重い一撃を喰らった。


空中格闘エアファイト……っ!)


 リィルは内心で唸った。

 エアファイトとはその名の通り空中で浮きながら体術を展開する技術である。

 風の魔術で肉体を制御することにより、相手の攻撃の威力を減衰させたり、自分に有利な態勢にもっていったり、自分の重心位置をずらすことによって、攻撃の起点を作り、尚且相手からの攻撃の起点にさせなかったり、と。様々な効果がある。

 一戦を超えた魔術師にとっては必須とも言える技法だ。

 例えばビロウガやルークのような実力者になると日常的に行っている技でもある。


 どこまで強力な魔力を有していたとしても、結局は自分の肉体から近い方が魔術の威力が向上する場合がほとんどだ。可能な限り、近距離で相手に攻撃を当てるのが理想的である。

 例え大破壊力を持つ魔術を習得したとしても、当たらなければ意味が無い。

 更に言えば強大な魔術になればなるほど、発動までにタイムラグが必要な場合が多く、必然的に隙が生じやすい。しかも消費魔力も莫大である。

 

 つまり、近接格闘術というのは、戦闘魔術師にとって、どれだけ鍛えても無駄にならない重要な技術であり、その格闘術を更に洗練させたものが空中格闘エアファイトだ。

 自分の肉体の動きと連動させながら、緻密な風魔術を操作する必要があり、かなり高度な技術に分類される。元々近接格闘に秀でていなければ、無用な長物でもある。

 空中格闘術は紛れもない『戦闘のための技術』であり、一般的な魔術師には学ぶ機会もなければ必要もない。


 その筈だった。

 しかしクレアは見事な空中格闘を行ってみせた。


「……本当に何者なの、あなた?」


 だが訝しく思ったのは、クレアの方であった。


「……」

「だんまり、ね」


 よもや自分の動きについてこられるとは思っていなかったのだろう。

 今の一瞬の攻防でリィルの実力の一端を確かめたクレアは探るような目つきをリィルに向けた。

 しかしリィルは答えない。


「なら、話したくなるようにしてあげましょう」


 クレアが再び疾走を開始した。

 素早く身を捻り、慣れた動作で足を浮かせる。

 僅かに宙に浮かび上がりながらも一瞬も停滞することもなく、クレアは右足の蹴りを放った。

 リィルは前面に結界を展開。ルークほどの強度は期待するべくもないが、牽制にはなる。クレアの蹴りに触れた結界は砕け散ったが、その勢いが減衰した。


「ふ……っ!」


 すかさずリィルが今度は拳を突き出す。

 腰を落とし、捻り、腕を真っ直ぐに伸ばした見事な正拳突き。

 リィルの攻撃の予兆を感じ取ったクレアは再び風魔術を駆使して、回避運動に入る。そして回避運動と同時に再び次の攻撃に移ろうとした。


 しかしリィルはそこまでの一連の流れを読んでいた。


(そうくると思っていました)


 空中格闘を使えるのはクレアだけではない。

 紅牙騎士団員である以上、当然リィルとて会得している。


 リィルは拳の勢いを殺さず、クレアの背後に回るような形で空中を滑った。風魔術を駆使して、身を捻り、クレアの後頭部を視界に収める。


「な……っ!?」


 今度驚いたのはクレアの番であった。

 よもや同じ学院生で空中格闘を習得している人間がいるとは思っていなかったらしい。

 一般的に考えればクレアの思考は至極尤もである。


 が、クレアにとっては不幸なことに、リィルは普通の学院生ではなかった。


「はぁっ!」


 リィルは両拳を握り締め、魔力を込める。

 クレアの頭部目掛けて一気に拳を振り落とした。


「ぐ、くっ!」

 

 咄嗟にクレアは空中格闘で重心をずらすと同時に、障壁を展開することでリィルの攻撃を防ごうとした。

 しかし完全に威力を殺すことは出来ずに、手痛い一撃を受けた。


 僅かにフラつきながらも、鋭い視線をリィルに向けるクレア。


「あなた……っ」


 己を睨む目を見つめ、そこでリィルはハッとした。


(しまった、つい……っ!)


 元々クレアは風紀委員として多少やりすぎではあっても、悪人ではない。むしろ人格的にはひどく善人であり、王国に敵対するような家柄でもない。


 つまりクレアを害することに紅牙騎士団としての利はない。

 もちろん、リィルの行動は正当防衛であり、責めを受けるようなものではないが、少なくとも褒められた行為でないことだけは確かだ。


 だから。


「も、申し訳ありませんでした!」


 唐突にリィルは頭を上げた。


「はっ?」


 今の今まで拳を交わしていた相手がいきなり謝罪の言葉を口にしたことで、クレアは混乱した。


「そ、その……失礼致します!」

「あ、ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 そしてリィルは逃げ出した。

 彼女は平静を失っており、どうしていいのか分からなくなってしまっていたのだ。


 痛む頭部を押さえながら、一人残されたクレア。


「な、なんだったのよ!」


 怒り心頭となったクレアが八つ当たり気味に一人の生徒を風紀委員会室へと強制連行したのは……また別のお話。






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