第五十四話 オードリー家の長女
それは放課後のことだった。
僕達はいつものように美術部へと向かい、ステラ先輩やカミーラさん達と共に、各々好き勝手に作品を手がけていた。
僕とリィルとメフィルお嬢様は水彩画。
ステラ先輩は油絵。
カミーラさんとマルクさんは彫刻。
少し意外だったのはマルクさんも、かなりの実力を持っていたことだ。
彼はカミーラさん同様に慣れた手つきで木材を削っていく。
その造形技術は見事なものである。
なんでもカミーラさんの影響で自分も彫刻を手がけるようになったのだとか。
時折ミスをしては顔を顰めているが、その断面は男らしく力強さがあり、カミーラさんの繊細な作品とはまた違った良さがある。
そんなこんなで好き勝手に時間を過ごし、帰りの時間になったら、帰宅する。
ここ最近の日常風景だ。
帰り道。
リィルは途中までは一緒だが、王立学院敷地内の寮で生活しているため、かなり早い段階で僕達とは別れていく。
「それじゃ、またねリィル」
「はい、また明日会いましょう」
お嬢様の言葉に一礼しつつ、彼女は歩き去っていった。
そうして僕達も広大な中庭へと差し掛かった時。
「貴女がメフィル=ファウグストスさんね?」
どこか迫力のある声が聞こえてきた。
強い口調ではあるが、他者を見下すような、嫌な感じはしない。
しかし声音には憤りが含まれており、背筋を真っ直ぐに伸ばした彼女の立ち姿は威圧感満載だ。
爛々と輝く瞳と、ふてぶてしい笑みが端麗な顔を彩っている少女。
大人びた容貌をしているが故に、茶髪を束ねるための緑色の大きなリボンが余計に人目を引く。
そんなギャップにどこか微笑ましい気持ちに僕はなったが、あいにくと彼女は、どう見積もっても温厚な様子では無い。
不機嫌な表情。
目尻を吊り上げ、僕を見つめる透き通るような黒目。
こうして相対していると昔の記憶が僅かに想起された。
(あぁ、なんだか懐かしい)
クレア=オードリー。
王国最強の大将軍の一人娘が僕達の前に立ちはだかった。
☆ ☆ ☆
開口一番、クレアは言った。
「貴女……どうして花ノ宮に来ないの?」
明らかに喧嘩腰な彼女は厳しい口調だった。
クレアは校舎内でもそれなりに知られているようで、周囲の生徒達も何事かとこちらに視線を向けている。
しかし興味深そうなギャラリーを意に介さずにクレアは続けた。
「組織に参加すると決めたのならば、出席して然るべきでしょう? 別に美術部に行くな、とは言わないけれど、毎日毎日無断欠席を繰り返すというのは、我侭じゃなくて?」
このクレアの発言に対しても、メフィルお嬢様は冷静な態度を崩さなかった。
ちなみにお嬢様の隣ではカミーラさんが首を傾げている。彼女はマルクさんに「誰、あいつ?」と問いかけていた。
「……まずは初対面の相手に対しては、名乗って挨拶するのが礼儀だと思うのだけど、貴女は違うのかしら?」
お嬢様の言葉に一瞬、反論しようとしたクレアだったが、すぐさま頭を振った。
「……それもそうね、ごめんなさい。あたしの名前はクレア=オードリーよ」
素直に謝罪の言葉を口にするクレア。
クレアのこの態度に僕は内心驚いていた。
昔は誰かに正論を諭されたとしても、中々自分の非を認めようとはしなかったのだけれど、彼女もこの数年で変わったようだった。
「貴女は……」
「ええ。私の名前はメフィル=ファウグストスよ。よろしくクレアさん」
「よろしく。で、話を戻すけど、なんで貴女は花ノ宮に来ないの?」
一瞬だけ苦々しい表情をお嬢様は形作ったが、すぐに微笑みを浮かべて言った。
「……その前に一つ。クレアさんは毎日花ノ宮に通っているの?」
「いえ。風紀委員会が忙しいからね。とはいえ3日に一度は顔を出しているわ。貴女と違ってね」
高身長からお嬢様を見下ろすのは高圧的な視線だ。
せっかちな上に挑発的な口調で語るクレア。
あ、やっぱりクレアの本質は余り変わっていないかもしれない。
「……」
お嬢様が、さてどうしようかな、という思案顔で黙った。
どう答えるかを考えている様子。
しかしクレアはお嬢様に配慮などしない。
彼女は待つことが嫌いなのだ。
「なんとか言ったらどうなの?」
早速一歩詰め寄ろうとしたクレア。
今にも手を出しそうな剣幕だ。
ここまで黙ってはいたが、これは流石に見過ごせない。
僕は笑顔を顔に貼り付けたまま、お嬢様とクレアの間に身体を滑り込ませた。
「……なに、貴女?」
「私はメフィルお嬢様の従者をしております、ルノワールと申します」
「ふぅん。で? なんで貴女が前に出てきたの?」
「私はお嬢様の身辺警護役も任されておりますので、それ以上クレアさんが近づくことを看過することが出来ません。ご理解ください」
一息に言い切ると、クレアの鋭い瞳が僕に向けられた。
「へぇ?」
彼女の全身から見る見る内に魔力が放出されていく。
うーん、本当に短気かつ喧嘩っ早い。
クレアはすぐさま臨戦態勢を整えると、少女らしからぬドスの効いた声で呟いた。
「怪我したくなかったら、どいてくれない?」
なるほど、身に纏う魔力。隙のない構え。
大将軍仕込みというのは伊達では無いかもしれない。
確かに彼女の戦闘能力は学生としては抜きん出ているのだろう。
不良生徒達を処断することなど造作もないに違いない。
風紀委員としては十分過ぎる実力を持っている。
人格的に相応しいかどうかは知らないが。
「風紀委員が自ら風紀を乱すような振る舞いをしてよろしいのですか?」
僕の言葉を聞いても彼女は平然としていた。
「ええ。花ノ宮の風紀を乱しているのはメフィルさん。彼女と話すのを邪魔するのならば、貴女は風紀委員の活動を邪魔しているのも同義。あたし達には学院内でも魔術を使うことが許されている」
「横暴が過ぎると思いますが?」
「そうかしら? 時には力を見せつけなければ、分からない人間というのも居るものよ」
クレアの行動は強引であるが、確かに彼女の言い分も分からないでは無い。
言葉を尽くすだけで、誰もが心を入れ替えてくれるのならば、この世の中に犯罪など蔓延るまい。
だがクレアの言葉に、はいそうですか、と頷く訳にはいかない。
「……」
「……どくつもりは無いのね?」
「無論です」
「……そう」
目の色が変わり、表情が冷めていき、クレアは瞬時に腰を落とした。
見事な動きだ。無駄がない。
だが彼女が渾身の攻撃を放つよりも素早く僕は足を踏み鳴らした。
一度軽く地面をコツン、と叩く。
次の瞬間、クレアの足元がぐらつき、態勢を崩す。
更にそれだけに留まらず、地面を通じた衝撃が彼女の身体を激しく揺さぶった。
「……っ!?」
身に起きた唐突な異変。
狼狽しつつも、クレアは不可解な表情で、すぐさま僕から距離を取った。
「今のは……」
呆然とした表情で呟くクレア。
彼女は戸惑った様子で僕を見つめていた。
恐らく魔術を使われたとは気づかなかったのだろう。
その表情には、何が起きたか分からない、と書いてあった。
実際に今僕がやったのは、地中深くまで魔力を流して、クレアの足元にのみ、魔力による衝撃を伝えただけだ。
クレアとメフィルお嬢様が険悪な様子で話し始めた直後から、僕が細々と魔力を地中に溜めておいたこともあり、誰にも気づかれなかった。
特別な術式など何も使っていない上に、範囲はごく僅か、時間も一瞬、魔力も既に四散している。
かなり高度な魔術師であっても、恐らく僕のやったことを見抜くことは難しい筈だ。
俯くクレアに僕は声を掛けた。
「どうか……なさいましたか?」
「……っ」
顔を上げた彼女に微笑みかけつつ、一瞬だけ、クレアに向けて魔力を放った。
彼女以外には感じ取れないような指向性の魔力。
魔術でもない。
攻撃的な意志はどこにもない。
実際に攻撃力も無い。
ただただ純粋に魔力をクレアに伝えただけだ。
しかし彼女の反応は劇的だった。
「な……っ!?」
顔を青ざめ、額に珠の汗を浮かべ、クレアは僕の顔を凝視した。
周囲の人間にとっては何が行われたかはまるで分かるまい。
片膝を付いたままのクレアはしばしの間、驚愕の表情で僕を見上げていた。
彼女はなまじ実力が在る分、明確に僕の魔力の多寡を感じ取っているのだろう。
見方によっては、クレアが僕の威圧感に敗北した、とも取れる光景だった。
「こら、ルノワール」
僕がクレアを見下ろしていると、背後から叱責が飛んだ。
「何したの?」
睨めつけるような視線を向けられ、僕は動揺した。
お、怒っていらっしゃる……?
「えっ……あ、いや。あ、危ないことは何にも。ほ、本当ですよ?」
「……ならいいけど」
さて、と言いながらお嬢様はクレアに目を向けた。
「クレアさん」
声を掛けられたクレアは、ハッとした様子で顔を上げる。
「…………っあ、な、なに?」
「申し訳ないけれど、やっぱり私は花ノ宮には行きません」
お嬢様の言葉に、なんとか振り絞ったように問いかけをした。
「……何故?」
「花ノ宮という組織が嫌いだから」
しかしこの言葉は意外だったのだろう。
「はっ?」
意味が分からない、といった様子のクレアに言い聞かせるようにお嬢様は言った。
「お金を出して上から偉そうに意見を出すだけの組織に私は魅力を感じないの」
「……なに、を」
「クレアさんがシルヴィアに何と言われて花ノ宮に参加したのかは知らないわ。もしかしたら貴女にはそうは見えないかもしれないけれど、私にとっては、あの組織はそういう風にしか見えないのよ。それにシルヴィアにも嫌われているしね。私が花ノ宮に出席した方がよほど風紀は乱れるわよ、間違いなく、ね」
「…………」
目を丸くして黙ってしまったクレア。
「それじゃ、私達はそろそろ帰るわ」
話は終わった、とばかりに背を向け去りゆくお嬢様を、クレアは唖然と見上げるばかりだった。
「ん、もういいの、メフィル?」
いつもと変わらぬ様子でお嬢様に尋ねるカミーラさん。
今のやり取りなど見ていなかったかのように彼女はマイペースだった。
「……あんたは本当に呑気よね」
「な、なによ急に」
「なんで嬉しそうな顔してるのよ。褒めてないわよ別に?」
「あ、あれ?」
退屈そうに伸びをしていたカミーラさんに声を掛けて、僕達はそのまま帰途についた。