第五十三話 将軍の娘
「そういえば……同学年に大将軍の娘さんがいらっしゃるそうですね」
昼食を終え、のんびりと食堂で過ごしているとリィルが世間話でもする口調で言った。
カミーラさんとマルクさんは次の授業が校庭での体育のため、一足先に教室へと戻っている。
「大将軍、ですか?」
僕が問い返すとリィルは頷いた。
「はい。なんでもオードリー大将軍の御息女だそうです」
「えっ!?」
彼女の言葉に僕は素直に驚いた。
(大将軍閣下の!)
ミストリア王国、というか国外監視軍には2人の大将軍がいる。
名前が挙がったのはその内の一人。
ダンテ=オードリー大将軍。
オードリー大将軍は平民の一兵卒からの成り上がり組であり、完全な実力至上主義者でもある。
魔獣討伐や紛争解決、様々な戦場において比類無き戦果を残してきた傑物であり、実力が伴っていない国内警備軍を常に批判する立場をとっている。
また、贔屓をせずに実直で、他人に厳しいが自分にも厳しい人間であり、部下達からはその武勇も相まって非常に慕われているそうだ。
ミストリア王国最強とも名高い実力者。
オードリー家はその高い功績を評価され、王族より直々に伯爵位を賜っている。
(ん……あれ? オードリー?)
何か忘れているような気がする……。
僕が記憶を刺激されて黙ってしまうと、メフィルお嬢様が訝しげに眉をひそめた。
「どうしたの、ルノワール?」
「え、えっと……」
オードリー……オードリー……。
何やら思い当たる節があり、僕は記憶を探ってみた。
(あぅ~……えっと……むむむ)
しばしの黙考。
やがて目蓋の裏側にぼんやりと緑色のリボンが浮かび上がってくる。
「あっ!」
そうか、思い出した!
以前花ノ宮の帰り道ですれ違った少女。
(間違いない)
あの少女こそ。
「クレア=オードリー……」
思わず独白すると、お嬢様が首を傾げた。
「えっ?」
そう、クレアだ、思い出した。
一人で納得しながら頷いている僕を横目に、意味が分からない、といった様子で頭上に疑問符を乗せているお嬢様に説明した。
「あ、その。以前、花ノ宮から部活棟へと向かう際に擦れ違った女子生徒を覚えていらっしゃいますか?」
「んぅ?」
突然の僕の質問に対してお嬢様は人差し指をおでこに当てながら考える仕草を取った。
「えっと……緑色のリボンの?」
「そうです。彼女が大将軍の娘、クレア=オードリーです」
「え、そうなの?」
「はい」
なにせ僕は昔クレアと何度か会ったことがある。
まぁお世辞にも良い思い出とは言えないのだけど一応は知人だ。
擦れ違ったあの時も、どこかで会ったような気がしていたのだ。
随分と成長していたが、今にして思えば昔会った時の面影はちゃんと残っていた。
「ん? ルノワールの知り合いなの?」
お嬢様が小首を傾げる。
「へっ?」
そして僕は呆けたような声を思わず上げてしまった。
あ、そ、そうか。
(不味い……)
ルークとクレアは顔見知りではあるが、ルノワールとクレアに面識はない。当然だ。
僕がここで会ったことがある、などといってもクレアにとっては寝耳に水だろう。もしもクレアとメフィルお嬢様が会話する機会があれば話が食い違ってしまう。
ど、どうしようか、と僕が狼狽していると、すかさずリィルからのフォローが入った。
「私とルノワールさんは任務の一環で国内の重要人物の情報をある程度把握しています。オードリーさんは大将軍の娘ですから」
「そ、そうなんです。え、えっとお恥ずかしながら、今の今まで思い出せませんでした」
「あぁ、なるほど」
僕たちの言葉にお嬢様は納得してくださったようだ。
心の中でリィルに感謝しつつ、僕は話を戻そうとリィルに続きを促した。
「そ、それでオードリーさんがどうかしたのですか?」
僕の心情を察してくれたのか、リィルはすぐさま頷いた。
「いえ、なんでも彼女は今年花ノ宮へと招待されたそうです」
リィルの言葉を聞き、お嬢様が僅かに不機嫌そうな顔つきになった。
名前を聞いただけであるのに。
相変わらず花ノ宮がお嫌いらしい。
もしかしたらシルヴィア様のことでも思い出したのかもしれない。
「本来ならば伯爵家では到底花ノ宮への招待などはされませんが……やはり大将軍の娘だからでしょう」
まぁ軍部の最高責任者とも言える人物だ。
なんといっても知名度が高い。実力もある。
ダンテ=オードリーを知らない人間はまずこの王国にはいないだろう。
「それで?」
メフィルお嬢様が続きを促した。
「はい。クレア=オードリーさんはその……少し自由奔放な方ですので。メフィルさんは気をつけたほうがいいかもしれません」
なんとも抽象的な諫言だ。
リィルの言葉に不可思議そうな表情になったお嬢様。
「クレアさんは積極的に花ノ宮へ通っているの?」
「そのようです」
「だったら私とは早々会う機会はないでしょう」
だって私、花ノ宮行かないし。
今にもそう言い出しそうな声音だった。
「そうかもしれません。ただその、失礼な物言いになってしまいますが、クレア=オードリーさんは無闇矢鱈と正義感の強い方ですので。メフィルさんが花ノ宮を欠席することに対して不平を言ってくるかもしれません」
「文句を言いに来るということ??」
「はい。何故ちゃんと出席しないのか、と」
あぁ、なるほど。
もしもクレアが僕の知っていた当時のままに成長していたとしたら十分にありえそうな話だった。
そして彼女は口よりも先に手が出るタイプの人間だ。
「……面倒ね」
そしてお嬢様は実に正直に呟いた。
「お、お嬢様……」
諌めるように僕が声をかけるとお嬢様は、口をへの字に曲げた。
「クレアさんは花ノ宮だけではなく、風紀委員会にも所属しています。つい先日も王立学院では有名な不良の先輩を叩きのめした、とか」
へぇ、そうなのか。
「物騒ですね」
僕が呟くと、お嬢様が横目で僕の顔を見た。
若干の呆れ混じりの表情で。
その目は、貴女も先日トリスタン先輩達に同じような真似をしたでしょう、と言っているような気がした。
いやいや僕のあれは正当防衛ですよ?
ヤライさん達を守るための行動です。
「ん? でも確かオードリー大将軍とお母様って仲が良かったような」
お嬢様が思案顔で尋ねるとリィルは頷いた。
「はい。オードリー大将軍はあまり貴族が好きな方ではありませんが、ユリシア様とは比較的友好な関係を築いているようです」
「なら心配ないんじゃない? いや……娘のクレアさんは話が別かしら」
「私が集めた情報によりますと」
そう前置きし、リィルは語り出す。
「ミストリア王立学院に入学するか、士官学院に入学するかで家族で大いに揉めたそうです」
なんでもクレアの母親は娘を士官学院へと入学させることに大反対したらしい。
片や父親たるダンテ=オードリー大将軍は、幼い頃からクレアを鍛えていたということもあり、当然のように娘を士官学院に通わせ、ゆくゆくは立派な軍人になってもらうつもりだったとか。
まぁどちらの言い分も分かる。
大将軍は自分と同じ道を歩んで欲しいと思っているのだろう。
母親は自分の娘に危険な軍人になどなってほしくない、と。
「それで結局王立学院へ?」
「はい。なんでも最後の決め手はクレアさん自身の意志だったようです。幼少の頃より父親から戦闘の技術を仕込まれてきたということもあり、少しばかり特殊な環境で育ちましたから……普通の学院生活に憧れたのではないかと思います」
スラスラと語られる他人のプライバシー。
うーん、流石はディルの妹。
この情報収集能力は優秀だと言わざるを得ない。
「よくまぁ、そんなことまで分かったわね」
呆れ混じりでお嬢様が言った。
しかしリィルは顔色一つ変えない。
「それが私の仕事ですので」
クールに言い切るリィル。
当然のように、表情を変えずに。
容姿も相まって随分と格好いいと僕は思った。
「戦闘訓練を受けてた、ってことはクレアさんは腕が立つのかしら?」
お嬢様の素朴な疑問。
「そうですね。恐らく同年代で彼女に匹敵する実力者はそういないでしょう」
淡々と言うリィル。
(そう言えば昔一度僕も組手をしたことがあったなぁ)
昔のことをぼんやりと思い返していると、リィルは続けた。
「大将軍譲りの才覚は本物です。戦闘訓練も将軍直伝のものですから。唯一足りないものは経験値ぐらいだと思います。ある程度の実戦を経験すれば、恐らく戦場に立たせても即戦力になるのではないでしょうか」
スラスラと語られる話題は実に少女らしくなかった。
「へえ」
「ちなみにメフィルさんも才覚では決して負けてはおりません」
「あら」
突然持ち上げられたお嬢様だったが、満更でもない様子だった。
「ありがとう。でも貴女達には及ばないのでしょう?」
「えっと……それは……」
お嬢様の問いに対してリィルは困ったような表情をした。
「あぁ、ごめん。いいのよ遠慮しなくて。ルノワールが信じられないぐらい強いのは知っているし。貴女だって相当な実力者なのでしょう」
「きょ、恐縮です」
「ふふっ、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
照れつつもリィルはしっかりと告げる。
「いえ、その。それでも確かにクレアさんには多少気を配ったほうがよろしいかと。そう思いました」
「そう。わざわざありがとう」
その時、ちょうど昼休みの終りを告げる鐘が校内に鳴り響いた。
「よし。じゃあ教室に戻りましょうか」
お嬢様が席から立ち上がり、僕とリィルもそれに続く。
(クレア、か)
宮殿で暮らしていた頃には、何度か顔を合わせたものだ。
今思えばなんだかすごく懐かしい……んだけど。
(うーん、どうしよう……)
まさか僕の正体を見抜けるわけもないだろうとは思う。
しかし。
僕(ルーク=サザーランド)って、クレア=オードリーに滅茶苦茶嫌われているんだよなぁ。
☆ ☆ ☆
噂をすればなんとやら。
クレアが僕達の目の前に現れたのは、僅か2日後のことだった。