第四十九話 紅牙騎士団 vs. スレイプニル Ⅲ ~戦鬼~
教会の床を低姿勢のまま疾駆する。
滑り上げるように腰を捻り、遠心力を乗せた渾身の一撃をドヴァンに向かって放った。
濃密な魔力が光を帯び、僕とドヴァンの全身は仄かに輝いている。
右腕のトンファーによる刺突、だが衝突の直前にドヴァンの大斧によって防がれた。
衝突と同時に鳴り響く轟音と腕に伝わる凄まじい衝撃。
威力は互角。
僕はその衝撃の勢いを利用し、宙で体を回転させつつ、左手のトンファーをドヴァンの左頬に向かって抉り込むように突き刺した。
「ちっ」
間一髪でドヴァンに躱される。
迷わず追撃に移ろうとするも、ドヴァンの左回し蹴りが僕の背後に迫っていた。
瞬時結界を背中に展開。
僕の展開した結界に込めた魔力とドヴァンの蹴り足に込められた魔力。
魔力の高まりに呼応して、光もより強くなっていく。
それらが激突し、互いに干渉し合い――、
――教会内に暴風が吹き荒れた。
結界と蹴り足の激突。
魔力同士の衝突によって生じた衝撃波が、近くにいた傭兵の一人を吹き飛ばした。
周囲の古びた木製の椅子や机が木っ端微塵に飛散し、唐突に空間に生じた振動が室内を駆け抜ける。
地鳴りが響き、壁が倒れた。
しかし周りに構ってなどいられない。
一瞬の静止が、死に直結する。
望外の衝撃に僕とドヴァンは互いに顔をしかめたものの、構わず僕は追い討ちをかけた。
「……っ!!」
短く声を漏らしながらドヴァンに迫る。
風を置き去りにするほどの疾走。
だが僕が間合いに入る前に、奴は予想外の行動に出た。
ドヴァンは口元に笑みを浮かべながら、迷いなく大斧を僕に向かって投げ放ったのだ。
ドヴァンの凶悪な魔力が込められたスピードもある一撃。
瞬時結界では簡単に貫通されてしまうのは必然。
「……くっ!」
間一髪で回避。
前髪が吹き飛び、頬に切り傷が刻まれた。
轟音を上げながら僕のすぐ傍を通り過ぎていく大斧。
今度態勢を崩したのは僕の方だった。
「はっはぁっ!」
雄叫びと共にドヴァンが僕に向かって駆けてくる。
「くっ」
襲いかかる拳をトンファーで受けた。当然瞬時結界も間に挟んだ。
だが奴の魔力の乗った拳の火力は尋常ではなかった。
ドヴァンの攻撃に力負けした僕の身体はいとも簡単に吹き飛ばされる。
トンファーによるガードで致命打は避けたものの、教会の壁面まで叩きつけられ、そのまま壁を破壊し外に出た。
吹き飛ばされている間も僕はドヴァンから目を離さなかった。
獣のような身のこなしで僕に追撃をかけようとしている戦鬼。
迫る形相は純粋に戦闘を楽しんでいる戦闘狂そのもの。
奴は僕を殺すことになんの躊躇いもないだろう。
そんな戦鬼の姿を見て。
無様に吹き飛ばされた自分の姿を鑑みて。
僕の中の何かに火が付いた。
(上等だよ……)
迫る拳。
迸る魔力。
身を圧迫するプレッシャー。
紛うことなき強敵。
そして――死の感覚。
(望むところだ……)
久しぶりに。
本当に久しぶりに滾るものがあった。
それは闘争本能の発露。
昔の乱暴だった自分が蘇り、血が騒ぐのを感じる。
心の中にどうしようもないほどの興奮が湧き上がってきた。
目が細まり闘争心の現れか、自然と口元に笑みが浮かび上がってくる。
気づいた時には怒声を放っていた。
「らあっ!!」
掛け声と共に僕もドヴァンに向かって飛びかかった。
拳に魔力を込め、瞳を光らせ、仮面越しに戦鬼を睨みつける。
僕の反応にドヴァンは満足した様子で吠えた。
「そうだ! 楽しいよなぁっ、おいっ!!」
ドヴァンの腕が消える。
気づいた時には眼前まで迫っていた。
脇を締めた無駄のないフォーム。
腰を回し遠心力も乗せた神速の一撃。
豪腕から繰り出された魔力の乗ったドヴァンの拳の威力はユリシア様の赤光を凌駕するほどだった。
体格上筋力では大幅に劣っており、魔力にもそれほどの差がない。
本来ならば僕は結界や転移を混ぜ合わせたトリッキーな戦術を取るべきだ。
だがそうしなかった。
奴の気概に触発されてしまった。
愚かだとは思ったが悪くはないと思っている自分もいた。
しかし安易にやられるつもりはない。
筋力では劣っていても体格上僕が有利な部分もある。
僕は振りかぶらずに真っ直ぐに奴の懐に潜り込んだ。
「っ! ちっ!」
「これでっ!」
小柄な体格を活かす。
素早さでは僅かに僕に分がある。
奴の拳が最大の威力を発揮する距離ではなく、自分から奴の拳に向かうことで威力を抑える。そして奴の腹にトンファーを突きつけようとした。ドヴァンの体内を破壊するつもりで魔力を高める。
まさに奴に攻撃をぶち当てようとした瞬間――僕の左手側から高速で飛来する物体があった。
(……さっき投げた大斧!?)
再び僕の眼前を通り過ぎる大斧。
先程遥か彼方へと飛ばされた筈のドヴァンの獲物が僕に襲いかかる。
かろうじてトンファーで弾いたものの、桁違いの威力を含んだ大斧の衝撃によって、いともたやすく僕のトンファーが吹き飛ばされてしまう。
そして仰け反った態勢の僕に。
笑みを浮かべたドヴァンが渾身の拳を振り下ろし――、
――次の瞬間僕は奴の背後に転移した。
ゲートスキル。
ここまで使用を躊躇っていたが、もはやそのようなことを言っている場合ではない。
ドヴァンは紛れもない強敵だ。
出し惜しみはやめよう。
先程まで熱くなっていた思考も、死を目前にして冷静さを取り戻した。
がら空きのドヴァンの背中に目掛けて僕は渾身の魔力を込めた一撃をお見舞いするべく、腕を大きく振りかぶった。
転移による奇襲。
絶対に避けることなどできない距離、タイミング。
僕の拳がドヴァンの背中に触れる寸前――、
――今度は僕の身体が後方に移動した。
自分の制御を離れ、空中を滑走していく肉体。
(なにっ!?)
魔術を使われた兆候はない。
完璧な奇襲だった。
躱されることなどありえないと思った。
しかし実際には僕の身体はドヴァンから遠ざかっていき、拳は宙を切っている。
「くっ!?」
地面に足を付き踏ん張り、未だに不可思議な力で後退しようとしている肉体になんとか歯止めをかけた。
背を向けたままだったドヴァンが振り返る。
だが奴の視線が向けられる前に僕は遠距離から、攻撃用の結界を展開しドヴァンに向けて放った。
しかし。
(なんだ……っ!?)
僕が放った結界がドヴァンに近づくにつれて速度を落としていき、やがて完全に停止してしまう。
なんとか押し出そうとするも、結界が今度は僕に向かって突進を開始した。
急ぎ、自分で展開した結界を解除する。
僕の知っている魔術では無い。
そもそも魔術を発動した兆候は無かった。
(これが奴の)
原理は分からない。
しかし最初の騎士団の奇襲も今の力で防いだのだろう。
つまりこれが。
(戦鬼のゲートスキル)
僕は高速で頭を回転させた。
(力の反転? いや……)
それでは僕の身体が移動した説明がつかない。
もっと根本的、簡単なルールに基づく力だろうか。
(……物体の強制移動?)
まだ考えは纏まっていなかったが、ドヴァンがこちらに近づいたために、思考は断念せざるを得なかった。
だが奴の顔にも不可思議そうな表情が浮かんでいる。
恐らく先程の僕の転移について思考を巡らせているのだろう。
ゲートスキルというのは普通の魔術とは違い、その発動過程が分かりにくい。
また、魔術を使用する兆候も見られない。
だが逆に、不可思議かつ大きな力が、一般的な魔術以外で行使された時。
相手が実力者であるならば、僕達はまずゲートスキルの存在を疑う。
「おもしれぇ能力を持ってんな」
「……」
「なるほど、最初の奇襲……隠密ってわけじゃなかったか?」
奴は静かに独り言ちた。
読まれている。
恐らく奴は僕のゲートスキルについて、当たりをつけたのだろう。
「……貴方も中々厄介な力を持っていますね」
僕が言い返すと彼は笑った。
「くくっ、まぁな。互いにあんまり人には知られたくないもんだよなぁ?」
「そうですね」
「どっちかが消えれば解決すると思わないか?」
「では貴方には消えてもらいましょう」
再び、僕と戦鬼は、互いに大地を蹴り飛ばし、激突した。
☆ ☆ ☆
幾合もの打ち合いの末。
互いに肩で息をしながら、額から溢れる汗を拭う。
(……相性は悪くない)
確信は無いが、戦鬼のゲートスキルは恐らく、魔術・物質の強制的な『移動』だ。
移動に伴い、力の向きも奴の意のまま。
こちらが有利なポジションをとっても無理矢理に移動させられる。
魔術も同様。
しかし、ある程度以上の魔力を込めれば、多少の抵抗が可能なことも分かった。
僕の『転移』は戦鬼の『移動』に対して、相性が良い。
遠距離攻撃はほぼ全て無効化されてしまうが、僕の場合は転移で奴との距離を一瞬で詰めることが出来る。
先程背後へ奇襲をかけた時は、まんまと『移動』の餌食になったが、螺旋法による魔術の一点集中を行うことで、少しの間だけ奴の傍に停滞することが出来た。
「……ちっ」
舌打ちするドヴァンを視界に入れつつ、僕は油断無く構え直す。
(残りの騎士団員は……4人か)
元々人数で不利だったのだ。
戦闘の最中にも既に半数以上を仮面を通じた『転移』によって、戦場から離脱させている。
(そろそろ潮時、か?)
僕がそんな思考を纏った時。
「……はは、本当につええな、お前」
不意にドヴァンが笑った。
今までのような快活な笑みではない。
楽しそうではあっても、静かに、ぼんやりと呟きながら微笑んでいた。
そして。
明らかにドヴァンの身に纏う雰囲気が変化した。
凶暴な傭兵団の長ではない。
それは高みを目指した一人の戦士の纏う覇気だった。
奴の全身から、今日一番の魔力が放出されていく。
「……っ!!」
久しく感じたことのないほどの強大な魔力。
僕の身を圧迫して押しつぶそうとするかの如き、力の波動。
「……本気で行くぜ、おい」
本気の瞳。
闘志の篭った瞳が僕を射抜いた。
「……いいでしょう」
奴に呼応し。
僕も全身から魔力を放出していく。
ドヴァンの練り上げた凶悪なまでの赤い魔力光が周囲を染め上げていく。
戦鬼の暴力的な性格を表現するかの如き、赤い、赤い魔力。
それに僕の白い魔力光が対峙する。
赤と白。
お互いに全力の魔力を込めながら、魔術を構築していく。
赤と白で世界が埋め尽くされ、周囲から音と景色が消えた。
拮抗する魔力。
生まれてから今日まで高めてきた内から湧き上がる力。
自然と僕達は笑みを浮かべていた。
「……」
――合図は無かった。
ただただ僕達は同時に、全力で、魔術を相手に向けて放った。