第四十七話 紅牙騎士団 vs. スレイプニル Ⅰ ~対峙~
月明かりのみがひっそりと街並みを照らす宵の時、人々が安らかに寝静まっているだろう時間帯。
デルニックの南西地区に存在する、どこにでもありそうな地味な家屋の中に10人の男女が集まっていた。
「よぉ、ルーク」
「久しぶりだなホント」
二人の男に、わしゃわしゃと頭を掻き混ぜられた。
「わわっ」
既に性転換魔法は解除してある。
現在の僕はどこにでもいる、立派な男子(の筈)だ。
市井の同年代男子がよく着ているようなブラウンのパンツに、簡素なTシャツ。その上に地味な黒の上着を羽織っていた。
もうじき夏がやってくるが、夜はまだまだ冷え込む。ユリシア様に用意していただいた衣服だったが、別段違和感はないと思う。
「久しぶり」
僕が返事を返すと誰もが笑顔で頷いてくれた。
年下の若造であっても、僕を見下したりするような態度を取ることはない。
紅牙騎士団。
マリンダとユリシア様が見出し育てた王国最強の騎士団。
彼らは実力のみではなく、人格的にも優れた人材ばかりだった。
この場にいるのは僕とリィルを除けば、全員が20歳を超えた男性のみ。
しかし、そんな立派な大人達に囲まれていても、僕とリィルは決して居心地の悪さを感じることはなかった。
「よし、では作戦内容の確認だ」
グエン様が厳かな口調で言う。
「まずは儂が一人でスレイプニルの元へと赴く」
スレイプニルはデルニック東門から馬車で10分程度の場所を拠点にしているという。
今は廃墟となっている教会跡地を根城にしているそうだ。
「交渉は正面から行く。警戒されているだろうし、何より相手はスレイプニル。生半可な小細工は状況を悪化させる可能性が高い」
テーブルの上に広げられているのはデルニック周辺の詳細地図だった。
「奴らの拠点はここ」
地図の一角、教会跡地を指差し、そのまま流れるように東の方へと指を滑らせるグエン様。
「そして」
彼の指がある一点で止まる。
教会跡地からはかなりの距離がある場所だった。
おおよそ2キロメートルは離れているだろう。
「お主達はこの林の中で全員待機。儂の合図を待て」
これほど遠距離であれば、流石にスレイプニル側としても拠点から感知することは不可能だ。
グエン様はそこで一度言葉を切り、団員達を見渡した。
「まずは奴らと話し、目的を探る。そして」
彼は視線を手元に向ける。
老人の手には一つの紅い仮面が握られていた。
『紅い仮面』
視界を塞がないように目元は大きめの穴が空いており、口の上から耳元まですっぽりと、顔の半分ほどを覆うような仮面だ。
仮面をつけてしまえば顔の判別はほとんど不可能だろう。
それは僕が騎士団入団時に開発した魔法具だった。
仮面には魔力を込めることで、仮面間において遠距離であっても会話が出来るような魔法陣が組んである。
効力はメフィルお嬢様に渡したペンダントとほとんど同じだ。
その効果範囲は使用者の魔力に依存するが、だいたい半径500メートルほど。
とはいえそれは僕以外が使用者の場合だ。
仮面の通信機能は僕のゲートスキルの模写。
故に普通の魔術師では500メートル程度の効果範囲であるが、僕が仮面の中継を行うことでその効果範囲は半径3000メートル、おおよそ6倍まで広がる。
更には僕が効果範囲にいる限りは、転移の力の対象にもなる。
逐一作戦状況を確認することが出来る上に危急の折に転移で移動することが可能。
戦術展開においての利便性を鑑み、今では紅牙騎士団全員に、この紅い仮面は配られていた。
「仮面を通じて皆にも会話が聞こえるようにする。交渉が決裂し、実力行使が必要だと判断したら合図をするので、それに合わせて……」
グエン様の強い眼光が僕の瞳を見つめた。
「ルークの転移の力によって奇襲を仕掛ける」
全員が無言で頷く。
「撤退の判断は儂がするが、基本的に戦術の指揮はルークに任せる」
リィルを除けば僕はこの場では最年少である。
普通の軍隊であれば、不満が出るだろう采配だ。
しかし。
「……異存はあるか?」
反論は一つも出なかった。
彼らの顔には、年下の少年の指揮下に入ることに対する不満の色はどこにもない。
「ドヴァンはルークに任せる。他の者は決して奴には近づくな。マリンダと同格の敵だと心得よ」
その声を皮切りに誰もが静かに身支度を整え始めた。
全員が戦闘訓練を受けた高位の魔術師であるが、扱う獲物はそれぞれだ。
ナイフを主体に近接格闘に特化した者がいれば、クロスボウによる援護射撃を得意とする者。肉弾戦に秀でた者もいれば、魔術一筋で遠距離攻撃を主体とする者。
外軍や他の騎士団とは違い、紅牙騎士団は個々人の個性を重視する傾向がある。唯一共通している武装こそが、今や紅牙騎士団の代名詞ともいえる紅い仮面だった。
「では2時間後。所定の林に向かって移動する」
グエン様の言葉を聞きつつ、僕は静かに瞳を閉じた。
(……マリンダはいない)
例えどのような状況下であろうとも活路を切り開けるだけの圧倒的な実力。
それに加え部下達を心酔させるほどのカリスマ性。
騎士団を率いてきた豊富な実戦経験。
マリンダ=サザーランドの存在は紅牙騎士団のシンボルであり柱だ。
今この場にマリンダはいない。
そして対峙するのは名高き傭兵、戦鬼ドヴァン。
誰もが心の内では多少なりにも不安を抱えているはずだ。
だがそのような様子はおくびにも出さない。
それが頼もしくもあり……そんな彼らから認められている以上は、なんとしても作戦を無事に完遂しなければならない、という責任感が芽生えた。
(久しぶりの作戦行動……)
僕は意識を研ぎ澄ませながら時を待った。
☆ ☆ ☆
規定の時刻。
林に騎士団員達を待たせ、グエンは一人スレイプニルの拠点にやって来ていた。
街道外れの古びた教会跡。
放棄されて久しい場所だった。
デルニックには既に新しい教会が建てられており、ここはもはや誰も寄り付くことのない寂れた場所だ。
この場所が完全に廃棄されていない理由は、単純に撤去作業が面倒であることと、無駄な費用をかけたくないというもの。教会は寄付によって成り立っているため、その寄付金を無駄に出来ないのだとか。
(……)
実際は、ほとんどの教会は貴族達の支援によって成り立っていることが多い。
どうせケチな支援貴族達が無駄金を出したがらないのだろう。
まぁ、今はそれはどうでもいい、とグエンは不要な思考を追い払う。
(……気づかれているな)
流石に目の前まで来ているのだ。
スレイプニルはグエンの存在に気づいているだろう。
逆にグエンも教会内の気配の変化を明確に感じ取っていた。
教会入口には崩れ落ちそうなほどに老朽化した扉があるのみ。
しかし外壁などは意外なことに、それなりに綺麗だった。
建造した人間達の腕が良かったのだろう。
扉に手をかけ、足を踏み入れる。
教会内は暗い。
蝋燭の類は存在せず、ただ窓の隙間から僅かに月光が漏れ入ってくるのみだ。
外壁とは違い、中の椅子などはボロボロだった。扉同様木材では時の流れに逆らうには限界があるのだろうとグエンは思った。
「よお」
教会の中心。
一人の男がボロボロになった机を椅子代わりにして佇んでいた。
本来ならば神官がいるべき場所に、無造作に腰を下ろしている大男。
彼はグエンを見つめながら声を発した。
「なんだ、じいさんじゃねぇか」
何故か拍子抜けしたような声音。
だが低く、よく通る声だった。
(この男が……)
戦鬼ドヴァン。
(間違いない)
鋭い眼光、身を包む覇気。
鍛え抜かれた頑健な肉体。
周囲を跪かせる圧倒的な存在感。
他にも何人かの男女がグエンを見つめていたが、それら全てが背景に思えてくるほどの威圧感をただ一人の男が放っている。
対峙した瞬間にグエンは己では決して勝てぬことを悟った。
この男から感じる魔力、研ぎ澄まされた戦士の気配。
噂は決して誇張では無かった。
「まぁ一応聞いておくか」
ドヴァンは陽気な口調のまま言った。
「何しに来た?」
口調こそ軽いが、ドヴァンの眼光は鷹のように鋭い。
しかしグエンが怯んだ様子を見せることは決してなかった。
「一つ確認したい」
ペースを握らせまいと、至極落ち着いた声音でグエンは言った。
「貴公がスレイプニル団長ドヴァン殿で間違いないだろうか?」
半ば確信していたことだが、あえてグエンは尋ねる。
「ん? ああ、そうだ。そうだな、じいさんの名前は?」
「儂の名はグエンという」
「そうか、グエンか」
「……単刀直入に聞きたい」
間髪入れずにグエンは言った。
「お主らはここで何をなさっているのだろうか?」
ドヴァンに出会うまで。
グエンは様々な交渉の準備を頭の中に描いていた。
他愛のない話から核心に迫る話までつなげる道筋だ。
しかしドヴァンに会った瞬間にグエンは悟った。
回りくどい交渉は恐らく意味をなさない。
むしろ目の前の男の機嫌を損ねるだけだろう。
この手のタイプには直接的な物言いこそが好まれる。
果たしてグエンの考えは的を射ていた。
「くく」
しばしの沈黙を経て。
薄く笑いながらドヴァンはじっとグエンを見つめた。
肌を刺すような鋭いプレッシャーがグエンの身を圧迫する。
だが。
内心でどれだけの焦りを覚えていても、グエンの顔色は涼しいものだった。
なんら怯む様子を見せないグエンを見ながら、楽しそうにドヴァンは言った。
「俺はな」
「……」
「強い人間には敬意を払うんだ」
突然語りだすドヴァン。
グエンは視線を逸らすこともなく、黙って話を聞いていた。
「グエン。あんたは強いな」
口角を吊り上げ、楽しそうに笑うドヴァン。
それを見てグエンは、決して表情に出すことなく内心歯噛みした。
(……やりづらい)
交渉が通じないから?
自分のペースに中々引き込めないから?
いずれも違う。
目の前に座する戦鬼ドヴァン。
彼のカリスマ性こそが厄介だった。
不思議とドヴァンに褒められると悪い気がしない。
既に60近い年齢だというのに、恥ずかしげもなく誇らしい気分になる。
初対面であるにも関わらず、だ。
(……マリンダに似ている)
そう感じざるを得なかった。
時折こういった人間は存在する。
他者を惹きつけてやまない不思議な魅力を持った人間。
そして、それに見合うだけの実力が備わっている。
スレイプニルは確かに凶悪な集団であり、その戦闘能力は極めて高い。
しかし彼らは――、
「多分グエンは知ってるだろうが、別に俺達は弱者をいじめたりはしないんだぜ?」
――そう。
彼らは戦場でこそ凶悪な姿を見せるが、決して一般民衆に手をあげることがない。
「盗賊のように愚かなことはしない。むしろ俺達がこの場にいることでそういった存在はこの周囲からいなくなるだろう。まぁ、危険に感じる気持ちは分かるけどな」
「もちろん理解している。お主らがただの乱暴者ではないことは」
一度ドヴァンに理解を示す。
「しかしお主らは傭兵団だろう? スレイプニルであれば帝国が近々戦争を起こそうとしているのを知っているのではないか?」
「もちろんだ」
あっけらかんとドヴァンは答えた。
「では何故ミストリア王国へ?」
グエンの問いかけに対してドヴァンは笑った。
陽気な笑みではない。
いやらしく、楽しげに。
凶悪な傭兵団団長に相応しい微笑み。
周囲の温度がいくらか下がったようにグエンには感じられた。
「俺もな。最初は北に向かおうと思ってたんだ」
「……」
「ところが声をかけられた」
「……声、とは?」
「誰かは言えん、すまんな」
まるで悪く思ってなさそうな声音。
当然だろう。
彼らは傭兵。
クライアントの名前を気軽に漏らしたりはしない。
「俺達は弱者をいたぶるのは趣味じゃない。例え金を積まれてもな、面白みがない」
「……」
「だが」
ドヴァンの眼光が鋭く光る。
「ここにいると強い奴らが俺に会いに来る、とそいつは言った。報酬も前金で弾んでくれたしな」
楽しげに。
まるで探るような目つきでグエンを見下ろす。
「……強いやつ」
思わず呟くグエンに対して。
「そう」
ドヴァンは声高に言った。
「例えば……『お前ら』だ」