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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第四十六話 作戦前夜

 

 リィルを通じてグエン様からの作戦司令書を受け取ったその日の夜。

 

「そう……デルニックに」

「はい」


 寝巻き姿に着替えたメフィルお嬢様と二人。

 薄地の真白のネグリジェの上からカーディガンを羽織った主人とメイド服の僕は屋敷の食堂で静かにグラスを傾けていた。


「これ、なんていうカクテル?」

 

 お嬢様が手元のグラスを持ち上げ、僕に尋ねる。

 

「オレンジ・ブロッサム、といいます」


 お嬢様のグラスに注がれている橙色の液体。

 それは光に反射し、グラスの中で鮮やかに煌めいている。

 目に優しい透き通った美しい色合いだ。

 グラスの淵には薄くカットしたオレンジが添えてある。


「へぇ」


 頷き再びグラスに口をつけるお嬢様。


「とっても飲みやすいわ……うん美味しい」

「それはよかったです」


 僕は笑顔で言った。


「それにしてもカクテルまで作れるなんてね」


 感心したように言うお嬢様。

 彼女の言葉に苦笑しつつ答えた。


「趣味と実益を兼ねておりますので」


 実は屋敷へとやってくる際に自前のシェイカーを自宅から持ってきていた。

 理由はもちろんカクテルを作るためだ。


 以前バーを経営していた人と知り合いになる機会があり、一年ほど前に基本的な作り方を教えてもらったのだ。

 それ以来、自分でも様々なカクテルを自作していたりする。

 ほんの少しの分量の違いで、その味と風味を変化させるカクテルというのは、奥が深く面白い。

 

「オレンジ・ブロッサムのオレンジの花言葉は『純潔』といい、結婚式の披露宴の食前酒として好まれているんですよ。オレンジの華やかな香りとジンの爽やかさが相まって、弾むような味わいがありますので、女性にも大人気です」


 僕がカクテルを作るという話は、現在屋敷中の誰もが知るところであり、お嬢様に限らず、時折食堂でこうして僕はカクテルを振舞っているのだ。

 僕はお酒を飲むのも好きだが、作るのも好きだ。

 何より自分の作ったものを美味しいと言ってくれたり、そのお酒で楽しい気持ちになってくれるのが嬉しかった。

 ユリシア様、オウカさん、アリーさんと一緒にお酒を飲んだ時には、色々とひどい目にあったのだけれど……それはまた別のお話。


「ルノワールは本当にお酒好きね」

「うっ……はい」

「ふふっ」


 ほろ酔い顔のお嬢様が楽しそうに笑った。

 だがすぐにその笑みは鳴りを潜めてしまう。

 僕が笑みを返すよりも早く……彼女は不安そうな声色で言った。


「……しばらくいなくなるの?」

「……」


 明日の作戦の話だろう。


「いえ。恐らく明日の夕飯までには帰ってこられると思います」


 作戦は明日の明朝。

 それほどの長い期間屋敷を離れる訳ではない。

 本来ならば事前に合流し、密に作戦を詰めておくべきだろうが……恐らくグエン様が僕とリィルの事情を考慮してくださったのだろう。

 僕達は作戦開始にさえ間に合うのならば、時間はギリギリでも構わないと仰ってくれた。


「そっか」

「……明日は外出を控えていただくことになってしまい、申し訳ありません」

「貴女が謝ることじゃないでしょう?」


 若干呆れ気味のお嬢様。


「そ、それはそうかもしれませんが」


 僕が恐縮していると彼女は優しく微笑んだ。


「馬鹿ね。一日くらい大丈夫よ。大人しく絵でも描いているわ」


 優しい声で言いながらお嬢様はグラスを空にした。


「おかわり、もらおうかしら」

「オレンジ・ブロッサムでよろしいですか?」

「ん~、じゃあ貴女のオススメがあればそれで」


 彼女の言葉に僕は笑った。


「ふふ、畏まりました」

「あ、何笑ってるの?」

「いえ……なんだか本当のバーテンダーになったみたいだな、と思いまして」


 こうやってお客様の注文に答えながら、語り合っていると、街のバーとさほど変わらない気がしたのだ。


「ルノワールなら、バーテンダーにだって簡単になれそうな気もするけど。美少女マスター、ってね」

「それほど甘いものではないと思いますけど」


 お嬢様は果実の爽やかな香りを好む。

 僕は手元の材料に目を走らせ、3つを選択した。

 アップル・ジャック。

 ライム・ジュース。

 グレナデン・シロップ。

 

 お嬢様には、まだ強いお酒を飲ませるのはよくない。

 彼女はそれほどアルコールに弱い訳では無いが、酒に慣れている訳でも無い。

 だから少しだけアレンジした。

 ジャックは少なめ、シロップの分量をほんの少し増やす。シロップを増やし過ぎると糖分が多くなりすぎてしまうので、残りはライムで調整し、僕はシェイクした。


 しばしシャカシャカという、シェイクする音が食堂内に木霊する。

 シェイクが終わり、僕はその中身をゆっくりとショートグラスに注いだ。


 それは透き通るような赤いバラ色をしていた。


「綺麗……」

「ジャック・ローズです」

「ジャック・ローズ?」

「はい。りんごのブランデーとライムジュース。それからザクロの果汁に砂糖を煮詰めて作ったグレナデン・シロップを使ったカクテルです。3種類のフルーツの香りが混ざり合っていますので、甘みや酸味が穏やかに調和し、ほのかに心が弾む落ち着いた一杯になっています」


 先程のお嬢様の言葉に合わせ、まるでバーテンダーのように僕は説明した。

 するとお嬢様はとっても楽しそうに笑っていた。


「さっすがに詳しいわね~」


 う……よくよく考えてみればお酒の知識などお嬢様は興味がないのかも。

 調子に乗ってしまった。


「す、すいません。長々と」

「ふふ、いいのよ。貴女のそういう話、私は好きよ」


 アルコールのせいだろう。

 普段よりもお嬢様は饒舌だった。


「そ、そうですか……」 


 頬杖を付きながら僕を眺めるお嬢様。

 あんまり真っ直ぐに僕を見つめているので、思わず視線を下げてしまった。


 なんだか恥ずかしくなってしまう。


 あ、いけない。

 顔赤いかも。


 そんな恥じらいを打ち消すかのように。

 僕は自分の分のジャック・ローズを素早く作ると、バラ色の液体を飲み干した。

 当然自分の分はジャックが多め、だ。


「ふぅっ」

「いい飲みっぷりねぇ~」


 あはは、と彼女は軽やかに微笑んだ。


「あ、なんだか今の言い方はユリシア様にそっくりですよ」

「あら、それは嬉しいわね」

「……お嬢様は本当にユリシア様がお好きなのですね」

「ええ、いけない?」

「いえ……大変結構なことだと思います」


 二人で笑った。


「……ふふっ」

「あははっ」


 別に何か特別面白いことを言ったわけではないけれど。

 それでも僕とお嬢様は笑っていた。

 この場には名状しがたい陽気な空気が満ちている。お酒の力かもしれない。


 うん、やっぱり僕はこんな風にお酒を飲むのが大好きだ。


 その後、しばらくの間静かに酒を飲み交わす。

 緩やかに流れる夜の時間。

 目の前には敬愛すべき我が主。

 

 とても心地良い一時だった。




   ☆   ☆   ☆



 

 しばらくすると。

 グラスを空にしたメフィルお嬢様が囁くように呟いた。


「……危険はないの?」


 ポツリ、と。

 俯いたままで彼女は僕に問いかけた。

  

「……」


 危険はある。

 ドヴァンがもしも噂通りの実力者であるならば、その強さはマリンダに匹敵するかもしれない。

 事前の偵察隊の話でも、彼の強さは未知数であるとのこと。

 

 僕としても久しぶりの強敵。

 どんな奥の手を持っているのかも分からない。

 絶対に勝てる算段などあるわけがない。


 だけど。


「大丈夫ですよ」


 僕は笑顔で言った。


「本当に?」

「ええ」


 お嬢様に余計な心配をかけることはない。

 彼女はつい最近も自分に仕えていた人間が傷つく場面に出くわしている。

 メフィルお嬢様は心優しい方だ。

 自分に近しい人間が傷つくことを恐れている。

 そしてそんな彼女の不安を少しでも払拭するために僕はユリシア様から護衛依頼を受けたのだ。


「こう見えても私、結構強いんですよ?」



 メフィルお嬢様の前では――、



「……」



 ――僕は誰にも負けない強さを持っていなければならない。



 彼女が安心して日々を過ごせるように。

 彼女が少しでも幸せでいられるように。

 

「……ふふ、そうね。貴女が強いことはよーく知ってるわ」


 僕は努めて明るく、茶化すように言った。


「デルニックのお土産もちゃんと買って来ます」

「あら、それは……楽しみね」

「ええ、お嬢様は楽しみにお待ちください」


 僕が微笑むと、彼女は何やらぼうっとした様子で僕を見つめていた。


「ルノワール」


 ちょいちょい、と手招きされる。


「はい?」

「ちょっと」


 ???

 よくわからないが傍まで来い、ということだろうか。

 彼女に言われるままに僕はお嬢様に近づく。


「貴女やっぱり背大きいわね」

「は、はぁ」

「しゃがんで」

「か、かしこまりました」


 何が何やら、と頭の中に疑問符を浮かべていたら。


 いきなり頭をギュッと抱きしめられた。


「なわわっ!? お、お嬢様!?」


 や、やっぱり酔ってらっしゃる!?

 というかお嬢様の豊かな胸が僕の頬に!

 こ、これは恥ずかしい上に、久方ぶりに凄まじい罪悪感が!


「うふふっ。貴女髪さらさらねぇ」


 突然の事態に混乱する僕。


「あ、あのあのっ」


 上機嫌に僕の頭を撫でるお嬢様。

 今僕の顔はとっても赤いだろう。

 それこそジャック・ローズに負けず劣らず、だ。


 しかし慌てふためく僕を意に介した様子もなく。

 ただ静かに。

 

「……早く帰ってきてね」


 彼女はそう言った。


「……ぇ」

「貴女がいないと……」


 お嬢様の手が僕の頭から離れる。

 とても恥ずかしくて困ってしまっていたはずなのに。


「……ぁ」


 どうしてか。



 彼女が離れてしまったことが無性に寂しく感じられた。



「……ダメね。お酒飲むとなんだか」

「……お嬢様?」


 消え入るような声音。

 

「いつも強がってることが……」


 儚い笑み。


「……お嬢様」


 僕は胸が締め付けられるような思いだった。


 公爵家の娘として。

 立派な母親を見習い、自分も立派であろうと努めている。

 だから普段の彼女は決して弱音を吐かない。

 例え顔に表れてしまっていたとしても。

 彼女は口では大丈夫だと気丈に言い張るだろう。


「時にはよろしいのではないですか?」


 肩肘を張るばかりでは……きっと疲れてしまうから。


「えっ?」


 偉大過ぎる母親。

 憧れの母親。

 メフィルお嬢様の気持ちは分からないでもない。

 ユリシア様の凄さは僕だって知っている。


 だけど。


「ユリシア様とて、常に立派なわけではないでしょう?」

「……」

「私は……」


 そう。

 これは嘘偽りのない言葉だから。

 きっと彼女には伝わる筈だから。


「お嬢様が少しでも本心を打ち明けてくださることを嬉しく思います」


 未だ頬は多少赤いだろう。

 だけど僕は心の底から笑顔を浮かべることが出来ている筈だ。


「ルノワール……」


 縋るような瞳が僕に向けられた。

 少しアルコールも回ってきている。

 今日はこの辺りでお開きにした方が良いだろう。

 

「今日はもう遅いですから。お嬢様はお休みになられた方がよろしいでしょう」

「……そう、ね」

「お部屋までお送りいたします」


 多少フラつく彼女の肩を支えつつ、僕達は夜の屋敷の廊下を静かに歩いた。


「ふふ、ありがとう」


 やがてお嬢様の部屋までたどり着く。

 部屋に入る前にお嬢様が、僕を見上げた。


「おやすみなさい」

「はい、おやすみなさいませ」

「それから――」


 不安を隠した笑みを浮かべ、


「――いってらっしゃい」


 彼女は自室へと消えていった。

 

 閉じた扉越しに僕はゆっくりと低頭した。


「行って参ります」




   ☆   ☆   ☆




 屋敷から明かりが薄れ、お嬢様が眠りについた頃。

 僕は一人自室にて佇んでいた。


「……」


 準備は出来た。

 男に戻った時の衣服一式と、再び女性になる際に必要な性転換魔法薬。



 そして――紅い仮面。



「……いこう」


 普段と変わりない足取りで屋敷を後にした。

 一人夜の闇に紛れ、アゲハの街を歩く。

 街の外に出た僕は周囲に誰もいないことを確認し、


「よし」


 転移の力を使ってデルニックへと出発した。






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