第四十四話 新たな友人
人目の少ない場所を求めて校舎内を歩き回り。
勝手に拝借するのは悪いと思いつつも、ヤライさん達3人を空き教室へと誘い、僕とお嬢様は彼女達から事情を聞いた。
「なるほど」
憂いを帯びた表情で頷くお嬢様。
「侯爵は……いえ」
彼女はトリスタン侯爵についても何かを御存知の様子であった。
お嬢様の様子から察するに侯爵にも、何か辛い出来事があったのだろうと思われる。
しかし、お嬢様は決して多くを語ろうとはしなかった。
純粋なプライバシーに関わる問題であるらしい。
紅牙騎士団の仕事のように、国家の危機に繋がるような事態ならばともかく、闇雲に個人の都合を喧伝するつもりはないようだった。
とはいえ。
何があったのだろうと、あのような振る舞いが許されるはずもないけれど。
「あ、あの」
沈黙を破り、ヤライさんは、おずおず、といった様子で口を開いた。
ユウキさんとヨグさんの傷口は簡単な応急処置を済ませ、僕が痛みを抑えるように麻痺させていた。
どうやら見た目ほど、ひどい怪我では無いらしく、現在は二人共随分と落ち着いている。
沈痛な面持ちで二人の怪我の具合を確認しつつ。
「助けて頂いて、その……」
ヤライさんは言葉の途中で、チラリと僕に視線を向けた。
視線の意味は分からなかったが、僕が反射的に笑みを返すと、彼女は高速で首を振りつつ早口になってお嬢様に言う。
「あ、ありがとうございました」
心なしか顔が赤い。声も上ずっている。
きっとお嬢様と対面したことで緊張しているのだろう。
気持ちはよく分かる。僕も最初はそうだった。
「お礼ならばルノワールに言って下さい。この子がいち早く魔術の兆候を感じ取ったのですから」
「そ、そうですね。る、ルノワールさんも……」
俯きがちに、上目遣いで僕を見上げながら小さくヤライさんは呟いた。
「あ、あわ、あり、がとうござぃましゅた……」
随分と尻すぼみになっていく語尾。
やはり顔が赤い。
ヤライさんは恥ずかしがり屋なのだろうか。
「お気になさらず。同級生ではありませんか」
「そ、そう言っていただけるとその……ありがとうございます……」
「ふふっ。何度も仰らなくても分かっていますよ」
「そそ、そですよねっ! やだ、私ったら! あはは、あは……」
バッと顔を上げたヤライさんと再び目が合った。
「あぅ…………うぅ」
しばし見つめ合っていると、ヤライさんの顔が見る見る内に赤くなっていく。
やがて彼女は瞳を潤わせアタフタと顔を伏せた。
「お顔が赤いですが……大丈夫ですか? やはりどこか怪我でも……」
本気で心配になり僕は尋ねた。
見た感じでは外傷は無いけれど、どこか様子が変だ。
「だだっ、だだいじょぶです、ほんとです」
「それならばよいのですが……」
何やら視線もキョロキョロと周囲を見渡しているようだし、平常な様子には見えないけれど。
(本当にどこか調子が悪いのを隠しているのではないだろうか?)
と僕が訝しんでいると、お嬢様が横で呆れた声音で呟いた。
「はぁ……この子はまったく……」
何故か僕の方を見つめながら。
お嬢様からは心なしか批難するような視線が向けられている気がする。
僭越ながら僕には自分に落ち度があったという自覚がない。
もしかして女性に対して何かデリカシーの無い振る舞いをしてしまったのだろうか。
なんだかその可能性が高いような気がしてきた。
女体化してしばらく経ち、最近はある程度は慣れてきているが、本当は僕は男なのだ。
気付いていないだけで、失礼な態度をとってしまっていたとしてもおかしくはない。
「お、お嬢様?」
僕が戸惑っていると、お嬢様は静かに呟いていた。
「これ今のうちに注意しといた方がいいのかしら。悪いことじゃないんだけど……うーん」
なにやら神妙な表情で考え込んでいらっしゃる。
「な、何をでしょう?」
訳が分からず僕は首を傾げるも、お嬢様は「まぁいいわ」と言い、頭を振った。
ちなみに僕がお嬢様と会話をしている間、ヤライさんはずっと僕の顔を見つめていた。
何か気になることでもあるのだろうか。
(やっぱり僕は何か不味いことをしてしまったんじゃ……?)
とはいえお嬢様に問いかけても答えが返ってきそうにもない。
よくは分からないけれど、本当に不味い落ち度があったのならばお嬢様からお叱りを受けるはずだ。
このまま考えていても詮無きこと。
いっそ開き直って、僕は話を変えてみた。
「あ、そういえば、合同授業の際には私達を見ていたようですが……何か御用があったのですか?」
思い返してみれば、あの時僕たちの様子を伺っていたのはヤライさん達だった。それは間違いない。
僕は少しばかり気になっていたので、思い切って尋ねてみた。
しかし僕の言葉を聞いた3人は微妙な表情で顔を見合わせる。
何やら気まずそうな様子だ。
あ、あれ?
「……」
おかしな空気が室内に流れ始めた。
「あ、いえ。特に用件があったわけでないのでしたら……」
どうやら話題転換は失敗に終わったらしい。
悟った僕は狼狽しつつ、しどろもどろに言葉を紡ごうとした。
「……あの!」
だが迷いを振り切ったのか、突然勢いよくヤライさんは頭を下げた。
「ごめんなさい!」
そして一息に彼女は謝罪の言葉を口にした。
ヤライさんに倣い、ヨグさんとユウキさんも頭を下げる。
だけど僕とお嬢様からしてみれば、何が何やら分からなかった。
えーっと、どうしてこの人たちは謝っているのだろうか。
疑問に思っていると、言いにくそうにヤライさんが口を開く。
「実はその……」
そうして彼女達はポツポツと語り始めた。
☆ ☆ ☆
静かに話を聞き終わり。
お嬢様が呟いた。
「そう……」
語り終えたヤライさんは目を伏せていた。
ヨグさん、ユウキさんも同様だ。
彼女達は今何を思っているのだろうか。
親とのすれ違い。
貴族としての生き方。
(親の愛情……か)
幼少期には考えたこともなかったことだ。
僕は両親の顔も知らない。
親の愛情というのは、マリンダに拾われてから、初めて知った感情だ。
話を聞く限りでは、彼女達は親から愛情を受けられなかったのだろう。少なくともヤライさん達はそう感じている。
何をしても認めてくれない。
何をしても自分を見てくれない。
僕とて彼女達の親には思うところがある。
だけど。
「貴女達は……親のためにこの学院へとやって来たのですか?」
どうしても。
聞いておきたいことがあった。
「え?」
誰もが何を問われたのか分からない、といった様子で僕の顔を見た。
「ミストリア王立学院への入学。それは親に認められたいという一心のみで適ったことなのでしょうか?」
「それは……」
口ごもり、俯く3人。
図星なのか、答えが分からないのか。
どちらにしても言っておきたいことがある。
「それではいけません」
僕は力強い口調で言い切った。
「ルノワール?」
僕が思いの外、真剣な表情だったからだろう。
メフィルお嬢様が意外そうな顔で僕に目を向けた。
「私の……兄のような人が教えてくれたことがあります」
僕達若者、学生のやるべきこと。
目蓋を閉じれば、兄の言葉が想起された。
言葉だけではなく、その時の彼の優しさに満ちた表情も。
誇るべき我が兄は、何度も僕にこう告げた。
「同年代の友人を作り、共に学び、そして何よりも――」
3人の顔を見回しながら、
「学院生活を楽しめ、と」
可能な限り、ディルが僕に伝えてくれたことを、ヤライさん達にも伝えたいと思った。
その気持ちを言葉に込めた。
「青春を謳歌しろ、と。彼は私に強く言いました。それが掛け替えのない経験となり、きっと人生をよりよくするから、と」
紅牙騎士団という特殊な立場で参謀を務めるディルは、学院生活の尊さを僕に何度も説いた。
ディルの言葉はお嬢様にも言ったことはない。
お嬢様も黙したまま、僕の言葉に耳を傾けていた。
「私如きが偉そうに言える立場ではありませんが」
一介の従者が男爵家の令嬢達に説教をするなど、街中であれば、有り得ないことだ。
年齢だって同じ。
偉そうに講釈を垂れられるような立場では無い。
だけどここは学院であり、彼女達は同級生なのだ。
そして彼女達は、心のどこかで救いを求めている。
なればこそ。
僕を救ってくれた偉大なる母や兄の教えを彼女達に伝えるべきだと思った。
「貴女達の最初の目的が親に認められたいから、だったとしても。それが叶わなかったからといって、不貞腐れていてはいけません。入学したのならば、学ぶべきことがたくさんあるはずです。出会ったことのない様々な人がいるはずです。努力し、学び、友人を作り……学院生活を楽しまなくてはいけません」
ゆっくりと息を吐きながら、僕はヤライさん達に言った。
「……親の人生の一部ではないのです。貴方達の人生なのです」
3人は一様に押し黙り、顔を伏せた。
「…………」
彼らは黙したまま、静かにただ俯いている。
(余計なお世話だったのだろうか……)
他人には真の意味で、他人の気持ちを理解することなど出来はしない。
もしかしたら僕の聞こえの良い言葉は、彼女達にとっては疎ましく感じられることだったのかもしれない。
今日初めて会話した僕に言われるようなことではない、と思われてしまっただろうか。
しかし、僕が主人に顔を向けると、お嬢様は穏やかな表情で僕を見つめてくれていた。
やがて。
小さな呻き声が聞こえてきた。
一粒の雫が教室の床を濡らす。
「ヤライさん……」
ヤライさんは静かに泣いていた。
そんな彼女を慰めるように、ヤライさんの小さな両肩をヨグさんとユウキさんが撫でる。
まるで触発されたかのように、二人の男子の瞳にも雫が溜まっていた。
しばらくの間。
3人の小さな嗚咽が空き教室内に木霊していた。
☆ ☆ ☆
泣き止んだヤライさんは顔を上げた。
涙の跡が頬に残ってはいたが、その顔は晴れやかだった。
先程までとは違い、自然な微笑みを浮かべる彼女。
僕は化粧っけの無い、その年相応の笑顔が綺麗だと思った。
「メフィル様、ルノワールさん」
決心したような顔で彼女は言う。
「私達とその……っ!」
僅かに震える声音。
「友達になってはくださいませんか?」
期待するような、恐れるような、それらの感情が綯交ぜになった眼差しで僕とお嬢様を見上げる彼女。
ヨグさんとユウキさんも同様だった。
僕とお嬢様は笑顔で顔を見合わせる。
答えは決まっていた。
「ええ、もちろん。こちらこそよろしくね」
お嬢様が言い、僕も低頭した。
「私のような者でよろしければ、大変嬉しく思います」
基本的には教室内の人達としか交友が無かったけれど、新しい友人が僕とお嬢様に出来た。
素直に嬉しく思う。
僕達は笑顔で。
ヤライさん達も安堵の表情で微笑んでいる。
「ただし」
そこでお嬢様が、時折見せる悪戯っ子のような笑顔で言った。
「様付けは無しよ」
思わず惹きつけられてしまうような魅力的な笑顔。
「私達は……同級生なのだから」
こうして僕とメフィルお嬢様に新たな友人が出来た。