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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第四十三話 美しき介入者

 

 男達の汚らしい手が私の身体をまさぐっている。

 無理矢理に制服を脱がされ、下着が顕になっていた。

 羞恥心と怒り、悲しさ、今まで感じたことのない嫌悪感。


 そして――恐怖。


 口は塞がれていて声を出すこともままならない。

 血だらけで倒れ伏すヨグの姿が目に入った。

 同様にうつ伏せに倒れながらも、なんとかこちらに手を伸ばそうとしているユウキの姿もある。


(二人共……)

 

 結局努力の果てに手にしたのは、こんな結末。

 これから自分が待ち受けている未来など分かりきっていた。

 例えこの場で犯されたことを告発しても簡単に揉み消されるのだろう。

 教師とて侯爵家に逆らおうなどとは思うまい。

 最悪トリスタンの手回し次第では、こちらが罪に問われるような事態にまでなるかもしれない。


(ちくしょう……っ)


 涙が溢れて止まらない。

 そしてそんな私の様子を心底楽しそうに見下ろす男達。


 心に絶望が襲いかかってくる。

 

 トリスタンの手が私の下着に伸びた――その時。



「何をなさっているのですか?」



 場にそぐわぬ美しいソプラノの声が響き渡る。

 唐突に現れた介入者。

 誰もが声の主へと目を向けた。

 

(……誰?)


 私を羽交い絞めにしていた男の拘束が僅かに緩んだ拍子に、顔を動かす。

 そこには知った顔があった。


(ファウグストスの……)


 そう、メフィルの従者だとかいう少女。

 名前は確か……ルノワール。


 彼女は陽の当たらない校舎裏にあってなお輝いていた。

 艶やかな黒髪が微かに漂う風に揺れ、サラサラと靡いている。

 顔は驚くほどに小さく、手足はスラリと長い。

 くっきりとした目元は愛らしく、瞳には輝かんばかりの意志が宿っているように感じられた。

 美しい容姿に相応しい美しい所作。

 華やかな少女の姿は校舎裏での不良達の喧嘩の場にやってくるにしては、あまりにも場違いに思えた。

 

 突然現れたルノワールを見た一人の先輩が上機嫌に口笛を吹いた。


「すっげー可愛いじゃん」


 さもありなん。

 誰もが釘づけになっていた。

 それは女である私も例外ではない。

 

 トリスタンの興味もルノワールに移ったようだった。


「仲間に入りてぇか? おい」


 立ち上がり、一歩ルノワールに近づくトリスタン。

 ルノワールは首を巡らし周囲を見渡す。

 倒れ伏したヨグとユウキ、そして拘束されている私。

 よほどの馬鹿でない限り状況は把握出来るだろう。

 しかし彼女は柔和な笑みを崩さなかった。


「私も仲間に入れていただけるのですか?」


 何を言ってるんだ、この子は。

 馬鹿なのか、それとも相当な淫売なのか。

 後者のようにはとても見えないけれど。


「あぁ、いいぜ」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながらトリスタンがルノワールの肩に触れようとした。


 だが触れる直前――、


「……は?」


 ――視界からトリスタンが消えた。


 思わず呆けたような声が出てしまった。

 だ、だって。


 必死になって首を動かす。

 ドスン、という音のした方へと目を向けると、今しがたルノワールに触れようとしたトリスタンが、数十メートルは吹き飛ばされていた。


「……」


 ルノワールは何事もないかのように佇んでいたが、周囲は静まり返った。

 先程まで笑みを浮かべていた先輩達も一様に黙り込んでいる。

 彼女の視線が私を拘束している先輩達に向けられた。


「……これは喧嘩、ですよね?」


 言いつつ、彼女の手のひらがフワリと宙を舞う。


「では私も仲間に入れてもらいましょう」


 まるでルノワールの手の動きに呼応するかのようにして先輩達の身体も宙に浮かび上がった。

 先輩達も抵抗の素振りを見せてはいるが、まるで抗えていない。


 それは下手な人形劇の如き有様だった。

 彼らは全員慌ただしく宙でもがいている。

 ルノワールは宙で拘束されている先輩達を一瞥し、視線を私に向けた。


「……大丈夫ですか?」


 心配そうに私の顔を覗き込むルノワール。

 彼女は自分が今まで着ていた制服の上着を脱ぐと、そっと私にかぶせてくれた。

 

「怪我はありませんか?」


 優しい手つきで。

 彼女は私の目元の涙を掬ってくれた。


 温かな指先。

 ルノワールは聖母の如き表情で私の頭をそっと撫でた。


「……ぅ」

 

 急速に恐怖心が和らぎ、涙腺が刺激される。


 なんでか分からないけど涙が出た。

 安心した筈なのに。

 さっきまでとは全然違う感情なのに。



 さっきよりもたくさん……涙が、出た。



 倒れ伏す二人の私の親友。

 いつの間にかヨグも目を開けていた。

 二人共呆然とした表情でルノワールを見上げている。


 彼女はユウキとヨグを一瞥して言った。

 

「男子ですからね。少しばかり辛抱していてください」


 言いながら彼女が一歩を踏み出す。

 ゆっくりと地上に下ろされた4人の先輩達。

 吹き飛ばされたトリスタンも立ち上がり、ルノワールを見つめていた。


「てめぇ……」


 怒りの形相でルノワールを睨みつける。

 普通の学院生であれば、逃げ出したくなるような迫力。

 しかしトリスタンの態度は全く意に介さずに、彼女は呟いた。


「おや……手加減しすぎましたか」


 挑発するような物言い。

 その言葉がトリスタンの更なる怒りを誘った。

 

「覚悟は出来て――」


 荒い息を吐きながら、彼が再びルノワールに詰め寄ろうとするも。



「貴方達こそ覚悟は出来ていますか?」



 トリスタンの言葉を遮りルノワールは言う。

 それは静かで冷たい声音だった。


「俺を誰だと……っ」

「寡聞にて存じません」


 彼女がパチン、と指を鳴らすと、突如5つの結界が出現した。

 それは綺麗に先輩達一人一人を包み込んでいる。


「あぁ?」


 身動きの取れなくなる5人。

 彼らはドンドンと音を立てて結界に拳をぶつけ始めた。

 あるいは魔術を生み出して結界の破壊を試みるも、全くもって意味を為さない。

 その結界の強度は尋常では無かった。

 

「お、おい。なんだよこりゃ」


 それはトリスタンとて例外ではない。

 少なくとも彼の魔術師としての技量はヤライ達を上回っていたはずだが、ルノワールが張ったであろう結界はピクリともしない。


 やがて自分達の力ではどうあっても解除出来ないと悟ったのだろう。

 彼らは一様に青ざめた顔を浮かべていた。


「……如何ですか?」


 ルノワールが呟く。



「自分達が弱者になる気持ち……理解出来ますか?」



 美しい声で、先輩達を睨めつけるルノワール。


(すっご……)


 私の見てる限り、彼女は一度も呪文を詠唱していない。

 つまり全ての魔術は無詠唱で発動されている。


 瞬時に5つ。

 それもピッタリと先輩達一人一人を包み込むようにして。

 正確無比な魔術だ。


 しかもあの結界の強度ときたらどうだろう。

 トリスタンですら解除出来ないほどではないか。

 

 どう考えても学生のレベルではない。

 女性的でありながらも精悍な横顔、背筋を伸ばした美しい立ち姿。

 数で勝る男子達を相手どった堂々たる振る舞い。


(か、格好いい)



 思わず胸が――ドキリと高鳴った。



「てめぇ……俺が誰か分かって――」


 怒り心頭といった様子のトリスタンの言葉はまたも、乱入者によって遮られた。


「お久しぶりですね、トリスタン先輩」

 

 今度現れたのも一人の少女。

 少女はルノワールに比べると随分と小柄だった。

 彼女が歩いてくると、まるでその道を譲るようにしてルノワールが身を退けた。

 恭しく頭を垂れつつ、ルノワールは自らの主人の一歩後ろで畏まる。


「……ぁ」


 その小柄な少女。

 メフィル=ファウグストスの姿を目にした途端にトリスタンの威勢は削がれていった。


「ふ、ファウグストス様」


 トリスタンの声は明らかに震えていた。

 先程までとは打って変わって顔面は蒼白だ。


「様、だなんて。学院では私は後輩にあたるのですから。そのような呼び方は相応しくありませんよ」

「い、いえ」


 朗らかな笑顔でメフィルが言うも、トリスタンの動揺は収まらなかった。


 それはそうかもしれない。

 いくらトリスタンが侯爵家とはいえ、目の前にいる少女は公爵家だ。

 王国で王族に次ぐ力を持った家柄である。


 もはや場の空気は全てメフィルに持って行かれている。

 誰も彼もが、メフィルを注視していた。

 彼女は横目でルノワールを見ながら言う。


「こちらは私の従者なのですが……何かありましたか?」

「えっ……あ、いやその……」


 冷や汗を流しながら、トリスタンは狼狽した。

 普段から自分よりも身分の低い人間に対して傲慢に振舞っているからだろうか。

 彼は自分よりも身分の高い公爵家の人間をことさら恐れているようだった。


「ルノワール、結界を解除なさい」

「畏まりました」


 メフィルの言葉に従い、ルノワールは音もなく結界を解除する。

 先輩達の身は自由にはなったが、彼らは一歩も動くことが出来なくなっていた。


「……トリスタン先輩」

「はっはい……」


 メフィルの言葉にトリスタンが畏まる。

 彼は明らかに怯えた様子で俯いていた。


 だが。


「鬱憤が溜まっているのは理解出来ます」


 続く言葉はトリスタンにとって意外なものだったのだろう。


「は……え?」


 一瞬トリスタンは意味が分からない、といった様子で目を丸くした。


「多少なりとも……貴方の事情は把握しているつもりです」


 悲しげな表情でメフィルが目を伏せた。

 彼女は何の話をしているのだろうか。

 私には何がなんだか分からない。


 しかしトリスタンは目を見開いてメフィルを凝視していた。


「身勝手なことをされる怒りと悲しみをトリスタン先輩は知っているはずでしょう?」

「……」

「……今回だけは私も不問に致します。あまり学院で乱暴なさいませんように」


 一度泣きそうな顔になったトリスタンは歯噛みし、俯いた。

 メフィルの言葉を聞き、彼は一言告げて去ろうとする。


「……失礼しました」

「待ってください」

「……何か」

「彼女達に謝罪を」

「……」


 メフィルの強い眼光は、これだけは譲らないぞ、と語っていた。

 トリスタンも反抗する無意味さを悟ったのか、静かにバツの悪そうな表情で呟いた。


「すまなかった」


 その言葉を最後に足早に去っていく先輩達。

 彼らの背を見送り、メフィルは振り返った。

 憂いを滲ませた表情だ。


「……二人の様子はどう?」


 少し離れた場所からメフィルは従者に問いかける。

 ルノワールはというと、ヨグとユウキの様子を確かめていた。


「そう、ですね。後遺症が残るようなことはないでしょう。治癒魔術が必要なほどの重傷ではないと思います」

「そう」


 息を吐いたメフィルの視線が私に向けられた。


 思わず私が肩を震わせ、身をビクつかせると、メフィルはゆっくりと腰を下ろし、地面に座る私と視線を合わせた。


「私の名前はメフィル=ファウグストス。今年の入学生で1年1組なの」


 彼女は自己紹介を済ませると笑顔で言った。


「貴女のお名前は?」





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