第四十二話 鬱憤の行き先
「なんというか……彼女すごかったね」
ユウキの言葉に黙ったままのヨグとヤライは渋々ながら頷いた。
「彼女とその従者の課題実演、あれ圧倒的なんてものじゃなかったよ」
どこか投げやりではあったが、ユウキは賞賛の言葉を止めなかった。
「あれだけの数と大きさのミストを一瞬で、しかも無詠唱でだもんね。ホントに同じ1年生かと疑ったよ」
先程の実技演習の際にメフィルとその従者ルノワールが見せた魔術『ミスト』。
本当に同じ魔術なのかと疑いたくなるほどに、彼女達の魔術は洗練されていた。
予備動作もなく、詠唱もせずに、瞬く間にミストを展開し、更にはその霧を自由自在に操り、まるで舞踏会で踊っているかのように軽やかに宙を舞わせてみせたのだ。
息切れした様子も無く、軽々と気負いなく魔術を行使する二人。
あの主従の魔術師としての実力は自分達とは明らかに一線を画していた。
「あぁ、そうだな」
どこか上の空な様子でヨグも同意する。
「……それだけじゃないでしょ」
つまらなそうに言ったのはヤライ。
口元を尖らせ、拗ねた表情を作った後、彼女は静かに溜息を吐いた。
「はぁ~あ」
メフィル=ファウグストス。
彼女がシルヴィア=サーストン同様に嫌な奴だったら。
他者を見下すような人間だったのならば。
もっと簡単に心に折り合いを付けることができただろう。
「……」
しかし現実は真逆だった。
とてもではないが自分達と同年代とは思えないほどの気品、オーラ、才覚、人格。
少なくともヤライ達には、メフィルを嫌う要素が何一つとして見つからなかった。
ぼんやりと空を見上げたままヤライが呟く。
「何がしたいのかな……」
結局。
3人は足踏みをするしかない。
痛いほどにそれが実感出来た。
彼女達が目的もなく校舎裏でくだを巻いていると、数人分の足音が聞こえてくる。
彼らはヤライ達を目にすると、威圧するような声音で口を開いた。
「あ? なんだ、お前ら?」
見るからに柄の悪そうな男子生徒が5人。
肩を揺らしながらヤライ達3人に向かって歩いてきた。
特に中心の男子生徒は厳めしい表情をしており、見るからに不機嫌な様子だ。
どう考えても温厚な気配は無い。
ユウキとヨグが立ち上がり、目を細めた。
嫌な予感がしたからだ。
元々ヤライ達も人目につかない場所を求めてここへ来ていた。
自分達もお世辞にも柄が良いとはいえない。
同類の不良生徒と鉢合わせるのはある意味では必然であった。
(……先輩か)
1学年上の2年生。
その不良達だろう。
(彼らはどうして、道を踏み外したんだろう)
ミストリア王立学院への入学が適ったということは、少なくとも優秀な人間であることは間違いがない。
きっと入学するまでに相応の努力をして来た筈なのだ。
自分達のことも踏まえ、ヤライは気になった。
しかし深く考える間もない。
相手は決して立ち止まらず、躊躇もなくにじり寄ってきた。
そして。
唐突に中心にいた男子生徒がヤライの胸元へと手を伸ばした。
「ちょっと!?」
ヤライはいきなりの暴挙に戸惑いつつも、怒りの炎を瞳に宿らせ、先輩を睨みつける。
相手の手を振り払い、距離を取った。
そんな様子でさえも先輩達はニヤニヤと楽しそうに眺めていた。
「お前ら、暇してんだろ? なぁ一緒に遊ばないか?」
お前ら、と言いつつも目はヤライ一人に向けられている。
ヤライは自分の肢体に向けられたいやらしい視線を感じた。嫌悪感が湧き上がってくる。
先輩達の態度にヨグとユウキも小さくない苛立ちを覚えた。
別にヤライと恋仲というわけではないが、3人は昔から一緒に育ってきた幼馴染。
真に心を許せる掛け替えのない友人なのだ。
そのヤライが狙われていると分かった以上、黙っている訳にはいかない。
「なんだこいつら……?」
とはいえ、ユウキには信じられない思いもあった。
何故ならばここはミストリア王立学院だ。
不祥事が生じれば、生半可な家柄ではただでは済まないはず。
ここまで身勝手な行動をするには相当なリスクが伴うだろう。
そこまで考えが及び――、
「俺はトリスタン侯爵家の人間なんだよ」
――中心にいた男子生徒が絶望的なことを口にした。
「言ってること、分かるか?」
分かる。
分かってしまう、痛いほどに。
「くっ」
ユウキは歯噛みした。
つまり彼は侯爵という立場を利用して、学院内でも傍若無人な振る舞いをしているのだろう。
学院内とはいえ、やはり公爵や侯爵の地位は絶大だ。
彼よりも爵位の低い人間は全員逆らうことができない。
もしも彼に逆らえばトリスタン侯爵家からの報復が待っているのだろう。
ひょっとすると教師ですら黙認しているかもしれない、とユウキは思った。
だが。
「そんなこと知るかよ」
吐き捨てるように言ったのは長身のヨグだった。
彼は立派な体躯に釣り合うだけの迫力のある声で言った。
「こちとらイライラしてんだ、邪魔すんじゃねぇよ」
ヨグの隣に立ったヤライも彼に同調するように鋭い瞳を先輩達に向け、半身の構えをとった。
既に臨戦態勢である。
その様子を楽しげに見つめる先輩達。
そんな中にあってユウキだけは冷静な思考を維持していた。
(……不味いな)
確かにヤライのことを考えればここで引くことなどありえない。
だけど相手は侯爵家の息子だ。
考えなしで挑んでいいものか?
いやよくない。
それは絶対によくない。
自分達の家にも迷惑がかかるし、何より今後の自分達の将来に大きく差し障る問題になる。
下手をすれば、入学早々に退学だ。
そもそも人数で負けている。
彼らに喧嘩をして勝てる勝算だって有りはしないのだ。
(……逃げるか?)
それが最善策のような気がした。
ここで尻尾を巻いて逃げ出せば先輩達には馬鹿にされるだろうが笑って済まされるのではないか。
確かにヨグとヤライは怒るかもしれない。
しかしちゃんと話せば二人は絶対に分かってくれる。
こういった状況においては、短気な二人に代わって自分が冷静な判断を下さねばならない。
ここで判断を誤って友人の人生に影をさすわけにはいかない。
だが、少しばかり遅かった。
「……ぐっ!?」
「つっ!」
5人の先輩達の行動は早く、そして無駄がないようにユウキには見えた。
トリスタン先輩は逆らう素振りを見せたヨグとの距離を詰め、ヨグが拳を振りかぶるよりも早く脇腹に膝蹴りを叩き込み、怯んだ隙に、そのまま髪の毛を掴むと校舎の壁面にヨグの顔を叩きつけた。
呻くヨグを意に介さずにトリスタンは、続いて彼の横っ腹に中段の回し蹴りを放つ。
その動きは淀み無い。トリスタンは明らかに喧嘩慣れしていた。
「がはっ!」
また、残りの4人も素早くヤライを取り囲み、そのまま腕を縛り上げ、足を蹴りつける。
多勢に無勢。
女子1人に対して男子4人。
抵抗虚しく、すぐさまヤライは羽交い絞めにされた。
こういった近接戦においては、あまり魔術は役に立たない。
理由は簡単で、呪文詠唱に時間がかかりすぎてしまうからだ。
魔術を効果的に用いようとするならば、前衛後衛でしっかりと役割を分ける必要がある。
ユウキが思考を巡らせている間に、ヨグは口から血を流し呻いていた。
ヤライは4人の男達に組み敷かれようとしている。
(何をしてるんだ、僕はっ!!)
ここにきてようやくユウキの身体も動いた。
家同士の問題だとか。
将来のこととか。
そんな思考はもう残っていなかった。
友達が目の前で傷つけられようとしている。
その事実を前にして他に考えるべきことなどあるはずがない。
「やめろっ!」
声を上げながら、ヤライを羽交い絞めにしている先輩に魔術を放った。
幸い隙だらけであったし、何よりこの魔術は合同授業中に何度も練習していたので発動までの時間が短かった。
初級水魔術ウォータ・ロード。
ユウキの手のひらから放たれた水流が先輩に向かって襲いかかる。
そしてその効果を確かめるよりも先に、続く魔術を詠唱した。
初級火魔術ファイア・ウィンド。
先輩達全てを対象にした炎の絨毯が周囲に吹き荒れる。
隙を作ることが出来ればそれでいい。
ユウキは攻撃魔術によって生まれるだろう隙をついて二人を救出して逃げ出すつもりだった。
しかし見通しは甘かった。
例え不良生徒であったとしても。
相手は曲がりなりにもミストリア王立学院への入学が許された才覚の持ち主なのだ。
親の七光りだけでは入学することはできない。
その事実を失念していた。
「俺に向かって魔術を使って……覚悟はできてるな?」
トリスタンは即座にユウキの魔術をレジストしていた。
生み出された水流は一人の先輩を押し流すに留まり、ファイア・ウィンドはより強力な風魔術によって吹き飛ばされてしまったのだ。
怒りの篭った瞳がユウキを貫く。
「くっ」
掴んでいたヨグの頭をもう一度壁に叩きつけると、即座にトリスタンはユウキの眼前に躍り出た。
魔術を詠唱する時間などあるはずもない。
ユウキは迎え撃つために腰を落とし、カウンターの構えに入ったが、拳のフェイントにまんまと引っかかり、そのまま襟首を掴まれヘッド・パッドを喰らった。
「ぐぅっ」
「はははっ」
続けざまに頬を殴られるユウキ。
(あ、やば歯折れたかも)
そう思いながらもユウキの身体はもはや言う事を聞かず、ヨグ同様に壁に叩きつけられた。
トリスタンが手を離し、地べたに崩れ落ちる。
視界の端では、半ば制服を脱がされているヤライの姿があった。
声が出ないように口元を抑えられ、涙を流す幼馴染の少女。
まともに呼吸が出来なくなったらしい、血だらけの幼馴染の少年。
こんなことがまかり通るのか。
ここは名門学院では無かったのか。
これでは……これでは薄汚い貴族社会と何が違う?
(あぁ……ほんと……)
何をしに。
何のためにこの学院へとやってきたのだろうか。
途方もないやるせなさ。
怒り、悲しみ、虚無感。
親に自分を見てもらえない。
周囲は何をしても認めてくれない。
常に何かに縛られている自分達。
格好付けて不良の真似事をしてみても、より大きな力に蹂躙される。
何となく。
ミストリア王立学院に入学すれば――何かが変わると思ったのに。
王国でも輝いている場所に見えたのに。
3人で漠然とした希望を抱いていた。
あの努力の日々は無駄だったのか。
(僕達は……)
ユウキの瞳から涙がこぼれ落ちたその時――、
「何をなさっているのですか?」
――女神の声が聞こえた。