第三十九話 男爵家の子供達
ダイアに襲われた翌週。
学院の教室へと足を運ぶ途中、僕達の前にカミーラさんがやって来た。
(……)
カミーラさんの小柄な姿が視界に入るに連れ、自然と表情が強張っていくのを感じる。
彼女に会うことが僕は内心では怖かった。
ダイアの時のような襲撃が以前にもあったことは当然カミーラさんもマルクさんも知っているだろう。
そして先週。
実際に今回は二人にも被害が及びそうになった。
普通ならば怖くなってしまい、メフィルお嬢様から距離をとろうとするのではないか。
カミーラさんはお嬢様にとっては掛け替えのない心許せる友人のはずだ。
もしもカミーラさんから拒絶されればお嬢様は傷つくだろう。
僕としても仲良くなり始めた友人と疎遠になってしまうのは心寂しい。
しかし。
「ふふんっ、メフィル遅いじゃない今日は!」
偉そうに胸を張ってカミーラさんは言った。
腰元に手を当てながら微笑む、その様子は先週までの彼女となんら変わりがない。
彼女の表情からは強がっているような気配は感じられなかった。
まるで自分も危険な目にあったことを忘れているかの如き自然さだ。
カミーラさんの背後。
控えるマルクさんも平然としていた。
「おはようございますメフィル様、それからルノワール」
僕はどもりつつ、なんとか挨拶を交わすのみだったが、メフィルお嬢様は当然のように返事をした。
「おはよう、二人共」
自然な笑顔。
メフィルお嬢様からはカミーラさん達を疑うような気配は感じない。
どうやら安堵を覚えているのは僕だけらしい。
その時、僕は自分の認識を改めた。
(そっか……)
僕が考えていた以上に。
お嬢様とカミーラさんの間には確かな友情が築かれているのだろう。
先日のような一件があっても、その絆は簡単には崩れたりしない。
(友人が少ない?)
そんなことは些細なことだ。
憎まれ口を叩き合いながらも、心の中では相手をしっかりと認めている。互いを想い合っている。
カミーラさんのような友達がいるのなら、それはなんて素敵なことだろうか。
「? なんだかルノワールさん、嬉しそうですね」
「え?」
席に着き、リィルに指摘されて初めて僕は笑みを浮かべていることに気づいた。
「ふふっ。実は今とても良い気分なんです」
「は、はぁ」
要領を得ないリィルに微笑みかけ、僕は温かな気持ちで自分の席に着いた。
☆ ☆ ☆
王立学院の敷地北東。
日の当たらない暗く淋しい倉庫裏に3人の男女の姿があった。
誰もが不機嫌そうな表情を浮かべており、いずれも制服を着崩している。
一目見てやさぐれていると分かる雰囲気を携えていた。
「くそっ!」
一人の少女が近場にあった木を苛立ち混じりに蹴り飛ばす。
魔力を込めた足で蹴り上げたため、木が僅かにしなるほどの衝撃だったが、かまわず彼女はもう一度足を振り上げた。
肩口で揃えられたショートヘアは乱れもなく、若さゆえの艶やかさに満ちている。
勝気そうな眦は覇気を感じさせ、瞼の奥の瞳は蒼く輝いていた。一見して美少女であると評されるであろうが、荒れた言動と服装、そして見事なフォームで木を蹴り上げる姿からは清楚さなどは微塵も感じられなかった。
「落ち着きなよ、ヤライ」
頭の上に降り注ぐ木の葉を煩わしそうに手で払いながら一人の少年が言った。
その少年は痩せた体つきであり、眼鏡をかけている。
こちらも少女同様に制服を着崩しているが、少女ほどの荒っぽさは感じられない。どちらかといえば物静かな印象を他者に与えるだろう。
髪も少女とは違い、ろくに手入れがされていなかった。毛の長さが揃っておらず、前髪に至っては瞳を隠すほどに伸びてしまっているのだ。
「俺はヤライの気持ちが分かるけどな。これほど虚しくなったこともない」
宥めようとした少年とは対照的にもう一人の少年は少女に同調する。
「ヨグ……」
ヨグと呼ばれた少年は年齢に比して背が高かった。180センチを有に超えており、体格もガッチリとしている。
見るからに喧嘩が好きそうな筋肉質な体型に、よく似合う不敵な顔をした少年。
彼は痩せた眼鏡の少年に尋ねた。
「お前は違うのか、ユウキ?」
ヨグが問うと、ヤライもユウキに目を向けた。
「そりゃあ……僕だってそうだけど」
ハーヴェスト男爵家4女、ヤライ=ハーヴェスト。
マードック男爵家3男、ユウキ=マードック。
モーテル男爵家4男、ヨグ=モーテル。
親同士の繋がりがあり、彼らは幼い頃からよく共に過ごした友人だった。
立派な王国貴族の家柄であり、その地位や権力は平民とは比べるべくもない。
しかし3男や4女、それも男爵家程度の家柄では貴族社会の中にあって、さしたる権限は無かった。
ミストリア王国では侯爵家以上の爵位を持つ貴族であれば、自分の領土の統治を委譲する、という形で男爵、子爵の地位を誰にでも自由に与えることが出来る(マリンダ=サザーランドの男爵位も、ファウグストス公爵家によって与えられたもの)。
そのため王国内では子爵以下の貴族の地位はそれほど高くはない。
余りにも数が多すぎるからだ。
ヤライ達の両親は彼女達に大した愛情を注ぐようなことはせず、また期待もされていなかった。
3人目、4人目の子供ともなると、家督を任せる訳にもいかず、精々が縁組に使えるかどうか。そんな扱い。
いつだって表舞台に立って脚光を浴び、愛情が向けられるのは兄や姉。
幼き頃からそのような扱いに不満を持っていた。
だから実力で見返してやろうと必死に努力した。
努力の末にミストリア王国でも最高の名門校への入学が許された。
合格通知が届いた時にはヤライもヨグもユウキも、皆手を取り合って喜びを分かち合った。
彼女達はこれで認めてもらえると思った。
俺達私達だってやれば出来るんだ、と。
両親も自分達のことを見てくれるだろう、と。
きっと喜んでくれるだろう、と。
そう思ったのだ。
しかし。
何も変わりは――しなかった。
両親の自分達に対する扱いは全く、これっぽっちも変わりはしなかった。
いや違う。
一つだけ変わったことがあった。
『サーストン家の令嬢とお近づきになれ。しかし粗相をしそうになったら一切近づくな』
言われたのはそれだけだった。
無表情そうな顔で一言。
称える言葉一つ贈られない。
元々ヤライ達の親はなんとか公爵家との繋がりを持ちたいと常々思っていたのだ。
特にサーストン家とのコネを欲しがっている。その令嬢がヤライ達と同じ学院に在籍しているというのならば、これを利用しようと考えたのだろう。
しかしそれも、さしてヤライ達に期待をしているわけではなさそうだった。
それどころかコネを作ることよりも、怒らせてサーストン家を敵に回すことをこそ恐れている口調だった。
「なんだよ、それ……っ!」
涙声で叫ぶヤライ。
「ヤライ……」
「私達はそんなことのために頑張ったんじゃない!」
こう言われてしまってはユウキも何も言い返せなかった。
いや……言い返さなかった。
「……」
ユウキだって同じ思いだったから。
この場にいるのは皆同じ気持ちだ。
一緒に頑張った。
一緒にここまできた。
同じような境遇にいる共感出来る友人同士なのだ。
ヤライの憤りはユウキの憤りであり、ヨグの憤りだ。
「しかもなんだ、あの女っ!」
もう一度ヤライは木を蹴っ飛ばした。
あの女、というのはシルヴィア=サーストンのことだ。
ヤライ達は一度そのサーストン家の令嬢の元まで足を運んでみたのだ。
別に親に言われた通り、コネを作りたくて近づいたわけではない。
ただ親から聞かされた言葉が頭に残っていた。どういう人物なのかが気になったのだ。
だが会話することすら出来なかった。
花ノ宮と呼ばれている特別な組織に身を置いていることは知っていたため、ヤライ達はそこまで彼女を訪ねて行ったのだ。
しかし入口で、まるでシルヴィア付きの従者のように侍った女子生徒が立ちはだかった。
その先輩にシルヴィアに会いたいという旨を伝えると、彼女は突然聞いてきた。
「何家の者ですか?」
相手は公爵家、対するこちらは男爵家。
怯みつつも家柄を伝えると先輩の態度は露骨に見下したものへと変貌した。
「シルヴィア様に会うことはなりません」
めげずに食い下がっても彼女の態度は全く変わらなかった。
やがて花ノ宮の部屋の前で騒いでいたせいか、室内から女生徒の声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「あっ、シルヴィア様」
件の人物、サーストン公爵家の令嬢であるシルヴィアが顔を出したのだ。
美しくはあっても、どこか冷たさを感じさせる横顔。
扉から僅かに顔を覗かせたシルヴィアの視線が一瞬だけこちらに向けられた。
「……誰?」
「王国男爵家の者達だそうです」
ふぅん、とシルヴィアは呟いた。
「なんでもシルヴィア様とお話したいとか」
口を開きかけたヤライであったが、先輩の言葉を聞いたシルヴィアは素っ気なく言った。
「興味ないわ」
一言で切って捨てる彼女。
「さっさと追い払って部屋に入りなさい」
そう言い、彼女は室内に戻っていく。
最初に一瞥した以外にシルヴィアがヤライ達に視線を移すことはなかった。
投げやりな言動、そもそも同じ学院生としてすら認めていないかのような態度。
まるでヤライ達の存在に気づかなかったかのような仕草でシルヴィアは室内に帰っていった。
☆ ☆ ☆
そうして花ノ宮を後にして今に至る。
「あんなふざけた女とお近づきになれ、って?」
シルヴィアが気に入らない、というのもあるが実際問題仲良くなることなど不可能に思えた。
彼女の価値観など知りたくもないが、少なくとも自分達のような男爵家の子供など会話するにも値しないと思っているのだろう。
「なぁユウキ」
ぼんやりと空を見上げていたヨグが口を開いた。
「……なに?」
「俺達これからどうする?」
「どうするって……」
ヨグの問いかけ。
しかしユウキにも答えは見つからなかった。
「そんなの僕にも分からないよ」
必死に努力して手に入れた名門校へのチケット。
待っていたのは、悲しさと怒りと虚しさだけ。
その時。
「あっ」
ユウキが何かを思い出したように声を出すと、ヤライとヨグの二人もユウキに注目した。
二人が何か期待に満ちたような表情をしているのを感じてユウキは居たたまれない気持ちになる。
ただ一つ、あることを思い出しただけで。とてもではないが二人の心を癒す材料になりはしないだろう。
「なに?」
「どうした、ユウキ」
「えっと……」
ポツリとユウキは呟いた。
「いやさ、今年の入学生の中にも公爵家の令嬢がいるらしい、ってのを思い出して」
ユウキの予想通り、二人は微妙な表情になった。
「あれでしょ、ファウグストス家の娘」
「孤立した公爵家、だろう?」
「うん、まぁ」
ミストリア王国の貴族社会で生きている以上は公爵家を知らないわけがない。
当然のようにファウグストス家のことも知っている。
公爵四家は王国内で最大の権威を持っているが、ファウグストス家は昔から他の三家とは何かと折り合いが悪く、その影響もあって貴族社会の中では若干浮いている存在だ。
しかしその分民衆からの支持が厚い。
紅牙騎士団という独自の強力無比な騎士団も有している。
実力もあり、懇意にしている少数の貴族からは熱狂的なまでに慕われているそうだ。
「……会いに行ってみよっか」
意外なことにそう言ったのはヤライだった。
「いいのか?」
ヨグが問うと、ヤライは投げやりな口調で言った。
「別にいいんじゃない? なんかもう、公爵家とか馬鹿らしいけど。特にやりたいこともないし。ここで木を蹴っ飛ばしているよりは健全かもね」
ヨグもユウキも特に反論はしなかった。
というよりも。
彼らも考えることが面倒くさくなっていたのだ。