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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第三十八話 招かれざる客人

 

 日も沈み始めた夕暮れ時。

 茜色に染まる街並みを背に、ユリシア様の言葉通り、ファウグストス家の屋敷には珍しく二人の客人が訪れていた。

 現在その客人は僕同様にユリシア様の執務室でソファに腰掛けている。


 客人の一人はリィルだった。

 紅牙騎士団では僕の同僚であり、現在はミストリア王立学院での同級生。

 僕の知り合いの中でも頼りになる貴重な友人だ。


 そしてもう一人。


「なるほど、これが性転換の魔法薬」


 頷きながら僕を見つめている男性はどこか感心した様子。

 既に60歳に迫る高齢でありながらも、その体躯は依然として逞しく、眼光からも力強さが感じられた。

 ふてぶてしい顔つきをしているが、身に纏う常人ならざる雰囲気は、どこかビロウガさんを彷彿とさせるものがある。


「久しいな、ルーク」


 グエン=ホーマー子爵。 

 紅牙騎士団の戦術顧問であり、ユリシア様やマリンダの師匠にあたる人物だ。

 彼は現在の国内騎士団のまとめ役でもあり、最高司令官でもある。 

 

「ルーク、何か困っていることはないか?」

「いえ特には……もう随分とこの姿にも慣れました」

「そうか。まぁどう見ても少女にしか見えないな、確かに」


 グエン様は楽しそうに小さく笑った。

 だがグエン様の言葉にすかさずユリシア様が口をはさんだ。


「グエン?」


 咎めるような口調。


「一応今はルノワール、ってことになってるんだから」 

「おお、すまんな。そうかルノワールか」

「そうよ」


 まぁ確かに外でルーク、などと言われようものならば、僕とて困ってしまう。 

 事情を知っている人には、僕の名前ぐらいは徹底してもらう必要があるだろう。

 

(というか結構な人数が僕が女性になっているという事情を知ってるんだなぁ)


 少しばかり困惑していると、僕の表情を何気ない振る舞いで、観察していたグエン様が口角を吊り上げた。


「なに、心配するなルノワール。もうこれ以上、お主の秘密を知る者が増えることはあるまいよ。お主がヘマさえしなければ、じゃが」


 グエン様が僕の考えを見透かしたように言った。

 いや、ように、ではない。

 事実彼は僕の思考を読んだのだ。


「……グエン様に隠し事は出来ませんね」


 思わず苦笑を洩らした。

 グエン様はなにも心読のゲートスキル、といった特異な能力を有している訳ではない。

 僕の瞳の動き――眼球運動や虹彩の変化など――や、頬の筋肉の動き――表情筋や様々な随意筋、不随意筋の弛緩具合や緊張具合など――、発汗量や手の動き、そして何気ない素振りを観察し、前後の会話の文脈から推察することで、心の中で考えていることを当ててみせたのだ。


「感情というものは顔によく現れる」

 

 とはグエン様の言。

 すなわち経験に基づくスキルだ。

 十重二十重に繰り返される貴族社会や戦場での腹芸や交渉、その末に身に付いた彼の技術だった。


「とはいえ、相手の思考をいつでも読める訳でもなければ、心の底まで読める訳でもない。初対面であれば、精々嘘を吐いているか、そうでないかが分かるぐらいだ。経験を積めば、ルノワールも他人の思考をある程度までは読めるようになる。そして逆に相手に思考を読まれないような技術を身につけることもできる」


 そこで彼はチラリと横目でユリシア様を見た。


「現に儂もユリシアやマリンダの思考は読めん」

「あらま、急に褒められたわ」

「お主とマリンダは自慢の弟子じゃからな。まぁ……戦闘力では随分と差をつけられてしまったのは悲しいがの」


 冗談めかしたように言い、グエン様は笑った。

 確かに単純な戦闘能力ではユリシア様やマリンダにグエン様は劣っているだろう。それは事実だ。

 しかし戦術眼や経験に基づく知恵、広範な知識、心理的な駆け引きや強かさ。

 そして多岐に渡る様々な物事に対する技量や積み上げてきた人脈は未だグエン様に軍配が上がる。


 いくらマリンダに人並み外れたカリスマがあるとはいっても、比較的年齢の若い者の多い紅牙騎士団ではグエン様のような人間は必要だ。

 間違いなく組織の屋台骨となっている比類無き重要人物である。


「それで……今日は一体どのような目的でいらしたのですか?」


 僕は聞いた。

 王国の現状を鑑みれば、ただの世間話をしにやって来たとは思えない。

 それにリィルを伴うこともなかったはずだ。

 彼女が居ると言う事はつまり、騎士団がらみの話なのだろう。


「今日はルノワールに頼みがあってきた」

「頼み……ですか?」

「ああ。メフィル嬢の護衛最中だということは分かっているのだが……近々予定している作戦に参加してもらいたい」


 グエン様は真剣な表情で僕に言った。


「まずは状況を説明しよう」


 言いつつ懐から地図を取り出すグエン様。

 それはミストリア王国内の地図であり、アゲハから南西の方角にある『デルニック』という街に×印が書かれていた。


「先日デルニック周辺に傭兵団の姿が確認された」

「傭兵……ですか?」


 一度頷き、重厚な声音で彼は言う。


「しかも『スレイプニル』だ」


 その言葉に僕は少なくない衝撃を受けた。


「な……っ」


 傭兵団『スレイプニル』。

 大陸中央部では有名な傭兵団だった。

 非常に好戦的な団員が多く、数々の戦場で暴れまわっている危険極まりない連中だ。


「ま、待ってください」


 そして特に危険なのが――、


「まさか……ドヴァンが王国内に?」

「ああ、まず間違いない」


 ――傭兵団スレイプニル団長ドヴァン。

 凶悪な性格と圧倒的な実力で大陸を渡り歩いている男で、『戦鬼』と呼ばれることもある程の危険人物だ。

 打ち立てた武功は数知れず。

 大陸において最も有名な傭兵の一人だろう。

 僕は実際に対峙したことはないが、大陸を旅している時に何度かその名は耳にした。その強さも。


 だがおかしい。


「なぜミストリア王国に?」


 スレイプニルほどの傭兵団であれば、帝国が近々戦争に踏み切ることは情報として知っているはずだ。

 そして戦場は傭兵にとっては稼ぎ場所以外の何物でもない。

 普通ならば帝国へと向かうはず。


 それだけではない。

 そもそもミストリア王国の人間は余り傭兵を雇うことがない。貴族達はそれぞれ自前の騎士団を持っている場合がほとんどだからだ。

 僕達紅牙騎士団だってユリシア様の個人的な騎士団である。更に言えばミストリア貴族は乱暴者の多い傭兵を嫌う傾向があった。

 一体何故スレイプニルはミストリア王国に?

 

「現状誰が雇ったのかもわかっていない。だが奴らがデルニック周辺に居座っていることだけは確かだ」

「まさか……スレイプニルと一戦交えるつもりですか?」


 目を見開いて、僕は言った。

 スレイプニルの構成人数は有に100人を超えているはずだ。

 対する僕達紅牙騎士団は元々の人数が多くない上に、現在半数以上が帝国へ潜入中である。

 また、例え王国内にいる騎士団員であっても遠方で活動中の人間も多い。

 デルニックでの戦場に参加出来る騎士団員は10名にも満たないのではないか。


 騎士団最大戦力であるマリンダもいないのだ。

 ドヴァンの実力は未知数だが、強敵なのは間違いがない。

 それ以外の傭兵にしても数多の戦場を駆け回ってきた猛者たちのはず。

 以前お嬢様の誘拐を企てたミストリア貴族の刺客とは比べ物にならない実力を持っているだろう。

 いくら紅牙騎士団が有能な人材を揃えているとはいえ、多勢に無勢。勝ち目があるとは思えない。


 僕が指摘すると、


「いや、現在デルニックにいるスレイプニルの人数は20人ほどらしい」


 とグエン様が言った。


「とはいえ……それでもルノワールの指摘の通り、危険極まりない。相手にドヴァンがいる以上は勝算も高くはない」


 しかし。


「放っておくことは出来ない。これ以上国内を乱されるわけにはいかんのだ」


 断固たる口調で彼は言った。


「それは……確かに」


 未だに帝国に対する具体的な対策は講じられず、責任回避と保身に走る貴族や宮殿。

 友好条約を頭から信じ込んでいる訳ではないだろうに、長いこと国家規模の戦を経験していない国故に足並みは揃わず、状況だけが移り変わっていく。

 帝国の間諜も間違いなくミストリア王国に潜入してきているはずなのだ。

 敵側が何らかの工作を行なっている可能性もある。 

 

(それにスレイプニルが関係していないとどうして言えようか)


 一度ドヴァンに火が付けば、甚大な被害が齎されるのは間違いがないのに。

 それだけ危険な男なのだ。


「まずはどういう経緯で王国にやってきたのか、一度儂が話をしてみようと思う。何故少人数で行動しているのかについても探りを入れたい」

「……危険では?」


 僕は言ったが、グエン様は顔色一つ変えなかった。


「無論、危険だろう。しかし必要なこと。もしかしたら戦闘を回避できるかもしれぬしな」


 僕は確認するように言う。


「つまり状況次第では敵と交戦し……」

「あわよくばドヴァンを生きたまま捉えたい。それが可能なのは現状お前さんだけだろう。マリンダはおらんしな。儂ではおそらくドヴァンには勝てぬ」


 ミストリア王国に居座る凶悪かつ不気味な傭兵団。

 とにもかくにも情報を得るためには行動しなければならない。


「もしも状況が悪くなったときには……」

「ルノワールの転移で離脱する。例え戦闘が優勢に進んでも深追いは決してしない。スレイプニルは一筋縄ではいかない連中じゃ。傭兵というのはいつだって生き残るために、いくつもの準備をしておるものだしな」

「……」


 なるほど。

 状況は分かった。

 僕はグエン様の隣で話を聞いていたリィルに視線を向けた。


「リィルも参加するの?」

「はい。一人でも戦力が欲しい状況ですから」

「そっか」


 続いてユリシア様を伺う。


「メフィルお嬢様は……」

「グエンの言う通り、スレイプニルは非常に危険な連中だからね。わたしとしてもルノワールには作戦に参加して欲しい。貴女とグエンがいれば最悪の事態にはならないでしょうし。まぁ日程は休日に合わせてもらえると助かるわね。その日はメフィルには屋敷にいてもらうわ」


 逆に言えば。

 この作戦は最悪の事態を招く可能性があるということだ。


「……」


 しばしの黙考。


「……分かりました」


 結局頷き、僕はグエン様に尋ねた。


「作戦開始は何時頃からですか?」

「具体的な日程はまだ決まっておらん。騎士団員も集まっておらんしな。リィルを通じて連絡は入れるようにしよう」

「分かりました」


 その後グエン様といくつかの注意点を話し合い、その日はお開きとなった。

 最後に彼は申し訳なさそうな顔で呟いた。


「すまんな、ルノワール。わざわざ呼び寄せるような真似をして」

「いえ、グエン様。騎士団の一員である以上、その役目は果たしたいと思います」

「……そうか。そう言ってもらえると助かる」


 そう言うグエン様の顔は憂いを帯びていた。

 もしかしたらグエン様もディルのような考えを抱いているのかもしれない。


「ではルノワール、また会おう」

 

 グエン様が一礼すると、リィルもそれに倣う。

 二人はそのまま屋敷を後にした。


「……」


 山狗。

 傭兵。

 姿の見せない敵魔術師。


「……」


 ゆっくりと。

 しかし確実に争いの足音が迫ってきているのを僕は感じていた。






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