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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第三十七話 ダイア

 

 山狗に襲われた翌日。


「怯えている、ねぇ」


 執務室で僕はユリシア様と向き合って会話をしていた。

 この場にいるのは二人だけ。

 内容は件の山狗についてである。


「はい」


 結論から言うと山狗は屋敷の人間に対して敵意を見せることはなかった。


 それどころか。


「餌やりに向かったイリーさんの姿を見た途端に怯えて後ずさってしまうほどです」


 山狗は過剰なほどの恐怖心を人間に対して覚えているらしく、逃げるばかりなのだ。

 とてもではないが襲ってくるどころではない。


「……よっぽどひどい目に合ったのかしら」


 ポツリとユリシア様が呟く。

 僕は彼女の言葉に静かに頷いた。


「おそらく」

「そう。あと……あの山狗が操られていた、という話だけど」


 今回の一件で最も重要な点。

 あの山狗は何者かの魔法具によって洗脳に近い状態にあった。

 それも状況から推察するに間違いなくお嬢様を標的にしていたように思える。


「これを見て頂戴」


 ユリシア様が手にしていたのは3枚のチケットだった。

 チケットに記された名前を見て僕は目を見開いた。


「あのサーカス公演のチケット、ですか?」

「そうよ」


 彼女が持っていたのは、山狗ショーを企画していた、あのサーカス団の公演チケット。


「これをどこで……」

「昨日の夕方にエトナが街で譲ってもらったそうよ。なんでもメフィルがサーカスを見たがっているらしい、と吹き込まれたようね」

「それって……」

「特に予定のない休日。わざわざ屋敷の使用人が用意してくれたサーカスのチケット。本来なら今日の公演最中にメフィルを襲うつもりだったのでしょう」


 静かにチケットを見下ろす。

 陽気なサーカス団の絵が描かれたチケットが急に恐ろしい物に思えてくる。


「……」

「しかもエトナにチケットを渡した商店のおばさんも、別の誰かから、エトナにチケットを渡すように頼まれたらしいわ。目深なフードを被った青年に頼まれたらしくて顔までは覚えていない、って」


 メフィルお嬢様に迫る魔の手。


「まぁ確実性には乏しい策だとは思うけど……もしかしたら、こういった罠が色んな場所に仕掛けられているかもしれないわね」


 分かってはいたことだが……実に腹立たしかった。


「まぁそちらに関しては可能な限り調査をわたしの方で進めるわ。今回も貴女のおかげでメフィルには何事もなかったわけだし」


 そこでユリシア様は執務室の窓から庭へと目を向けた。

 その視線の先にあるのは山狗の結界だ。


「操られていた……ねぇ」


 含みのある声音だった。

 僕には彼女の危惧している事が分かる気がした。

 洗脳というのはそれほど簡単なものではないのだ。


 魔術で相手の肉体を強制的に動かすことは不可能ではない。

 しかし体内には常に対象者の魔力が渦巻いており、外からの力に対して大きな抵抗力を持つ。

 それはよほどの力量差があっても、そうそう簡単に覆せるものではない。


「魔法具の補助があったとはいえ……あの山狗の魔力はかなりのものでした」


 しかも今回は人間相手ではなく、あれほどまで大きな力を持った山狗を相手にして、だ。

 それも単純に肉体の一部を操るだけではなく、お嬢様を狙うように暗示を、すなわち明確な意図を持たせた催眠効果まで及ぼしていた。


「……」


 ユリシア様は黙って思案していた。

 意味ありげに僕の顔を見る。

 おそらく考えていることは同じだろう。


「お嬢様を狙った魔術師も、半ば錯乱した様子だったと伺っています」


 僕が確認をするように口にすると、俄かにユリシア様の眼光が鋭くなった。


「……」

「目的といい、手段といい……おそらく同一人物によるものではないかと」

「わたしもそう思うわ」


 あそこまで見事な洗脳を行える魔術師がそうそう何人もいるとは思えない。専門ではない以上、僕やユリシア様であっても難しいだろう。


「洗脳のゲートスキル所持者かもしれません」

「……可能性はあるわね」


 もしも。

 一等級魔術師や山狗を洗脳状態にすることが出来るほどの魔術師が敵側にいるのならば、今回の山狗の件も、以前お嬢様を襲った男の行動にも全て合点がいく。

 

 そして敵の目的は、お嬢様に害を為すこと。

 ひいてはユリシア様に対する牽制だ。


 つまり最悪の場合。


「屋敷の人間が操られる可能性もある、ということね」

 

 目的を考えれば屋敷の人間に何らかの洗脳をかけることが最も効果的だろう。


「それを私も危惧しています」

「……どうすればいいと思う?」


 ユリシア様の問いかけに、あらかじめ考えていた対策法を僕は話した。


「まず第一に、これから外出する際には必ず二人以上で行動するようにします。単純な方策ですが、一人よりも格段に安全性は向上するでしょう」

「それはそうね」

「次に、外出する時には目的はもちろんのこと、だいたいどれぐらいの時間に帰ってくるか、帰宅時間を報告してもらいます」

「何故?」

「あれほどの洗脳となると、ゲートスキルであっても瞬時に行えるとは思えません。もしもそんなことが可能ならば、初めからメフィルお嬢様を洗脳の標的にするでしょう」


 それが最も簡単な方法のはず。

 とすれば、敵の洗脳も完全無欠では無い、ということだ。


「人間の意志力と魔力抵抗力というのは、例え幼い子供であっても頑強なものです。ですので」


 洗脳魔術を施すには……相応の時間が必要なのだろう。


「予定帰宅時間から大きく遅れていた場合……洗脳が行われた可能性がある、と考えて注意を払う、というわけね?」


 そういった点を考慮すれば、敵が今まで屋敷の人間を洗脳の対象にしなかった理由にも合点がいく。

 リスクが高い上に、屋敷の人間ともなると単純に洗脳をかける機会が乏しい。


 しかしそれでも敵が形振り構わなくなれば、状況が変化する可能性はある。


「身内を疑うのは辛いですがその通りです。そしてユリシア様か僕。もしくはビロウガさんかシリーさんであれば、洗脳状態を解除することが可能でしょう」


 一息に言い終え、僕はユリシア様の様子を伺った。

 端正な面立ちが険しい表情に彩られている。

 彼女は数瞬の思考を経て、すぐさま判断を下した。


「そうね。今のルノワールの意見を全面的に尊重しましょう。今夜中にでも全員に通達するわ」

「わかりました」


 それから、とユリシア様は言った。


「今日の夜に客人が来るわ」

「客人……ですか?」

「ええ、そう。貴女にも同席してもらうから、夜に出かけたりしないでね?」


 ユリシア様が屋敷に招くとは珍しい。

 とはいえ僕としても何か不都合があるわけでもない。


「承知致しました」


 恭しく一礼し、僕は再び山狗の元へと向かった。




   ☆   ☆   ☆ 




 イリーさんと合流し、そのまま山狗の結界前までやってくる。

 危険だとは思うが彼女はどうしても自分が餌やりをしたいといって聞かないのだ。


「ほ~ら、ダイア~。ご飯だよ~」


 ダイア。

 それがイリーさんが山狗に付けた名前だった。


(相変わらず宝石なんだなぁ)


「むむ~」


 ダイアはやはりイリーさんのような少女に対しても恐怖心を覗かせる。

 現に今も怯え後ずさり、結界の端から動こうとはしなかった。

 じっとこちらを見つめているものの、その場から動く気配は無い。


 ただ。


「ほら、怖くないよ」


 僕がそっと手を伸ばすと、おずおずといった様子ではあったが、ほんの少しだけ近くまでやってきた。


 どうやらダイアは洗脳魔術を解いてくれた僕に対してだけは幾分か心を開いてくれているようなのだ。

 恐らく僕がダイアを解放した人間だとしっかり理解しているのだろう。


 メフィルお嬢様もイリーさんもダイアのことを気にかけている。

 僕としても屋敷の皆に危害さえ加えないのならばダイアを邪険にする理由はなかった。


「よし、いい子」


 結界の中にそっと餌を入れる。

 ビクビクとした様子はとても、かの恐ろしい魔獣たる山狗とは思えない。

 これでは道端で捨てられた子犬そのものだ。


 なんとなく。


「……」


 僕は結界の中へ足を踏み入れた。

 万が一ダイアが僕に襲いかかってくるようなことがあってもいいように、いつでも迎撃出来る態勢だけは整えておく。


 だけどダイアは動かなかった。

 真っ直ぐに僕を見つめている。

 その瞳を見つめ返しながら僕はゆっくりと近づいていった。


 手で触れることの出来る位置まで移動し、そっと右手を差し出す。

 ゆっくりと首筋を撫でてやると、ダイアはほんの少しだけ身じろぎした。


 ダイアは決して嫌がらなかった。

 むしろ、どこか安心した様子で瞳を閉じている。


「なんだかなぁ……」


 お嬢様を襲った凶悪な魔獣。

 始めはそう思い警戒していたのだけれど。

 今の有様を見ていると、とてもそんな危険な存在には思えない。

 むしろ僕に懐いてくれているのが分かって素直に嬉しいとさえ感じた。


(この子に家族はいたのだろうか)


 いや……例えいたのだとしても、今は会う術がない。


「寂しいよね……」


 気持ちを伝えるように、そっと語りかけた。

 すると小さくダイアは鳴いた。

 まるで泣いているような、か細い声だった。


 しばし無言でダイヤと抱き合う。


 ダイアから離れた時、名残惜しそうな視線を向けられたが、僕とてやることがある。


「また来ますよ」


 手を振り微笑みながら、背を向けた。


「行きましょう」


 そして結界の外に居た、イリーさんにそう声をかけると。


「ぶ~」


 怒ったような、拗ねたような。

 そんな表情で僕を見上げるイリーさんと目があった。


「い、イリーさん?」

「ルノワールさんだけズルいですっ」

「えぇっ!?」


 な、何がですか?


「わたしもダイアに触ってみたいですっ」


 あ、あぁ、そういうことか。

 一応この結界は僕以外の人間が間違って入ってしまうことが出来ないようになっている。

 要するにダイアは出てこれないし、屋敷の誰かが結界に入ることも出来ない。


「危ないからダメですよ」


 僕が少しだけ強めの口調で言うと、ますます頬をふくらませてしまう。


「わかってますけど……」


 振り向き、ダイアを見るイリーさん。

 しかしイリーさんに視線を向けられただけで、ダイアは餌を食べるのを止めて逃げるようにして後ずさってしまう。


「……」

「そっとしておいてあげましょう」

「……」

「時間が必要なんです、きっと」

「……はい」


 やがてゆっくりとイリーさんが言った。


「ダイアは人間に苛められていたんですか?」

「おそらく……ですけれど」

「でもでもダイアって強いんですよね?」


 ダイアは強い。

 それは間違いない。

 山狗はただでさえ大きな力を持った魔獣だけれど、特にダイアは山狗の中でも飛び抜けて強力な個体だ。でなければわざわざ洗脳対象には選ばれないはず。


「もっと強い人間が……ダイアにひどいことをしたんでしょうね」

「そう……なんですか」


 寂しげにイリーさんは俯いた。


「どうして……」

「えっ?」

「ルノワールさんや奥様は大きな力を持っていても、こんなに優しいのに」

「……」

「……可哀想」


(優しい……か)


 でも僕は生まれながらに優しかったわけではない。

 むしろ僕はひどく残酷な人間だった。

 今の僕の振る舞いが優しく見えるのならば、それはマリンダの教育の賜物であることに疑いの余地はない。


 イリーさんの方が……僕よりもずっと純粋で優しいだろう。


「いつか」


 顔を上げてイリーさんは言った。


「わたし達にも心を開いてくれる日が来るでしょうか」

「……そうですね」


 彼女の優しさがあれば。


「イリーさんが本気でダイアのことを思っていれば。いつか必ずその気持ちは伝わると思います」


 根拠がないわけではない。

 山狗というのは非常に賢い魔獣なのだ。

 彼らは人間の気持ちを敏感に察することが出来るし、話している言葉も完璧ではないにしろ、理解することが出来る。


 ちゃんと心を通わせることが出来るのだ。


「わたし……頑張りますねっ!」


 決意を新たにしたイリーさんが、小さな拳を振り上げる。


 その姿を目を細めて僕は見つめていた。






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