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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第三十五話 山狗

 

 さて。

 ノース・ドームに着いた私達だったが、ドーム入口へやってくるとサーカス団の紹介らしい大きな立看板がまず目に入った。

 演目のリストの一部も公開されており、どのような出し物が用意されているのかも確認することが出来る。

 私自身サーカスを実際に見たことはなく、物珍しさも手伝い演目を眺めていると、俄然興味が湧いてきてしまった。

 カミィには冗談でサーカスが気になる、などと言った私だったが、なんだか本当に面白そうだ。

 

 と、そこで私は演目のリストの中に見慣れない単語を発見した。


「山狗?」


 演目の終盤辺り。

 山狗ショーなるものが用意されていた。

 

「山狗……ですか」


 私の声に反応したのはルノワール。

 彼女は何か思うところがあるような表情をしていた。


「ルノワール、山狗って?」


 私も名前だけは聞いたことがある。

 確かかなり危険かつ獰猛な魔獣の一種だった筈だ。

 私が尋ねるとルノワールは柔らかな笑顔、ではなく、どこか真剣な表情で口を開いた。


「山狗はその名の通り山に生息する魔獣の一種です。姿形はオオカミによく似ていて、一節にはオオカミが魔力を持ち突然変異した種であると言われています。群れで行動することが多く、非常に高い知能と戦闘能力を有しています。ある山の昔話では群れた山狗はドラゴンを凌駕する、とすら言われてる程です。個体数もドラゴンより多いですし。山の王者と言われることもある魔獣ですね」

「……そんな危険な魔獣がサーカスに?」


 私が問うと、ルノワールは顎先に手を当て、思案顔になった。


「そう……ですね。例えば偶然見つけた幼い山狗を育て懐かせたか……もしくは能力の低い個体を捕獲して調教したか。どちらにせよ難しいとは思いますが、本当に山狗を完全に飼い慣らしているとしたら結構すごいことですね」

「へぇ」


 むむ、好奇心がムクムクと刺激される。

 なんせ私は山狗を見たことがない。


「ふぅん。なんだか本当に面白そうね。興味出てきたかも。ちょっと覗けないかな?」

 

 私が言うと、賛同の声が上がった。


「賛成!」


 どうやらカミィも私と同じような心境だったらしい。


「まぁ開演前だし難しいと思うけど……」


 言いながらドームへと足を踏み入れる。

 ドーム内は清潔感が保たれており、立派な建材によって支えられた壁や天井は頑健そのもの。これだけ大きな建物だというのに、崩れそうな気配は全くない。


 廊下を歩き、2階へと上がる階段へ向かう途中。

 関係者以外立ち入り禁止の区域から、ガラゴロと音が聞こえてきた。

 何やら台車を引きずっているらしい。


 遠目に私がなんとなく音のした方角へと目を向けると、そこには巨大な檻があった。

 檻には中を隠すように布が被せられていた。


 中からは微かに唸り声が聞こえてきている。

 どうやら動物か何かを運んでいるらしい。

 それにしても頑丈そうな檻だ。

 

(一体中には何が……)


 檻が曲がり角に差し掛かったその時。

 

 風にあおられ、布がはためき、一瞬だけ中の生物の姿が目に入った。

 

 檻の中にいたのは私が見たこともないほどの大きな犬、いやオオカミだった。

 額には他者を威圧するかの如き鋭い一角。

 いかにも頑健そうなアギトの隙間から除くのは獰猛な牙。

 反射的にその存在に萎縮してしまいそうになる。


 そんな私の反応を察したルノワールがそっと私の肩に手を置いた。

 なんとなく私は彼女の顔を見上げる。

 するとそこには、驚愕の表情をした従者の姿があった。


「馬鹿な……」


 思わず、といった様子で言葉を零すルノワール。

 その表情を眺め、私も驚いた。


「えっ?」


 ルノワールの視線の先。

 そこにあるのは巨大な檻。

 彼女はその中の生物を見ていた。


(ひょっとしてあれが山狗?)


 ここまで思考を働かせた時――山狗の視線が私の視線と交わった。


 思わず視線を逸らしたくなるほどの恐ろしい瞳が私を射抜く――その瞬間、だ。



 檻が木っ端微塵に破壊された。



「ぐるぉおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」


 響き渡るは周囲の全てを威圧する雄叫び。

 力を放つは巨大な体躯。

 光り輝く額の一角から迸るは魔力の奔流。

 

 その魔力の奔流に抗うこと敵わず檻に張り巡らされていた筈の結界は吹き飛んでしまっていた。


 逡巡する間もあればこそ。

 

 山狗は一直線に私に向かって飛びかかってきた。

 私を含め、周囲の誰もが突然の出来事に呆然とし、山狗の放つプレッシャーに気圧されたように微動だに出来なかった。


 ただ一人。

 私の従者を除いて。


「……お嬢様はそのまま動かずに」


 動かず、というよりも動けなかったが、私の返事を待つこともなくルノワールは山狗と対峙した。

 たった一言。

 ルノワールの言葉を聞き、彼女が私の前に立っただけで、自分でも驚く程に恐怖心が薄れていく。

 相手はルノワールよりも遥かに巨大で恐ろしい見た目をしている。

 だけど私には彼女が山狗に負ける姿を思い浮かべることが出来なかった。


 まさに一瞬で私との距離を詰めた山狗であったが、何やら見えない壁に阻まれたらしく、動きを止めた。

 煩わしそうな表情をしている。

 おそらくはルノワールの結界が邪魔をしたのだろう。

 すかさず山狗の額の一角が一際強く輝き出した。


「ぐがぁあああああああああああああっ!!」


 雄叫びと共に激しい雷撃が繰り出される。

 その雷撃の余波が周囲に舞い、その一部が微かに壁に触れた。鈍い音と共に、僅か一瞬触れただけで、壁は焼け焦げ大穴が穿たれていた。

 

(なんて威力!)

 

 私が驚愕している間にも雷撃が結界に直撃する。

 ぶつかり合う力と力。

 激しい衝撃波が吹き荒れ、振動が私の身体を揺さぶった。


 そして。


 ルノワールの張った結界が雷撃によって弾け飛んだのが分かった。


 思わず声を上げそうになった私だったが、ルノワールの表情は平静そのものだった。


「……」


 山狗が破壊した結界。

 しかしその最初の結界が破壊される頃には既により強力な結界が完成していた。

 しかも今度は一方向ではなく、山狗の周囲全てを覆い尽くしている。 

 

「悪く思わないでね」


 言いつつルノワールから強大な魔力が湧き上がる。

 それは山狗の放つ魔力以上に強大かつ凄まじいプレッシャーを放っていた。

 以前ディル達を前にして見せた時と同じ、圧倒的な力の波動がルノワールの全身から感じられる。

 山狗も何かを感じ取ったのか。

 顔を背け、体を捻ろうとするも、結界に阻まれ逃げ道が無い。


 そして。


 第2陣の結界内が激しい光の乱舞で満たされた。


「がぁああああああっっ!!」


 結界の外まで響く音声と衝撃。


「っ! さすがに強いですね!」


 結界内でルノワールの魔術に抵抗する山狗。

 おそらく並の魔術師だったら即死間違い無しだろう威力であっても山狗は怯まない。抵抗の雄叫びと魔力の奔流が結界内で荒れ狂っていた。


 が、それもすぐさま沈静化した。

 数秒の後、光は止み、残されたのは全身にダメージを受けた山狗の姿のみ。

 しかし山狗は決して倒れない。

 未だその眼光には闘志の色があった。

 その堂々たる立ち姿からは貫禄すら感じられる。


 それでも山狗は先程のように無闇に襲いかかってはこなかった。いやもしかしたら動けないのかもしれないけれど。

 じっとこちらの様子を窺っている。

 おそらくルノワールが自分以上の強者であると理解したのだろう。


「ぐるるっ」


 先程までの威圧的な声と比べると幾らか弱々しい声で山狗は威嚇した。

 しかしそれには構わずルノワールは山狗にゆっくりと近づいていく。

 彼女は言い聞かせるように、優しく言った。


「動かないで」


 何をするつもりなのだろうか?

 この場にいる誰も彼もがルノワールの動向に注目していた。

 そして何故か。

 まるでルノワールの言葉を理解したかのように、山狗は微動だにしなかった。


「これか」

 

 ルノワールはそっと山狗の額、そこにある一角に触れた。

 より正確にはその角に嵌っている一つのリングに手をかける。

 よくよく観察してみると、山狗の角だけではなく、四肢の全てにも同じようなリングが嵌っているのが分かる。

 

「今外してあげるから」

 

 山狗は抵抗しなかった。

 いや、もしかしたら出来なかったのかもしれないけれど。

 ルノワールはそのリングが抜けないと判断するや、手のひらに魔力を込め、躊躇なく破壊した。

 

「ルノワール、それは……?」

「おそらく拘束具の一種でしょう」

「それって……外してしまってもいいの?」

「……何が仕込まれているか分かりませんから」


(……どういう意味かしら?)


 私には彼女が何を心配しているのかが分からなかった。

 しかしルノワールが言うからには恐らく大丈夫なのだろう。

 やがて全てのリングを外し終えたルノワール。

 リングを外された山狗は疲労感やダメージも響いているのだろう。大人しくなり、ゆっくりと床に寝転んだ。


 そして、私は衝撃的な光景を目にした。



 泣いていたのだ――山狗が。



(この子……)


 静かにひっそりと涙を流しながら倒れた山狗に私が思わず一歩近づこうとしたその時。

 

 メインホールの方から男性がやって来た。

 40代と思しき中年の男は肩をいからせながらずんずんとこちらへと歩いてくる。

 サーカスのスタッフの一人と思しき青年が中年男に向かって叫んだ。


「あ、座長!」

「おいっ! いつまで待たせる気だ! さっさと山狗を……あん?」

  

 どうやら彼がサーカス団の座長らしい。

 周囲の様子を視界に入れ、何やら思案顔になる男。

 彼の視線がリングを破壊したルノワールに移った途端に彼は激昂した。

 顔を真っ赤に染め上げ、怒りの表情でルノワールに詰め寄る。


「おい! 貴様何をやってる! こいつはうちの商売道具だうぐぁっ!!」


 だが。


「そうですか。では話を聞きましょう」


 詰め寄ってきた男の襟首を乱暴に掴み、ルノワールは冷たい眼差しで告げた。

 

「状況を説明します。貴方の商売道具であるこちらの山狗が私達に襲いかかり、あわや公爵家の令嬢に害が及ぶ寸前だったのですが……何か釈明がありますか?」


 ルノワールがそう言うなり、先程まで紅潮させていた顔を瞬く間に青くした座長はサーカス団関係者だろう山狗を運んでいた人間に目を向けた。


「ほ、ほんとか!?」

「は、はい、その。急に結界が全て壊されて! 俺達だってこんな訳のわかんないことになるなんて!」


 その言葉に座長は絶望的な表情になる。


「お、お前ら……せっかくアゲハで仕事が出来るというのに……どうしてくれる!」

「だからあんな変な依頼を受けるのは止めようって言ったんですよ!」


 一人の青年が台詞を言い終わるや否や、ルノワールは座長に詰め寄った。


「変な依頼、とは何ですか?」

「うっ……それは」


 答えを待つことなくルノワールは言った。


「この山狗は貴方達が調教したのではなく……つい最近頼まれたのではないですか? サーカスの目玉になるから、と。このリングが装着されている限り、逆らえないと聞かされていたとか」


 ルノワールのこの言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。


「なっ! なぜ分かる!?」


 やはり、と呟き、ルノワールは続ける。

 彼女は座長の問いに答える気は無いらしかった。


「それはさておき……依頼者が分かりますか?」

「し、知らん!」

「……本当に?」

「ほ、本当に本当だ! そうだ! 金回りだけは随分と良かった! 山狗を使ってサーカスを開演するだけで王国金貨100枚ときた!」

「それに目がくらみ?」

「実際にあの山狗は俺達に逆らえない様子だった! しかも目玉にもなる。金も入る! 座長として断る方がどうかしているだろう!?」

「……」

「それがこんなことになるなんて!」


 泣き叫ぶような悲痛な声音で座長は言った。

 

「……」


 しばし黙考したままのルノワール。

 

「依頼者から預かったのは山狗だけですか?」

「? あ、あぁそうだ」

「そうですか」


 座長の襟首を放したルノワールが私の元へとやってくる。


「お怪我はありませんか?」


 それは先ほどまでの冷たい声音ではない。

 いつもの優しい彼女の声だった。


「貴女がいる以上は大丈夫でしょう」


 私がそう言うと、ルノワールはカミィ達の方へと顔を向けた。


「カミーラさんとマルクさんは……」

「あ、あぁ……俺とカミィも大丈夫だ」


 なんとか返事を絞り出したのはマルク。

 カミィは未だ茫然自失といった様子だった。

 まぁ無理もないと思う。

 

 ふと私は山狗に目を向けた。


「あの子はもしかして……操られていたの?」


 私がぼそりと呟くと、ルノワールがそれに答えた。


「ええ。間違いありません。しかしあれほど強大な個体を操るとなると普通の魔術では難しいでしょう」

「あれは弱い個体ではないの?」


 確かルノワールは子供を調教するか、弱い個体ならどうのと言っていた気がするけど。


「とんでもありません。この子は普通の山狗の3倍ぐらいの大きさをしていますよ。魔力も一般的な個体ではありえません。間違いなく群れのボス格です。ここまで強力な山狗は私も初めて見ました」

「ルノワールでも操れない?」

「私はあまり洗脳系は得意ではありませんので。いえ、例え得意であったとしても普通の魔術では難しいでしょう。何か特別な儀式か薬品……もしくはゲートスキルの可能性も否定出来ません」

「……そう」


 なんだかそう考えると。


「ちょっと……可哀想ね」


 この子は望まれてここに居るわけではないのだろう。

 本当ならば山で伸び伸びと暮らしていたはずだ。


「この子はどうなるのですか?」


 気づけば私は座長さんにそう聞いていた。


「あぁ!? こんなやつは警備軍にさっさと引き渡す! おっかなくて近くに置いておけるか! 近い内に処分されるだろうよ! なんなら今ここで……」


 自棄になり山狗へと近づいた座長さんを止めるように私は口をはさんだ。


「なら……」


 何故かするりと。

 言葉は自然に私の口から紡がれた。


「私にこの子を頂けないでしょうか?」

 

 

 



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