第三十四話 寄り道
学院からの帰り道。
『ミルキーロード』に寄って行こうとカミーラさんが提案した。
ミルキーロードとは学院から歩いて15分ほどの距離にある、若者向けの商店街の名称だ。
王都アゲハの北側、すなわち貴族たちが多く暮らす区画にしては珍しく、この商店街には平民の若者も訪れる。
お洒落な通りの割にはリーズナブルな価格帯の商店が多いため、平民にとっても敷居の低い北側区画の一つとなっているのだ。
この場所の若者特有の活気はセントラルロードの市場にだって引けを取るものではなかった。
僕とお嬢様は了承したが、リィルは所用があるとのこと。
なんでも今日は寮に住んでいる先輩達が新入生の歓迎会を催してくれるらしい。
一人仲間はずれは可哀想だとメフィルお嬢様は思ったのだろう。
それではまたの機会に、と提案したのだが、カミーラさんはどうしても今日行きたいらしい。
訝しげな表情をするお嬢様だったが、ミルキーロードは別に逃げはしない。また後日リィルも交えて向かえばいいと思い直し、カミーラさんの提案を了承した。
そして。
美術部でステラ先輩と別れた後にリィルは寮へと戻っていき、僕とお嬢様はカミーラさん、マルクさんと一緒に王都の街並みを眺めつつ歩いていた。
「……」
「……さっきから何よ」
お嬢様は呆れたような声音だった。
突然お嬢様に話しかけられ、カミーラさんはビクリと身体を震わせる。
「はっ!? な、なんでもないわよっ!」
あたふたと、動揺するカミーラさん。
そんな彼女を横目で見ながらお嬢様が素っ気なく呟いた。
「……あっそ」
そう言うと。
「むぅ……」
カミーラさんは見るからに不満そうな様子で、頬を膨らませた。
メフィルお嬢様とカミーラさんが横並びになって歩き、一歩下がって僕とマルクさんは主人に続いていた。
先程からカミーラさんはチラチラとメフィルお嬢様を見ては難しい顔をして、うんうんと唸っている。しかし視線を気にしたお嬢様が声を掛けると困り果てた様子でむくれてしまう。
そんな光景が、かれこれ10分ほど目の前で繰り広げられていた。
(え、えぇと……)
あれはお嬢様じゃなくても戸惑ってしまうと思うなぁ。
目の前の少女二人を見ている僕は複雑な表情をしていると思う。
しかし隣に目を向けてもマルクさんには全く気にした様子はなかった。
彼に聞いても、
「あいつはいつもああだ」
と答えが返ってきた。
相変わらずのぶっきらぼうな口調だ。本音を言わせてもらうと実に執事らしくない。
とはいえ、お嬢様の友人の付き人である。
マルクさんはお嬢様とも付き合いが長いらしいし、少し聞いてみよう。
「お二人はいつもあのような感じなのですか?」
正直な話、客観的に見る限りは仲良しには見えない。
少なくとも表面上は。
「……そうだな。カミィは話しかけようとはするけど、何を話したらいいかわかんなくて、オロオロしてるな。なんというか……端的に言ってカミィはコミュニケーション能力ゼロなんだよ」
「それは言いすぎでは……」
「いやいや本当に」
爽やかに言い切るマルクさん。
うーん、ひどい。
「メフィル様以外には親しい友達なんて一人もいないしな。そもそも家の使用人相手ですら上手く振る舞えない奴だし。上の兄貴達が優秀なものだから、家族にも遠慮して縮こまってるし」
「……ミストリア王立学院への入学が認められたならば十分に優秀なのでは?」
「いくら勉強や魔術が得意でも、それを貴族の社会で活かせないなら無意味ってことだろうな」
確かにマルクさんの言うことは正しい気がした。
貴族社会で重要視されるのは何も魔術の才ではない。
如何に上手く駆け引きを行い、自分の利益とするか。誰と関係を持つか。根回しを抜かりなく行えるか。
生き抜くための強かさや交渉術の上手さなどの方が貴族社会では重要なのだろう。
「……そう、なんですか」
僕が少しだけ声のトーンを落として呟くと、彼は唐突に言った。
「だけどメフィル様はカミィのことを誰よりも認めてくれる」
「えっ?」
マルクさんの表情は常と変わらない。
だけど少しだけ。
声に優しさが混じったような気がした。
「勉強も魔術もカミィは全てメフィル様と同じ学院に行くために必死に努力して身につけた力だ。本当の才能は別にある。それも飛び切り優れた才能だ」
「それって……」
「彫刻だ」
やっぱり。
美術室でもカミーラさんはその才覚を発揮していた。
なんでもカミーラさんは既に何度かコンクールで入賞した実績があるほどの彫刻家の卵であるらしい。
お嬢様も彼女の彫刻の技量には一目置いているように見受けられる。
「アゲハは芸術の都なんて呼ばれちゃいるが、それは芸術家と作品の絶対数が多いってだけだ。誰もが熱心に美術を学んでいるわけじゃない。貴族とあれば尚更だ」
確かに。
先の花ノ宮の一件がまさにそれを象徴している。
貴族というのはコレクションをするのは好きだが、それは芸術作品を愛している、というよりも自分のステータスとして所持しているという側面が強い。
芸術家はアゲハには数多く存在するが、実際に作品を手がけている『貴族』となると、ほんのひと握りにすぎないだろう。
「カミィの彫刻の才能にしたってそうだ。家の人達はカミィの彫刻にほとんど興味を示してくれない。貴族のコミュニティではカミィの偏った才能は異端でしかない」
「……」
なんだかマルクさんの声には少しだけ。
怒っているような感情が篭っているように感じられた。
「だけどメフィル様は違った」
目の前を歩く二人の少女にマルクさんは目を向けた。
そして二人には聞こえないような声で話を続ける。
「彼女はカミィの彫刻の才能を誰よりも褒めてくれた」
「あ……」
なんとなく。
お嬢様の気持ちが分かるような気がする。
僕の主人もまた、周囲に芸術の造詣に深い人間が少ない。
お嬢様はカミーラさんにシンパシーを感じたんじゃないだろうか。
「嬉しかったんだろうな……それからあいつはメフィル様にべったりだ。親同士が親交があるからな。会う機会には恵まれていたし。そんなメフィル様相手だと特に口下手になるってのは皮肉な話なんだが……メフィル様はなんだかんだで、カミィの気持ちを察してくれるから、なんとかなってるって感じだ。まぁここんところ、別荘に居たから会っていなかったが」
主人の事を語るマルクさんの言葉に耳を傾けながら、
「マルクさんは昔からカミーラさんの従者だったんですか?」
僕は尋ねた。
「ん? まぁな。代々仕えてきた家柄だし」
「ふふっ、なるほど……そうなのですか」
僕が笑うとマルクさんは訝しげな表情になった。
「……なんか面白い部分あったか?」
「いいえ」
口ではこう言ったが僕はなんだか温かな気持ちになった。
カミーラさんは友達は少ないし、コミュニケーション能力がゼロだなんてマルクさんは言っていたけど。
少なくとも一人。
これだけよく自分のことを見てくれている従者がいたのだ。
それはきっとカミーラさんにとって幸せなことだと思えたから。
「? なんなんだよ」
「さぁ、なんでしょう?」
「……あんたも一筋縄ではいかない感じの人か?」
「失礼ですね」
言いつつも、やはり僕は笑顔だったと思う。
僕は今日、素敵な主従関係の一端を垣間見た気がした。
☆ ☆ ☆
(なんか様子がおかしいわね)
もうじきミルキーロードへの入口たる門が視界に入る。
横目でカミィを伺う限り、彼女はミルキーロードが近づくにつれてなんだか落ち着かなくなっている。
いや、もともとカミィはソワソワしていたけど。なんだかそのソワソワ度が次第に大きくなっているのだ。
(う~ん?)
カミィは私の知る限り、特に買い物が趣味というわけではないはずだ。
彼女は私に近い価値観を持っているから、買い物に長い時間を費やすくらいなら家で彫刻でも彫っていたいと考える。
まぁたまの気分転換に知り合いと一緒に買い物に出るというのは良いことだと思うけど、カミィはイリーに負けず劣らずの人見知り。
自分から望んでミルキーロードに来たいと言い出したのは正直意外だった。
そしてミルキーロードの門をくぐる直前。
カミィが急に声を上げた。
「あっ! あ、あぁ~っ。あれは」
ものっすごい棒読み。
白々しい態度。
そして慌てたような表情。
(なんなのよ……)
呆れ声をなんとか自制しながらチラリと背後のマルクに視線を向けると、彼は天を仰いでいた。
その隣では我が家のメイドがクスクスと笑みを零している。
何やらルノワールは事情を把握しているようだった。マルクにでも聞いたのだろう。
「み、みてメフィル」
そんな私の心情にはまるで気づかずにカミィはとある看板を指差した。
その看板にはノース・ドームに関する内容が記されている。
王都アゲハには街の北側、南側のそれぞれに大きなドームがある。
何万という数の人間を収容することが可能であり、王侯貴族による式典などでの利用に留まらず、平時は一般にも広く貸し出ししている施設だ。
現在看板に掲載されているのは北側区画ノース・ドームの2階外周を使って公開されている美術展示スペースの紹介だった。
どうやら今は彫刻展が開催されているらしい。
1階のメインホールでは明日サーカスが開催されるらしく、興行人達がピエロや妖精の衣装を身に纏った可愛らしい絵が描いてあった。
(あぁ……なるほどね)
どうも明日からは2階の展示物が別の物へと変更されるらしい。
すなわち彫刻展示は今日まで。
ミルキーロードの門からノース・ドームは目と鼻の先である。というかドームの頂点はすでに視界に入っている。
つまりカミィは別にミルキーロードに行きたかったわけではなく、ミルキーロードを名目に、この美術展に行きたかったのだろう。
(ん……でもそれなら最初からそう言えばいいのに)
「せ、せっかくだし行ってみない? メフィル」
ソワソワソワソワしているカミィ。
呆れ顔で溜息をつくマルク。
そして微笑ましい表情のルノワール。
そこで私はピンときた。
「はは~ん」
「ど、どしたの? メフィル」
「別になんでもないわ」
この反応。
つまりこの彫刻展にはカミィの作品も飾ってあるのではなかろうか。
カミィの実力ならば十分に有り得る話だ。
だから自分から彫刻展に行こうなどとは言い出しにくく、仕方ないからミルキーロードへ行こうと提案し、そこで『たまたま』見つけた看板に書いてあった彫刻展へと向かう。
そういうシナリオだろう。
(まぁいっか)
私だってミルキーロードで買い物に明け暮れるよりも彫刻展の方が興味がある。
普通の女子学生としては少し価値観が歪んでいるかもしれないけど、そんなことは関係ない。
本当にカミィの作品が飾ってあるのならば是非とも見てみたいし。
「じゃあドーム行きましょうか」
私がそう言うと、カミィの表情がパッと明るくなった。
「ほ、ほんと!?」
なんとまぁ。
嬉しそうな顔だこと。
まるで童女のようだ。
だけど、こういった屈託のない笑顔を浮かべられるのはカミィの長所だろう。
私にはなかなか出来そうもない。
「ええ」
「そ、そう!」
そしてそういう子には少し意地悪したくなるものだ。
私は意地悪く微笑んで言った。
「明日メインホールでやるサーカスが気になるからね」
「えぇっ!? そっちなの!?」
「ん? カミィはサーカスに興味ない?」
「いや無くはないけど、その、あの……あれ?」
「あははっ」
動揺するカミィを尻目に私達は若者達で賑わうミルキーロードを離れ、ノース・ドームへと向かった。