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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第三十三話 美術部

 

「あ、メフィルさん」


 部活棟に入ると廊下の端でリィルが待ち受けていた。


「あら、先に行っていてもよかったのに」

「いえ。窓から渡り廊下を歩いてくる二人のお姿を見かけましたので。迎えに参りました」

「……えーっと。貴女は私のメイドじゃないわよね?」

「もちろんです。さ、こちらです」

「いやその行動が、さ」


 お嬢様と僕は顔を見合わせて苦笑する。

 リィルの先導に従って部活棟の3階までやっては来たが、確かにリィルの振る舞いは従者そのものである。

 下手にお愛想笑いなどを交えない辺り、なんというか、僕よりも出来るメイド、という印象すら受けてしまう。


 そして。

 案内された部屋は非常にやかましく、廊下まで姦しい声が聞こえてきていた。

 

「……カミィは?」

「中で黙々と作業しておられます」

「そう」


 言いつつ扉を開け放ち、室内へと足を踏み入れる。

 部屋の中は予想通りの騒がしさだった。

 絵を描いている人も、粘土をこねている人も、彫刻刀を手にしている人も見当たらない。

 各々好きな席に座って談笑しているのみだ。

 話が盛り上がりすぎて、入室した僕達に気づいてすらいない様子だった。


 思わず僕とお嬢様は絶句してしまう。

 ここは本当に美術部なの?

 おしゃべり部じゃなくて?


「……」


 お嬢様は無言で周囲を睥睨していた。

 先程までの笑みは鳴りを潜め、冷たい雰囲気を放ち始めている。


(あぁ……お嬢様が不機嫌に……)


 お世辞にもここにいる人達が真面目に芸術の道を志しているようには見えなかった。

 筆やパレットも無造作に散らかっており、画材に対する思いやりも感じられない。

 常にアトリエも整理整頓が行き届き、画材道具を大事にするお嬢様としては許せるものではないだろう。

 そんな様子を敏感に感じ取ったリィルが慌てたように言った。


「あの、あちらにカミーラさんが……」


 促された方向へと目を向けると、まるでその空間だけが周囲から切り取られているかのようだった。

 

 そこには一人黙々と彫刻刀を手に、木材を削っているカミーラさんの姿がある。


 彼女は周囲の雑音などまるで気にしていないようだ。

 真剣な表情で腕を動かしている。

 実に手馴れた手つきで木材に彫刻刀を差し込んでいくのだ。

 静かにゆっくりと、しかし洗練された動作。

 時折、何かを思案するかのように手を止め、木材全体を見渡し、何やら印のようなものを付けては、再び彫り始める。

 常日頃の騒々しさとは打って変わって、現在のカミーラさんは無言だった。


(すごい……)


 凄まじい集中力。

 その様はまさに芸術家と言っていい。

 

「カミィ」


 お嬢様が声をかけてもカミーラさんは気づいていない様子だった。

 それを見たマルクさんがそっとカミーラさんの肩に手を置く。


「カミィ。メフィル様達が来たぞ」


 そこでようやく彼女は顔を上げた。


「……ん?」


 こちらに目を向けたカミーラさんからは、つい先程までの鋭い雰囲気は感じられない。

 いつもの彼女だった。


「あぁ。意外に早かったわね」


 口調から察するに、どうやらカミーラさんも花ノ宮のことはご存知だったらしい。

 彼女も伯爵家の令嬢なのだから、当然……なのかな。


「ん? なんかメフィル機嫌悪くない?」


 目敏くカミーラさんが指摘すると、メフィルお嬢様は低い声音で言った。


「部活動はやっぱりやめておくわ」


 お嬢様のこの言葉にもそれほど頓着することなく、カミーラさんも頷く。


「そっ。じゃあ、あたしもやめとこっと」

「というかカミィはよくこんな場所で彫刻なんて出来るわね」


 周囲の雑音は決して小さくはない。

 そこかしこから聞こえてくる声は芸術とは何の関係もないものばかりだ。

 要するにこの部活動は、そういった人間が集まる場所なのだろう。


 しかしカミーラさんは気負った様子もなく。


「別に場所は関係ないわよ。ようはあたし次第なんだから」

 

 まるで当然であると言わんばかりの態度でそう言った。

 

(な、なんかかっこいいかも)

 

「私は無理だわ」

「メフィルは神経質だからねぇ」

「あんたが大雑把なのよ」


 もはや部活動になんの興味もない様子でお嬢様は部屋から出ていこうとする。

 それに僕達が付いていくと、扉を開ける直前で、ようやくこちらの存在に気づいた一人の女子生徒が何やら紙を持ってきていた。


「これ、入部届けだから。気が向いたらどうぞ」

「あ、ありがとうございます……」

「というか貴女すっごい綺麗ね……びっくり……」

「は、はぁ」


 僕が立ち止まっているとお嬢様の声が廊下から聞こえてくる。


「ルノワール?」

「あ、す、すいません。では失礼致します」


 僕が振り返りお嬢様の元へと急ぐと、入部届けを渡してくれた彼女は会話の輪の中へと戻っていってしまった。


「はぁ……はずれだったわね」


 部屋を出るなりそう愚痴を零すお嬢様。

 だけど僕は無言で入部届けを見つめていた。

 ゆっくりと視線を上に向ける。

 そこには部屋の名前を示す小さなプレートがかかっている。


 『美術室』、とプレートには記載されていた。


 しかし。


「『芸術部』?」


 僕が呟くとお嬢様が反応した。


「えっ……?」

「えっと……こちらを御覧下さい、お嬢様。この部屋は確かに美術室ですが、こちらの部活動は『芸術部』というそうです。しかし入学式の折に頂いた案内には確かに美術部も存在していました。もしかして美術部という部活は別の場所なのでは……」

「確認してきます」


 僕の言葉を聞くなり、リィルが部屋の中へと戻っていった。

 待つこと数秒。


「ルノワールさんの言う通りでした。美術部はこの真下の部屋で活動しているそうです」

「う~ん」


 しかしリィルの言葉を聞いてもお嬢様は首を捻るばかりだった。

 あぁ。

 これはお嬢様すでに部活動に対する興味を失いかけているなぁ。


「真摯に絵画に向き合ってる部活動かもしれませんし、一度行ってみませんか?」


 なんとかお嬢様にも興味を持続させてもらおうと僕は呼びかけた。


「……そうね。すぐ近くらしいし、行ってみましょうか」


 美術室の真下。

 そこには小さな倉庫のような部屋があった。

 実際にその部屋の名前は、備品室と書かれている。

 僕は訝しく思ったが、


「入ってみましょう」


 お嬢様は全く気にした様子もなく部屋へと足を踏み入れた。

 それに他の者も続く。


 部屋の中は静かだった。

 いや、上の階から女生徒たちの嬌声は聞こえてくるけれど。

 そして室内は思ったよりも狭い。

 美術室と同じくらいの広さはある筈なのだが、名前の通り雑多な備品類が保管されているため、どうしても狭く感じてしまうのだ。

 備品の山に挟まれたような通路を抜ける。


 少しだけ開けた場所に、一人の少女の姿があった。

 彼女は真剣な表情でパレットを手にして、キャンパスに向かい合っている。

 作品は油絵だ。

 華奢な少女の腕が滑らかに動く。

 繊細な指先によって描かれたその絵は、彼女自身を表現しているのかのように優しいタッチだった。

 

 やがて僕達が部屋に入ってきたことにようやく気づいたのか、ふと彼女は視線を上げた。

 そしてぶっきらぼうな口調で言う。


「芸術部ならこの上の階。マジックアートがやりたいなら第3講堂の裏手でいつも練習してるよ」


 そしてまた彼女はキャンパスへと向き直ってしまった。


 え? えっ?


「あの、私達美術部の見学に来たんですけれど」

「……」


 お嬢様がそう言うと、彼女はチラリとこちらに再び視線を向けた。

 そして耳に手を当て……あれ?

 

(というか耳栓をしてたのか)


 彼女は耳栓を取ると、僕たちに尋ねる。


「ごめん。美術部に入りたい、って言ったの?」

「入るかどうかはこれから決めますが……こちらの作品は先輩が?」


 部屋中に絵画や彫刻、粘土や陶器が飾られている。

 入口付近は備品類が部屋を覆っていたけれど、少し中に入っていくと、そこは立派な美術部の部室であるように思えた。

 それなりに広く、そして彼女が愛用しているであろう画材道具が、しっかりと整理されている。

 作品群だけではなく、日頃から絵を描いているだろう証拠に、この部屋からは僕の大好きな『絵の匂い』がした。

 メフィルお嬢様の質問に対して先輩は頷いた。


「全部じゃないけど。先輩の作品もあるし。わたしは油絵しか描かないからね」

「他に部員は?」

「いないわ。今はわたし一人」


 そう言いつつ、彼女は顔を上げた。


「本気で美術をやりたい子はこの学院には滅多に来ないから。片手間の勉強で入学出来るほどレベル低くないし。芸術家になりたいのならば専門学校に行くか、誰かの弟子になった方が遥かに有意義。だから芸術部という名前のおしゃべり部が上にあるし、最近はマジックアートの方が人気だからね」


 マジックアートとはその名の通り、魔術を使った芸術の一種だ。

 火や水、土や風。光や霧や音。

 魔術を使って様々なテーマを表現し、その素晴らしさを競い合うという競技であり、巷の若者には大人気である。

 見栄えも美しく、魔術の技量も問われ、なおかつ様々なパフォーマンスを交えて行われるマジックアートはミストリア王国内では十数年前から、若い世代を中心にしたトレンドとなっている。


「だから万年部員数が少なくてね」


 先輩の言葉を聞きながら窓際の作品群に目を向けた。

 カミーラさんが、そっと一つの彫刻作品を手に取る。

 彼女は真剣な顔でその作品を見つめていた。


 不思議な作品だと僕は思った。

 それが何をテーマに彫ったものなのかが判然としなかったからだ。

 しかし意匠自体は素晴らしく、どこか惹きつけられるような魅力は感じられる。


 丁寧な手つきで作品を見つめるカミーラさん。


「これは……」

「あぁ。それは五年前に卒業した先輩が残していったものだよ」

「ふぅん」


 一つ頷き、カミーラさんが突然言った。


「この模様……もしかしてドットの作品?」


 尋ねるような視線を先輩へと向ける。


(ドット?)


 僕は彼女の言った意味が全く分からない。

 あいにく僕は絵画以外の芸術作品には疎かった。

 周囲に目を向けるもメフィルお嬢様もリィルも共に首をかしげるばかり。

 それはマルクさんも同様である。


 だけど一人だけ。

 部屋の主たる美術部先輩だけが目を見開いて驚いていた。


「……分かるの?」

「あっ、じゃあやっぱり」


 美術部先輩の反応を見る限りカミーラさんの言葉はどうやら正解のようだ。


「……どうして分かったの?」

「どうしてと言われても……そう感じたとしか言い様がないですけれど。彼独特の技法、というか曲線が随所に見られるし、そうかな、って」


 先輩が詰め寄り気味に尋ねてきたせいで、少しだけ狼狽えながら答えるカミーラさん。

 有名な彫刻家なのだろうか?


「いやでも……ドット先輩も別に有名というわけではないはずだけれど」


 どうやら違うらしい。


「一度だけ、展覧会で見たことがあります」

「それを覚えていたの?」

「へっ? えぇ、まぁ。変わった彫り口だな、と思って印象に残りましたから」


 改めて彼女の手にした彫刻を見てみる。

 それは繊細な部分と大胆な彫り口が同居した石材彫刻だった。

 作品名は『空』。


 あの全体に広がっていく靄のようなものが雲……なのだろうか。どこか広がっていくような風景を思い起こさせる様は確かに青空に見えなくもない。

 ではあの天頂付近の幾何学模様はひょっとすると太陽か。

 う、うーん。確かに言われて見れば『空』をテーマにした作品なのかも、とは思える。

 しかしそれだけだ。

 僕にはカミーラさんの言う独特な曲線や彫り口の違いなどは全く分からなかった。


「すごいわね……貴方も入部希望者なの?」

「というか皆入部希望者です」

「えぇっ!? こ、こんなに!?」


 大声で仰け反る美術部先輩。

 心底驚いた様子で、頷くカミーラさんを見やる。

 ついで僕達一人一人に視線を移していった。


「わ、わたしは構わないのだけど。いいの? マジックアートとかならこの学院でも力を入れてるけど、この部活動はほとんど何も活動らしい活動はないわよ? 適当にここで作品を作って展示する、っていうだけの部活動だし。わたししか今いないし」


 今度は恐縮したように言う先輩。


「それにその……上の階の声も響いてくるし」


 口ごもる彼女。

 いや別にそれは先輩が悪いわけではないと思う。

 だけど得心がいった。


(なるほど)


 先程まで耳栓をしていたのはつまりそういうことなのだ。

 芸術部から聞こえてくる声が煩いから。

 彼女はきっと迷惑していたのだろうけど、多勢に無勢だ。強く文句も言えなかったに違い無い。


 じゃあこれはどうだろうか。


「えーっと……よし」


 僕が指を一度軽く振り、魔術を構築した。

 学院内で無闇矢鱈と魔術を使うのは良くないが、この程度ならば許されるんじゃないかと思う。


「あ、あれっ? 外の声が聞こえなく……」

「遮音結界を張りました。これで外からの音はほぼ減衰出来ます。逆に内側からの音も外に洩れなくなりますけど」


 僕が結界魔術を部屋に展開した途端に先程まで響いてきていた上階からの音はすっぱりと聞こえなくなった。


「……余計なお世話でしたか?」


 僕が尋ねると、目を丸くした先輩と目が会った。

 直後。


「これが入部届けっ!!」


 ものすっごい勢いで先輩が僕の眼前に入部届けを突きつけた!


「いつでも来てくれていいからね! うんうん、ほら早速記入して。そうだ職員室に持っていきましょう。特に背の高い、すごい綺麗な貴女! 貴女も入部希望者でしょう? ほらほら早く! というか貴女本当に美人ね!?」


 な、なんか急に押しが強く……。

 僕が戸惑いがちにお嬢様へと視線を向けると、彼女は苦笑しつつ言った。


「煩い人もいなさそうだし、先輩の作品は確かに見事なものだし、ルノワールが結界で上の音を消してくれるっていうなら悪くないわ」


 そう言いながら彼女は入部届けを受け取る。

 周囲を見ると、どうやら全員異存はないようだった。


「すごい。こんなにいっぱい人がここにいるなんて」


 先輩は一人で呟いていた。

 随分と感激した様子だ。

 もしかしたらずっと一人ぼっちで寂しかったのかもしれない。

 

「あっ。そう言えば自己紹介をしていなかったわね」


 こほん、と可愛らしく一度咳をして。

 笑顔で先輩は顔を上げた。


「わたしの名前はステラ=カーマイン。貴女たちのお名前は?」


 こうして僕達は美術部へと入部した。






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