第三十一話 花ノ宮
本棟最上階の端にその部屋はあった。
他の教室の扉とは装飾が違う。
いや、装飾だけではなく色すらも異なっていた。
上質な木材で作られていると思しき扉には、薔薇の刻印が刻まれている。
それは学院内では明らかに異質な扉だった。
僕達を案内してくれた先輩はコンコン、と軽く扉をノックする。
「どうぞ」
中から声が聞こえ、部屋の扉が開かれた。
僕とメフィルお嬢様は促されるままに部屋の中へと足を踏み入れる。
そこは王立学院の中でも、とりわけ豪奢な造りになっていた。
調度品の類が学院に相応しくない。
これだけ豪華な品々となると貴族の屋敷に飾ってあって然るべき代物だ。
少なくとも学生には必要ないだろう。
室内には長身の男子生徒が1人、その傍に付き従うメイドが1人。
さらに中央の椅子に腰掛けている女子生徒が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
そしてその女子生徒の取り巻きの如き女子生徒が2人……いやどうやら僕達を呼びに来た先輩もその内の一人らしい、取り巻きの女生徒は3人だ。
部屋の中には僕達を除いて、6名の男女の姿があった。
「ようこそ、メフィルさん」
中央の女子生徒が声をかける。
その声音はお世辞にも友好的とは言い難い。
顔に浮かべた嫌らしい笑みがそれを助長していた。
彼女がこの中ではリーダー格なのだろう。
僕が戸惑っていると、間髪いれずにメフィルお嬢様が言った。
「『花ノ宮』へは参加する。だけど私はここには干渉しない。貴女は私のことが嫌いだろうし、私も貴女が嫌いだからね。お互いにとってそれが一番良いでしょう?」
お嬢様がそう言うと、中央の女子生徒が目をパチクリさせていた。
長身の男子生徒はクスクスと小さな笑い声を立てている。
「あ、あの。お嬢様」
ここで僕はたまらず声をかけた。
使用人としては黙って主の決定に従うべきとも思うが、現在僕はあまりにも状況を理解出来ていない。
もしもお嬢様が何か少しでも間違ったことを言っているのならば、諌めるのも従者の仕事だ。
「なに?」
「大変申し上げにくいのですが……『花ノ宮』とはいったい?」
情けなくも僕が尋ねると、
「あぁ……貴女は知らないのね」
簡単にお嬢様は説明してくださった。
『花ノ宮』
それはこの学院に存在する生徒会とはまた別の、学生による統治組織のことを指すらしい。
なんでも侯爵以上の位を持つ家柄の生徒、または国内で特別な立場を持っている生徒達のみが参加することを許される組織であり、慣例として対象となる新入生達を先輩達がスカウトすることになっている。
メフィルお嬢様はなんといっても公爵家の長女である。
王族を除けば最高の権力を持つ家柄の息女である以上『花ノ宮』にスカウトされることは必然だ。
「別に生徒会みたいに積極的に雑務を執り行うわけでもなく、時折口出しするだけの組織よ」
とはお嬢様の言。
どうやらお嬢様は花ノ宮がお嫌いらしい。
「あら。しかし資金が足りない時は私達が出資者となることで、行事を円滑に進めることが出来るんですのよ?」
とは中央に座する女子生徒の言葉だった。
「それに花ノ宮はミストリア王立学院の伝統です。いずれ国を導いていく立場にある者としては、このような組織で経験を積むことも必要ですよ。公爵家の息女が不参加なんてことになったら」
「だから参加はするわよ。名前だけね。どのみち公爵家は強制みたいなものでしょ」
お嬢様と何やら険悪な雰囲気で話す女性。
彼女の名前はシルヴィア=サーストンというらしい。
王立学院の3年生にして、お嬢様と同じく公爵家の一角、サーストン公爵家の次女にあたる人物だ。
しなやかに伸ばしたブロンドの髪には、紫色の線が混じっている。
美しい翡翠色の瞳に、鼻筋の通った美形ではあるが、他人を見下したような尊大さが、言動や所作の一つ一つから感じられた。
僕は典型的な貴族の態度だな、と思った。
「花ノ宮ねぇ……興味ないわ」
まったくもって気のない返事を返したお嬢様。
本当に興味が無さそうだった。
そしてこれまた珍しいことにメフィルお嬢様はいつになく辛辣な言葉遣いだ。
よほど二人は仲が悪いらしい。
何かと刺混じりで返事を返す僕の主人。
そんなお嬢様の様子が気に入らないのだろう。
シルヴィア様は段々と苛立ってきている気がする。
「それにしても」
横目で僕をチラリと伺うシルヴィア様。
「花ノ宮の存在も知らないようなお付きの従者を連れてきているのね」
う……矛先が僕にきた。
「まぁ見た目は良しとしても……貴女も公爵家の人間ならば相応の人間を傍に迎えた方がよろしくないかしら?」
(うぅ……)
教養科目の授業を思い出すと反論出来ない……。
僕の悲しいまでの成績をシルヴィア様が知ったら、もっと責められるに違いない。はぁ、やっぱり努力が必要だなぁ。
僕が黙り込んでいると、シルヴィア様が饒舌になっていく。
「例えば花ノ宮であれば、それに相応しい調度品があるでしょう? あちらの絵画をご覧なさい。かの有名な『太陽王の晩餐』です」
メフィルお嬢様が気に入らないから、今度は貴族らしくコレクション自慢で自尊心を満たしたくなったようだ。
しかも絵画。お嬢様が絵を描くことを知っているのかもしれない。
とはいえお嬢様は画家であって、コレクターではないのだけれど。
ん?
というか……。
(あれ、でもあの絵って……)
「ふん。ルノワールは私には勿体無いくらい出来たメイドだから問題ないわ」
一言で切って捨てるお嬢様。
お、お嬢様……っ。
なんという勿体無きお言葉。
僕が心の中で感動していると、お嬢様はさも馬鹿にした様子で言った。
「相応しい絵ねぇ……。その絵を見ても特に感動もしないけどね。本物かしら?」
「うふふっ! それはメフィルさんには価値が分からないだけでしょう? みなさい、この美しい線を。太陽王の冠る王冠の造詣を」
自慢げに話すシルヴィア様に促されるようにして僕も『太陽王の晩餐』へと目を向ける。
太陽王の晩餐。
これは大陸南部のフォルマント王国に数百年前に実在されたとされる、デリ=フォルマント――通称『太陽王デリ』――の宮殿内での様子を描いた有名な絵画だった。
当時の宮廷画家ピール=チューズデイが描いた作品であり、写実画家として有名な彼が生涯に渡って描いた絵画の内、太陽王を描いた作品はこの『太陽王の晩餐』のみ。
故にコレクター達の間では大変な価値がある。彼は同じ絵を二枚描く画家としても有名であり、当然、この絵も世界中に二枚しか存在しない。その内の一枚がこの場にあるとすれば、それは確かに驚くべきことである。
――本物であれば。
「いえ、そちらの絵は贋作だと思われます」
思わず僕がそう口にすると、室内はしんと静まり返った。
(あ、いけない……つい)
慌てて口を噤む僕だったが、時すでに遅し。
というか非常に楽しそうな表情へと転じたメフィルお嬢様が僕を見つめていた。
「へぇ~? どういうことかしら、ルノワール?」
「え、えっと……」
チラリと視線をシルヴィア様に向けると、凍てつくような気配が僕に襲いかかってくる。
「是非とも聞きたいわ、何故そう思ったのか」
しかしお嬢様の目が言っている。
僕に拒否権はない、と。
「は、はい。ええと……」
とはいえ嘘を言うつもりもない。
この絵の真贋に関しては絶対の自信があった。
「まず第一にパーティー会場の隅のテーブルをご覧下さい。こちらにフォークを手に取り、ソテーを口へと運ぼうとする婦人が描かれております」
「……そう見えるわね」
「当時フォルマント王国で使用されていたフォークの先は三叉ではなく、二又なのです。時代背景を考えると、婦人が手にしているフォークはどう考えても不自然です」
僕の言葉を聞き、顔を真っ赤にさせて今にも掴みかかってくるんじゃないかという形相でシルヴィア様が言った。
「な、なにをそんなことでっ! そ、そんなことは……この立派な太陽冠はどう考えてもデリ王の……」
「それは違います」
「えっ?」
「最も不自然なのはその王冠なのです」
僕が断言すると、シルヴィア様は明らかに取り乱した。
「ど、どういうことっ!?」
「クラクリュールです」
「は?」
首を傾げるシルヴィア様に対して僕は説明した。
「クラクリュールとは経年劣化によって生じる絵画表面に現れるひび割れのことです」
「そ、それが、なんだと」
「その絵の王冠は『綺麗過ぎる』のです。『太陽王の晩餐』は何百年という長い時を経て、絵画表面にクラクリュールが現れています。そちらに飾られている絵についてもクラクリュールを人為的に再現されたような跡がありますが、それにしては王冠だけがクラクリュールがほとんど見当たりません。恐らく見栄えをよくするためだと思われますが」
「……そ、そんな証拠は!」
「更に。一般的にクラクリュールは絵画中央には少なく、絵画端辺に多く見られます。しかしその絵のクラクリュールは絵全体で均一に現れています。にもかかわらず、王冠だけがクラクリュールが無い。間違いなく人為的なクラクリュールの再現。よく出来た贋作だとは思いますが、本物ではありません」
もはや完全に静まり返る室内。
その中で一人、メフィルお嬢様はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「なるほど、なるほど。あれシルヴィア様は先程なんて仰っていたかしら?」
「っ!!」
「花ノ宮に相応しい絵画、でしたっけ? なるほど、確かに相応しいかもしれませんねぇ~」
底意地悪く言うお嬢様。
あ、メフィルお嬢様のこういう言動初めて見たかも。
ユリシア様によく似ている。いやそんな事を考えている場合じゃない。
今にも襲いかかってきそうなほどの、シルヴィア様の物凄い形相が僕とお嬢様に向けられた。
しかしお嬢様はどこ吹く風といった様子だ。
「もう行くわ」
黙り込んでしまったシルヴィア様に背を向け、メフィルお嬢様は機嫌良さそうに退室をしようとした。
話は終わった、ということなのだろう。
だが。
「少し待ってもらえないかな?」
先程までソファに身を沈ませていた長身の青年が立ち上がった。
目線はやや僕の上辺り。
整えられた短い金髪は窓から差し込む陽を反射してキラキラと輝いている。
細面の優男風な顔だ。男にしては筋肉が足りないように見受けられるが美形には違い無い。
今も柔らかな眼差しを僕に向け、微笑んでいた。
彼がこちらに向かって歩いてくる。
だが僕はお嬢様まで残り数歩となった時点で彼の前に立ちはだかった。
「おっと?」
「私はお嬢様の身辺警護を仰せつかっております。申し訳ありませんが、異性の方のこれ以上の接近は看過することが出来ません。ご容赦下さい」
笑顔のままで。
しかし断固たる態度で僕は言った。
「へぇ」
金髪男子は余裕な態度を崩さない。
彼は表情を変化させないまま優雅な物腰で言った。
「そういえば、君の名前は? おっと、先に名乗らないと失礼か。僕の名前はクーガー。クーガー=メッシュというんだ。以後よろしく」
「……ルノワール、と申します」
僕が返事をするや否や。
「……ふっ!」
「っ!?」
彼は素早い動作で僕の脇を抜けメフィルお嬢様へと右腕を伸ばした。
だが。
「……なんのつもりですか?」
当然、彼女に触れさせるような真似はさせない。
「すごいな……何も見えなかったよ。身辺警護役というのも嘘では無さそうだ」
クーガーの右腕は僕の左腕によって、ガッチリと掴まれている。
お嬢様へのこれ以上の接近を許すつもりは毛頭ない。
更にクーガーは今度は身体を捻りながら、僕に足払いをかけようとする。
だが僕は相手の重心がずれた瞬間に身体を前に倒し、そのままクーガーの身体を押さえつけた。
「うっく! これは僕では太刀打ち出来ないなぁ」
「返答次第では、処断しますが」
「おお怖い」
おどけるように言いながら。
クーガーは真っ直ぐに僕を見つめ。
恐ろしい言葉を吐いた。
「しかし……美しい」
(………………)
思考が止まる。
(……は?)
「なっ!」
うわ、うわわっ!
今毛がぞわわってした! ぞわわって!
とと、鳥肌ががが!
うっとりとした目で僕を見つめるクーガー。
僕は彼から逃げるようにして飛び起きた。
タイミングを見計らっていたのか、飛び起きた直後にお嬢様に手を掴まれる。
彼女は眉を釣り上げて抗議するように言った。
「他人の家の使用人に粉をかけようとなさるなんて、メッシュ家は随分とお盛んですね」
「誰にでも言うわけじゃないよ」
「そういうことを言っているのではありません。主人の前でこのような言動は、マナー違反ではありませんか?」
「全くもってその通りだね、申し訳ない」
全く申し訳なさを感じさせない謝罪の言葉。
クーガーのその言葉を聞いて。
お嬢様はシルヴィア様と相対している時よりも腹を立てている様子だった。
「さっさと行くわよ、ルノワール!」
「……うぅ……は、はい」
手を引かれるままに僕は部屋を後にする。
うう、なんか色々とショックだった。