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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第2章 王立学院入学
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第二十九話 教室での一事

 

 入学してから感じる視線がある。

 いや、視線とは少し違うか。

 言葉にはしづらいが……緊張、と言った方がいいかもしれない。

 

(う、う~ん……)


 入学式の日以来、誰もが憧れるかのような視線を向けているのだ。

 誰に?

 私の従者ルノワールに、だ。


(まぁ、気持ちは分かるのよねぇ)


 ルノワールは初対面時に私自身が思ったことだが、まず第一にとびきりの美少女だ。

 高身長でありながらも、バランスが整っており、鍛えられた肉体は抜群のプロポーションを誇っている。胸も同年代にしては十分に成長している部類だろう。むしろ大きい。

 それでいて鼻筋の通った小顔は驚く程に小さかった。

 女性らしい理想的な曲線美を描くスラリと長い足、くびれた腰周りは女性の理想形と言っても良い。

 つまり容姿だけに着目しても十分に人目を引く少女なのだ。

 

 が、それだけではない。


 自己紹介時にクラスメイト達全員を絶句させたルノワールの美しい完成された礼儀作法。まるで舞踏会での王侯貴族の如き振る舞いは気品すら感じられるものだった。

 流石に王宮で教育を受けたというのは伊達ではない。これがまた彼女の容姿を更に引き立たせる。


 そして普段の彼女のことを多少にでも目にしていれば、非の打ち所のない美人であるにも関わらず、愛嬌があることが分かるだろう。

 決して冷たい印象を他人に与えることがなく、時折子供っぽい一面も見せるのが私のメイドである。完璧過ぎない部分が、学生達からしてみれば、どこか親しみを感じさせることに繋がっていた。

 

 要するに、年頃の思春期女子……いや男子もか。からしてみれば、ルノワールはまさに憧れの女性像といっても、過言ではないのではないだろうか。


 誰もがルノワールと話したがっているのが分かる。

 私とて立場が違えば、彼女に注目していたに違いない。


 しかし、問題が一つある。


(私に気を遣っているのよね……)


 唯一。

 私の従者である、という点だけがクラスメイト達とルノワールとの間に壁を作っていた。


 これは今までにもあったことだ。

 公爵家というのは貴族達の中でも地位が別格であり、少し特別な存在だ。

 100年以上の間、公爵四家は一度も現在の家名が揺らいだことはない。減りもしなければ増えてもいない。

 積み上げられた長い歴史、蓄えられた資産、王族に続く発言力、どれをとっても一般市民は当然のこととして、爵位でいえば次点であるはずの侯爵家との間にすら絶対的な権力の開きがある。


 公爵家の人間の不興を買えば、それこそ一族郎党国を追われるような事態を引き起こす、とでも思われているのだろう。

 事実、そういった処分を下す公爵家もあるので、あながち間違ってもいない。

 加えてファウグストス家は他の公爵家と仲が悪い。

 流石に私と仲良くした程度で他家が文句を言ってくることなどはないだろうが(公爵家たるファウグストス家に対し、そこまで表立った干渉をすれば問題になる)、それでも接しづらいのは間違いないだろう。


 私にとってルノワールは自慢のメイドである。

 彼女が周囲から一目置かれている状況というのは、私としても悪い気分ではない。

 だけど。

 私の従者である、ということが彼女の重荷になってしまうのだとしたら、それは少し……辛いことだった。


「お嬢様、本日はどうなさいますか?」


 放課後になり、笑顔で私に問いかけてくるルノワール。

 私の内心の葛藤など露知らず、彼女はいつも通りの様子だった。


「あ、そうね……」


 頷き、顎に手をやった時――、


「あの……っ!」


 ――背後から声を掛けられた。


 振り返ると、そこには3人の女子生徒。

 3人共が同じクラスの子達だった。

 確か名前は……。


「どうかなさいましたか、サーシャさん?」


 感じの良い微笑みを向けながらルノワールが真ん中の少女に言った。

 そう、彼女の名前はサーシャだ。


「うっ……あの、えっと、その」


 ルノワールに見つめられ、硬直するサーシャさん。その頬はほんのりと朱に染まっている。

 恐らくかなりの勇気を振り絞ったのだろう。

 声をかけたはいいが、なんとも慌てた様子だ。

 両隣の二人もどこかオロオロとしていた。

 

 そして同時に私も戸惑っていた。


(どう反応すべきか……)


 昔から感じる同年代の子達との微妙な距離感。

 今までの私は面倒くさがって、それでも良いと思っていた。

 15歳になって頑張ろうとは意気込んでみたが……情けないことに、いざ急にとなると、何を話せば良いのかが分からない。


「落ち着いて下さい、サーシャさん」


 と、そこでフワリと柔らかな声音で微笑んだのは私のメイドだった。


「スージーさんも、セリさんも。ほら、深呼吸しましょう」


 サーシャさんの両隣の少女たちに深呼吸を促すルノワール。


「え、あの、はい……」

「お気持ちは分かりますよ」


 ルノワールの言葉に少女3人組は目を丸くした。


「「「えっ!?」」」


 そして楽しそうに告げる。


「私も初めてメフィルお嬢様と対面した時にはとても緊張しましたから」


 朗らかに微笑んでいるが、多分ルノワールは本当の意味で、彼女達の気持ちを理解してはいないだろうな、と思った。

 私に対する緊張もあるだろうけど、間違いなく彼女達はルノワールと話すことにこそ緊張している。

 ルノワールは優しくサーシャさんに声をかけた。


「サーシャさん、髪留め似合っていますね」

「へっ!?」


 サーシャさんの桃色花柄の髪留め。

 確かにその髪留めは彼女の黒い髪色によく似合っていた。


「いえ、その。先日までは付けてなさらなかったので」

「あ、そのっ! い、意外にそういった校則とか厳しくないみたいだったので、その……この髪留めお気に入りでっ」


 まさか指摘されるとは思っていなかったのだろう。

 サーシャさんは狼狽していた。


「ええ、とても似合っています。サーシャさんの魅力がグンと上がっていますよ」

「へぅっ!? そそっ、そうですか?」

「はい、ただ……」


 そこでルノワールは一歩踏み出し、サーシャさんの右隣で顔を赤くして立っていたスージーさんに近づいた。


「失礼致します」

「うぇっ!?」


 素早くスージーさんの制服のリボンに手をかけたルノワール。彼女は曲がっていたリボンの位置を整えると満足した様子で再び一歩退いた。


「うん、バッチリですね。身だしなみは淑女の嗜みですので、気をつけましょうね」

「は、はい……」

 

 ルノワールの動作には僅かの淀みもなかった。

 その見事なまでの美しい所作は、洗練の極みである。

 うっとりと彼女の様子に目を奪われている3人組。


(こ、この子……)


 私は内心でルノワールの無自覚な立ち回りに戦慄していたが、彼女は全く気にしていないようだった。


「え、えとその……る、ルノワールさんってメフィル様のその……メイドさんだと伺ったんですけれど」


 私の胸がドキリとした。

 言ったのはサーシャさんの左隣にいた少女、セリさんだった。


「はい、そうですよ」


 ルノワールは肯定したが、私はどう返せば良いのだろうか。

 私は公爵家という立場に生まれたことを後悔したことはない。

 お母様を尊敬しているし、責任ある立場に生まれた代わりに、贅沢な暮らしを営んでこれたのだ。

 貧しい暮らしを余儀なくされている人達が世の中に大勢いることを考えれば、私の苦悩など些細なことに違いない。

 とはいえ、学院での昔からのこういった状況での対処方法を私は知らなかった。


 サーシャさん達も聞いたはいいけれど、なんと続ければ良いのか分からなくなっている様子だ。

 しかし沈黙は続かなかった。


 何故ならば。


「私はとても幸運だったんです」


 ルノワールが口を開いたから。

 楽しそうに。

 誇るように。


「ファウグストス家の方たちは優しい人達ばかりで。それになんといってもメフィルお嬢様はとても素晴らしい方なんですよ」


 びっくりしたのは私だ。


「ちょ、ルノワール!?」


 私は焦ったが、彼女は饒舌だった。


「メフィルお嬢様には画家としての素晴らしい才能がお有りなんです。屋敷にはお嬢様の画廊がありますが、それはもう心奪われてしまうほど素晴らしい作品ばかりなんです。それにお嬢様はとてもお優しい心の持ち主で。私はいつもお嬢様に助けられています」


 それはとても自然な口調だ。

 嬉しそうに。

 彼女は言葉を紡ぐ。


「そ、そうなのですか?」

「はい、相手がどのような方でも理解を示そうとなさる人なんです。貴族は当然として、平民の人達にも礼儀を尽くす誠実なお人なんですよ」


 うん、私の顔は今熟れた林檎のように赤いだろう。


「~~っ」


 は、恥ずかしいっ!


(こ、これは私、怒っていいのでは? 意地悪な従者を叱るべきよね?)


 私が口をパクパクとさせていると、ルノワールはしっかりとした口調で言った。


「お嬢様は――」


 さりげなく視線を周囲に向ける。


「――とても寛大な心を持っておられます。多少の無礼があったとしても、それを理由に相手を追い詰めることなど為さりません」


(……えっ?)


 まるでクラスメイト達に言い聞かせるように。


「家柄が一体なんだというのでしょう。公爵家、などといった枠組みに囚われる必要など無いのです」


(これって――)



 このまま――ルノワールに話させるだけでよいのか?



「ですから――」

「――待って」


 私が静止を呼びかけるとルノワールはびくりと肩を震わせた。

 彼女の視線がこちらを向く。


(……)


 複雑な気持ちだった。

 彼女はちゃんと気づいていた。

 自分に向けられる好意の視線の意味は理解していないようだが、私と周囲との間にある『壁』には気づいていたのだ。

 そしてそれをどうにかしようとしたのだろう。

 私が自分からでは中々言い出せないような事をクラスメイトに伝えることで。


(……まったく)


 ルノワールの行動は明らかに従者としての領分を越えている。

 主人を公衆の場で辱めるなどもってのほか。

 叱るべきだ。

 

 しかしそれ以上に――自分に腹が立った。

 

 クラスメイトだけではなく、メイドにまで気を遣わせている。

 いや、私を気遣うのはルノワールの仕事である。そう理性では分かっていても、私は腹が立った。


 このままルノワールに任せていればよいのか?

 

 確かに彼女の力をもってすれば、私はクラスメイト達と話す切っ掛けを作ることが出来るかもしれない。

 だけどそれは違う。それじゃ駄目なのだ。


 だから。


 私は小さく深呼吸をし、顔を上げた。

 目の前のサーシャさん達の瞳をしっかりと見据える。


「公爵家という立場を気にするな、と突然言っても受け入れられないことは分かっています」

 

 私の伝えたいことを。

 私が伝えるのだ。


「ですが過分な礼儀など不要です。同じ年に入学した以上は私達は皆、同級生なのですから。特別扱いなどせず、対等に接して下さると嬉しい……です」


 そうだ。

 何故学院内でまで貴族社会の地位を気にする必要がある?

 

(しかしそんな言葉は私が公爵家だからこそ言える言葉だ)


 それは分かってる。

 どうしたって身分のことは意識してしまう。

 当たり前だ。


 だけど、それでも少しでも自分の胸の内を伝えたい、伝えるべきだと思った。


 私が言い終えると、3人、だけではなく、周囲に残っていたクラスメイト達の全員がじっと私を見つめていた。


「あ、あのっ!」


 沈黙を破ったサーシャさんがおずおずとカバンから何かを取り出した。


(きゅ、急にどうしたのかしら?)


「あ、あの私お菓子作りが趣味で……おやつにクッキーを焼いてきたんです」


 そう言いながら、彼女はクッキーの入った包みを私とルノワールに差し出した。


「だからその……お二人も、お一つどうですか?」


 私とルノワールは互いに顔を見合わせる。

 サーシャさんの言葉が、その好意的な心遣いが嬉しかった。

 ほんの少しかもしれないけれど、私達の気持ちが伝わったと思うことが出来た。


 自然と笑顔になる。


「ええ、ありがとう」


 一つ受け取り、ルノワールがいち早く口へ運んだ。

 彼女はそれとなく、私が口にするよりも先にクッキーを確かめたかったのだろう。

 クラスメイトを疑うのは心苦しいが、現在の私の状況を考えれば、ルノワールの行動は当然だ。


 彼女は毒見をしたのだ。


「とても美味しいです」


 笑顔で告げながらルノワールは私に目配せをした。

 大丈夫、ということだろう。


「お嬢様も早速どうぞ」

「ええ、頂くわ」


 クッキーはほどよい甘さで仕上がっている。

 硬すぎず、適度にサクサクと口の中で弾ける。

 なるほど趣味というだけあり、確かに美味しい。


「うん、美味しいわ、ありがとう」


 私とルノワールが礼を述べるとサーシャさん達も笑顔になった。


 と、そこで、ルノワールも自分の鞄の中から小さなバスケットを取り出した。


「お返し、というわけではありませんが」


 中には小さな一口サイズのケーキがたくさん入っている。


「これは?」

「一口サイズに切り分けたスフレケーキです。昨晩作ったのですが、実は私もおやつ代わりに、と持参していたんです」


 シュガーパウダーで彩られた綺麗なスフレケーキに目を向ける。

 切り分けた断面は美しく、何かフルーツソースのようなものが見え隠れしていた。

 相変わらず、このままレストランで売り物として出せるレベルだ。


「私が作ったオリジナルのラズベリーソースとブルーベリーソースが間に挟まっています。お嬢様のためにお作りしたものですが、よろしければ3人も如何ですか?」

「い、いいんですか!?」


 サーシャさん達は感激した様子で早速、ルノワールから一つもらい、口へ運んだ。


 そして――彼女達は同時に動きを止めた。



「「「……っ!!?」」」



 驚愕に目を見開く3人。

 3人は互いにゆっくりと顔を見合わせる。



「「「お、美味しい~~っ!!」」」



 絶叫が教室内に木霊した。


(サーシャさん……自信なくしちゃわないといいのだけれど)


 その後、好奇心いっぱいで私達の様子を見ていたクラスメイト達にスフレを笑顔で配るルノワール。


 彼女がチラリと私に目を向けた。

 嬉しそうに目を細めている。

 最近になって私の元へとやって来た心優しき従者。


(ふふっ)


 改めてこう思う。


 やっぱりルノワールはすごい。






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