第二十八話 お嬢様の幼馴染
「空いているので助かりますね……入学式だからでしょうか?」
リィルが周囲を見ながらぼそりと呟いた。
僕も釣られるようにして周囲に目を向ける。
なるほど、確かに彼女の言うように空席が目立っている。
うーん、明日以降はもっと混み合うのだろうか?
「確かにそうね、リィルさんは――」
「リィル、と呼び捨てにしてくださって構いませんよ、メフィルさん。当然ルノワールさんも」
「そ、そう。じゃあ私もメフィル、と」
「いえ流石にそれは……立場上、ユリシア様の御息女を呼び捨てにする訳には参りません。本来ならば敬称を用いなければならないぐらいです」
そもそも紅牙騎士団はマリンダが団長ではあるが、所属がどこか、と問われればユリシア様個人の騎士団ということになっている。
すなわちリィルや僕からしたら、メフィルお嬢様は組織のトップの娘というわけだ。リィルの言い分もわからなくはない。
「そ、そう」
若干戸惑い気味ではあったが、メフィルお嬢様は頷き、問い返した。
「というか立場上、なんて言ってもいいの?」
近くに人はいないけれど、少し離れたテーブルでは学生達が談笑している姿が散見される。
確かに同級生に対し、立場だなんだという話は不釣り合いだろう。
メフィルお嬢様が公爵家であることを鑑みても、少し違和感がある会話(というより話し方)だ。何か特別な繋がりがあるかのように聞こえてしまう。
とはいえ。
少なくとも僕達の会話を聞いている者は周囲にはいない。
「私達の会話に耳を傾けている人物はいないですから、大丈夫でしょう。もしも気配を感じたら忠告致します」
「そう? まぁルノワールがそう言うなら」
その時、ふとリィルの視線が気になった。
「……」
じっと見つめている。
何を?
弁当を、だ。
「……一つどうですか? リィル」
「えっ?」
お弁当箱をそっと差し出す。
僕の提案に彼女は目を泳がせた。
視線の行方を悟られて恥ずかしかったのだろう。
「えっと……いえ私は……っ」
慌てふためくリィルだったが、苦笑しつつお嬢様が言った。
「いいわよ、少しぐらい。さっきから物欲しそうに見てたじゃない」
「うっ……」
声を詰まらせ呻くリィル。
「なんだか少し意外ね。初対面の時は、もっと貴女って無感情そうな印象だったから」
言った直後にメフィルお嬢様は、しまった、という表情をした。
「ごめんなさい、失礼だったわね」
「い、いえ。構いません。事実ですし」
ぼんやりとリィルは呟いたが、僕はそうは思わなかった。
「リィルはとても可愛らしい子ですよ、お嬢様」
「る、ルノワールしゃんっ!?」
頬を染めあげたリィルの様子はどこからどう見ても年相応の女の子だ。
彼女は生まれと育ちが特殊だったがゆえに、感情表現が少し苦手なだけで、実はとても情の深い子であることを僕は知っていた。
そういう点もディルとよく似ている。
「あわ、えっと……わ、わたしはその、ルノワールさんの料理をいただくのが初めてなので……」
「別に大したものではないですよ?」
僕は苦笑しつつ言ったが、
「いえ、噂には聞いておりました」
リィルは真顔だった。
「は? えっと、どういうこと?」
思わず尋ねるメフィルお嬢様。
???
というか僕も意味がよくわからない。
(噂って何?)
「その……団長が時折、自慢をしていたので」
「ルノワールの料理を?」
「はい。私の子供はすごい料理上手だと、その……お弁当を見せびらかしながら」
えっ……?
「……へっ?」
な、なにそれ!
僕知らないんだけど!?
思わず身を乗り出してしまう。
「そ、そうだったのですか?」
「はい。あれ、というか御存知なかったですか? ……そういえば団長は貴女がいない時に限って自慢していたような気も……」
「えぇ~……な、なにそれ。は、恥ずかしいです……」
何をやってるのかマリンダは……。
今度頬を染めたのは僕の番である。
僕が縮こまっているとお嬢様がさも楽しそうに笑った。
「あははっ。でもマリンダ様の気持ちも分かるわよ。貴女の料理の腕前は素晴らしいからね」
「ご、ご勘弁ください。お嬢様」
「ふふ、恥ずかしがることは無いでしょう。さ、ではお一つどうぞ」
「あ、で、では頂きます」
そう言ってリィルはサンドウィッチを一つ手に取った。
中身はレタスと卵焼き、そして昨夜から仕込んでおいたとっておきの肉餡を詰め込んである。
一口齧ると肉汁が溢れ出し、甘辛で味付けされたペーストが卵と絡み合い、レタスの食感がそれを際立たせるのだ。
「……」
「ど、どうですか?」
恐る恐る尋ねる僕。
「顔見れば分かるでしょうに」
「お、美味しいです……。もうそのホント……大変美味しいです」
目を輝かせながら僕を見つめるリィルにほっと一息。
「それはよかったです」
微笑みかけると再びリィルは動揺した様子で俯いてしまった。
だけど料理の方はちゃんと味わってもらえたようで一安心である。
「ルノワール、お弁当作るのって大変なの?」
口の中に放り込んだサンドウィッチを飲み込み、お嬢様が僕に尋ねた。
「いえ、この程度の手軽なものでよろしければ、それほどの手間はかかりません。前日から準備しておけばすぐです」
僕がそう言うとお嬢様は上機嫌に微笑んだ。
「そう。なら明日からも頼んでいいかしら? やっぱり昼食もできれば貴女の料理が食べたいわ」
その言葉に軽くジーンとしてしまった。
嬉しいことを言ってくれる人である。
「もちろん、喜んでお作り致します!」
張り切って答える僕だったが、お嬢様は一つ付け加えた。
「でもあんまり凝らなくていいからね?」
☆ ☆ ☆
やがて昼食を終え、もう一つの水筒から温かな紅茶をお嬢様のコップに注ぐ。
食後の紅茶としては、カップに上品さが欠けているが、まぁそこはしょうがない。
「ふぅ。リィルはこれからどうするの?」
「私は学院の地形をより把握したいと思いますので、敷地内をくまなく一度探索致します」
これは彼女の任務に基づいた行動だろう。
今日は部活動以外では先輩方も登校していない筈なので、目ぼしい貴族の子供たちのクラスやその周辺を把握しておくのに都合がいいのだ。
「そう」
「お嬢様はどうなされますか?」
「そうねぇ……」
お嬢様が小首を傾げ、指先を顎に当てたその時。
「あっ! ここにいたのねっ!」
何やら大きな声が学食に響き渡った。
☆ ☆ ☆
「あぁ……面倒くさいのがきた」
折角ルノワールのお弁当に舌づつみを打ち、気分よく紅茶を飲んでいたというのに。
私が視線を大声の主の方へと向けると、予想通りの人物がこちらに歩いてきた。
二人組の男女だ。
女子の方は私よりも背が(1センチぐらい)低い(ここ重要)。
髪色は青みがかったブロンドで、軽くウェーブをかけており、ふんわりとした印象を受ける。
目は真ん丸く鼻筋の通った顔は年齢よりも幼く見えた。所謂童顔だ。
口角を吊り上げ、不敵な表情を浮かべているつもりなのだろうが、はっきり言って全く似合ってない。
評するならばズバリ、ただの背伸びした格好つけたがりの小娘である。
カミーラ=ランドリック。
彼女はランドリック伯爵家の次女だった。
その一歩後ろに付き従っている青年はマルク=ローバット。
ローバット家は代々ランドリック家に仕えている子爵家であり、マルクはカミーラの個人的な執事として雇われている使用人だ。
背はそれほど高くはないが、普段から髪の毛が逆だっており、目つきもあまりよくない。しかも口調もぶっきらぼうなものだから、何かと妙な威圧感を放っている青年だった。
それなりに見栄えの良い顔立ちをしているのだが、貴族らしからぬ粗野な態度が彼の長所を消している。
「まったく! 隣のクラスなのにあたしに声もかけないでさっさとどっか行っちゃうからビックリしたわ!」
なんで私がいちいちカミィに声をかけなくちゃいけないのか。
そんな私の心の声をマルクが代弁する。
「別にカミィに声かける必要なくね?」
「なんでよ!」
「えぇ~、わかんないの? カミィに声かけたらうるさいし」
マルクの遠慮の無い言葉に怯むカミィ。
「……な、なによぉ。あんた執事のくせに……」
「それを言うならカミィはたかが伯爵家だろう? メフィル様は公爵家だぞ?」
涙目になってマルクを見上げるカミーラだったが、マルクは素知らぬ顔で無視した。
(相変わらずね、この二人)
一見して主従関係には見えない。
私が黙っていると、マルクが一歩踏み出し挨拶しようとした。
しかし。
「どちら様でしょうか?」
感じのよい笑み。
だがこれ以上近づくな、という無言の迫力をもってルノワールがマルクの前に立ちはだかった。
彼女は若い男性たるマルクが私に近づくことを防ごうとしてくれたのだろう。
確かに全く恐怖心がないといえば嘘になる。
だけどマルクは昔からの顔なじみだ。
流石に見知らぬ他人ではないので、ルノワールが心配するほどではない。というか私のリハビリ相手としては最も適任かもしれないくらいだ。
「いいわよ、ルノワール」
私が声を掛けると、ルノワールはちらりと私の顔色を伺った。
真意を確かめるような視線だ。
ルノワールは私のことを心配してくれている。
でも少しぐらいならば大丈夫だから。
彼女を安心させるように。
なるべく優しく私は言った。
「本当に大丈夫。昔からの知り合いなの」
一瞬だけ逡巡した様子であったが、ルノワールはすぐさま一歩退いた。
「……左様ですか。失礼致しました」
「いいのよ、ありがとう」
私はリィルとルノワールに二人を紹介した。
「こっちのチビが――」
「誰がチビよ! あんたも変わんないでしょ!」
なによ、私の方が大きいことには変わりないでしょうに。
「……カミーラで、隣がその執事のマルクよ。二人はまぁなんというか昔からの知り合いというか……親同士が結構仲良くてね」
「メフィルは友達いないからしょうがなくあたしが」
「カミィの方が友達いねーだろうよ……」
「あんたは黙ってなさいよ!」
「そういう態度がさぁ」
「あんただって全然執事っぽくない!」
「主人が主人だしなぁ」
「どういう意味よ!」
あぁもう、本当にうるさい!
「……はぁ」
私が溜息をつくと、ルノワールが愛想笑いを浮かべながら言った。
「えぇと……楽しい方々ですね」
まぁ彼女の立場としてはそれ以上言えないだろう。
「そ、そう! とても賑やかで、元気が分けてもらえそうです」
ルノワールが必死にフォローを入れようとしてくれる。
(健気ね、この子は……)
うぅ、私のメイドがルノワールで本当によかった。
「で! そっちの二人は誰なのよ!」
「だから! カミィは声でけぇんだって! もっと小さい声で話せ!」
「はぁ!? なんであんたがあたしに指図すんのよ!」
「もうマジで嫌だこいつっ」
「こ、このやろうー」
と、ここでルノワールが二人の間に割って入る。
「そこまでにしておきましょう」
ふんわりと場の空気を壊さないように、微笑みながら彼女は続けた。
「私の名前はルノワール、と申します。ファウグストス家に仕える使用人で、現在はメフィルお嬢様付きの従者を務めております。以後よろしくお願い致します」
丁寧に腰を曲げ、低頭する。
その所作は惚れ惚れするほど美しかった。
「うっ……そ、そう。メフィルのメイドってわけね!」
これには、さしものカミィも怯んだようだった。
教室でも思ったがルノワールの完成された所作は、容姿の美しさも相まって、どこか神秘的ですらある。現に自己紹介の際には、誰もがルノワールの放つ、ある種のオーラに見惚れてしまっていた。
今日は素早く食堂へとやってきたが、教室中の誰もがルノワールと話してみたいと思っているのではないだろうか。
「はい」
「なるほどなぁ。なんというか流石は公爵家に仕える使用人って感じだな」
マルクはマルクでまるで他人事のような言い草である。
「あんたも見習いなさいよね……」
「主人がなぁ……」
「はぁ~~っ!?」
「はいはい、そこまで!」
また話が脱線しそうだったので、会話を強制的に終わらせる。
この二人に好き勝手やらせると話が全然進まない。
続いてリィルが頭を下げた。
「初めまして。リィルと申します。私は地方から学院へとやって来た者で爵位などはない平民です。たまたまメフィル様と席が近かったこともあり、本日は昼食を御一緒させて頂きました」
やはり多少ぎこちなく、どこか冷たい印象を与える声音だった。
そんなリィルの様子に若干のとっつきにくさでも感じたのだろう。
カミィの反応も乏しかった。
「そ、そう。よろしくね」
「はい、よろしくお願い致します」
「……」
「……」
「……」
無言で見つめ合う二人。
「……何か?」
「えっ……何も……」
「そうですか」
(なにかしら、これ?)
ま、まぁいいか。
「もうご飯食べちゃったの?」
「ええ」
素っ気なく返事をすると、カミィは明らかに落ち込んだ。
というか泣きそうだ。
「なによぉ……」
はぁ……もう。
こう生意気な癖に、カミィは昔から本っ当に泣き虫だ。
いつだって私をライバル視して突っかかってくる。
その割には、傍にいたがる。
一緒に食べたかったならそう言えばいいのに。
「また明日ね」
私がそう言うと、嘆息した様子でマルクが主人を宥めた。
「はぁ、しょうがねぇだろ? 俺は腹減った。早く買いに行こうぜ、カミィ」
「わかったわよ……」
とぼとぼと歩いていくカミィとマルクを見送り、私はリィルとルノワールを振り返った。
「なんだか疲れちゃったし、今日はもう帰りましょうか」
私が言うと、ルノワールは目をパチクリとさせた。
「よ、よろしいのですか?」
「ん? カミィのこと?」
「え、ええと。はい」
「大丈夫よ。これでも付き合い長いんだから」
私の言葉に渋々彼女は頷く。
「お、お嬢様がそう仰るなら」
恭しく頭を垂れるルノワール。
まぁでも確かに今日初めて私とカミィのやり取りを見た人間からすれば少しばかり戸惑ってしまうのかもしれない。
「では私も失礼させて頂きます」
リィルがそう言い、背を向ける。
その背中に向かって私は声をかけた。
「えぇと、私がこう言うのもなんだけど……気をつけて、ね」
「承知しています」
彼女は振り返らぬままに食堂を後にする。
「じゃあ、行くわよ、ルノワール」
「は、はい」
「カミィとはまた明日話すから大丈夫」
「さ、左様ですか……」
「帰りに画材屋に寄って行きたいのだけど」
「しょ、承知いたしました。お供致します」
久しぶりに会った幼馴染に、気立ての良い従者。
不安と期待が入り混じった昼下がり。
こうして学院の初日は幕を閉じた。