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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第1章 公爵家の事情
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番外編 その日、友と飲む酒

 

 何故僕を監視していたのか。彼らがこれからどうするのか。

 粗方の事情をポーター兄妹から聞き終えた僕は屋敷へ帰ろうと思い外に出たの……だけど。


「あれ、どうしたの?」


 しばらく歩く間もなく、家から出てきたディルに呼び止められた。


「この後、少し時間無いか?」

「うーん、と」


 ユリシア様にディル達との話を報告したいところではある。

 とはいえ取りたてて緊急の用件ではない。

 帝国関連の重要な話は既にユリシア様にも伝わっている筈だ。


「ん、大丈夫だけど」


 僕の返事を聞くなり破顔し、彼は言った。


「久しぶりに飲みに行こうぜ」




   ☆   ☆   ☆




 ディルと共に向かったのはアゲハの北西部に位置する洒落た外装をしたバーだった。

 流石にファウグストス家のメイド服のまま向かう訳には行かないので、途中で服を調達し、着替えを済ませている。

 現在僕は地味なガウンと、簡素なパンツに身を包んでいた。

 店内は薄暗いが決して不衛生さは感じない。落ち着いた雰囲気が漂う空間だ。

 案内されるままに二人がけの席へと腰掛け、僕達は注文を済ませた。

 

「ほんと、ディルと二人で飲むのは久しぶりだね」

「だな」

 

 テーブル席で向かい合う。

 グラスに注がれているのは美しい琥珀色をしたウィスキー。


「乾杯」

「乾杯」


 互いのグラスを打ち合わせ、僕達二人はロックのまま一気に飲み干した。


「くぅ~っ」


 ディルが楽しげに呻く。


「かぁっ、きっつい!」


 言葉とは裏腹に嬉しそうだ。

 うん、美味しい。

 僕が舌を潤す甘美な感覚に酔いしれていると、グラスを空にしたディルは、理不尽なことに妬むような視線を僕に向けた。


「なんでお前はそんなに余裕そうなんだよ」


 ウィスキーを顔色一つ変えずに飲み干したことについて言っているのだろう。


「うん? まぁ……体質だと思うけど」


 これ以外に答えようがない。


「ウィスキーぐらいなら、どれだけ飲んでも大丈夫かな」

「お前と飲んでるといつも無性に負けた気になるんだよな」

「お酒ぐらいで大げさな」


 グラスをテーブルに置きつつ、僕は苦笑し肩をすくめた。

 二人でお代わりを注文する。


 積もる話もたくさんある。

 今度はゆっくりとグラスを傾けよう。


 さて。


「それで……何か話でもあったの?」

「ん?」


 僕が問いかけると悪戯っ子のような表情でディルは笑った。


「ただお前と飲みたいと思った、ってだけじゃ駄目か?」


 う~ん、そうだなぁ。


「ダメじゃないけど……なんとなく話したいことがあるんじゃないか、って思ったから」

「相変わらず鋭いねぇ」


 今度はチビチビとブランデーを胃に流し込みつつディルは呟いた。


「まぁリィルのことと……お前さんのことだよ」


 僕のこと?


「リィルはともかく僕?」

「そうだ」


 周囲に聞き耳を立てている人物が居ないことを確認しつつ、一度グラスを置いたディルはゆっくりと腕を組んだ。


「学院に通うことになっただろ?」

「え? うん」

「お前はどう思ってる?」

「どう、って……」


 ユリシア様からの依頼だ。

 メフィルお嬢様を守るために必要な措置。

 

「メフィルお嬢様を守る……」

「違う、そうじゃない」


 ぴしゃりと遮られる。

 えっと……ディルは何を言いたいのだろうか?


「……楽しみか?」


 彼は真剣な目をしていた。


「えっ?」


(楽しみ? 何が?)


 意味が分からず僕が首を傾げると彼は溜息を吐いた。


「この国のお前ぐらいの年齢の子供のほとんどは何らかの教育機関に属している。恵まれた王国ゆえに、だけどな。大多数の人間は学校でいろんなことを学ぶ。友人を作る。そこで得た経験を人生の糧にする」


 唐突に語り出したディルの言葉に僕は黙って耳を傾けた。


「……」

「いろんなことがあるだろう。もちろん楽しいことばかりじゃない。嫌なことや辛いこともある。そういった諸々を含め、学ぶんだ」


 そういうものだということは聞いている。

 しかし彼は真面目に話してくれているのだろうけど……僕にはよく分からなかった。

 僕は学校に通った経験がない。

 伝聞だけではどうやったって実感が沸くことはない。


「……正直に言えば、よくわからない」


 だから僕は素直に言った。


「お嬢様を守る。それが一番の目的で……僕自身が学校をどう思うか、なんてあまり考えていなかった」 

「……そうか」

「うん」

「……リィルも同じだ」


 ポツポツと彼は再び語りだす。


「あいつやお前は特殊な環境で育ち、しかも抜きん出た才能があった。普通の子供達とは随分と異なる人生を歩んできている」

「それは……」

「もちろん悪いことじゃない。その場その場でお前達は精一杯に生きてきた。お前達の人生を否定出来る奴なんてどこにもいやしない」


 そこで一度言葉を区切り、彼は寂しそうに言った。


「だけどお前達は……まだ子供だ。子供だろう? 騎士団として、国家として、情けないことに俺達大人はお前達のような子供に頼らざるを得ない。だけどそんなの本当はおかしいに決まってる。なんで大人の不始末を子供がつけなくちゃいけないんだ」

「ディル……」

「メフィルお嬢様が賊に襲われた。帝国が動き出した……。またお前達の力を借りなくちゃいけないのか、と正直思ったよ。特に……お前の力は代わりがきかない強力なものだからな」


 彼は不貞腐れるような口調だった。

 グイっとグラスを傾け、胃の中にアルコールを流し込む。


「だが、そこでユリシア様からの依頼だ!」


 今度は打って変わって元気よく言った。


「メフィルを守って欲しい、と。そのために身近な戦力・護衛としてお前が欲しい、と。俺と団長は二つ返事で承諾したよ」


 あ、やっぱり僕の意見は関係ないんだね。

 最初にユリシア様が僕に依頼の話をした時に、既にメイド服が用意してあったことを僕は思い出していた。


「団長も前々からお前には学校に行って欲しいと思ってたみたいだったしな」

「え、そうなの?」


 そんな話聞いたことないけれど。


「まぁな。まぁ身内には言いにくい話だろう。俺自身リィルには言ってない」

 

 ディルは快活に笑った。


「でも……なんで?」


 分からない。

 確かに多くの子供達がこの国では学校に通っている。

 しかし僕もリィルも十分に様々なことを学び、生きてきた。

 何故学校にこだわる必要があるのか。


 僕が尋ねると彼は言った。


「おかしいか?」

「え?」

「自分の子供が、妹が。戦場に身を置くことなく、同年代の友人達と一緒に楽しい日々を送って欲しい、と。そう願うことが」


 儚げな表情で彼は呟いた。


「無論、お前とリィルを遊ばせておく余裕なんてない。だけどメフィル様を守る役目は絶対に必要だ。ユリシア様は娘さんを何よりも大事に思っているしな。万が一メフィル様が敵の手に落ちればユリシア様は動けなくなる。ユリシア様の行動が抑制された時に帝国が攻め込んできたら、それは王国崩壊の第一歩だ。騎士団の自由も奪われるしな」


 これはあながち大げさな話でもない。

 軍縮の風潮が広がりつつあるミストリア王国において、ユリシア様のような大きな力を持った公爵家の発言力は重要だ。

 また、立場だけではなく、彼女自身の卓越した能力は王国に欠かせない力だろう。紅牙騎士団もユリシア様の全面的なバックアップを受けている。


「ならば、その役目はお前に任せればいい。団長の願いとユリシア様の願い。その二つを両立させることの出来る最良の手だ。一人はバックアップにつけたほうがいい。ならばリィルが適任だ」


 彼は空になったグラスを持ち上げ、更におかわりを注文した。


「ちょっと……ペース早いんじゃない?」

「ん? あぁなんか今日の酒は美味いな」


 小声で僕は呟く。


「安酒だと思うけど」


 僕の呟きを聞き逃さずにディルは笑った。


「ばっかだな、お前」

「何がさ」


 急に馬鹿にされ、口を尖らせつつ抗議すると、彼は更に上機嫌になった。



「友と飲む酒はいつだって美味いもんさ」



 まるで少年のように。

 ディルは目を輝かせて言った。


「そ、そう」


 あんまりにも彼の言葉が直球で。

 思わず照れてしまった。


「はははっ」


 そんな僕を見ながら彼は優しげに目を細める。


「もう。やっぱり飲みすぎじゃない?」

「あぁ、そうかもな」


 だけど。


「たまにはいいのかな」


 ディルに釣られて思わず笑みが溢れた。


「そうさっ! 人間誰しも息抜きが必要だ」


 だから、と彼は続ける。


「お前もリィルもちゃんと学院を楽しめよ。任務を忘れろ、とは言わん。だが、そんな中でも楽しく過ごす気持ちを忘れるな」


 真面目くさって言うディルに僕はからかうように提案した。


「それをリィルにも言ってあげたら?」

「あいつは真面目過ぎるから駄目だ! ……最近ちょっと反抗期だしな」


 言葉尻にどことなく哀愁が漂うディル。


「僕ならいいの?」

「お前は元々不良だろう?」

「あ、言ってくれるなぁ」


 まぁ、否定出来ないけれど。


「いや正直な話な……ちょっと心配してるんだよ」

「リィルを?」

「おお。あいつは何事にも真剣に取り組むが……同年代のコミュニティに属したことなんてないしな。俗な言い方をしちまえば、お前と比べてコミュニケーション能力が足りない」

「僕は足りてるの?」

「おお、十分過ぎるほどだろ。やっぱ大陸中を旅したのがよかったのかもな」


 そ、そうなのかな?

 あんまり自覚は無いのだけど、ディルには嘘を吐いているような様子も無い。


「だから、そのなんだ。一応任務の都合上、リィルがお前のサポートってことになっちゃいるが、普段の生活面では、だな。お前もリィルを支えてやっちゃくれないか?」


 心配そうな表情で呟くディル。

 彼は普段はどこか軽薄そうな振る舞いをするけれど、本当はとても心優しい性格の持ち主だ。特に妹のリィルの事となると、その反応は顕著である。

 時折、彼はこうやってお酒の勢いに任せて本音を見せてくれる。


「僕に出来る限りのことはするよ」


 僕が穏やかな気持ちで告げると、彼はあからさまにホッとした様子だった。


「そうか」


 俯きながら、グラスの中身を口に含む。


「相変わらず、妹思いだね」


 僕が茶化すように言うと、彼は口を尖らせた。


「うっせ」

「あははっ」


 あぁ、なんだか楽しいな。


「俺や団長のことは気にする必要ないからな」

「……うん」 

「お前達は青春を謳歌すればいい」

「……うん、ありがとう」

「まぁ偉そうなこと言っておきながら、状況次第では騎士団員として連絡することになる。情けない話だが」

「それはしょうがないよ」


 気持ちだけでも十分だ。

 ディルは妹思いなだけではない。

 昔から僕に対しても実の弟のように接してくれる。


 それがすごい心地よくて。嬉しくて。

 自然と僕は笑顔になった。

 

「なに、ニヤニヤしてんだ、こいつ~っ」

「うわわっ。髪の毛いじらないでっ! ぐちゃぐちゃになっちゃうっ」

「ぬはは、んなこと気にすんじゃねぇよ~っ」


 ディルは、わしゃわしゃと僕の髪を掻き回しながら、笑っていた。

 僕にはこれが彼の照れ隠しなのは分かっていたので、あえてなされるがまま。

 二人でバカみたいに笑っていた。


 僕にもしも兄がいたら、こんな感じなのだろうか、なんてことを考える。


(いや……きっと)


 血の繋がりなんかなくたって。

 僕達は兄弟のようなものなんだ。


「おっとと?」

「ほら、フラフラして。飲みすぎだよ」

「むぅ。悔しいが認めざるを得ないな」

「大丈夫なの?」

「あぁ、酒が抜けるのは早いから問題ない。でもまぁそろそろ出るか」

「そうだね」


 ディルが覚束無い足取りで会計を済ませ、二人で外に出た。

 二人並んで夜のアゲハの街を歩く。


「……夜はまだ冷えるな」

「うん」


 一際強い夜風が吹き荒れ、僕達の前髪を攫っていった。

 そろそろ春の到来だが、日が沈むとそれなりに寒い。

 だけど。


「まぁアルコールで火照った身体にはちょうどいい」

「だね」


 何が楽しいのか。

 理由はよくわからない。

 だけど自然と笑いが込み上げてくる。


「くくっ」

「ははっ」


 二人で意味もなく笑った。

 あぁ、駄目だ。これは悪酔いしちゃってるなぁ。間違いない。

 客観的に見たら、ちょっと危ない二人組だ。


 夜道をフラフラと歩いていくと。


「おっと、もう着いたか」


 やがてディル達が拠点にしていた家屋の前に差し掛かった。


「んじゃ達者でな」

「マリンダをよろしくね」

「ははっ。よろしくされるのは俺の方だと思うけどな。お前もリィルと楽しく元気にな」

「うん」

「何度もくどいように言うけどな」


 そこでディルは今日一番優しい表情で言った。


「学院生活をしっかりと楽しめ。お前はもっと楽しく生きていいんだ」


 なんだかとても深みのある声音で言われてしまい、僕は咄嗟に返事をすることが出来なかった。

 ディルは僕の返事を待たずに背を向け、去っていく。


「またなっ」


 手を振りながら遠のいていくディルの背中を見つめていたが、少しして僕も声を返した。


「……またねっ」


 ディルのことだから、大丈夫だとは思うけれど。


(気をつけて……)


 最後に心の中で無事を祈り、その日僕は彼と別れた。






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