第二百四十四話 決戦の刻Ⅵ ~その手の平で掴むモノ~
「お父……様?」
満足そうな顔付きで倒れてゆく父親。
キースはゆっくりとアトラにおぶさる様に膝を付く。
その時、父の胸元から何かがカラン、と音を立てて零れ落ちた。
「お父様? お父様?」
ただただ父を呼び続ける事しか出来ない。
しかし少女の悲痛な呼び声に答える力強い声は聞こえなかった。
全身に圧し掛かる父の重みを感じつつもアトラの慟哭は止まらない。
「いや……いやぁ……お父様! お父様ぁっ!!」
母を失い。
それでも尚、自分を育て続けてくれた、たった一人の肉親。
大好きだった、尊敬していた。
忙しさの余り、アトラに時間を割けない時も在ったが……それでもキースは間違いなくアトラを愛してくれていた。アトラもまた、愛していた。
「おとう……さま……ぁ」
瞳から溢れ出す涙を抑える事が出来ない。
父親の危機を感じて駆け付けた筈なのに。
結局は自分を守る為に、父親は犠牲になっている。
「ぁあああ……あぁぁぁ……っ」
涙するアトラを守る様に二人の少女が駆け付けた。
「ちくしょうがっ!!」
「アトラっ!!」
キサラの斧を回避し、ゼロは後退する。
そしてメフィル=ファウグストスは涙するアトラを両手で思い切り抱きしめた。
「あぁぁ……お父様ぁ……っ」
「アトラ……っ」
小さな少女の心を少しでも癒す様に。
メフィルは力強くアトラを抱きしめ続ける。
「親が死ぬと……悲しむものなのですか?」
目の前の光景が理解出来ない。
感情が沸かぬゼロは呟く様に告げた。
「キース=オルフェウス……馬鹿な男でしたね。それほど生きたいのであれば大人しくしていれば良かったものを……」
「……!」
「本当に人間達の中でも、特に度し難い人間でしたね、彼は。一体何故無謀な戦いを挑んだのか、まさか本当に勝利出来るとでも思っていたのでしょうか」
「……」
その言葉を聞いて、メフィルはゼロを睨みつけた。
彼女は抱きしめているアトラの身体が震えている事に気付いていない。
「ふざけないで!! 民を想い……国を想い……行動したオルフェウス卿は誰よりも勇敢だった!!」
ずっとずっと。
キースは本当は怖かった筈だ。
誰もが口を噤んでしまうほどのレオナルドの恐怖政治の最中、現状を少しでも良くしようと、恐怖に打ち勝ち、誰よりも勇敢に戦っていた。
キースの様に。
超常的な力を持ち合わせていない人間が、強大な力に立ち向かう。
それは本当に……とてつもない勇気を必要とする事なのだ。
「……その結果がこれでしょう?」
「あなた……!」
メフィルが尚も声を荒げようとした時……ゆらり、と。
まるで幽鬼の様にアトラが立ち上がった。
頼りない足取りは今にも倒れそうであったが、それでも彼女は大地に足を付けて立ち上がった。
己の力で。
己の意志で。
「……」
その手の平には、いつの間にか、父の『魔法筒』が握られている。
「アト、ラ?」
様子がおかしい。
メフィルが思わず手を差し伸べようとするも。
「あぁああああああああああああっっ!!」
涙を振り乱し、アトラが魔法筒を構えた。
母から受け継いだ力を。
父の形見に込めて。
カッと目を見開いた彼女の眼差しの先。
彼女は魔法筒を構え、微動だにしなかった。
莫大な空色の力が世界の色を変え、放たれし一撃がゼロの胸元に吸い込まれてゆく。
「っ!?」
間一髪の所でゼロが回避する。
躱した筈のゼロの額から汗が零れ落ちた。
(なんだ、この威力……!?)
先程までの比では無い。
その爆音の激しさ、衝撃。
放たれた一撃が世界に軌跡を残す。
膨大な力の射線上には塵一つ残っていなかった。
(これはもはや、あのマリンダやイゾルデに匹敵する……!?)
「許さない……」
「っ!」
静かに燃え盛る怒りの炎。
本来美しい筈の空色の輝きが、ゼロには酷く恐ろしく見えた。
(恐ろしい? 馬鹿な、脅威を感じる事はあっても、恐れる、などとは……)
額を流れる汗を無理矢理に無視して、ゼロは告げる。
「なに……状況は変わっていない。もう一度だ」
『領域拡大』が破れた訳でも無い。
我武者羅なだけの攻撃など自分に当たる訳が無い。
「そうさ、君の命運は何一つとして変わっていない!」
☆ ☆ ☆
(どう、して……?)
キサラは考えを巡らせる。
(どうして、先程のキースにゼロは気付けなかった?)
最初、奇襲を掛けた際にキサラの攻撃が当たったのは、恐らくゼロが何らかの能力を使っていなかったからだろう。
臨戦態勢に入ったゼロはその身に宿るゲートスキルを発動した。
その後、こちらの攻撃は全て読まれ、攻撃が当たらなくなった。
しかし、何度か。
意表を突く形でゼロに攻撃が命中した。
思い返せばいずれも、それは『転移』による奇襲だった。
(一定以上距離の離れた場所からの攻撃には対処できない?)
その可能性は大いにあるだろう。
だが、先程のキースは近くに居た。つまりは近距離転移だ。
じっと機を待つように息を潜めていたキサラ。
微かに彼女が立ち上がろうと身動ぎをした。
その瞬間。
「っ」
(……いま、あいつ、こちらを?)
ゼロの意識が微かにこちらに向いた。
(いったい、何がトリガー?)
彼女の足元。
そこには倒れ伏した天馬騎士団員が居た。
彼は意識を失っているようだったが、致命傷という程では無い。まだ命はあるだろう。
(そもそも何故止めを刺さない?)
殺す事を躊躇う様な人情を持ち合わせているとは到底思えない。
ならば何故?
いつか回復してしまうかもしれない敵兵を放置しておくのか。
そして何故、先程アトラの攻撃に対しても対応が遅れたのか。
(思い出せ、思い出せ……共通点は、一体……)
今までの戦闘の光景が瞬く間にキサラの脳内をフラッシュバックする。
そして。
幼い頃から無数の戦場を駆け抜けて来た彼女の脳裏が一つの答えに辿り着く。
「……ぁ」
赤毛の騎士は一つの可能性に思い至った。
☆ ☆ ☆
「……っ!」
目の前に父親の仇が居るのに。
あと少しで手の届く距離に居るのに。
それなのにアトラの攻撃はゼロには届かない。
いくら怒りに任せて通常以上の力が発揮出来ていると言っても、それだけでは状況は覆せなかった。
「アトラっ!」
その時、こちらに掛けて来るキサラの姿が見えた。
彼女の表情にはどういう訳か、希望の色が満ちている。
(一体、何が……)
だが。
「そろそろ貴女のしぶとさには辟易してきた所です」
ゼロがキサラの行方を阻もうとする。
一瞬にして接敵した最強のレオナルド・チルドレンの拳が風を切る。
その瞬間――キサラは一切の動きを止めて、息を殺し、気配を殺した。
よくよく見れば彼女は斧を持ってすらいない。
それは完全に無防備な姿。
戦場であってはならない状態と言えるだろう。
しかし。
「っ!!」
何故か。
同時にゼロの動きも止まった。
まるで今の今まで追っていた獲物が突然視界から消えてしまったかのように。
「……!」
途端に焦燥の色がゼロの表情に現れる。
対するキサラの顔付きは静謐としており、一切の動揺もない。
(やはり……!)
元々ゼロは眼帯で視界を覆っている。
つまり周囲の状況を何らかの方法で探っていた。
それは例えば魔力であったり、周囲の気配であったり、と。様々だろう。
だがそれだけでは、当然ながらどうしたって精度が落ちる。
(恐らく、その力そのものが、ゼロのゲートスキル!)
周囲の人間の気配、動き、変化を捕える力。
通常は人が意識すらしていない、微細な変化をゼロは読み取り、次なる動きを予測する。
故に彼は既に意識を失った人間に止めを刺したりはしない。
否、彼は意識を失った動きの無い人間を捕える事が出来ないのだ。
未来予知にも似たゼロの動きは、敵の行動を的確詳細に把握し、その次なる行動が見えていたから。
確証は無い。
だが、キサラはこの可能性に賭けた。
(種が分かれば……っ!!)
「アトラっ!!」
キサラは叫ぶ。
そしてその言葉によってゼロは彼女を知覚する。
「そこか……!」
「……っ!」
今度こそゼロの渾身の一撃がキサラに突き刺さった。
「ぐっ!?」
その拳のあまりの威力に視界が揺れる。
全力で防御姿勢をとったものの、その衝撃は消しきれない。
構えた斧も間に合わず、赤毛を振り乱しながらキサラは吹き飛ばされてゆく。
気を失う寸前、キサラは口角を吊り上げて呟いた。
「……目に物見せてやんなよ」
直後。
ゼロの知覚を凌駕して。
「っ!?」
彼の真上から降り注ぐ、幼い少女と超常の魔力。
「やぁああああああああああああああっっ!!」
「ぁ……ぁああああああああああああっっ!!」
ゼロの全身を襲った空色の輝きが大地を割った。
☆ ☆ ☆
「はぁ……はぁ……」
肩で息を吐き出すアトラ。
満身創痍の最中、何故ゼロに攻撃が当たったのか。それが彼女には理解出来ていなかった。
「どういう……」
ふらつく彼女の身体をメフィルが優しく受け止める。
「……お疲れ様、アトラ」
最後の最後。
キサラの行動の意味がアトラには分からなかった。
赤毛の騎士の行動の意味を理解したのは、隣に居たメフィル。
彼女は寸分違わずキサラの意図を理解し、大地に転がっていた『転移』の魔法具をアトラに手渡したのだ。
そしてゼロを倒す為の方法を告げた。
メフィルの言葉の通り、わざと大振りに身体を動かして攻撃をしようとした――直前。
アトラは『転移』の力を使ってゼロの真上に出現した。
避けようも無い程に広範囲に放たれたアトラの全力の砲撃を前にゼロは咄嗟に防御態勢に入ったが、それを易々と貫通するほどの威力。
着弾点を中心に盛大な砂埃を巻き起こし、後に残ったのは砂の様に消えたゼロの残滓のみ。
敵が居なくなった。
それを認識したアトラはゆっくりと。
「……」
メフィルに支えられながら父の亡骸の方へと歩いて行く。
そして大好きな父の手に触れた。
安らかに眠る父の顔を見つめた。
「お父……様」
改めて父を呼ぶもキースは何も答えない。
ぽろぽろ、と。
大粒の涙を零すアトラ。
もはや大声を出す程の体力も残っていなかったアトラは静かに泣き崩れる。
隣でアトラを見守るメフィルも涙を零し、少女を背中から抱きしめた。
「……アトラ」
「うぅ……」
たまらず声を洩らしたアトラはメフィルの胸の中で泣き続け、やがて体力の限りを尽くし眠りに付いた。