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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第1章 公爵家の事情
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番外編 遊びに来たよっ!

 

 その日、僕がいつものように屋敷の台所で昼食の準備をしているとメイド長に声をかけられた。


「ルノワールさん」

「あ、シリーさん」


 少しばかり足早に台所へとやって来たシリーさん。

 はて、一体なんの用だろうか。


「貴女にお客様が来ております」

「私に……ですか?」


 首を傾げて思考を巡らせても、特に思い当たる人物がいない。

 そもそも僕がルノワールになっていることを知っている人間は僕の知る限りユリシア様とマリンダ、あとはディルのみ。

 ルークならばともかく、ルノワールには友人どころか知り合いですら、数えるほどしかいない筈だ。


「素性の知れない人間を無闇に屋敷内に招くわけにもいかずに門前にて待って頂いております。一度玄関まで来てもらえますか?」

「あ、はい分かりました」


 返事をしつつも僕は視線を手元へと向けた。

 大きな寸胴の中に入っているのは本日の昼食ビーフシチュー。

 さらには12種類の春野菜を散りばめたテリーヌと自作したパン生地から作ったロールパンをテーブルに並べてある。

 シチューの仕込みは朝のうちに終えており、現在は温め直しているところだった。


「……私が見ていましょう」

「も、申し訳ありません」

「いえ」


 僕の考えを察してくれたシリーさんが僕の手からオタマを受け取り、寸胴の中の様子を見る。


「今日も実に美味しそうですね」


 優しく微笑みながらシリーさんが言った。


「……お客様がルノワールさんの知り合いであれば屋敷内に招いてもかまいません」

「え、良いのですか?」


 今日はユリシア様が朝から外出しており、屋敷にいない。

 主人のいない間に勝手に誰かを屋敷内に入れてもいいのだろうか。


「無論、招く場合はルノワールさんには責任を持ってお客様の相手をして頂きます」


 お客様の相手。

 それは文字通りの意味合いもあるだろうが、ファウグストス邸においては監視を務めるという意味もある。

 勝手な行動をさせないように注意しろ、ということだろう。


「もっとも」


 しかしシリーさんは苦笑しつつ言った。


「おそらく杞憂でしょうが」

「は、はぁ……」

「ルノワールさんも会えば分かると思います。ほら、あまり客人を待たせるものではありませんよ」

「そ、そうですね」


 イマイチ要領を得なかったが、シリーさんの言うことも尤もだ。

 僕はエプロンドレスを素早く脱ぎながら玄関へと向かうことにした。




   ☆   ☆   ☆




 門前の客人の姿を見て、おそらく杞憂、と言ったシリーさんの言葉の意味が分かった気がした。


 何故なら。


「あっ! ルノワールさんだ!」


 僕が姿を現すなり元気よく笑顔で手を振ってくれたのは幼い少女だったから。

 なるほど、確かに彼女はルノワールにとっても数少ない知人の一人と言えるだろう。


「わぁっ。お久しぶりですね、ラトさん」


 アゲハへとやって来る道中、シェーレ、という街で出会った少女だ。

 当時ほんの少しだけ会話をした程度であったが、彼女は何故か僕をよく慕ってくれた。

 慣れない女体化で落ち着かなかった僕自身、彼女との会話は心の清涼剤のようなものだった。

 その後の一件のこともあり、ラトのことはよく覚えている。

 自然と笑顔が浮かび僕は彼女の元へと向かった。

 

「ほ、本当に公爵家の使用人だったのですね……」


 ラトの隣では恐縮しきりのラトの父親の姿があった。

 彼は門の前でどこか落ち着かない様子で立っている。

 どうやらファウグストス邸に圧倒されているようだった。

 横目で詰所へと視線を向けると、本日の門横の詰所担当であるエトナさんと目が合った。

 彼女に会釈をしつつ、僕はラトに向き直る。


「遊びに来たよっ!」


 無邪気にはしゃぐラトの姿は生き生きとしている。

 父親とは正反対だ。


 無遠慮に公爵家で大声を上げる娘の姿に狼狽しているラトの父に僕は尋ねた。


「本日はどうなさったのですか?」

「あ、いえ……その、仕事の都合もあって家族でアゲハに来たのですが」

「遊びに来たのっ!」

「ラト、ちょっと静かにしなさい。ええっと……見ての通り、うちの子がどうしてもルノワールさんに会いたいと言って聞かなくて……幸いにもラトがルノワールさんの仕えている家を覚えていまして。その、正直半信半疑だったのですが」


 まぁ公爵家の使用人、と言われても俄かには信じられないだろう。


「無理は承知でお願いしたいのですが、ほんの少しでもいいのでラトに付き合っては頂けないでしょうか?」


 僕が視線をラトに向けると彼女はニコニコとしていた。


「本日お母様は?」


 少しばかり、ふくよかな体型をしたラトのお母様の優しい眦を思い出しつつ、僕は尋ねた。


「あ、家内はアゲハの友人に久しぶりに会いに行っています。私も少し寄らなければならない場所があって……ルノワールさんの都合が悪いようでしたら、ラトは家内に預けようと思っています」

「えーっ!?」


 父の言葉に不平の声をあげるラト。

 頬を膨らませて父親に抗議した。


「折角きたのにーっ!」 

「我が儘を言ってルノワールさんを困らせちゃダメだよ」


 ラトが僕の顔を見る。

 物欲しそうな顔でじーっと僕の事を見上げている。

 何かを期待するような表情。

 年相応の純粋な態度には思わず笑みが漏れてしまう。


 さて、どうするべきか。

 シリーさんにも許可はもらっているし、まさかラトがお嬢様を傷つけるとはとても思えない。

 そもそも僕が傍にいれば、ラトと遊ぶことには全く問題はないだろう。


 ただ一つ。

 もしもお嬢様が外出を希望されたらどうするか。

 お嬢様はお優しい方なので、ラトの相手をしている、と僕が話せば彼女は遠慮してくださると思う。

 しかし従者たる者、お嬢様の好意にばかり甘えていてよいものか。


「あら、可愛らしいお客さんね」


 僕がそんな事を考えていたら玄関の方から、そのお嬢様本人が姿を現した。


「お、お嬢様?」

「台所に行ったら最近にしては珍しくシリーがいたから。貴女のお客さんのことを聞いたのよ」

「あ、もしかして私に何か御用でしょうか?」

「ん? いやそういう訳でもないわね」


 メフィルお嬢様はラトの父親とは少し距離をとり、簡単に自己紹介を済ませた。

 僕がお嬢様に状況を説明すると、彼女は微笑み、快く承諾してくれた。


「あぁ、なるほど。別にいいんじゃない? こんな小さな子が何か悪さするとも思えないし」


 そうだ、とお嬢様は言った。


「ついでだから昼食を御馳走してあげたらどう?」


 彼女はしゃがみこみ、ラトと目線の高さを合わせて尋ねた。


「どうかしら? 今日はルノワールがビーフシチューを作ってくれたのよ。ラトちゃんも如何?」

「食べたいっ!」


 ラトの遠慮ない物言いに父親は大いに焦っていた。


「あぁっ、そんな何から何まで。というかラトはさっきご飯食べただろう?」

「でも食べれるっ!」


 困ったような表情のラトの父親にお嬢様は微笑みかける。


「遠慮なさらないでください。屋敷としましても彼女のようなお客様であれば大歓迎ですよ」


 丁寧な物腰に、柔らかい言葉。

 それはまさに貴族に相応しい振る舞いと所作だった。

 流石に公爵家の娘としての品格がある。


「そ、そうですか?」

「ええ」

「で、でしたらお言葉に甘えさせて頂きます。なんというかもう本当に……すいません」


 彼は何時頃に迎えに来るかを告げて、屋敷の前を去っていった。

 どうやら次の予定までの時間が迫っているらしい。


「じゃあ行きましょうか」


 お嬢様の声に合わせ、小さなお客様はファウグストス邸に足を踏み入れた。




   ☆   ☆   ☆




 メフィルお嬢様の勧めもあり、僕は屋敷内をラトに案内していた。

 道中、お嬢様に僕がラトと知り合った経緯を話している間もラトは屋敷内の物に興味津々の様子だった。


 あれは何? これは何? あのキラキラした奴は?

 目を輝かせながらラトは大はしゃぎだった。

 真っ正直に感動を表現する子供らしさには、思わず笑みがこぼれる。


 食堂へと辿り着いた時にはシリーさんが昼食の用意を半ば終えていた。

 僕も急いで手伝いに入り、配膳をしていると手の空いている屋敷の人間が皆食堂へと集まってきた。


「ではいただきましょう」


 お嬢様の声に合わせて食事が始まった。

 ラトも僕渾身のビーフシチューを口に運ぶ。


「美味しい~~っ!!」


 食べた途端にラトは声を上げた。


「すごい美味しい! これルノワールさんが作ったの?」

「あ、はい。そうですよ」

「こんなの食べたことない!」


 僕自身返事をしつつシチューを一口。

 うん、美味しい。今日のは自分でも良い出来だと思う。


「本当に……流石の腕前だわ」


 うぬぅ、とお嬢様も唸っていた。

 やっぱり料理を褒められるのは嬉しいな。


「それにこのテリーヌも素晴らしい出来ね」


 フォークで一口サイズにカットしながら、お嬢様はテリーヌを食べている。

 ラトはお皿の上で光を反射し輝いているテリーヌを見て目をぱちくりさせていた。


「これ宝石?」


 そんな少女の言葉に僕は思わず笑ってしまった。


「いいえ。テリーヌ、という料理ですよ」

「へぇ~っ! すっごく綺麗! キラキラしてる!」


 子供らしい素直な感動がラトの表情から窺える。

 実に微笑ましい反応だった。


「ではお一つどうぞ」


 僕がテリーヌを一口サイズに小さく切り分けるとラトは口を大きく開けた。


「あ~~ん」


 食べさせて、ということだろうか。

 なんともはや可愛らしい。

 だが少々マナーに悖る振る舞いではある。

 一般的な貴族であれば、彼女の行為を咎めることだろう。


「ふふっ」


 しかしメフィルお嬢様も諌める様な事は無く、クスクスと楽しそうに笑っていた。


 お嬢様は貴族としては非常に柔軟な思考の持ち主だ。

 しっかりと相手を見て、対応を決めている。

 平民の一般家庭で育っているまだ幼い少女に強い物言いをするようなことは決してなかった。


「では、どうぞ」


 僕がラトの口へとテリーヌを入れてやる。

 彼女はもぐもぐと咀嚼し、そして叫んだ。


「美味しい~~っ!」

「それはよかったです」

「プルプルしてた!」

「ふふっ」


 賑やかに昼食の時間が過ぎてゆく。

 僕達がラトとの食事を終えると同時。

 午前中の仕事を一通りこなしてきた二人の使用人が食堂に顔を出した。

 アリーさんとイリーさん姉妹だ。

 二人揃って今から食事なのだろう。


 入ってきた使用人の片割れ、小さな少女が僕を見るなり笑顔になり――、


「あっ! ルノワールさんっ! 今日のごはん……は……」


 ――ラトの姿を見るなり、戸惑った。


「ど、どちら様ですか?」


 御屋敷最年少の少女メイド。

 イリーさんが大きな目を見開いてラトを見つめていた。

 

 




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