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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第7章 王国 vs. 帝国
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第二百三十二話 暗雲

 

 昨日の敗北が幻想であったかのようにミストリア王国軍がメフィス帝国軍を凄まじい勢いで押し込み始めた――その時だった。


 

 空を埋め尽くすほどの巨影が人々の眼前に広がり、戦場で在るにも拘らず、一瞬の静寂が訪れる。



 攻勢を掛けていた王国軍兵士達の足が止まった。

 一体何が起きたのか。

 突然の変事に誰もが上空を見上げていた。


 前線で指揮を執っていたダンテ=オードリーの右腕たるヴァリーが空を睨みつける。


「出して来たな……」


 恐怖こそ感じていないが、忌々しい面持ちで彼は呟いた。


「聖獣、か」


 空を覆うは聖獣『ワイバーン』。

 神格を伴う程成長してはいない、むしろ未だ幼体に過ぎぬ個体であろう。


 しかし――それが6体。


(当初の想定以上という数では無い……この程度は想定の範疇ではある。対処は十分に可能だ)


 言い聞かせるように胸の内で独白した。

 ミストリア王国内ですら存在が確認されているのだ。

 今回の決戦で投入されることは当然予期していた。


 だがそれはあくまでも軍部上位陣の見解であり、前線で戦う将兵にとっては大きな脅威に違いない。

 幼体とはいえ、聖獣。聖獣なのだ。

 その迫力と身に纏う魔力は通常の魔術師では及ぶべくもない。


 そして生物としての威容。

 あれがまさに人間よりも上位の存在であると魂に刻まれてしまう。


「怯むな……! 陣形を整えろ!!」


 ヴァリーは大喝し、近場の戦士に声を掛ける。


「通達していた通り、聖獣の対策隊は防御と攻撃に別れ、上空を警戒しろ!!」


 迅速に対応する兵士達の練度に感服しながらもヴァリーは戦場を見渡す。

 先程まで圧倒的に優勢の形だった前線の勢いが逆転しつつある。


 先日の大蛇の魔術に加え、聖獣の襲来。

 一体メフィス帝国にはどれだけの隠し玉があるのか。

 ミストリア王国に次々と襲い掛かる常識外れの暴力に士気が崩壊しかねない。


「っ! ブレスが来るぞ!!」


 一体のワイバーンがその顎を大きく広げ、魔力を収束させてゆく。

 凝縮された炎が空を照らし、凄まじいまでの熱量が迸る。


(間に合わないか……!)


 陣形は即座に形成されたが、それでもまだ敵の攻撃を受けきる程の準備は出来ていない。


「……止むをえまい」


 ヴァリーは身に纏っていたマントを外した。

 赤い刺繍の施された布が風に乗って天に飛ばされてゆく。

 外したマントの内側に彼は何かを背負っていた。

 それはヴァリーの首元から肩口に掛けて装着されており、まるで鎧のようにも見えたし拘束具であるかのようにも見えた。

 これはヴァリーが本気で戦う時のみ使用する魔法具であり、彼の魔力を増幅させ一時的に強大な力を齎す効果があった。


 そして。


「おぉおおおおおおおっ!!」


 ヴァリーが咆哮と共に魔力を瞬時に高めてゆく。

 周囲の将兵が彼の突然の変化に驚愕している内にも彼は既に飛び立っていた。

 いつの間にかヴァリーの周囲には幾重にも重なる光り輝く輪が形成されている。

 オードリーとは似て非なる深緑色をした魔力光が周囲を彩り、ワイバーンと対峙していた。


「ごぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……っっ!!」


 雄叫びと共にワイバーンからブレスが放たれる。

 天空に広がるは灼熱の炎の地獄。

 大地にいる将兵は身構えたが、相対するヴァリーに恐怖の色は無い。


 あるのは覚悟と強き意志のみ。

 ミストリア王国の敵を――討ち滅ぼす。


「舞え……っ!!」


 力を持った輪の中心から伸び上がりしは長大な魔力の槍。

 無数に生み出されし槍が天空の聖獣と向き合った。


「『輪槍蓮華りんそうれんげ』!!」


 まるで開花を迎えた花々のように槍が広がり、聖獣のブレスと真っ向からぶつかり合う。

 その衝撃波が大地に降り注ぎ、振動が戦場を走り抜けたが、それでも槍は消えなかった。

 対するブレスの炎は力無く霧散してゆく。


 聖獣が苛立たしそうに凶悪な顎を震わせたが、より力強さを増した輪槍蓮華の前では無力だった。

 消えてゆくブレスを背景にミストリア王国軍の中で歓声が上がる。


「はぁ……はぁ……っ」


 見事にブレスを防ぎ切ったヴァリーは胸の内で愚痴を零した。


(ふぅ……俺は……大将軍程の魔力は無いんだからな……!)


 顔にこそ出さないが、かなりの疲労感を感じつつ聖獣と相対していた彼は大地に目を向ける。

 そこには既に聖獣迎撃用の準備を整えた友軍の姿が在った。


「よし……」


 まだ今日の戦も序盤だ。

 ダンテが居ない今、ヴァリーは力を温存せねばならない。


 巨大な瞳を蠢かせる聖獣を見上げながら即座に大地へと下降する。


「っ!」

「貴様っ!」


 しかし出鼻を挫かれた事が気に食わなかったのか、一人のレオナルド・チルドレンが下降するヴァリー目掛けて突進を敢行した。

 少年の手の甲には不可思議な穴が開いており、そこから禍々しい瘴気のような煙が漏れ始める。

 邪悪な煙がヴァリーの周囲を一瞬にして覆い尽くす――だが。


「なっ」


 それらの煙はあっけなく消え去った。

 煙の中から姿を現したのは、先程の聖獣のブレスを防いだ時と同じ輪槍蓮華。

 冷徹な眼差しでレオナルド・チルドレンを見つめながらヴァリーは言った。


「あまりミストリアの外軍を舐めてもらっては困るな……!」


 ダンテが居ない現状、ヴァリーこそが外軍が誇る最高戦力。

 マリンダ=サザーランドにばかり活躍を譲るつもりは無い。


 美しき槍の穂先が更なる輝きに覆われた直後。


「がっは……っ!?」


 あっという間に少年の腹には大穴が穿たれ、砂の様に消え去った。


「……」


 いくら力があるとは言っても少年もある意味ではこの戦争の被害者に過ぎないのだろう。

 悲しき少年兵を一瞥しつつも、眼下に広がる友軍の姿を見つめ、勝ち誇る様にヴァリーは号令を発した。



 否――発しようとした。



「っ!? ぐっふ……」


 いつの間にか。


 それこそヴァリーにすら知覚出来なかった。


(あ……? これ、は……?)


 ぽたぽた、と。


 己の口元から流れ落ちる鮮血。

 視界を下げるとヴァリーの胸元には、何かが刺さっていた。


 ゆっくりと振り返る。



 目の前に――悪魔が居た。



 そうとしか表現出来ない。

 背中から2対の巨大な翼を生やし、口元から覗く獰猛な牙は鋭く、真っ赤に輝く眼光が相対する者を押し潰さんばかりのプレッシャーを放っている。

 末恐ろしい程の力を放つ、その悪魔の全身からは瘴気が渦巻いていた。

 悪魔の右腕に備わる凶悪な鉤爪が己の胸を貫いているのだと理解する。


 接近に全く気付く事など出来ず、ヴァリーは致命傷を負っていた。

 

「……なぅ……ぐ……」


 全身から力が抜けていく。

 零れ落ちていく血からまるで生気まで一緒に消えていくようだった。


(不味い……不味い……っ!!)


 これだけの手傷。

 更には目の前には正体不明の悪魔。


(今ここで倒れでもしたら……!)


 折角の準備も水の泡だ。

 マリンダ=サザーランドの活躍によって持ち直したミストリア王国軍が再度傾く。


 そのようなことになれば――。


「!!」


 数瞬の思考の内に悪魔の形相に変化が在った。


(こいつ……嗤って……!)


 直後、悪魔は鉤爪を引き抜き、咆哮を上げた。

 歪で不愉快な音に思わず顔を顰めるヴァリー。


(死ぬわけにはいかない……!)


 そう覚悟し闘志を瞳に漲らせた時。

 ようやく悪魔が何故嗤ったのかが分かった。


「消えろ」


 短く一言。

 その言葉がヴァリーの耳に届いた時には紅の魔力光が周囲を埋め尽くしていた。

 それは先のヴァリーと聖獣の衝突を遥かに上回る程の魔力の迸り。


 神速の拳が空を走った。

 楽しそうに悪魔は振り返り、マリンダの拳を押さえようと空いた手を紅の魔女に向ける。

 衝撃波が天空に吹き荒れ、聖獣の翼が微かに傾いた。

 常識外れの威力。

 しかし悪魔は見事にマリンダの拳を受け止めていた。



 だが――更なる力が空間を歪めた。



 眩いばかりの光量。

 嗤う悪魔に対してマリンダもまた笑った。

 口角を吊り上げ、人を食ったような微笑み。


「紅牙……!!」


 マリンダ=サザーランドの奥義が放たれ、悪魔の姿は霧となって消えた。




   ☆   ☆   ☆




「無事か……?」


 マリンダの言葉にヴァリーは小さく頷いた。


「なんとか、な。だが直ちに戦線復帰は難しい……」

「そうか……ならばすぐに陣地まで戻れ。貴様が倒れると面倒だ」


 空中に浮かびながらマリンダが後方を指差す。

 ヴァリーは今すぐにでもミストリアの本陣で治療を受けた方がいい。


「あぁ……だが先程のは……?」


 あの悪魔の事だろう。

 あれほどの力を持った悪魔であるが、事前にミストリアは情報を得ていない。

 

 しかしヴァリーの問い掛けに対する答えをマリンダは持ち合わせてはいなかった。


「分からん。だが逃げられた以上……もう一度現れるだろう」

「!? 逃げられた? 仕留めたのでは?」


 マリンダの奥義の破壊力はヴァリーもよく知っている。

 少なくともヴァリーの目には『紅牙』の一撃によって悪魔が消滅したように見えた。


「いや……」


 だが対するマリンダは面白く無さそうに呟く。


「手応えが……無かった」


 遠くデモニアス要塞を見下ろしながら、忌々しそうにマリンダは吐き捨てる。

 あの程度でくたばるならばどれほど楽だったか。


「だがあれは……もしかすると……」


 悪魔の纏う雰囲気に微かに覚えがあったマリンダが顎先に手を当てる。

 思案する様は美しく冷静沈着。

 聖獣が近くに居る事すら忘れていそうな程の集中力だった。


「……やはり直接攻めるか」

「なに?」

「貴様の自慢の部隊は聖獣を抑え込めるのだな?」


 確認するようなマリンダの問い掛けに対してヴァリーは頷く。


「ああ。任せてくれ」


 無論マリンダであれば聖獣を打ち倒すのは容易いだろうが、それでも彼女の魔力をこれ以上消耗させる訳にはいかない。

 メフィス帝国にはマリンダの力無くしては打ち倒せない猛者共が控えているのだ。


「外軍を……信じられないか?」

「ふん、馬鹿を言え」


 マリンダは鋭い眼光でもう一度デモニアス要塞に目を向けた。


「あのクソ野郎の部下だろうが。踏ん張って見せろ」


 口は悪いが、ヴァリーには、尊敬する大将軍に対する信頼の証だと感じられた。


「……」



 これ以上――英雄達の足を引っ張りたくは無い。



「必ずや抑え込んで見せる」

「ふんっ」


 後は任せた、と。

 そう言い残し、マリンダは一直線に滑空していこうとした。


 その時――またしても。


 空が瞬きを見せた。



「――ば、馬鹿な……っ! 早過ぎる……!!」



 悲鳴の様な呻き声がヴァリーの口からも漏れ出でる。


 一層鋭い眼差しへと変じたマリンダが、舌打ちを零した。


「ちっ。あの野郎……一気に勝負を決める気か」


 割れていく雲の隙間。

 漏れ出でて来るのは破滅の光。



 ――大蛇の足音が再びミストリアを襲う。






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