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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第7章 王国 vs. 帝国
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第二百三十話 戦場の少女達

 

「っ! はぁ……はぁはぁ……っ」


 まただ。

 またしても目が覚めた。


「はぁ……はぁ……」


 眠りからの強制的な覚醒。

 果たしてこれで何度目だろうか。


 震える手の平をじっと見つめ、呼吸が落ち着くのを待った。

 汗で肌にこびり付く髪を煩わしそうに払った彼女は、簡易ベッドから抜け出し、天幕から外に出た。

 冬の冷気が肌にはひどく堪えたが、火照った身体の内を冷ます程ではない。


 一人ひっそりと陣の外へと繰り出した。

 林の中へと誘われる様に入り込み、大きな樹の幹に寄り掛かる。


「くっ」


 込み上げてきた吐き気を強引に収めようと水魔術を放ち、頭に掛けた。

 途端に外気で冷やされた水が彼女の体温を奪う。

 このまま放置していれば、すぐにでも凍りつくだろう。


 だが、それでも。


「……っ! う……ぅっ」


 己の中に眠る吐き気を抑える事は出来なかった。


「うぅっ……!」


 寝る前に無理矢理に胃に詰め込んだ食料が余すことなく、口から漏れ出でる。

 苦しさに呻きながら全てを吐き出した。


「くぅ……っ。こんな……っ」


 思わず滲み始めた視界。

 

 その時。



「風邪をひきますよ」

「……っ!」



 背中から掛けられた声に肩を震わし、振り返る。

 「誰か」などと尋ねる事は無かった。


「これだけ寒い中、水を被ったりしたら……いくら頑丈な貴女でも風邪をひいてしまいますよ。クレアさん」

「リィルさん……?」


 特徴的な緑のリボンを外し、髪を振り乱していても、紛う事無き存在感を放つ少女は思わず「どうして?」と呟いた。


「貴女は今……」

「ええ。帝国の方で役目を果たして参りましたので。団長と共に急遽帝国から戻って参りました」


 全ての団員が帰って来た訳ではないが、それでも半数は戻って来ている。

 無論、帝国に残留しているディルに付き添いたい想いも在った。ルノワールやメフィルのサポートをしたい想いも在った。


 だが、あちらの二人はリィルが付いていなくとも上手くやるだろう。

 もとより自分の助けなど必要としないだろう魔術師達だ。

 王国に心残りのある以上、リィルが戻って来たのはある意味必然だった。


 彼女はミストリア王立学院の様子、己の知人達の安否を確認し、そして今――この場所までやって来ている。

 あちらは当面無事のようだった。

 アゲハの街では大きな騒動は起きていない。

 真っ先に彼女がアゲハの街に戻ったのは、リィルが考えていた以上にいつの間にか――ミストリア王立学院の学友達が彼女にとって大きなものになりつつあるからだ。


 そして今――目の前の少女も。


「……」

「辛いですか?」

「……っ!」

「初めての戦争が……本物の戦場が」


 そして何よりも。



「己が『人を殺めた』という事実が」



 リィルの言葉がクレアの心に突き刺さった。


 クレア=オードリーには父親譲りの天賦の才が在る。

 それは自他共に認める程の才覚であり、外軍はもちろん紅牙騎士団員達ですら高く評価していた。


 かつてリィル自身が調査したことがある。そして報告した。

 彼女に足りていないのは実戦経験だけである、と。

 ミストリア王宮では傭兵団『スレイプニル』と戦ったが、その際にも彼女は誰の命も奪いはしなかった。


 否、人の命を奪う事が――怖かった。


「……」

「……くっ」

「クレアさん……」


 黙したまま己の手の平を見つめるクレア。

 未だに手に残った感触、あれがどうしても忘れられない。


 分かっていた筈だった。

 戦争なのだ、戦場なのだ。

 人を殺し、そして殺される。

 そんな当たり前の事実すらも言葉の上でしか分かっていなかったのか。

 弱い己に失望しつつも、クレアの心の中はまるで見えない鎖で縛られてしまったかのように、行き場が無くなってしまった。


「あんな……あんな……」


 初めての戦場はとても……とても恐ろしかったのだ。

 あれだけ普段は気丈に偉そうに振舞っている癖に。


 飛び交う怒号、倒れる人々、溢れる怨嗟、舞い踊る返り血。


 身体を動かしている時は必死だった。

 他の事は何一つ考える事無く、ただ我武者羅に拳を振るった。

 気付けば血化粧を纏い、ふらふらと戦場を彷徨いながら、ただひたすらに敵兵を殺めた。

 数えきれない程の人々が死に――そしてあの光が戦場を襲った。


 ダンテ=オードリー。

 かの父を打ち倒した忌むべき大蛇の魔術。


 その破壊力は戦場の何よりも恐ろしかった。

 何よりもあんなに簡単に人の命が消えさってしまう、という事実が――とてもとても怖かった。


「大丈夫ですよ」

「何が……」

「貴女が戦場に出なくとも。祖国の為に戦う兵士は他にもおります」


 その言葉を聞いて。


「……何を言っているの」


 弱々しい声でありながらも、クレアの瞳の中に微かな光が宿った。

 それは戦士の放つ殺気にも似た怒気。


 戦争は残酷だ、大蛇の魔術は恐ろしい、何よりも人を殺す事が怖い。


 だとしても。

 だとしても逃げる訳にはいかないだろう。

 そんな事は己の矜持が許さない。


「……」

 

 怖がってもいいだろう。

 己の弱さに泣いてもいいだろう。

 戦場においては状況に応じた撤退戦もあるだろう。


 だが。



「オードリー家の人間は――逃げる事だけはしない」



 あの大蛇の魔術にすら身一つで立ち向かった男の誇り高い血を継いでいるのだ。

 リィルの言葉は到底許容出来る類の物では無かった。


 そんな確かな戦意の輝きを見て。


「そうですか」


 リィルは心の中で安堵した。


「では……明日も戦場に出ると?」

「当たり前でしょう!」


 兵士達の多くは昨日の敗北と言っても良い撤退戦で心身共に疲労している。

 そんな時に大将軍の娘が寝ていて良い訳が無い。

 父の代わりが務まるとは思わない。そこまで傲慢ではない。

 だが、それでもせめて父に顔向けが出来ないような振舞いはしない。


 しかし流石に続くリィルの言葉には意表を突かれた。



「では……私達と共に闘いませんか?」



 右手をそっと差し出し、リィルは告げた。


「え?」

「クレアさんの実力はよく知っています。紅牙騎士団に居ても他の面々にも決して引けを取らないでしょう。私よりは確実に強いですし」

「何を……」

「外軍の人達は昔から貴女の事を知っているからか、あまり上手に貴女の事を扱えていない様に思えます。何よりもオードリー大将軍の居ない以上は外軍には戦場で兵士達を導き勇気を与えるだけの指導者がいない」


 別にレグラントを無能扱いしたい訳ではない。

 しかし彼はあくまでも全体を統括する指揮官である。


 必要なのだ、現場で圧倒的な存在を誇示するだけのカリスマが。

 戦略ではなく、戦術的な見地としては、戦場における指導者の影響力は甚大だ。


 それをリィルは誰よりも知っていた。


「我らが団長と。マリンダ=サザーランドと一度一緒に戦ってはみませんか?」


 あの輝ける紅牙の指揮下で。


「それは……」


 クレアの中には未だにサザーランド親子に対する複雑な感情が在る。

 しかし同時に納得しても居た。流石にこの年齢にもなれば昔よりは幾分か分別が付いていたのだ。

 紅牙の騎士団長は強い。あの尊敬すべき父親と肩を並べる程に。

 英雄と共に戦える、というのは戦士としては渇望する事でもあるし、何よりその技を目の前で見る事は自分にとって大きな糧となるだろう。

 

 とはいえ、クレアにも外軍将軍の娘という立場が在る。

 そんな中で確執が無いとは言えない紅牙騎士団と共に戦うのは少しだけ躊躇われた。


「……少しだけずるい話をしましょうか」

「ずるい?」


 リィルの言葉の意味が分からずにクレアは首を傾げる。


「現在のミストリア王国の惨状は御存知でしょう? 未だに兵数では勝っているとはいえ、勢いは完全に帝国側にある」

「……」


 それは誰もが認める所だ。

 覆しようのない客観的な事実。


「冷静に考え、対処すれば、まだまだ互角以上に戦う事が出来る。しかし昨日の一件で、流れが変わってしまった……」


 昨日の段階ではある意味あの戦争の開戦は止むを得なかった。

 あれ以上の時間を稼がれていても状況は好転しない。

 ミストリア側としては、どういう形であれ動かねばならなかった。


 ただ、終わり方が最悪だった。


「だから何だと」

「だからこそ」


 クレアの言葉を遮るようにリィルは告げる。


「必要なのです」

「ひつ……よう?」

「ええ、そうです」


 戦術的には革新的な影響が望め、更には戦略的な効果すら見込める力。


「ミストリアが勝利すると疑わない意志、負ける事の無い確かな英雄、敵を撃ち滅ぼす強大な力」


 いつの間にかリィルは固く握り拳を作り、クレアを見つめていた。

 次第にその声は熱を帯びてゆく。


「それがマリンダ様だと?」

「そして貴女です、クレアさん」

「……は?」


 意外な言葉を聞き、クレアは目を丸くした。

 だが相対するリィルの眼差しは真剣そのものだ。

 クレア=オードリーという少女は己の『立場』を痛い程に理解している。

 しかし同時に己の『影響力』を過小評価してもいた。


「国家の英雄は間違いなくマリンダ団長とダンテ大将軍でしょう。二人の武勇伝、戦功は誰もが知っている」


 それは戦場を覆す力。

 信仰とでも呼ぶべき心の力。


「故に、です。マリンダ=サザーランド率いる紅牙騎士団と共にダンテ将軍の娘であるクレアさんが戦場で華々しく活躍する事には大きな意味が在る」


 要するにミストリア王国を鼓舞する為の象徴になれ、と。

 そうリィルは告げていた。

 彼女にはそれだけの血筋があり、そして実力も在る。


「ただの神輿にするつもりはありませんよ。当然クレアさんには敵と戦ってもらいます」


 マリンダに同行する以上は、否が応にも最前線。

 敵地の最も危険な場所へと殴り込む集団の仲間入りだ。


「……それが、ミストリアの?」

「はい、そうです。それが祖国を救う最大の貢献となります」

「……」

「大将軍が復帰されたならば、そちらへ合流するのもいいでしょう。ですが」

「やるわ」


 リィルの想定していた以上にクレアの回答は早かった。


「私とて……自分の立場は理解しているもの」


 立場ゆえに力を付けた。

 立場ゆえに祖国を護る。

 立場ゆえに友軍と共に闘う。


 だがそれらは立場だけではなく、全て己の意志に基づいている。

 それだけは揺らがない。


「そうですか」


 いつものクールな眼差しに若干の優しさが混じったリィルが目を細め、頷いた。


「では、早速団長に話をしに行きましょう」

「え? まさか貴女の独断だったの?」

「そんな訳無いでしょう。ですが団長はとても楽しそうにしていましたよ。貴女と戦うのが楽しみみたいです」

「そ、そう」


 散々敵対するように生意気な口をきいて来ただけに少し複雑だ。

 しかしそんな不安を口にするクレアに対し、リィルも笑った。


「ふふ、大丈夫ですよ。あの御方は寛大でいらっしゃいます」


 「味方には、ですが」という一言は胸の内に仕舞い込んで、リィルは先を歩く。

 横目でクレアの様子を窺うと緊張しているのがありありと分かった。

 それは何もマリンダに会うから、という理由だけではないだろう。

 明日も赴く戦場に対する恐怖心も在る筈だ。


 クレア=オードリーの戦闘能力はリィル=ポーターよりも上だ。

 しかし実戦経験、という意味では大きくリィルに軍配が上がるだろう。


 とはいえ同じくらいの年齢で戦場に居る者など、他にはほとんどいまい。

 彼女達は異端の存在だ。

 ルーク=サザーランドなどは同年代であってもリィルを遥かに上回る程の修羅場を潜り抜けて来ていたが、クレアはそうではない。


(私が支えないと……)


 そんな気持ちで『友』を案じながら、リィルはもう一度固く拳を握り締めた。






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