第二百二十八話 開戦
時刻は日の昇り始めたばかりの早朝。
先に動いたのはミストリア王国軍だった。
「時間経過は敵の攻撃であると心得よ」
準備が整うや否や、次なる『ネハシム-セラフィム』を撃たせまい、と。
即座にレグラント大将軍は判断し、国境付近だけで総数8万もの兵士を要するミストリア王国軍による反撃の幕が上がった。
堅固な要塞は敵の手に落ちている。警戒すべきはメフィス帝国の遅滞攻撃だろう。
ここからは迅速な進軍が鍵を握る。
対するメフィス帝国の陣容はおよそ3万5千。
遠征であることを踏まえれば十分な兵数であるが、それでもミストリアと比較してしまえば流石に分が悪い戦力である。
しかしそれでもメフィス帝国の一般の将兵達にとっては、此度の戦は決して負け戦ではない。
ハインリヒ皇帝総指揮の元に編成された我らが軍団はまさに覇王の進軍である。
彼らは先の戦争における圧倒的勝利を忘れていない。メフィスは強国であるという自負が在った。
デモニアス要塞を粉砕した奥の手である魔術も控えているのだ。
恐れるものなど何も無い。
ほとんどの一般将兵は幼いながらに大器を感じさせるハインリヒ14世を、偉大なる君主であると仰いでいた。
確かに唐突な他国への侵略戦争などは反感を覚える者も少なくは無かったが、それらの国民感情を上手く、メフィス帝国という長年に渡り貧しい営みを余儀なくされてきた事への不満へと転化させた。
隣国の富と栄華を挙げる事で、自分達の暮らしが決して良い物ではなく、劣ったものである事を殊更に強調したのだ。
長い長い時間を掛けてレオナルドとオットーが操って来た国民感情。
積もり積もった洗脳の影響がこの戦場にも鮮明に表れている。
先の戦でもメフィス帝国は大勝した。
故に相手がたとえミストリアであっても勝てる筈だ。
兵士達は皆、ハインリヒ皇帝と共に天下の覇者になる事を夢見ていた。
ミストリア王国の進軍、レグラント=ロイズナーが命令を下した時と同時刻。
ハインリヒ皇帝は集まった兵士達を鼓舞する為にデモニアス要塞の屋上から声を張り上げた。
「我らがメフィス帝国建国以来、これは最大の挑戦であり、我らの幸福をこの手に掴む為の戦いである!! 富を貪り、我らを不当に扱って来たミストリア王国を打倒し……っ!! メフィス帝国こそが北大陸の覇者であることを天下に轟かせようではないか!!」
小さな痩身から放たれるは、現皇帝陛下の圧倒的な雄姿、迫力、そして覇気。
それらが全兵士達に浸透してゆく。
王者の威容が伝播し、軍団を染め上げた。
ハインリヒからは先のネハシム-セラフィム発動による疲労など微塵も感じられなかった。
「友よ! 我らが同胞達よ!! 諸君らの勇猛さを今こそ示せ!!」
冬空の中、どこまでも響き渡る皇帝陛下の勅命。
「「「おおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ」」」
メフィス帝国軍は鬨の声を張り上げ、向かい来るミストリア軍と対峙した。
☆ ☆ ☆
「拙速に地形を活かす」
レグラントの進軍は堅実だった。
デモニアス要塞が攻略された今、敵が広がった平野に出て来る事は無いだろう。
とはいえ、大蛇の魔術によって既に要塞は半ば程が崩壊状態。
故にメフィス帝国はデモニアス要塞を背後に添え、ミストリア王国側に陣を張っている。
これ以上の時間を掛けて、堅牢な陣地を形成されては分が悪い。何より要塞を修復されてしまえば厄介だ。そんな事は今まで無敵のデモニアス要塞を率いていた自分が最もよく分かっている。
「現在は『バリアブル・フィールド』も存在していない。ここは教科書通り攻める」
それがレグラントの決断。
複雑な渓谷の様な地形ではないのであれば、ここは定石通りにいく。
「正面からの進軍、そして右翼・左翼から囲い込む」
数で上回る以上、相手を追い込むためには最適な布陣。
下手に策を弄する段階では無いと彼は考えた。無論、時間があれば様々な作戦を立案しただろうが、ここれは速度が鍵を握る場面だ。
そして別働隊として要撃部隊を複数用意した。
これは敵を休ませないために、適宜夜襲を仕掛け、昼間は戦場全体の情報を運ぶ役目も負っている。
「ひと当てした結果がどう転ぶか」
数は力だ。
最初の一撃で戦場の流れを決める事が出来れば、それに越した事は無い。
そのままメフィス帝国を一気に飲み込む事が出来る。
「頼むぞ……我が騎士達よ」
手塩に掛けて育て上げて来たミストリアの精兵達に想いを託し、レグラントからの賽は投げられた。
☆ ☆ ☆
生み出されるは結界、火球、光矢、それら無数の魔術による光の乱舞が戦場に吹き荒れる。
万を超える軍勢の魔術の大合唱は戦場であることさえ忘れてしまえば、ひどく美しく映る事だろう。
前衛の戦士達は各々が装備した槍や剣、肉体に魔力を通わせ全身を飾る。
トーガを纏った魔術師達は己を護り、そして敵を屠る為に丹田に力を込めた。
果敢な勢いで攻め込むミストリア軍の駆け抜けた後には大地に震動が響き、唸りを上げる。
対面する両軍の誰の顔にも緊張の色が在ったが、それでも……己の祖国の為に。
いざ――尋常に。
全軍同士がぶつかり合った。
その瞬間の衝撃は、あのネハシム-セラフィムにも決して劣らぬだろう激しさだ。
ミストリアの前衛が雪崩れ込む様にメフィス軍に激突。
迎撃態勢を取っていたメフィス軍も早々簡単に崩れる事は無いが、その勢いの凄まじさには流石に息を呑んだ。
「怯まないでくださいよ」
そんな中、メフィス軍の中から突出するように飛び出してくる小さな人影。
ハインリヒの描く覇道の使徒――レオナルド・チルドレン。
「雑魚は消えろ!」
一般兵士では到底抗えない力を秘めた子供達が戦場を掻き乱す。
少年・少女の振るう拳の動きには、ミストリアの前衛も早々には追従出来なかった。
少しでも陣形が崩れてしまった個所からは、徐々にミストリアの前線が押され始める。
だがこれも想定していた事。
「陣形を作れ! こいつは我々が相手をする!」
「っ」
瞬時にレオナルド・チルドレンを囲い込んだ6人のミストリア兵士。
彼らの身に纏う覇気・魔力の力強さは別格の様相を呈していた。その何れもが並の戦士では無い事は明白だ。
彼らこそオードリー大将軍直轄の最精鋭騎士の集団。
確かに一人一人の力は子供達には及ばないかもしれないが――それでも万能ではない。
レグラントによるレオナルド・チルドレンへの対処方法は極めて単純かつ簡潔だった。
外軍精鋭による6人小隊での包囲殲滅。
この日の為に予め準備してきた編隊だ。この日の為だけに訓練を積んで来た。
この6人組の小隊は戦場に満遍なく散らばっており、レオナルド・チルドレンに対して迅速に対処することが可能だった。
「ちっ! こいつらっ」
レオナルド・チルドレンの少年は咄嗟に包囲の外へと脱出を敢行。
すかさず一人の騎士が立ち塞がったが、小馬鹿にするように、しなやかな身のこなしで包囲を脱出した。そしてチルドレンの十八番が発動する。
空気が揺らぎ、不可思議な気配が周囲に満ちる。
「! ゲートスキルが来るぞ! 身構えろ……っ!」
2人が防御結界を発動、2人がレオナルド・チルドレンに突進、2人が遊撃・サポート。
瞬時に展開した布陣であった……が。
「雑魚が束になろうとも……!」
今まさに攻撃を仕掛けようとしていた二人の腕が空を切る。
少年の肉体がまるで霧と化したかのように消え去った。
そして次の瞬間――襲い来るは、不可思議な息苦しさ。
騎士の男達の口元にはいつの間にか粘性のある霧が纏わりついていた。
「!?」
結界すら容易にすり抜けられている。
霧状と化したレオナルド・チルドレンの肉体が騎士達を覆いかぶさった。
これが目の前の少年の力なのだろう。
呼吸を奪われた騎士の腕から力が抜けていく――。
「はははっ。所詮は『至らぬ』お前達如きが……」
「――っ!!」
だが小隊長の騎士が意識を手放す寸前、己の全魔力を賭して、風魔術を発生させた。
それは周囲に旋風を巻き起こし、彼らの口元の霧を振り払う。
「っち」
「はぁっ……はぁ……なるほど油断していた訳ではないが……」
これがレオナルド・チルドレン。
ミストリア王国最精鋭騎士6人掛かりであっても、隙を見せれば即座に全滅する可能性がある恐るべき子供達。
それだけの敵兵が優に100人以上は居るという。
確かにミストリアにとっては絶望的な数字かもしれない。
だがつまりはそれだけ――。
「この小隊の役目は重要、と言う訳だ」
互いが無事であることを確認し合った騎士達は今一度、目の前の少年に目を向けた。
「悪いが好きにさせる訳にはいかない」
オードリー大将軍が帰るまで。
ミストリア王国を支える為に。
何としても凌ぎ切らねばならない。
覚悟の眼差しを受けて、つまらなそうにレオナルド・チルドレンは言った。
「ちっ。やれるものならやってみろ」
「あぁ、そうさせてもらう!」
そうして再度激突。
これらの戦闘は戦場の一角でしかない。
無数の競り合い、激突が戦場を包み込んでいった。
☆ ☆ ☆
「我が軍が優勢です!」
嬉々とした様子で陣幕に駆けこんで来た男を見て、レグラントは厳しい瞳で言った。
「当然だ。数で勝っているのだ」
喜んでばかりいられない。
この時点で押されるものならば、もはや勝ち目など見えないだろう。
「しかし、そうか。あの小隊は機能しているか」
その報告だけは安堵出来るものだった。
並の兵士ではレオナルド・チルドレンの遊撃には対抗できない。
それは分かり切っている。
ならばこちらも小隊と言う形で、あちらの遊撃の真似事をさせてもらう。
これが一方的な展開にさえならなければ、レオナルド・チルドレンによって戦線が瓦解していく、という事態にはならないだろう。
これまで様々な戦士達が情報を入手してくれたおかげで対処が出来る。
(敵は強大だが……我々は戦える)
そうレグラントは心の中で呟いた。
破滅の光が降り注いだのは――そんな矢先であった。