第二百二十六話 私達の行動方針
約束の刻限。
冬の寒さを耐え忍びながら、5人が洞窟の中に足を踏み入れると、そこには既に待ち人が居た。
外套に身を包み気配を殺した男は、入って来た人々に気付くと立ち上がる。
一行の中に居た幼い少女の姿を確かめると思わず男の相好が崩れた。
「あ、お父様っ!」
洞窟の中に父の姿を見つけ、アトラは真っ先に駆け出した。
そのままの勢いで抱きついて来た娘を笑顔で迎え、キースは頭を撫でる。
アトラの髪には雪が付着しており、撫でつけた髪は冷たかったが……娘の身体はとても温かくキースには感じられた。
「無事で何よりでした」
洞窟内に響くのは艶やかなソプラノの声。
しばらくアトラとキースの邂逅を見守っていたルノワールが緩やかに頭を垂れた。
「君達こそ……よくぞ無事だった」
アトラの手をそっと外しながらキースが微笑む。
彼はルノワールの隣に居た少女を見て、何かを確認するように頷いた。
「君が……」
「はい。メフィル=ファウグストスと申します。キース=オルフェウス様」
そう言ってメフィルは丁寧な所作で頭を垂れる。
言葉は淀みなく、動きは流麗。
未だ若い身の上、そして短い言葉であったが堂の入った挨拶だった。
流石は名高いミストリアの才媛の娘、と言った所か。
ルノワールにしてもそうだが、歳若いのに大したものだった。
「話には聞いているかもしれないが、キース=オルフェウスだ。この度は帝国が御迷惑をお掛けした。メフィル嬢にいたっては心よりお詫び申し上げる」
厳かに頭を下げるキース。
今回の騒動、その中心にいた無実の少女に対しキースはひたすらに低頭した。
許されざる帝国の行いを償うには長い時間が掛かるだろう、と彼は認識している。
「本当に申し訳なかった。何の罪も無い貴女を拐すなどあってはならない不祥事だ。私の謝罪など自己満足に過ぎないだろうが……それでも帝国に身を置く者として、謝らせて欲しい」
それはメフィス帝国という国家を愛するが故の言葉だろう。
キースはメフィルが口を開くまで、決してその頭を上げようとはしなかった。
「い、いえ。オルフェウス卿が謝ることなどありません」
「だが……」
尚も言い募ろうとするキースを制してメフィルは告げる。
それはこんな冬空の中でも輝かんばかりの可憐な笑顔。
「本当に謝罪は不要です。それに当事者の人間には……これから一緒に仕返しをするのでしょう?」
茶目っ気も織り交ぜたメフィルの言葉に、思わずキースの頬も僅かに緩んだ。
場の雰囲気が緩んだ事で、ようやくキースの顔も持ち上がる。
「……あぁ。どうか力を貸して欲しい。あの悪魔を打倒する為に」
「ええ。とはいえ私は足を引っ張らないようにするのが精いっぱいですが」
「はは、そうか。それは私も同じだ……互いに善処しないとな」
互いの自己紹介を済ませた頃合いを見計らってルノワールが口を開いた。
「キース様。ご覧の通り、メフィルお嬢様を救い出す事が出来ました」
「本当に心から喜ばしいよ、ルノワール。流石だな」
「ここからは……キース様にご協力をさせて頂きたいと思います」
真剣な表情でルノワールが述べるとキースも顔色を変えて神妙に頷いた。
一行は洞窟の岩肌の上に各々腰を下ろし、中央で焚いた火を囲んだ。
「分かった。早速だが……本題に入ってもいいか?」
「ええ。お願いいたします」
キースはレオナルドの動向をゆっくりと語り始めた。
ミストリア王国への宣戦布告、そして彼の戦争行為の行く末を。
「デモニアス要塞の陥落……!?」
未だに情報を得ていなかった面々、とりわけミストリアで生きるメフィルとルノワールは、近年の王国における最大の事件に驚きを隠せなかった。
「あぁ、そうだ。使われたのだ……『ネハシム-セラフィム』が」
あの日、オルフェウスの屋敷から奪われたメフィス帝国の至宝。
誰も起動出来なかった筈の魔法具をレオナルドは発射した。
「まさに伝説の通りの威力だった。デモニアス要塞は一撃で粉砕。そのまま雪崩を打って攻め込んだメフィス帝国が瞬く間にミストリアの要塞を奪い取った。既に侵略は開始され陣を形成。そこにはハインリヒ皇帝もいると思われる」
「まさか……お、オードリー大将軍は……っ!?」
ルノワールはかつて何度か対峙した事のある大男の姿を思い浮かべた。
信じられない。マリンダにも匹敵するあの偉丈夫がやられたというのだろうか。
だがゆっくりとキースは頭を振るばかりだった。
「すまない。そこまでの情報は得ていない」
あれ以上近づくと恐らくキースもレオナルドに捕捉されていた可能性が高い。
悔しい限りだが、ある程度の段階で引き上げる他なかった。
「待て、キース。貴様は何故主戦場に向かった? どうやってレオナルドの動向を掴んだのだ?」
紅牙騎士団であっても、レオナルドの動向は掴めていなかった。
全てが奴にとって思いのままであるからだろう。
あの男はメフィス帝国内では恐ろしい程に高い隠密行動を可能とする。
情報を得てから国境まで走ってもとても追いつくまい。
戦闘行為を目撃する、というのは予めデモニアス要塞の方角へ向かっていないと不可能だ。
「いや、レオナルドの動向を掴んでいた訳ではない。そちらは偶然に近い。国境線に向かったのは別件があったからだ」
「別件、とは?」
ルノワールは首を傾げる。
いや、そもそも確かにキースは何か調べたい事がある、と言っていた。
「……フェリス=ノートンという男を知っているか?」
聞いた事の無い名前だ。
キースの問い掛けに対してその場に居た面々の誰もが首を振った。
「そうか。まぁひっそりと隠れるように忍んでいる男だから無理も無いが……」
「その、フェリスというのは?」
「メフィス帝国の諜報員だ。オットー宰相閣下の懐刀とでも呼べる男でな。様々な外交活動、他国の情報収集などを請け負っている」
キースは揺らめく焚火の炎を眺めながら語り出す。
「ひどく優秀な男だ。そして昔から野心を抱えていた男だった……最近は特にメフィス帝国内でも不審な行動を取っている事が多くてな」
「お知り合いなのですか?」
「まぁ……少しな」
寂しそうにキースは呟いた。
「歳が同じ。軍に入った時期も同じだった」
若かりし頃はよく二人で居た様に思う。
だがいつの頃からかフェリスは人目に出る事を嫌うようになった。
宰相直属の諜報員として辣腕を振るっている、という話だけは聞いていたがそれ以外の情報が流れて来なくなり、ついにはキースの前にも姿を碌に見せなくなったのだ。
「レオナルドは長い時間帝国を離れる訳にはいかない。その間、恐らく宰相とレオナルドに代わって諸外国の諜報活動をしていたのがフェリスだ」
これはキースも知る所ではなかったが、先のミストリア王国での内戦においてはゴーシュを支援し、帝国側からお膳立てをしていたのもレオナルドの命を受けていたフェリスだった。
「その、フェリス様が?」
どういう人物なのかは分かった。
メフィルが尋ねるとキースは話を続けた。
「私はフェリスならば何か鍵となる情報を握っているのではないか、と前々から感じていた。少なくともレオナルド直属の配下では無い帝国軍の中では確実に一番何かを知っている筈だ、と」
そこで僅かに言い淀むキース。
彼の表情はどこか寂しげであった。
重い口調の話しぶりからして、恐らくキースの読みは当たっていたのだろう。
「つまり……キース様はフェリス様とお話をする事が出来たのですか?」
「あぁ、そうだ。レオナルドの周辺ほどに危険な訳ではない上に、幸いにも奴とは旧知の仲だ。私が出来る最善の手だと考えた。最近になって帝国に帰って来たという情報も得ていたのでな」
レオナルドの弱点、とまでは言わないが何か有益な情報が欲しかった。
「フェリスは私の想像していたよりも……遥かに多くの情報を持っていたよ。自分では『大した情報はもらえないんだ』と言っていたが……」
「レオナルドについて何か?」
「いや。レオナルドの素性については流石にフェリスも多くは知らなかった。まぁ語らなかっただけかもしれないが……奴が知っていたのは……『ハインリヒ皇帝』だ」
その言葉を聞いてルノワールが眉根を顰めた。
「ハインリヒ14世の……情報ですか?」
「ああ。あの御方はレオナルドに連れられて突然現れた。様々な証拠から皇帝陛下が正真正銘のメフィス帝国の皇族の血縁者であることは明白だった。だが……」
そう、だが――。
「その出生時の状況や、これまでどのような生活を送って来たのか。そもそもレオナルドとはどのような繋がりがあるのか。私達は何も知らない」
皇族の血の絶えた帝国にやって来た確かな導き手。
しかし彼の少年については、誰もが余りに何も知らなかった。
「聡明であり、博識。それでいて芯の通った眼差しは大器を感じさせる器だ。それは間違いが無い。その振舞いや時折見せる覇気が、彼が王者であることを思わせる。このまま成長すれば皇帝陛下は歴代でも有数の素晴らしい国主になるだろう」
ただ一つ。
そして最大の看過できない欠点。
「レオナルドを心酔する、という――そんな弱点さえ無ければ、だが」
「……お待ちください、もしやキース様」
「……」
「では、フェリス様が持っていた情報というのは……」
「あぁ、想像の通りだ。奴はハインリヒ皇帝の過去を知っていた」
それは今後の自分達を左右するだけの情報か、もしくは何も意味を為さない情報となるか。
「いやそもそもの話――私も耳を疑ったのだが」
そしてキースは自身も驚きを隠せずに言った。
「そもそもレオナルドとハインリヒ皇帝を引き合わせたのは――フェリス=ノートンらしい」