間話 観測せし者
そこは不思議な空間だった。
上下左右の間隔が失われるような漆黒の闇の中を一人の女が長い銀髪を靡かせながら歩いている。
闇の中、突如として出現したのは、妖しい逆三角形を模した幾何学模様の描かれし扉。
「……」
彼女は不意に眼前に出現した扉に手をかざす。
まるでその手の平から何かを読み取っているかのように扉が微かに鳴動し、数瞬後開いた。
扉の先には広大な空間が広がっている。
中央には何かを嵌めこむと思しき台座、そしてその台座を囲む様に円卓が添えられていた。
藍色を基調とする洞窟然とした円形の広場の外縁部分にはいくつかの部屋へと続く扉が立ち並んでおり、彼女はその内の一つに向かって歩いていく。
そして丁度。
彼女が自分の部屋へと入ろうとしたタイミングで小柄な少女が隣室の扉を開けて広場へと出て来る所だった。
「ん?」
本当に小さい。
まるで8歳前後の幼児のような身なりの少女は、その体躯には似つかわしくない医者の様な白衣に身を包んでいた。
先程まで眠っていたのか、口元には涎の跡まで付いている。
だが、何か得も言えない迫力を持った少女は白衣のポケットの中に仕舞い込んでいた飴玉を一つ取り出すとおもむろに口に放り込んだ。
少女は気だるげな瞳で今しがた帰って来たばかりの女を見上げた。
「なんだ、帰って来たのか」
「ええ、丁度今ね」
素っ気なく返事を返した彼女を少女は訝しそうに見つめる。
「相変わらず、その変な能面を被っているのだな」
少女に言われ銀髪の女は己の仮面に手で触れた。
最近はついぞこの仮面を外していない。
「変な、って……この魔法具を作ったのは貴女でしょう、『ホルス』」
ホルスと呼ばれた少女は心外だとばかりに肩を竦めた。
「だから。今ならば、もっと良い面を見繕ってやる、と言っているのだ。その能面はあまり良いデザインでは無い」
「慣れてしまったし、これで構わないわ」
「あぁ、そうかい。相変わらず可愛くない奴だ」
ばりぼり、と口の中の飴玉を噛み砕いたホルスは次なる飴玉を口に放る。
「というか、ホルス。貴女涎の跡があるわよ」
「別に見てくれなど今更気にならん」
そんな事を口にする癖に、能面にはこだわるのか。
「貴女……つい先程私に言った言葉を忘れたのかしら?」
やれやれ、と肩を竦めて銀髪の女が口にするも、ホルスには意に介した様子は無かった。
「その能面はな。私が作ったものだ。そして私の作った物が美しくない、というのは、ちょっと流石に嫌な気分になる」
「なら最初から作らなければ良かったのに」
「五月蠅いな。あの時は能面がベストだと思ったのだ。何せ徹夜明けだったしな。それにステルス目的の魔法具だから地味な能面が良いと思ったのが……改めてみると能面と言うのは意外と目立つ」
心底悔しそうに呟くホルスのつむじを見下ろしつつ、溜息が零れた。
「はいはい」
「貴様も整った顔立ちをしているのだし、能面でいいのか?」
「それこそ貴女が先程言った通り。見てくれなど今更気にならないわ。私達『使徒』には目的があるのだし」
「まぁそうではある。そうではあるが……そればかりでは退屈ではあるがな」
退屈だ、と。
ホルスがあっけらかんと口にした言葉に対して、能面の奥からでも分かる怒気の様な気配が放たれる。
「……無礼よ、ホルス」
「はいはい」
銀髪の女が堅物であることを知っているホルスはこれ以上、この話題を続けるべきではないと判断した。
「それにしても……少しばかり長く出ていたな」
「それなりに興味深い物が多かったから」
「『肉体』に異常は無いのだな?」
「……今の所はまだ大丈夫よ」
「ならばいい」
相も変わらず気だるそうな口調で告げるホルス。
万年寝不足の彼女であるが、肩を竦めつつも会話を続けようとする辺り、何だかんだでこの場で彼女と最も気の合う人間が帰って来た事が嬉しいようだった。
「存外、今の大陸には興味深い魔術師が多くてね」
「ほぉ。貴様がそんな事を言うとは、珍しい『世代』だな」
「ええ……そうかもしれない」
その声には真実味が篭っていたので、ホルスは意外な面持ちで能面を見上げる。
「なんだ、とてつもない魔法具でも見つかったのか?」
「魔法具……という訳では無いわ」
今の時代にも優秀な魔術師・魔法具技師は存在するが、その魔法具製作の技量だけを比較してしまえば……。
「ん? なんだ、まだ涎の跡が残っているか?」
「……いえ」
目の前の白衣の少女こそが真正の天才だ。
彼女に比肩し得る魔法具製作者は見つかっていない。
大陸全土を見渡しても、それは恐らくは変わらないだろう。
「なんだ、つまらん」
「強大かどうかは分からないけれど、面白い物はいくつか在ったから後で教えてあげるわ」
「創作意欲が刺激されればいいんだが……」
「『人形輪廻』という技法は恐らく貴女も興味を引くでしょう」
「ほぉん。まぁ期待しておこうか」
気の無い風で返事をしつつもホルスの眼光の奥底には強い好奇心の色が覗いていた。
「だが貴様がそれだけ肩入れしているということは……『候補』でも見つかりそうなのか?」
「……ええ。魔法具製作技術こそ、それほどの基準には達していないけれど……魔術師個々人の技量は凄まじい物が在るわね。恐らくここ200年程の間では、最高よ」
「……お前がそこまで言うとは本当に珍しい」
「それに……面白い人間も何人か見つけたわ」
「面白い……ねぇ」
果たして彼女の言う面白いとはどんな人間か。
「『貴女が昔作った』あれが起動したわよ」
思わせぶりな口調で言われホルスは眦を吊り上げた。
「ぁん? 私が作った、だと?」
「ええ」
だが、しばらく考え込む様に瞳を閉じていたホルスが苛立ったように呟く。
「あぁ~……いいか? 私が作った物など多過ぎて、どれの事かなんぞ予想するのは無理だからな?」
いいから早く答えを言え、と言外に告げたホルスに能面の彼女は答える。
「『ネハシム-セラフィム』」
「……なに?」
その言葉を聞いてホルスの顔色が変わった。
そんな様子を楽しそうに眺めつつ能面の女は続ける。
「派手な魔術を放つ砲を作りたいと言って昔貴女が作ったのでしょう?」
「まさか……あれを撃ったのか?」
「ええ」
「どうやって?」
あれには現代の技術では解読困難なパスワードが掛けられている。
そして何世代か前に既にその解読方法は失われていた筈だ。
「そこはゲートスキルで何とかしたみたいね」
「かぁ~っ! まぁたゲートスキルか!」
ホルスは苛立たしげに髪を掻き毟った。
「気に入らん!」
「? ……何が気に入らないの?」
口の中の飴玉を再度噛み砕き、彼女は続ける。
「ゲートスキルという奴は技術者の敵だよ、ふざけている」
「そうは思わないけど……」
「いいか? こちらが必死に頭を使って、努力して研鑽し、積み上げて来た先に到達した領域に土足で踏み込んで来るんだ。そして時にはこちらの努力を上回る能力が出現する。これが苛立たずに居られるか」
心底不愉快そうにホルスは毒を吐いた。
「あぁあぁ嫌だね、本当に。しかもあの力は発現するまでは、どんな力が生まれるかは分からんし、原理も不透明だ。いいか? この私でさえ、完全には解明出来ていないのだぞ? まったくもって腹が立つ」
「だけど一定の領域に到達した魔術師だけが至れるのだから、相応の努力は必要だとは思うけど」
そもそもホルスとてゲートスキルは取得しているでしょう、と諭してもホルスの顔色は変わらない。
「そんなものは知らん!」
「……はぁ」
偏屈な技術者の意地というか、頑固な部分が出てしまっている。
これでいて、昔は神官などという立場に居たのだから驚きだ。
「貴様、今私を心の中で馬鹿にしているな?」
「していないしていない」
「いや、その眼は怪しい」
「能面なんだから目は見えないでしょうに」
憤懣やるかたないホルスは、尚も続ける。
「そもそも……あれは失敗作だ」
己の恥ずかしい過去を曝け出す様にホルスは言った。
「失敗作?」
「それはそうだ。あれは兵器として根本的に間違っている」
「……それはどういう意味で?」
「いいか? ネハシム-セラフィムはな。数千の敵兵を殺す為に数千の味方を生贄にする。そういう兵器だ。例え私達であっても単独では起動出来ん。あれの消費魔力はそういう次元ではない。燃費最悪だ」
「……」
「なぁ? 非効率だろう? あれが私の作品等とは認めたくない程だ。確かに威力は馬鹿みたいに高いが、それ相応の犠牲が伴う。あれの魔力を、そいつはどうやって補填したんだ?」
「一国を落とし、そこで得た捕虜達を生贄に捧げて賄ったみたいね」
「ふん……そこまでして撃ってくれるとはな。製作者としては嬉しいのやら悲しいのやら。複雑な気分だよ。御苦労な事だ」
恐らく本当に失敗作だと感じているのだろう。
忌々しそうにホルスは投げやりな口調で言った。
「はっ。まぁいいさ。ある意味お前の望みには叶う代物だろうからな」
「ええ……それは否定しないわ」
「ふん……ならばまぁいいさ」
と、そこで何かを思いついたのか。
「よし。では今から、あんな非効率な物は無い本当の兵器を開発してやろう」
「楽しそうな顔してるわ……」
「いや……今ちょっと面白い物を思いついたんだ」
「どうせ碌でも無い物でしょうに」
「ふっくっく……試し撃ちは特別に貴様に譲ってやろう」
「いりません」
と、そんなくだらないやり取りをしている間に。
円卓広場に声が響いた。
それは空間だけではなく、まるで各人の頭の中に響く様な音色。そして美しい中性的な声だった。
『よくぞ、戻りました』
今しがた帰ったばかりの自分に対する言葉であろう。
能面の女はその場で片膝を付いて頭を垂れた。
見れば彼女の隣ではホルスも同じように頭を下げている。
「はっ」
『収穫は何かありましたか?』
「はい。今から御報告させて頂きたく」
『ええ、貴女は意欲的ですから、とても楽しみです』
まるでホルスを皮肉ったような冗談めかした言い様に、白衣の少女は微かに居心地悪そうに身動ぎした。
『では、奥の扉を開いておきます。準備が出来たらお願いしますね』
「はっ! すぐに参ります!」
返事を返し顔を上げた彼女は能面を外した。
銀髪煌めく彼女の横顔は歴戦の戦士のように研ぎ澄まされていながらも、清廉な聖女の様な面影もある。
不思議な雰囲気を放ちながらも、その美貌には陰りがない。
『ではお待ちしています』
広場に深い声が響いてゆく。
『我が使徒――カーマインよ』
第6章 運命の一日 ―完―
※例によって第7章開始まで少しだけ時間を頂きたいと思います。第7章以降の詳しい投稿日程は活動報告に載せておきますので、よろしければ御一読下さい。




