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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第6章 運命の一日
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番外編 王国で待つ者

 

 パキリッ、と。


「……」


 手元で無様な方向へと割れてしまった木片を無言で見詰め、彼女は再度手を動かした。

 シャッシャッ、という小気味の良い音が鳴り響き、木片が削られ、彼女が手にしていた木材は形を変えてゆく。

 それはまさに、才能だけでは購えない経験により洗練された動作であった。


 だが。


 パキリッ、と。


 またしても意図していない方向へと割れた木片を見詰め、さしもの彼女の集中力も途切れた。


「……ふぅ」

「疲れたか?」


 カミーラ=ランドリックが、まるで素人のようなミスを繰り返している様子を傍で見守っていたマルク=ローバットが紅茶のソーサーを持って現れた。

 彼はいつも通り、カミーラのカップに琥珀色の液体を注ぎ、角砂糖を二つ入れると、音も立てずに混ぜてゆく。


「ほら」

「ありがと」


 従者の気遣いに礼を言いつつ、カミーラは湯気のたゆたう紅茶を口にした。


「あれ?」


 そして違和感に気付く。


「この紅茶……何だか……」


 いつもよりも味が……。


「おっ。気付いたか?」


 するとマルクが楽しそうに微笑んだ。


「いくらポンコツとはいえ、流石は貴族の令嬢だな」

「おいこら」


 カミーラ=ランドリックは低い身長とコミュニケーション能力がコンプレックスの少女であるが、生まれ持った才覚と育った環境は貴族そのもの。

 決してそれ以外の能力が低い訳ではない。

 むしろミストリア王国内でも最高の学び舎に入学出来た時点で、彼女の優秀さは証明されていると言ってもいいだろう。


 曲がりなりにも伯爵令嬢だ。

 確かな舌を持っている。


「茶葉は……変えていないわよね?」

「あぁ。お前の好きないつものだよ」

「じゃあ……」

「淹れ方をな。ちょっと工夫したんだ。これだけでもかなり変わるらしい」

「ふぅん。淹れ方、ねぇ……」

「結構前に教えてもらったんだが……ちょっと試してみようと思ってな」


 再度紅茶に口を付けると、カミーラは感心したように言った。


「確かに随分と違うのね」

「まぁな。今までの俺のやり方は杜撰だったらしいぞ。軽く叱られた」

「誰によ?」

「ルノワール」


 その名前を聞いて、カミーラの視線が僅かに落ちた。


「流石にその辺りは詳しいというか何というか」

「……あの子の料理は別格だものね」

「その紅茶にも現れているだろう? 何でも味以上に香りが沸き立つから、より上品になるとか」

「……そうね。確かに香りの強さは全然違うかも」


 そこで会話は途切れる。

 ランドリック家の屋敷に差し込む冬空の太陽の光が、無様な木造彫刻を明るく染めた。


「……」


 マルクはわざわざ心配か? 等という問いは発さなかった。

 

 心配か?

 心配に決まっている。

 当たり前だ。

 メフィルにしろルノワールにしろ、二人にとっては掛け替えのない友人だ。

 特にメフィルとは二人は幼少期から交友がある幼馴染。

 

 そしてカミーラにとっては唯一無二の親友だ。


 異国に攫われたと聞いた時には居てもたっても居られなくなった。

 ルノワールが傍についていながら、と。

 あの黒髪の従者を責める気持ちが無かったと言えば嘘になる。


(でも……)


 メフィルが居なくなってからのルノワールの姿を見つけ、そんな想いは霧散していった。


(むしろ、あの子の方が……)


 憔悴し、傷付き、悔恨の念に苛まれていた。

 心の中で泣いていた。

 それが手に取るように分かった。


 ある意味当然かもしれない。

 彼女は自分が傍についていながら、護衛でありながら、みすみす目の前で主人を奪われたのだ。

 彼女の絶望、悔しさはカミーラ以上だろう。


「あぁあぁ。またこんなに散らかしちまって……」


 ぼやきつつマルクは部屋中に散らばる木片を片付け始めた。

 メフィルもカミーラも、どちらも抜きん出た芸術の才を神から与えられているが、こういった点は二人して全然違う。

 メフィルは昔から几帳面であり、アトリエの中も整理整頓が行き届いていなければ、落ち着かない。

 しかしカミーラは己の作品さえ生まれるならば、それ以外には無頓着である。部屋や道具がどうなっていようと大して気を払わない。

 それらの後始末をするのは、昔からマルクの仕事だ。


「やっぱりあたしも……帝国に」

「止めとけ、馬鹿」


 あれから幾分か時間が経過したが、カミーラがこう言いだすのは初めての事ではない。

 ルノワールは護衛としてメフィルを奪還する為に旅立った。

 実は紅牙騎士団の一員だったというリィルも学院も去り、最近になって、あのクレア=オードリーも学院に顔を見せなくなった。

 彼女曰く「やるべき事が出来た」とか。


 もちろん、それ以外にも最近では学院にも適度に会話をする程度の友人は居るが、特に仲の良い友達は全員が学院から居なくなってしまった。


 メフィス帝国が戦争の準備をしている、と。

 いつ攻め込んで来てもおかしくはない状況だ、と。

 ファウグストス家と所縁のあるランドリック家には、他家と比較すれば確度の高い情報が転がり込んでくる。

 そして友人達は全員が、そんな混迷する国の未来の為に戦っているのだろう。


 自分だけがこうして、一人平和に過ごしていてもいいものか。


「でも……」

「お前が行ってどうなる? 足を引っ張るだけで終わるぞ」


 厳しい言葉ではあったが、それは事実だろう。

 カミーラもマルクも市井の人々に比べれば戦闘の心得はあるが、それにしたって正規の戦闘訓練を受けた訳でも無ければ、実戦経験が豊富な訳でも無い。

 ルノワールはもちろんのこと、リィルもクレアも修羅場を潜り抜けて来た歴とした戦闘魔術師だ。

 自分達とは実力が違う。


「……」

「じっとしているのが辛いのは分かるが……」

「でも、だって……っ!」


 俄に声を荒げる主人を窘める声は強い。


「カミィ……っ」


 だが。

 それでも彼の主人の心は一つだった。



「だって……辛いよ。メフィルに会いたい」



 それは普段は素直にはならないカミーラの小さな慟哭だった。


「……カミィ」


 前向きに旅立ったのならばまだしも、戦争を開始するだろう敵国に攫われているのだ。

 冷静でいられる訳が無い。

 それに少し前にはファウグストス家が何者かに襲われたばかりだ。

 確実に争い事の足音は近付いて来ている。


「あのさ、カミィ」

「……なに」

「まぁ……俺もお前の気持ちが分かる、とは言わないけどよ」


 彼はそう言ったがカミーラは知っている。

 心情としては、自分の事を一番理解してくれているのは、間違いなくマルクである、と。


「こうさ。こうしてミストリアで……メフィル様の帰る場所で待つのも……守るのも……誰かがやらなくちゃいけないことなんじゃないか?」

「あたし、なにもしてないわよ……」


 拗ねたようにカミーラは言ったが、マルクは首を振った。


「違う。それが大事なんだ」

「……どういう意味よ」

「だからその……俺も上手く言える訳じゃないが……戦争が起きて、何か大変な事態が起きて、周囲の状況が変わっていっても、さ」


 少年はたどたどしく、言葉を紡ぐ。

 己の主人に言い聞かせるように。

 そして同時に自分に言い聞かせるように。


「メフィル様が帰って来た時に……お前がいつも通りの様子で居たら……あの御方は落ち着くんじゃないか? 安心するんじゃないか?」


 翻弄される状況の中。

 自分の親友がいつも通りの様子で待っていてくれたら。

 それはきっとメフィルにとっても嬉しい事の筈だから。


 本当にそうかは分からない。

 でも、だけど。


「それは言い訳じゃないの? 何か、あの子の為にやってあげなくてもいいの?」

「適材適所って言葉があるだろ。まぁはっきり言っちまえば、俺達にはそれ以外に出来る事が無い」

「……なによ、それ」

「残念ながらそれが事実なんでな」


 空になったカミーラのカップに、再度マルクは紅茶を注いだ。


「お前の最高傑作を見せてやれよ」

「はぁ? なに急に」


 言わずもがな。

 最高傑作とは彫刻の事だろう。

 親友が攫われている間にも、もくもくと彫刻を彫れと言う従者の言葉に反感の念が宿る。

 それは無神経ではないのか。


「それは……」

「お前は誰かをまとめあげたりすることも出来なければ、戦場に出て戦う事も出来ない。だったらここでじっと無為に過ごすよりも、唯一の長所を大事にしろ」


 マルクの言葉は命令口調ではあったが、その声色は優しかった。


「メフィル様も認める、お前の才能だ。未来のミストリア王国を代表する彫刻家になるんだろう?」

「べ、別に彫刻は好きだけど、彫刻家になりたい訳じゃ……」

「いや、お前それ以外に取り得ないから」

「なんだと、こら従者」


 何と言う口の聞き方か。


「いつもみたいに、さ。メフィル様にその小さい胸を張って自慢すればいいだろ」

「これから成長するのよ、胸は! ぶっ飛ばすわよ、あんた!?」

「そう。そうやってでかい声を出して居ればいいんだよ。しおらしいカミィなんて気色の悪い」

「こ、こいつ……本当に口悪いわ……っ!」

 

 額に青筋を浮かべながら、わなわなと肩を震わせるカミーラ。

 多少元気の出て来た主人の様子を横目で確認しながらマルクが肩を竦めた。

 落ち込んだ顔をしたカミーラなど見たくは無い。

 そんな主人と一緒に居てはマルクとて気分が沈んでしまうというものだ。


「そう。お前はそうしていればいいんだ。それにあの二人の事だ。とっくにルノワールがメフィル様を救い出して、一緒に酒盛りでもしているんじゃないか?」

「ふふっ、なによそれ」


 だが、そんな光景は簡単に思い描く事が出来た。


「でも有り得そうだろう?」

「否定は出来ないわね」


 優しい表情で告げる執事から視線を逸らし、カミーラは窓の外を見つめた。

 空を羽ばたく鳥をぼんやりと見上げる。


「カミィお前今……あたしが鳥だったら……とか思っただろ」

「……」

「痛い奴だな」

「ほんっとにこの執事だけは……っ!!」


 図星を突かれ、頬を染めつつ拳を握り締めるカミーラ。

 彼女が激昂するよりも素早く。


「この前カミィが注文していた大理石板が届いたぞ」

「え……っ!?」


 1か月以上前……それこそメフィルが攫われるよりも以前に注文していた大理石板。

 特注品なので時間が掛かると言われていたが、ようやく届いたのか。

 確かにカミーラは、それを材料に大掛かりな彫刻を彫ろうと思っていた。


 芸術家として。

 彫刻家として。


 胸の奥に疼く物がある。


「で、でも……」


 今はそんな事をしている場合ではない。

 葛藤は常にカミーラの理性に働きかけていた。

 

「別にいいんじゃないか? 楽しみにしてただろう、お前」

「それはそうだけど……」

「それにこれだけは断言してもいいがな」

「……何よ」

「メフィル様は……彫刻を彫っている時のお前が一番好きだ」


 それは昔から傍で二人を見守って来たマルクだからこそ言える言葉かもしれない。


「……彫刻を彫っている……あたし……」

「そうやって落ち込んでばかりで、何もしないでメフィル様の無事を祈っているだけの時間を過ごすくらいならば……俺は彫刻をするべきだと思う」

「……」

「それはお前の為でもあり、メフィル様の為でもある」


 そしてそれは――マルクの為でもある。


「……」


 彼女は手にしていた木材と彫刻刀を見つめた。

 一度だけ、子供の頃に彫刻を辞めようと思っていた時期が在った。

 誰にも認められずに疎まれるばかりであるのならば、いっそ辞めてしまえばいい、と。


 だけど結局は辞めなかった。


 何故ならば――彼女に出会ったから。




   ☆   ☆   ☆




 それは昔の記憶。

 親同士の交流があるという公爵家の屋敷に訪れた時の……幼少期の頃の記憶。


「へぇ! これ、貴女が作ったの!?」

「えっ……と、その……」

「そうですよ、メフィル様。それはこちらのカミィが作った彫刻品です」

「素晴らしい出来栄えじゃない!」


 目を輝かせて、あたしの作った木材彫刻を見ていた彼女を驚いて見つめ返した。


「な、なんで?」

「え?」


 不思議だった。


「だ、だって……」


 貴族の人達は誰も彫刻を褒めてくれた事なんて無かった。

 むしろ、彫刻刀を持っているだけで、危ないと叱られ、こんな事をして何に役に立つのか、と家族の誰からも言われていた。


 なのに。

 どうして目の前の、あたしと同じ歳の少女は、こんな風に言ってくれるのだろう。


「あっ。ねぇねぇ、こっちに来てみない?」


 あの頃の彼女は今よりも随分と子供らしく、溌剌な少女だったように思う。

 案内された先で見せてもらったのは彼女が描いたという絵画だった。


 とても同年代の人間が描いたとは思えない数々の絵画が飾られている。


「す、すごい……」


 言葉は素直に口から漏れた。


「そう? そう言ってくれると嬉しいわ」


 頬を僅かに朱に染めてそう言った彼女を見つめ返す。


「貴女は彫刻が好きなのね。私は絵を描く事が好きなの」

「……」

「貴族で芸術を嗜んでいるなんて……私達似た者同士かもしれないわね」

「…………」



 本当に……嬉しかった。



「あ、あら? どうかしたの?」

「? カミィ?」


 誰も認めてくれなかった自分の彫刻を認めてくれる人が居た。

 それもその子は自分と同じ貴族で、そして芸術を愛していた。


「……私、何か悪い事をしてしまったかしら?」


 黙りこくってしまった、あたしを心配そうに覗く彼女に。


「ううん……」


 微かに首を振って、あたしは答えた。


「あの、貴女……」

「カミィ」

「え?」

「あたしの名前。カミィ、って言うの」


 それだけを告げると、きょとんとした顔をしていた彼女は笑顔を煌めかせて答えた。


「そう! 私の名前はメフィル、って言うの。よろしくね、カミィ!」


 その瞬間から――あたしは彼女の事が好きになった。




   ☆   ☆   ☆




「大理石板……どこにあるの?」


 瞳に微かな光を覗かせる主人の顔を見つめ、マルクが恭しく頭を垂れた。


「屋敷の裏手に運んでありますよ、お嬢様」

「その言葉使いは気色悪いから止めなさい」

「……」

「額に青筋を浮かべるのも止めなさい」


 そんな軽口を叩きつつ、立ち上がったカミーラは自室を出て廊下を歩く。


「やっぱり……彫刻彫るわ」

「……そうか」

「うん」

「メフィル様がびっくりするようなのを作って驚かせる、ってのはどうだ?」


 最近は沈んでばかりで笑顔を碌に見せる事のなくなっていたカミーラが笑った。


「あははっ。いいわね、それ。そうしましょう」


 カミーラは心なしか軽くなった気持ちで歩いていく。

 その後ろ姿を、温かな表情で見つめるマルクが、主人には決して見られる事の無いように優しく微笑んだ。





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