第二十五話 同僚
ユリシア様は上機嫌だった。
「上々の成果ね」
シリーさんが確保した誘拐犯達は既に内軍に引き取られてしまったが、ある程度の情報は得られた。
彼らの話によると、今回の誘拐を指示したのはドルン=ガーナー伯爵。ミストリア王国内においては保守派貴族の中でも代表格とも言えるほどの人物だった。
「まぁ全てを鵜呑みにするつもりはないけど探りを入れる価値はあるわよねぇ」
あまりにも誘拐犯達が簡単に自白したこと。
そして出てきた人物があからさまに怪しい人物であったこと。
この2点を踏まえて考えると、彼らの供述自体が罠の可能性も捨てきれない。
故に軽率な行動に出る訳にはいかないが、元々怪しいと思っていた人物だ。
誘拐犯からの自白を元にドルン伯爵を揺さぶる材料にはなる。
「メフィルも無事だったし、もう一方の敵もマリンダの部下、というかディルだったんでしょう?」
「はい、今から私の方から彼らに話を聞きに行って参ります」
今日はメフィルお嬢様も疲れたのだろう。
彼女は既に就寝している。
「そう。わたしは帝国の調査以外の話は詳しいことを聞いてないしね。そっちはルノワールの判断に任せるわ。こっちはこっちで対処しておくし」
「畏まりました」
先程ビロウガさんがユリシア様の指示でどこかへ出かけていったし、おそらく早速ドルン伯爵に関する調査に乗り出したのだろう。
「どこで待ち合わせ?」
「二人がアゲハで拠点にしている北西区の家屋です」
「ふぅん。じゃあそっちはよろしくね」
「はい」
「いってらっしゃい、ルノワール。あ、それと……」
僕が部屋を出る前に子供のように無邪気な笑みを浮かべてユリシア様は言った。
「メフィルを護ってくれてありがとう」
「や、役目でしゅから」
言葉を噛んでしまった自分が呪わしい。
「あはははっ」
「し、失礼します~っ」
もしかしたら頬も赤くなっているかもしれない。
(はぁもう……)
これでは照れているのがバレバレではないか。
☆ ☆ ☆
既に日は落ち、一般民家では子供達が寝る準備を始める時間帯。
僕はポーター兄妹の家へとやって来た。
「入ってくれ」
言われるままに部屋へと入る。
夕方訪れた時も思ったが、この部屋は随分と汚い。
先刻土足で踏み込んでおいてなんだけれど、無性に掃除したい衝動にかられる。
「お待ちしておりました、ルーク様」
リィルが紅茶の入ったポットと空のカップを手にしてやって来た。
「……」
彼女は今ルーク様、と言った。
「夕方も思ったけど……私の状況は聞いているんだね?」
僕は確認するようにリィルに尋ねた。
ディルには話を通しておく、とはマリンダから聞いていたけれど、リィルにまで僕のことを伝えるとは聞いていない。
ルノワール、なんて名前の人間は紅牙騎士団には居ないのだから……つまりはそういうことだった。
「はい」
「まぁなぁ。ルークがどういった経緯でユリシア様の使用人をやってるかもリィルには話したよ」
「そっか……あのー、あとリィル? 様付けは出来れば止めてね?」
彼ら二人も僕にとって数少ない友人だ。
騎士団では随分と世話にもなっている。
それに確かにリィルであれば秘密を漏らすようなことはまず無いだろう。
「というかルーク。お前すげぇ似合ってんなそれ。まじで女の子にしか見えないわ」
「ユリシア様の魔法薬だからね」
「いやいやでも顔はあんまり変わってなくね?」
「……」
ぐぬぅ。
それは僕自身思っていたことなので否定出来ない。
「……はぁ。まぁね、確かに。というかあれだなぁ。流石にリィルみたいな同年代の人にこの姿は見られたくなかったなぁ」
これは本音だった。
数少ない同年代の友人でしかも異性。
そんなリィルに女装(女体化)した姿を見られるのはやはり恥ずかしい。
「へっ……い、いえ。とてもよくお似合いだと思います。とても綺麗です。ホントです」
慌て気味に俯き、口早に言うリィル。
何故か彼女はあまり僕とは視線を合わせようとはしない。
まぁそもそも彼女は兄であるディル以外とはあまり口をきかない子なんだけれど。
「そ、そう?」
「は……はい……」
現在も頬を染めながら上目遣いで僕の様子を窺っていた。
目が合うなり彼女は再び俯いてしまったけど。
相変わらずの恥ずかしがり屋さんである。
この反応は僕が男として彼女に接していた時から変わっていない。
「……はぁ」
そこで大仰にディルは溜息をついた。
「いつになったら進展するのやら」
肩を竦めるディル。
なんともしみじみとした口調だった。
「進展?」
意味が分からず僕が尋ねようとするとディルがニヤニヤしながら――、
「いやそりゃもう」
「馬鹿なのっ!?」
――何も言うことは出来なかった。
何やら慌てた様子のリィルに止められたからだ。
「兄さんっ!?」
「いったっ!? 痛い痛い、足を踏むんじゃないよっ!?」
「本当に馬鹿っ! 馬鹿なんだからっ!」
「お前ね……俺はお前のためを思って」
「よっけいなお世話ですっ!」
「???」
意味がよくわからなかったが、とりあえず兄妹でじゃれあっているのだろうな、と思った。
リィルは顔を真っ赤にして怒っているし、何やら彼女の恥ずかしい話でもしようとしていたのかな。
やがてディルが呆れた様子で妹をやり過ごし、真面目な口調で話し始める。
「まぁいいや。んで本題に入るわけだが……リィルをお前のサポートにつける」
「いきなりだね……」
というか。
「サポート?」
「……実はリィルもミストリア王立学院に今年入学する手筈になってるんだな、これが」
「えっ……でもリィルはまだ14歳だよね?」
「そんなことはなんとでもなる」
あっけらかんと言い切るディル。
まぁ実際彼がその気になれば、一年程度の誤差など簡単に誤魔化せるのだろう。
「ちなみにユリシア様の力を借りて、メフィルお嬢様とルークとリィルは同じクラスになることも確定してる」
「え、それって……」
「そう。俺がルノワールを監視してることは知らなかっただろうが、ユリシア様は団長を通してリィルという騎士団員が入学することを知っている。もちろんクラス編成は彼女に口利きしてもらう」
「同じクラスの友人としてリィルと接して、時折情報交換をするの?」
「まぁそれもあるし、お前さんが困ったときに事情を知ってる人間がいると助かるだろ?」
「それはまぁ……確かに」
事情は分かった……けれどわざわざそこまでやる必要性を感じない。
ただでさえ騎士団員の人手は年中足りていないのだ。
「そうだな、もう一つ言うならば別にルークがメフィルお嬢様の護衛を引き受けなくてもリィルは学院に入学する手筈になってた」
「え?」
「怪しい貴族の子息令嬢が3人ほど学院にいてな。それとなく子供達を探ってもらおうかと思ってた。とはいえ所詮はまだ子供だから重要なことは知らないだろうが……まぁ調査の一つとしては悪い方法でもないからな。学生に紛れられる年齢なんて騎士団には他にそうそういないし」
ディルの言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えた。
「……近づく?」
「あぁ~、いやまぁちょっと違うか」
言い淀む彼の真意を知りたくて僕は口早に言った。
「本当の目的は有事の際に速やかに人質として拉致・利用出来るようにスケジュールを把握して罠を張っておくってこと? こっちから近づき過ぎるとデメリットもあるだろうし」
「……お前は本当に話が早くて助かるよ」
ディルがニヤリと口角を持ち上げて笑みを浮かべる。
「要するに敵がメフィルお嬢様に対して行なっていることと同じことをするわけだ。目には目を、歯には歯を、ってな。まぁ学院内で事を起こすのはリスクがでかいが、保険として備えておくのは意味がある」
「なるほど。ということは僕との情報交換やサポートはついでみたいなものか」
「まぁそうだな」
そこで僕はふと思いついた。
「あのそれって……最初からリィルがお嬢様の護衛をするんじゃ駄目だったの?」
別にお嬢様の護衛が嫌だという訳では決してない。
しかしわざわざ女体化というリスキーなことをしなくても済んだんじゃないかなとは思う。
それにリィルだって現役の紅牙騎士団の一員だ。
この年齢であっても十分過ぎるほどに修羅場は潜ってきている。
だけど僕の言葉を聞いたディルは呆れた様子だった。
「あのな。いくら団長を信頼してる、って言ってもその部下はまた話が別だろうよ。ユリシア様が簡単にリィルを屋敷に招き入れるとは思えないな。それも娘の護衛を任せると思うか?」
「あぁ……それはそうかも」
ユリシア様の疑り深さは筋金入りだ。
僕がぼんやりと心の中で苦笑しているとリィルが言った。
「その……たとえユリシア様がお認めになられたとしても……私如きではルーク様の代わりは、とてもではありませんが務まるとは思えません」
「如きって……リィルは優秀だよ」
僕は笑顔で言った。
これは本心だったんだけど、ディルは妹の言葉を否定しなかった。
「優秀かもしれんがリィルの言う通りだろ。お前の代理なんぞ務まるのはそれこそ団長ぐらいなもんだ」
「……男なんだけど」
「そうは見えないから安心しろって」
ディルはさも楽しそうに笑った。
「楽しそうだね」
恨めしげに言っても彼はどこ吹く風である。
「まぁな。なんせ他人事だからな」
「はぁ」
まったくもう。
僕は一つ溜息をついて話を戻した。
「帝国の方はどう?」
「ん、まぁ一応表向きの北大陸侵攻の目的はわかった」
「大陸統一ではなくて?」
「その一環だ」
ディルは真面目な顔で言った。
「目的は最近デロニア近郊の鉱山で発見されたレアメタルだ」
世には様々な物質が存在しているが、その中でもレアメタルは希少性や有用性を加味して非常に貴重な資源の一つとされている。
加工方法や利用手段次第では凄まじい効力を発揮する希少金属。
「いったい何の?」
「ミルグラフト」
「な……っ! 本当なの?」
「あぁ」
ミルグラフトとは、強力な魔力反射作用がある金属として有名だ。
加工はしにくいが、非常に軽く、熱にも強い。
軍事方面への利用方法は無数に考えられる。
大陸でもほんの僅かしか確認されておらず、その希少価値は現在確認されているレアメタルの中でも間違いなくトップクラスだ。
「なるほど。じゃあミルグラフトの鉱山を奪うために侵攻したということ?」
僕が尋ねると、ディルは煮え切らない表情で言った。
「……おそらくはな」
「おそらく?」
「ミルグラフトが理由の一つであるのは間違いない。だが団長がな。それだけじゃない気がする、って言っている」
「マリンダが?」
「ああ、そして俺もそう考えている。利権を得たいという帝国の思惑も理解は出来るが、それにしたって少し強引だ。他にもやり様はいくらでもあるだろう?」
彼の言葉に僕は静かに頷いた。
「まぁ団長にも何ら確証はないらしいが、何か予感がするらしくてな。もう少し帝国の調査には時間をかけようかと思っている。どのみち俺達は最終的にはあの人に従うだけだからな」
苦笑しつつも、ディルはどこか誇らしげだった。
「そっか」
「新しい情報が入ったらユリシア様経由で伝えるよ」
「分かった。リィルは……寮にでも住むの?」
「はい。その方が何かと都合がいいですので」
ミストリア王立学院には遠方から通う生徒達のための寮が敷地内に用意されている。
もちろん全校生徒を収容できるほどの規模ではないが、それでもかなりの大きさの寮であるらしい。
「ディルは?」
「王都での連絡は一通り終わったからな。明日にでも帝国へ向かう。今度はしばらく帰って来ない」
何気なく言う彼だったが、目は真剣だった。
それはそうだろう。
現在あの国は大陸で最も注目されている油断ならない国なのだ。
しかも目的は密偵。
危険は必ずつきまとうことになる。
「てなわけでしばらくはまた会えないな。とはいえ逐一情報は送れるようにするから安心してくれ。あと一応、国内の騎士団は一時的にグエンじいさんに預けることになった。何かあったら多分じいさんからも連絡がいくと思う」
グエンとは騎士団最年長の戦術顧問の名前であり、マリンダの師匠に当たる人物のことだ。
確かにディルとマリンダが帝国に行く以上は、国内で指揮を執る人物は必須。
グエン様であれば適任だろう。
(それにしても)
ディルはいつもと変わらない呑気な態度だ。
これから敵地に赴くとは思えない程の余裕がある。
だから僕も彼に余計な心配を抱かせないように明るく言った。
「お土産よろしくね」
「オーケー、オーケー。帝国で一番人気の化粧水でも買ってきてやるよ」
「屋敷のみんなの分もお願いね」
冗談には冗談で返す。
僕達が笑い合っていると、リィルが物憂げな表情で兄を見つめているのに気づいた。
異国へと調査に赴く兄の身を心配しているのだろうか。
「兄さん……」
「馬鹿、心配すんな。俺をどうにか出来る奴なんてそれこそ団長クラスでもなけりゃ」
「お土産ですけど私の分もお願いしますね」
「そっちの心配かよぉ」
これは恥ずかしい。
「ふふっ。兄さんのことは信頼してますよ。まぁ頑張ってください」
「うーん最近妹が生意気になってきたなー」
そうは言うものの表情は終始穏やか。
仲が良いものである。
「相変わらず仲がいいね。羨ましいよ」
僕が笑いながら告げると、リィルは頬を赤くする。
ディルはニヤニヤする。
な、なに?
「ルークもリィルとはやっぱりもっと仲良くなりたいよなぁ? ほら、兄の目から見てもこいつって見た目はいいし。な?」
「何急に。でもまぁ否定はしないよ」
ディルの言葉に僕が頷くと、リィルはどんどんと縮こまっていく。
いやもちろんそれは気配の話なんだけど、なにか本当に小さくなってしまったように錯覚してしまうほどに俯いてしまった。
「……」
リィルは何にも言わない。
うーん、やっぱり僕ってあんまりリィルによく思われていないのかなぁ。
ちょっとショックだ。
「……はぁ。ほんっとに道のりは長いなぁおい」
天を仰ぐディル。
何やら指先をもじもじと動かしているリィル。
なんなの、一体??
「とりあえず話はこんなところかな?」
「まぁ……そうだな」
話は大方終わったし。
二人にも色々とあるのだろう。
あ、でも。
一つだけ注意しておかなきゃ。
「あっ、そうだ二人とも。一応間違えないように気をつけて。僕の……じゃなくて私のことはルノワール、って呼んでくださいね。リィルはその、気持ち悪いかもしれないけど咄嗟にルーク、って呼ばれちゃったら困っちゃうし」
「あ、はい。気をつけます」
頷く兄妹を見て僕はリィルに笑顔で告げた。
「なにはともあれ、よろしくねリィル」
「よ、よろしくおねがいします」
僕が伸ばした手をなんとか控えめに握り返してくれるリィル。
学院生活を通じて彼女ともう少しだけでも仲良くなれたら嬉しいな。
「はぁ……手を握るだけでこれだもんぐばっ!?」
「こんのぉっ」
「ぎ、ぎぶぎぶっ」
はぁ、まったく。
再び仲良くじゃれつきはじめた兄妹に別れを告げて僕は部屋を立ち去った。