第二百十八話 これからの行動方針
「まずはやはり当初の予定通りキースと合流するべきだろう」
次なる行動指針を話し合おうとした所、ドヴァンがそう切り出した。
「紅牙騎士団はどうしますか?」
キースとは協力関係にあるが、現在進行形で紅牙騎士団の方ではユリシア救出を目的とした作戦が行われている筈だ。
信じてはいるが、あちらの作戦の結果も非常に気になる所。
ルノワールの質問も尤もである。
だが彼女が問いかけると戦鬼は静かに頭を振った。
「いや……あちらの作戦の推移や結果も知りたいが……今回は紅牙騎士団は派手に動き過ぎている」
もちろんルノワール達3人の行動も目立っていたが、あちらは毛色がまた少し違う。
探索した結果、こちらには敵の追手の気配は無い。
すなわち現在ここにいるメンバーはレオナルド達から場所は割れていない。
だが紅牙騎士団は違うだろう。
あちらの大規模攻勢は優に1000名を超える規模で展開されている。
無論隠れてはいるだろうが、流石にこの規模の軍勢全てがメフィス帝国というレオナルドの庭の中で彼らの目から完全に逃れられているとは思えない。
「俺達の優位性は隠密性、そして身軽であることだ」
たった5人。
しかしそうであるが故に隠れやすく、尚且つ行動がし易い。
「あちらに合流する事は戦力的な面では増強が見込めるだろう。だが、俺達が確保している優位性が薄れる。可能であれば別行動を続けた方がいいだろう」
「……確かにそうですね」
ドヴァンの言葉にルノワールは頷いた。
彼女は傍に居る主人に軽く目配せをする。
「……大丈夫よ、ルノワール」
ルノワールの眼差しに含まれる心配そうな表情。
そんな従者の意を汲んだ主人は優しく微笑んだ。
「確かにお母様の安否は気に掛かる所だけど……ドヴァンさんの方針が間違っているとは思えない」
己の心を案じるルノワールの気遣いはありがたい。
だが、この場においてドヴァンの言葉は正しい。
感情を優先させて我儘を言うつもりはメフィルには無かった。
「それにキース様はアトラのお父様なのでしょう? アトラだって父親には会いたい筈よ」
メフィルがアトラを見下ろし彼女の柔らかな髪を丁寧に撫でる。
なされるがままアトラは目を細めてメフィルを見上げていた。
早くもメフィルに懐き始めているアトラを見つめ、ルノワールの相好も思わず緩んだ。
「ね? アトラも心配でしょう?」
「……うん、お父様に会いたい」
「ふふ、そうよね」
ここにいるメンバーは決してアトラの事を厭わなかった。
既に全員がアトラの『呪い』の事を知っている。
しかしそれでも誰も恐れなかった。
イゾルデとドヴァンに至っては呪い等と聞いても、鼻で笑うような二人であるし、ルノワールは真実を知っている。
そしてメフィルは信頼する従者が慕う少女を邪険に扱ったりする訳がない。
また、アトラの側としてもここにいる人達に対して恐怖を抱かなかった。
誰もが自分を特別な人間と見ない、という点もあるが、やはりルノワールがその中心にいるのは間違いがないだろう。
未だ幼いアトラは半ば盲目的に信じていた。
ルノワールが、自分をいじめる様な人間を連れて来る訳が無い、と。
そしてそれは事実だった。
ルノワールが傍に居てくれる限り、アトラが怯える必要は無いのだ。
「メフィル=ファウグストス」
「な、なんでしょう?」
突然戦鬼に名前を呼ばれたメフィルは首を傾げる。
「そのドヴァン『さん』というのは止めろ。気味が悪い」
気味が悪いとは失礼な、とルノワールは内心では思ったが、メフィルは軽く微笑んで見せた。
「ええ、分かりましたドヴァン。では私の事もフルネームで呼ぶのは止めてもらえますか?」
「……いいだろう、メフィル」
今までじっと黙っていたイゾルデが口を開く。
「……それで? そのキースはどこにいるの?」
当然のように協力の姿勢を見せるイゾルデ。
彼女は既に心に決めていた。
自分はルノワールとメフィルの二人について行く、と。
二人が窮地に陥っているというのならば、それに力を貸す事こそが友人の務めだから、と。
相変わらず訝しそうな瞳でアトラを見下ろしつつ黒衣の魔女は問うた。
「聞いた所では別行動でレオナルドを追っていたのでしょう? 居場所は分かるの?」
「事前に取り決めはしておいた。今日この日の作戦実行の翌朝。奴と落ち合う場所は決めてある」
もしもその時間に互いが現れなかった場合は更に翌日の同時刻に落ち合う約束になっている。
「なるほど、ではそこに向かう、と?」
「俺はそれが良いと思っている」
ドヴァンはそう言うと、視線をルノワールに向けた。
「それでいいか?」
「え?」
まるで確認を、承認を取るような声色。
だが尋ねられたルノワールは不思議そうな顔付きで戦鬼を見つめた。
「何を不思議そうな顔をしている? この場の指揮官はお前だろう?」
「え、え? 私、が?」
尚もルノワールは混乱した。
戦事やこういった作戦行動の経験値で言えばドヴァンの方がルノワールよりも遥かに上だろう。
話を進める手管にしろ、行動指針の提案にしろ、彼の言動は理に適っており、理知的だ。
ドヴァンの方が指揮官としては相応しいと彼女は思う。
戦闘能力、という意味であれば、イゾルデの方がルノワールよりも上だろう。
未だ少女の力は黒衣の魔女の力には届かない。
だが。
「私が指揮官、ですか?」
「? 何を今更言っている?」
「で、ですが……」
「下手な遠慮などいらんぞ。それに貴様はまだ詰めが甘い部分もあるだろうが、才覚は悪くない」
それは素直な戦鬼の意見だった。
流石に本当の無能に指揮権を渡すつもりなどは微塵も無い。
実際に戦術的な局面ではルノワールは紅牙騎士団内で何度か指揮をとっている。
それらの経験値は決して無駄にはなっていないのだ。
彼女の力になっている。
「オルフェウスを救う、ファウグストスを救う、メフィス帝国を倒す。それらの貴様の意志に賛同し、こうして俺は力を貸している」
例え力の拮抗する人間が複数いるとしても。
部隊単位で行動する以上は指揮官が必要。
それらの取り決めすら出来ていないのは、烏合の衆に他ならない。
「俺の提案を聞いても尚、紅牙騎士団と合流した方がいい、と貴様が決定づけるならば、それもいいだろう。無論、理由は話してもらうが」
「いえ……反論はありません。ドヴァンの言葉は理に適っている」
ここまでドヴァンに言わせてしまった以上、ルノワールはくだらぬ迷いなど振り切って頭を振る。
周囲に目を向ければ、誰もが当然、という顔をしていた。
無駄な事で戸惑っていたのはどうやらルノワールだけだったようだ。
「では、まずは……キース様と合流しましょう」
メフィルを救い出す事は出来た。
しかし、依然としてミストリア王国とメフィス帝国との間には不穏な空気が渦巻いている。
戦いはまだ終わっていない。
むしろこれまで溜めこまれて来た火種が爆発するのはこれからだろう。
そう――ここからが本番なのだ。
キースの願う帝国の平和を勝ち取る為に。
ミストリアの安寧を勝ち取る為に。
ルノワールは己の主人に視線を向けた。
彼女の顔にも決意の表情が浮かんでいる。
自分は彼女の騎士だ。
主人の願いを叶える事こそが願い。
そしてファウグストス家が抱く思いと自分の願いは同じだ。
ならば。
「では――時間になったら向かいましょう」
心強い仲間達の視線に支えられながらキースとの定刻を待っていた。
☆ ☆ ☆
「よいしょ、っと」
「あっ。何するの、ルノワール?」
ひょこひょこと傍までやって来たアトラがルノワールの手元を覗き込む。
実は先程ルノワールは少しばかり外出していた。
なんでも買い物がある、とかなんとか。
ちなみにアトラはルノワールが帰って来てからというもの、極力ルノワールの傍を離れないようにしていた。
「ふふ、夕食の準備です」
キースとの約束の時間まではまだ時間がある。
その間、特にやる事も無い以上、次なる行動に備えて食事を取るべきだろう、と彼女は考えたのだ。
「夕食? これが?」
ルノワールの手元の粉を見つめ、アトラが尋ねる。
「そうですよ。これがパンになるんです」
「へぇっ! ルノワールはパンも作れるの!?」
「ええ。自分でやると色々と手を加える事が出来るので楽しいんですよ」
パン粉を捏ねながらルノワールは見事な手際で生地を広げていく。
力の掛け具合、伸ばし方、温度と水分の調整。
簡単な様に見えて実は奥深いパン作りであるが、彼女はこれもまたミストリアの誇る宮廷料理人のミリスからみっちりと仕込まれていた。
「……なんだか面白そう」
「あっ。では一緒にやってみますか?」
「えっ。いいの!?」
「ふふ、もちろんです」
宿の厨房は決して広くはないが、それでもアトラと二人で作業をするぐらいであれば大丈夫だろう。
オルフェウスの主従が仲良くパン作りをしている最中、メフィルはドヴァン、イゾルデの両名と話しこんでいた。
「なるほど、災難だったな」
帝国に捉われた経緯を聞いていたドヴァンは厳かに頷いた。
「くく、奴が怒りに震える訳だ」
「笑い事では無かったんですよ?」
「それはそうだろうが……それにしてもやはりあの男は強敵か」
帝国最強ジョナサン。
アルメリア大聖堂ではルノワールを相手に終始押した戦いを繰り広げていた。
奴はまさしく獣だ。
魔獣などよりも余程魔獣らしい男。
「あいつは次に会ったら私が殺す」
話に聞いているだけでも、ジョナサンは何度もルノワールとメフィルを害した許せぬ人間だ。
しかもその魂の色は今までに彼女が見て来た中でも一際醜い汚れた色だった。
あの男を相手にイゾルデは密かに闘志を燃やしていた。
「メフィルとルノワールに危害を加えるなんて……許せない」
「くはは、貴様も以前そうだったのではないのか?」
ドヴァンが少しばかり面白そうに問いかけるとイゾルデの目が細まり、剣呑な雰囲気を放ち始める。
「……」
戦鬼の言葉は確かに事実ではあるが、イゾルデの胸中としては複雑であり、あまり愉快な話ではなかった。
反省したといっても、彼女の行いが消えてなくなる訳ではない。
黙ったままドヴァンを睨むイゾルデを横目にメフィルが慌てて言った。
「い、イゾルデっ。だ、駄目よ、怒っては。ドヴァンも変な事を言わないの! あ、貴方もそうだったでしょう?」
「あぁ、まさしくその通りだ」
そもそもこの二人はかつて共に同じ依頼人――ゴーシュ=オーガスタスに雇われていたのであるから、政敵であるファウグストス陣営の人間と戦ったのはある意味必然である。
「だが今はこうしてここにいる。何の因果だかな……」
薄汚い傭兵として世界を彷徨っている内に、紆余曲折を経て、王国の姫君直轄の騎士団だ。
世の中分からないものである。
「まぁ今は互いに同じ敵を相手に動いているんだ。下手に反目するのは止めにしないか?」
「……いいでしょう」
イゾルデの根幹にある感情として、メフィルとルノワールを困らせる様な事はしたくない。
それにこの男が役に立つ人間であることは分かる。
その戦闘能力からして尋常ではない。
それはイゾルデから見ても十分過ぎるほどの脅威だ。
その時、厨房の方から賑やかな声が聞こえて来た。
「出来た!」
「あっ。熱いですから、気を付けてっ」
「あついっ!?」
「あぁっ言った傍から……アトラお嬢様手をお出し下さい。すぐに冷やします」
「うぅ……ぐすん」
「ほら、大丈夫ですから。泣かないでください」
「……うん。ここからどうするの?」
「先程下準備をしていたお肉と野菜を挟みます」
それからまたしても、がやがやと二人でおしゃべりをしながら作業を進めている内に、遂に夕食が完成したのだろう。
やがてルノワールとアトラの二人が他三人の元へとパンを片手に持って来た。
「完成です!」
楽しそうに持って来たアトラの横ではルノワールが苦笑していた。
「近場のお店で買って来た物ばかりで、あまり凝った物は作れませんでした」
そんな謙遜を口にするルノワールを横目にメフィルが簡単の声を洩らす。
「そうは見えないけれど……」
アトラと共に作ったとはいえ、流石にそこはルノワール。
カットされた野菜と肉にとろみのついた餡が掛かり、自家製パンに挟まれている。
街中のお店で見ても全く違和感が無いだろう。
「では、どうぞ召し上がれ」
「召し上がれ!」
ルノワールとアトラに促されるままにメフィル、ドヴァン、イゾルデがそれぞれ口に運ぶ。
そして。
(あぁ……本当に流石というか……)
このような状況であっても彼女の料理の実力は変わらない。
これを食べるとルノワールの元へ帰って来たのだと思える。
それぐらいに美味しい食事に思わず頬が緩んだメフィルの傍ら、その味に目を見開き、驚き顔のドヴァンとイゾルデを見つめて、ついには声を上げてメフィルは笑った。