第二百十五話 コルネアス城攻防戦 Ⅶ ~勝負の行方~
ここの所の衰弱のせいだろう。
足元が覚束ず、何度も転びそうになるユリシアを二人の使用人が支えている。
あれほど快活だったファウグストス家の主人の面影が薄れていた。
「……すごいわね」
ぼんやりと呟くユリシアの眼前には、幾人もの倒れ伏す警備兵の姿が在った。
これら全てをキサラが打倒したという。
流石に紅牙騎士団と渡り合った傭兵団の副長。
その実力は伊達では無い。
「まぁ隠密とかは得意だからね」
そう呟き、天馬騎士団の副長キサラは足を止めて、廊下の角から先を見渡した。
「そう言えば……ビロウガとシリーは?」
他の使用人は外で待っている、とは聞いていたがそれにしても、あの二人こそがこういう場には相応しいような気がする。
「あの御二人は……」
言い辛そうに言葉を濁すエトナの横合いからウェンディが告げた。
「ファウグストス家が襲撃を受けたんです」
「……ぇ?」
「あっ! もちろん、ビロウガさんとシリーさんが敵を撃退しました! 屋敷はちょっと壊れちゃいましたけど、大丈夫です! 数は劣勢でしたけど撃退したみたいです、流石ですよね!」
幼少期よりもあの二人を頼って来た身だ。
彼らの力はユリシアこそが誰よりも知っている。
屋敷の事は心配であるが、二人が無事だと聞いて思わず安堵の溜息を零すユリシア。
「でも、その時に二人とも大怪我をしてしまって……今はまだ療養中だと思います」
「そう……命に別条は無いのね?」
「はい。そちらは大丈夫です」
ならば良い。
命さえ無事ならば。
キサラはそんな会話を背中で聞きながら呟いた。
「行けるね、じゃあ脱出するよ」
4人は順調に進んでいた。
敵に出くわす事も無ければ、罠の様な物が仕掛けられている様子も無い。
順調過ぎるくらいだ。
(……警備が薄過ぎる?)
唯一ユリシアだけが、コルネアス城の異様な静けさに違和感を抱いていた。
ここはメフィス帝国の言わば本陣だ。
それがこれだけ手隙なのは一体どういうことだろうか。
確かに城下では激戦が繰り広げられている筈なので、そちらに人員が割かれているのだろう。
キサラが邪魔な警備を倒してくれもした。
だが、それにしてもこれ程まで都合よく脱出が為るだろうか。
「よし。じゃあここからは外だよ」
☆ ☆ ☆
脱出したと見せかけた直後。
ディル=ポーターは一瞬の隙を突いて、コルネアス城へと忍び込んでいた。
部下と共にであれば難しいが、彼単身であればやり様はいくらでもある。
目的はファウグストス家の使用人達を補佐する為。
そして、あわよくばハインリヒ皇帝の素性を掴み、拉致する為だ。
彼はまさしく大立ち回りを繰り広げた。
わざと敵の目を引く様に暴れ回り、チルドレン達を相手に戦いを繰り広げていた。
(なに、こういうのは得意さ……)
顔に付けた紅い仮面の力で短距離であれば転移が可能な上に、ディルのゲートスキル千里眼は、コルネアス城という懐にさえ潜り込めてしまえば、敵の配置を的確に掴む事が出来る。
諜報、潜入、陽動は彼の十八番だ。
「この男っ!!」
迫り来るアーク・チルドレンに対しても無理する事無く、己の戦える範囲内で戦闘を繰り広げ、適当なタイミングで逃げ出す。
この辺りは流石にこれまでに経験して来た場数の差が物を言った。
徐々に苛立ちを募らせるチルドレン達を尻目に、彼は冷静に城内を探っていた。
気付いた事は二点。
城内の兵士が異様に少ない事。
無論、レオナルド・チルドレンを始めとして警備の兵士は存在するが、この規模の城を守る人員としては余りにも心もとない。
また、どれだけ探してもレオナルドやハインリヒといった面々を見つける事が出来なかった。
(ん……? なんだ、この感じ……?)
城の高い位置から、何か良からぬ邪悪な気配を感じたディルは、すぐさま城を駆け上げる。
気配の元を手繰るに、それは随分と上等な設えの扉の向こう側から感じられた。
(……何者だ?)
そんな疑念を抱いた彼は背後から追って来るレオナルド・チルドレンに急かされる様に扉に手を掛けた。
「っ!? 誰だ!?」
「……なに……?」
室内に居たのは、一人の老紳士だ。
その人物をディルは知っていた。
(まさか……オットー=ダグラス?)
それを認識するや否や、彼はオットーの手に持った魔法具に目を向けた。
(なんだ、あれは……?)
ディルの視線に気付いたオットーは本を後ろ手に隠しながら吠え声を上げる。
「さっさとこいつらを排除しろ!!」
その命令に従うように、ディルを追って、3人のアーク・チルドレンが攻め入って来た。
流石にディルではこのレベルの敵3人をまともに相手にする事は出来ない。
「ちっ」
舌打ち混じりで、ディルは再度逃走を図る。
(やはり……レオナルドと皇帝がいない……?)
胸の内に沸き起こる不吉な予感を抱いたまま、ディルはコルネアス城を脱出した。
☆ ☆ ☆
外は城内に比べると随分と寒い。
しかし久しぶりの太陽の日差しは、ユリシアの瞳には刺激が強過ぎた。
「眩しい……」
こっそりと忍ぶ様に歩みを続ける。
隙を見つけて一行はコルネアス城の北東の小さな林に向かって走り出した。
「こっち。急いで! 茂みの中に!」
少しばかり進むと、やがてこれまた懐かしい面々がユリシアを待っていた。
「みんな……」
「ユリシア様……」
オウカはその眦に涙を溜めている。
その隣では同じような顔付きのアリーとイリーが居た。
助けに来てくれたのだ。
国境を越えて、大好きな家族が、危険を顧みず。
こんな無様で情けない当主を。
「ほら、泣いている場合じゃないよ。早くこの場から――」
キサラだけは唯一感情に捉われずに、皆に脱出を呼びかけようとした。
だが。
「!! 伏せてっ!!」
キサラは咄嗟に叫ぶと同時。
背後から飛翔する3羽の鳥を撃ち落とした。
(鳥……いや、紙……?)
それは紙で作られた鳥だ。
林の向こう側からは4人の気配。
いずれも魔力を身に纏っていない、独特の雰囲気。
この状況では不意打ちも通じないだろう。
斧を構え、腰を落とすキサラ。
彼女は背後で臨戦態勢を取ろうとする使用人達に厳しい声で言った。
「あんた達じゃこいつらには勝てない! さっさと逃げろ!」
本来の実力が発揮出来るのならばユリシアは戦力にはなるが、今の歩く事すら満足に出来ない彼女では足手纏いだ。
イリーを守るように唸っている山狗ダイアも戦えるだろうが、この子にはいざという時に皆を守る役目がある。
「あたしが時間を稼ぐ! だから早っ……」
そこで言葉が止まる。
何故ならば。
「ちぃっ!?」
背後からも二人の気配。
そしてそれは何れもレオナルド・チルドレンだった。
「くそ、囲まれた!?」
こちらを逃がさない様に、徐々に歩み寄る6人の子供達。
彼らは姿が視認出来る位置まで来ると、その顔に珍しく苛立ちの表情を浮かべていた。
「これが目的か、あの男……!」
「アークを相手にあの大立ち回り。全てはこの雑魚共がユリシアを連れ出す為の布石か」
「やってくれるね」
「でも、ここまでだ」
キサラ達はついぞ知らぬ事であるが、彼女達がすんなりと抜け出す事が出来た最たる要因。
ディル=ポーターがやるならば徹底的に、と。
コルネアス城で散々に暴れ回っていたからだ。
マリンダが城下で戦っている以上、これは潜入組を指揮する自分にしか出来ない仕事であると彼は考えた。
如何にアーク・チルドレンと言えど、撹乱を目的に最適な行動を取り続けるディルを捉えるのは容易ではない。
紅牙の参謀は僅かにでもユリシア救出の確率を上げる為に行動していた。
「ここでユリシアを奪い、君達を排除すれば何も問題は無い」
一人のレオナルド・チルドレンがその手を上げて、力を解放した。
手の平から発生したのは無数の紙。その紙で作られた花吹雪が舞い踊る。
それは明らかに殺傷能力を伴った暴力の発露。
「伏せて! 結界が出せる人は……!!」
一枚一枚が人一人を八つ裂きにすることが可能な紙吹雪。
キサラであれば防げるが、他の人達では捌くだけでも苦しい。
「ぐるぉおおおおおおっ!!」
それら全てをダイアが使用人達を庇うように盾になった。
山狗の白銀の肉体が傷付き、血飛沫が舞う。
だが、ダイアは決してその場をどかなかった。
大切な家族達を包み込み、決して退く事は無かった。
「いくぞ、鬼の妹よ!」
そして別のチルドレンが大きなハンマーをその手に生み出し、キサラに向かって振り下ろした。
「ぐっ!」
無論、斧で防いだが、その膂力はキサラであっても受けきれない。
技術では大きくキサラに軍配が上がるが、肉体に内包せし秘めたる火力が違った。
「こんのぉっ!」
柄を逸らし、力を受け流し、ハンマーの攻撃を回避する。
だが振り向けざまに再度ハンマーが振り切られた。斧を打ち降ろし攻撃をいなすも、背後からは別のチルドレンがその右腕に凶悪な力を纏って襲い掛かって来た。
(ぐ、この……っ!)
そして。
その隙を狙って、残りの3人のレオナルド・チルドレンがダイアに包まれているユリシアと使用人達を囲んだ。
「無駄な抵抗はしないでもらいたいな」
強者の余裕を滲ませてチルドレンの一人が告げる。
「この獣ごとユリシア以外は冥土に送ってやろう」
2人のチルドレンがその手を上げ――ダイアが吠え声を上げようとした――その時。
――林の奥から鋭い鞭が走った。
「!?」
今まさに攻撃を仕掛けようとしていた2人のチルドレンの手を激しく打ち付けた鞭が波打ち、そのまま更なる追撃を掛けるように子供達に襲い掛かる。
背後で控えていたチルドレンが危機を感じ、任務遂行を優先するべくユリシアに殴り掛かろうとした。
だが。
「がぁっ!?」
その横面を薙ぎ払うように、光り輝く棍が振り抜かれる。
突然の出現に反応が遅れたチルドレンは為す術なく吹き飛ばされていった。
林の奥から素早くやって来た二人はユリシア達を、大切な家族を守る様に、レオナルド・チルドレンの前に立ち塞がった。
頼りになる『親』の背中を見つめ――ユリシアの瞳からは人知れず涙が零れ落ちた。
「な、貴様らっ!?」
驚くチルドレンに鋭い瞳を向け、二人は告げた。
もうへまはしない。
奪われたのならば奪い返す。
二度と家族を失うような無様は御免だ。
「「……家族を返して頂きましょう」」
あの日の後悔を繰り返さない。
娘を奪われた屈辱は、娘を取り返す事で晴らして見せる。
ファウグストス家を支え続ける忠臣の中の忠臣。
屋敷を守る両翼たる侍従長。
ビロウガ=ローゼス。
シリー=ローゼス。
今ここに。
家族を奪還する為に戦場に舞い降りた。
☆ ☆ ☆
二人の登場に気を良くしたキサラが上機嫌に微笑んだ。
「あははっ! 背中は任せてもいいんだよね、シリー?」
かつて互角に渡り合った老戦士と幼き騎士。
「ええ、もちろんです」
「あははっ! それはいいね!」
「何が可笑しいのやら。調子に乗って足を引っ張らない様に」
「合点承知!」
怯んだレオナルド・チルドレンを前にビロウガが告げる。
「では……我々の相手をしてもらいましょうか」
老執事の眼光が鋭さと怒気を帯び、発せられるは長年戦場を渡り歩いてきた男の殺気。
「子供と言えど、容赦はしませんので」