第二十四話 追跡
「もう一組の敵の位置を特定しました」
私が詳しく説明を求めるとルノワールはそう答えた。
「おそらくお嬢様が先ほどの男達に攫われたことに動揺したのだと思います。気配が明らかに揺らぎましたので」
現在彼女は私を抱きかかえたまま街中を爆走している。
その速度は馬車すら凌駕しているだろう。まさに風の如く、だ。
街中ですれ違った人も、私達の顔までは視認出来ないに違いない。
「先程の賊はシリーさんに任せましょう」
言いながらも彼女の足は止まらない。
凄まじい速度でアゲハの街を走り抜ける。
走り行く私達の眼前にセントラルストリートの姿が見えてきた。
そして。
彼女は人混みの多い場所に差し掛かると、一瞬も停滞することなく空を駆けた。
「しっかり捕まっていてください」
「ひゃっ」
身体が浮き上がる。
私は驚いてルノワールをギュッと抱きしめた。
彼女からは同性の私であっても、何故か不思議と惹かれるような良い香りがした。
きめ細やかな肌は触れられる程近くから見ても美しい。とてもではないが、戦いを生業にしている人間とは思えなかった。
ルノワールの豊かな胸を私の身体が押しつぶしている。
柔らかな感触に触れたことで、思わずドキリとした。
そこまで考え、思わず赤面してしまった。
(あ、あれっ?)
なな、何を考えているの私は!
(状況を考えなさい、メフィルっ!)
自分に言い聞かせ、空中で抱きかかえられながら私は必死に現状を理解しようと目を凝らす。
よくよく見ると、彼女は別に空を飛んでいるわけではなかった。
空中に薄らと魔力で作った板のようなものが見える。
おそらく足場として小型の結界を足元に出現させることで擬似的な空中走行を行っているのだ。
手段や魔術自体はそれほど難しいわけではない。
おそらく私にも出来るだろう。
だけど。
(なんて速度!)
その速さが常人とは桁違いだった。
確かに小さな壁を足元に出現させることで一時的に空中を歩くことは可能だ。
だけどこれほどの速度で走るとなると話はまるで違ってくる。
無詠唱で連続発動はもちろんのこと、一瞬にして結界を生み出し、なおかつ正確でなければならない。
少しでも位置がずれれば足を踏み外し地面へと叩きつけられてしまうだろう。
もちろん大きめの結界を作っていけば難易度は下がるだろうが、そうなると魔力消費は馬鹿にならないし、何よりも術式発動までに要する時間が増えてしまう。
最小の魔力消費で、最速の術式発動。
僅かのズレも生じない正確無比な制御力。
それによって最高の効率での魔術運用を実現していた。
「っ! 見つけた!」
声を上げたルノワールの視界の先へと目を向けると、かろうじて私の目でも視認出来る位置に敵の姿があった。
それにしてもルノワールのこの速度にも劣らぬ逃げ足は瞠目に値する。
昨夜も彼女は一組手強い敵がいると言っていた。
つまりこちらの敵は4人組の男たちよりも強い。
先程の男たちでさえ、私程度では足元にも及ばなかったのだ。
その男たちを一瞬で無力化したルノワールが評しても手強いと言わせるだけの相手。
敵は路地裏へと入っていき、その路地を出るとすぐに左の道へと走っていった。
しかしルノワールはそちらは追わずに、路地を出るや否や右方向へと走り抜けていく。
「ルノワール、敵はっ」
何故か反対方向へと走るルノワールに声をかけると、彼女は冷静な声音で私に言った。
「あちらはフェイクです」
「え?」
「自分が現在発している魔力と同等の魔力を持ち、なおかつ自分の姿と同じ大きさの幻影に服を被せています。そして幻影を放つと同時に自分が出している魔力を絶ち、気配を殺すことで敵の目を欺くのです」
彼女の口から流暢に言葉が流れてくる。
「ダミー・ゴーストと呼ばれている技術ですね。追っ手を欺く時にはよく用いられる手ですが……これほど見事なダミー・ゴーストを見たのは久しぶりです」
言い切るルノワールの顔を見上げながら私は呆然とした面持ちで呟く。
「……初めて知ったわ」
心の中でまたしてもルノワールの技量に感服する。
しかし彼女は眉を顰めて言った。
「……これは誘導されている可能性がありますね」
「えっ?」
「先程から闇雲に逃げ回っているように見せかけて、少しずつ北西の方角へと誘き寄せようとしているように見えます。ダミー・ゴーストで撒ければそれも良し。撒けなければ北西の方角へ、というところでしょうか」
「罠かしら?」
「罠ならばもっと上手い使い方があると思いますので、今のところはなんとも言えません」
私には姿を消してしまった敵の姿を捉えることは出来ないけれど、おそらくルノワールには敵がどこにいるのかが分かっているのだろう。
「……」
迷いなく敵を追う彼女の姿を見ていて私は、改めてすごいと思った。
私の胸元のペンダントを通じて転移してきたゲートスキル。
先程の男達を一瞬で無力化した戦闘能力。
空中を疾風の如き速度で走り抜けることを可能にする魔術の技量。
強敵を前にしても冷静に状況を判断出来るだけの頭脳。
とても同じ歳とは思えない。
お母様が信頼するのも納得だと思った。
「しかし御安心下さい」
「え?」
「もう追いつきます」
言うや否や彼女の速度がまたぐんと伸びた。
これまでの比ではない。
比喩表現抜きで先程までの3倍ほどの速度はありそうだった。
これには流石に敵も意表を突かれたようで、慌てた様子で近くの家屋へと転がり込んだ。
どうやら無人の家らしく人の気配は無い。
敵を追い、躊躇することなくルノワールも足を踏み入れた。
視界の中に敵の姿はない。
どこかに隠れたのか。
「立てますか?」
「えぇ」
ゆっくりと私を立たせたルノワールはトンファーを構えた。
「二人います。私の傍を決して離れないでください」
二人いる、という言葉に少なからず驚いたが私は素直に頷いた。
私には全く感知できないがルノワールがそう言うならば、きっともう一人いるのだろう。
「……」
静まり返る室内。
「ふぅ」
ルノワールは一度大きく息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出していった。
その直後、だ。
突如目の前で雷鳴が鳴り響いたような衝撃が私の体を貫いた。
彼女から凄まじいプレッシャーを感じる。
膨大な魔力の迸りが、周囲に対して無形の圧力を与えているのだ。
先程私を捉えた誘拐犯達とは比べ物にならないほどの圧倒的な力の波動。
薄暗い室内がルノワールの放つ白い魔力光によって染め上げられていった。
今やルノワールから普段の可愛らしい子犬のような印象はまるで受けない。
今私の目の前にいるのは、一人の戦士だった。
そしてルノワールが一歩踏み出そうとした瞬間――。
「ま、待った! 待ってくれ! 降参だ!」
叫ぶような声が奥から聞こえてきた。
私は何を今更、と思ったが意外にもルノワールは動きを止めた。
しかも心なしか驚いたような顔をしている。
「姿を見せなさい」
ルノワールの言葉に従い、奥から現れたのは二人の男女だった。
一人は先程まで追っていた男だろう。
歳は20代後半、といったところだろうか。
目鼻たちは整っており、細面の面構えをしていたが、いかんせん無精髭やまるで整えられていない金髪が彼の印象を大きく下げていた。
さらに言うならば、どこか軽薄そうな男だった。
対する女の方は私とそう変わらないぐらいの年齢だろう。
男と同じ金髪を首の後ろで纏めており、こちらも男と同じように整った顔立ちをしている。どこか感情を感じさせない冷たい表情をしており、人形のような印象を受けた。
というよりも男によく似ている。兄妹か何かだろうか。
姿を現した男女を目にした途端にルノワールは明らかに戦意をなくした様子だった。
男に問いかける口調も敵意、というよりも呆れの成分が含まれているような……。
「何してるんですか」
旧友に語りかけるようにルノワールは言った。
「団長の命令だったんだよ……」
「命令? お嬢様の尾行がですか?」
「あぁいや違う。俺達の役目はルノワールを見張ること、だ」
「……私を?」
???
何やら随分と親しげな様子だ。
ルノワールの知り合いなのだろうか?
私が頭の中で疑問符を浮かべていたのを見透かされたのだろう。
ルノワールが説明してくれた。
「お嬢様、こちらの二人はマリンダの部下です」
「えっと、ということは貴女の知り合い?」
「そうなります」
横目でルノワールが二人の様子を伺うと、真っ先に男の方が自己紹介を始めた。
「初めまして。俺の名前はディル=ポーターと言います、メフィル様。んでこっちが」
「リィル=ポーターです」
素っ気なく言ったリィルの様子に苦笑しつつディルは続けた。
「無愛想なやつですが、俺の妹になります。俺達は二人とも団長……マリンダ=サザーランド様の命令に従ってルノワールの監視を請け負っておりました」
そこで一歩踏み出したディルからまるで私を守るかのようにルノワールが立ちはだかった。
「ちょっとディル、少しお嬢様から離れて」
「な、なんだよ」
「ディルは不衛生だからね」
「え、ひどくね?」
ルノワールは私に気を遣ってくれたのだろう。正直ルノワールの知人であっても、ディルのような年齢の男性は怖い。
というか。
ルノワールの口調が随分と砕けた表現だ。
そもそもルノワールがタメ口で話すのを初めて見た気がする。
ディルの言葉使いはともかくとして、二人はよほど仲が良いらしい。
「まぁ冗談はいいとして」
「兄さん。おそらくルノワールさんは本気で言ってますよ」
「え、お前も俺のこと臭いとか思ってんの!?」
半ば本気でショックを受けた様子のディルだったが、すぐに気を取り直したように苦笑した。
あーもう話が進まんな、とぼやきながら頭を掻く。
わざとらしく、こほん、と咳払いをしてディルは話を戻した。
「俺達の素性については……まぁ今しがたルノワールが言いましたが『紅牙騎士団』の団員になります。今回ルノワールの監視をしていたのは、最近戦場を離れていたルノワールが鈍ってないかどうかを確認するためです。もう一つはルノワールを相手に俺が気づかれずに監視が出来るか、という修行の意味合いもありますが。結果はまぁ……ご覧の有様です。いやぁ久しぶりに死の恐怖ってやつを味わいましたよ」
肩をすくめつつ言うディルだったが、おそらく本気でそう感じたのではないだろうか。
先程のルノワールの放ったプレッシャー。
私は味方だから頼もしかったけれど。
あのような殺気と魔力を敵意を持ってぶつけられたら、冷や汗どころの騒ぎではないだろう。
「それだけ?」
ルノワールが問い詰めるようにディルに聞いた。
「それだけ、ってのは?」
「私を試す、というのは確かにマリンダのやりそうなことだとは思うけれど。だからといってこの時期にディルをこんな任務に回すとは思えない」
私がどういうこと? と聞くとルノワールはすぐに答えてくれた。
「ディルは騎士団の参謀です。つまり私の母にとっては右腕のような存在なんです」
「へぇ」
今度は素直にディルに感心の声を漏らした。
「ディルを遊ばせておく余裕なんてないと思うけれど」
一見そこまでの凄腕には見えないけれど、つい先程までルノワールが強敵だと称賛しており、かのマリンダ=サザーランドの右腕、ともなるとその実力はまさに折り紙つき、ということだろう。
「団長の右腕はどう考えてもルノワールだと思うけどな」
「そんなことより答えて」
「はいはい。まぁ要するに俺は情報の橋渡し役だよ。団長が潜入捜査をしてるだろう? その補佐をしつつ、情報を本国、というかユリシア様に伝えるのが俺の任務だ。んで、お前さんの監視は手の空いた時にやってたんだ」
「なるほど……だから時々しか気配を感じなかったのか」
「うーん、さっきの場面はともかくとして。時々すら気配を感じられない筈なんだがなぁ」
苦笑しつつディルは小さく項垂れた。
「まぁ……勘だからね。確証とまではいかなかったし」
「勘で長年培ってきた技術と経験を看破しないでほしいよ、まったく」
「……リィルは?」
「その説明もしたいところだが……」
一度言葉を切ってディルは窓の外を見つめた。
「詳しい説明はまた今度にさせてもらってもいいか? ルノワールとしても向こうの様子が気になるだろう?」
向こう、というのはシリー達に任せたさっきの男達のことだろう。
「それは……そうだけど」
言いながらルノワールが横目で私の顔を窺った。
何が言いたいかを察した私は頷く。
「そうね。ルノワールの仲間だと言うならばこの場はここまでにしましょう」
「そいつは助かります。後日詳しい説明の場を必ず設けさせて頂きますんで」
低頭したポーター兄妹。
彼らを尻目にルノワールは私を促した。
「では行きましょう、お嬢様」
「えぇ」
「では……」
彼女は突然膝を折り、私の腰に手を回そうとした。
「わっ! も、もう抱っこしなくていいわよっ! じじ、自分で歩くわっ」
何を自然に私を抱き上げようとしているの、この子はっ。
「あ、そっそうですね! 失礼致しましたっ」
「ま、まったく……っ」
さっきは緊急事態だったから仕方なかったけれど、こんな人前でお姫様抱っこなんて恥ずかし過ぎる。
そんな私達の様子を見ていたディルが何やらニヤニヤしていた。
軽薄そうな容貌を裏切らないその表情には正直嫌悪感しか浮かばない。
そして。
隣の妹は何故かひどく不機嫌そうな様子だった。
しかも心なしか私を睨んでいるような……。
え?
私何かしたかしら?
そんなことを思いつつもルノワールに促されるままに私は部屋を出ていこうとした。
最後にもう一度ルノワールが振り返りながら言う。
「こんな状況だから一応確認しておくけれど……」
彼女の表情は私の位置からは見えない。
「もしも……私達を裏切るようなことがあれば」
団長命令かどうかを確認出来ない以上は、尾行されていたことで警戒しているのだろう。
しかし低い声音のルノワールの言葉は最後まで紡がれることなく、悲鳴のような声でかき消された。
「ありえませんっ!!」
声の主はリィル。
先程までの冷たい表情ではなく、今はその顔にはっきりとした強い思いが宿っていた。
切実な表情に悲痛な声音。
私が意外に思っていると、彼女は続ける。
「私が……私達が貴女方を裏切ることなど決して……っ」
その様はまるで親に縋る幼子のようだった。
どうやら随分と彼女はルノワール(もしくはマリンダ様?)を慕っているらしい。
「……分かりました。では後でまた会いましょう」
最後にルノワールはそう言い、私と共に部屋から出た。