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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第6章 運命の一日
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第二百十一話 コルネアス城攻防戦 Ⅲ ~乱入者~

 

 戦場全体の空気が、帝国兵達の心の中が、一瞬だけ緩んだ。

 確かに戦場の中心では紅の強戦士が暴れ回っている上に眼前にも敵が居る。

 しかし数の差は絶対であり、このまま戦が進めば、間違いなく帝国側が勝利する。

 そう誰もが信じる事が出来た。


 そんな――心の間隙を突く様に。


 何の前触れもなく唐突にその集団は雪崩れ込んで来た。

 彼らは統一性の無い衣服に身を包んだ、どこか粗野な振舞いの集団だ。

 陣形も隊列も無い。集団と言っても大した人数でも無い。

 そんな彼らが突然に戦場に出現し、ただ思うがままに暴れ回り始めたのだ。

 狂ったような嬌声を上げながら愉悦の表情で魔術を使う者がいれば、無言のままに淡々と眼前の人間を打ち倒していくだけの者もいる。

 かと思えば愉快そうに静かに、まるで玩具で遊ぶ少年のように無邪気な微笑みを浮かべながら、敵の首を切り落としていく者も居た。


 共通している事は唯一つ。


 誰もが尋常ではない程に……強かった。


「あれは……!?」


 ジャックはすぐさま戦場の異変に気付いた。

 突然出現した謎の集団。

 兵達の心の隙間に忍び込む様な、完璧なタイミングだ。

 そしてジャック達指揮官が僅かに意識を逸らした、戦場の空白地帯。

 そこにまとまった形ではなく、好き放題に複数の狂人が投入された。


 そしてジャックは彼らの存在に見覚えが在った。


(まさ、か……っ! デロニアとの戦で暴れていた……!)


 上将軍達からは随分と離れた一画、そこにも一人の将軍位の男が居た筈だ。

 だが彼がその敵に対処を開始しようとした時。


 彼の前には、一人の男が立っていた。

 本当に、いつの間にか。


 その将軍は、これほど近くまで接近されるまで、まるでその男の存在に気付く事が出来なかった。

 恐ろしい程に鋭く研ぎ澄まされた瞳が己を見つめている。

 しかし、それは片方だけだ。


 片方の瞳が無い。


 その男は隻眼だった。

 鮮烈な傷跡を顔に残したままの、その男は面白くも無さそうな顔付きで拳を振るった。

 退屈そうな表情とは裏腹に、放たれた拳は目にも止まらぬ神速の域。


「な、がっ……!?」


 身に纏いし鎧ごと。

 将軍は、碌な抵抗をする事も出来ぬままに、馬上から弾かれる様に吹き飛ばされ、コルネアス城に張り巡らされている結界にぶつかった。


 静まり返る群衆の最中。

 その隻眼の男の全身からは、鮮烈な蒼い魔力光が溢れ出している。

 沸き立つ魔力、力強さ、覇気、威圧感。

 それら全てが他者とは一線を画しており、彼がマリンダに匹敵するだけの危険人物である事は一目瞭然だった。


「さぁ……では仕事といくか」


 ロスト・タウンの猛者共を率いし、隻眼の怪物。

 スレッガーが、コルネアス城の戦場への介入を開始した。




   ☆   ☆   ☆

 

 


 ジャックは今度は迷わず迅速に動いていた。

 真っ先に対処せねばならない。

 マリンダだけではなく、あのような戦士がもう一人出現したとあっては、状況を覆されかねない。


 スレッガーに挑む様に、メフィス帝国の兵達が幾人も群がるも鎧袖一触。

 いとも容易く人間がまるで小枝のように吹き飛ばされてゆく。


 またそれだけではない。

 彼の危険度を高く見積もったか、既に4人のレオナルド・チルドレンが連携しつつ、スレッガーを囲んでいた。


 だが。


「なん……!? 何故、ゲートスキルが……!?」


 驚愕に目を見開く、レオナルド・チルドレン達を相変わらず面白くも無さそうな表情で見つめながら、スレッガーが打ち倒してゆく。

 少年達には知る由も無いが、スレッガーのゲートスキル、その力は『他者のゲートスキルの把握・弱体化』だ。

 まさしくスレッガーの力はレオナルド・チルドレンにとっては天敵とも言えるだろう。

 ゲートスキルさえ奪われてしまえば、彼らがスレッガーのような超越者に敵う筈も無い。


 ロスト・タウンの一団が出現した一画は早くも帝国側の陣形が瓦解寸前となっていた。


「そこまでだ……っ!!」

「っ! おっと……?」


 ジャックが駆け付け、スレッガーの前に立ち塞がった。

 鞘から引き抜かれ、その手にした剣が光を帯びる。

 二人の魔力光はよく似ていた。

 ジャックの魔力の輝きも静謐な青色だ。

 皇帝陛下より賜りし宝剣『アストラル』がジャックの力に呼応し、青色に輝いてゆく。


「……ジャック、か」


 スレッガーは眼前に迫る上将軍を、どこか懐かしい眼差しで見つめていた。


「覚悟!」


 対するジャックは一瞬たりとも足を止める事無く、まっしぐらに隻眼の男に向かってアストラルを振り切った。

 その軌跡すら美しい。

 見事な剣閃が青い残像を残し、世界に力を齎す。

 常人では視認する事すら困難な足捌き。

 その動きは洗練の極みであり、ジャックのこれまでの経験と努力が窺えた。

 帝国軍を導く者として。

 これまで必死に培ってきた技であった。


(ガルシア様……)


 あの偉大なる上将軍が不幸な出来事で帝国を去った後。


 ジャック=ローランドは悩んで悩んで悩み抜いた。

 心の内を部下達には一切気取られる事無く。

 己の全てを帝国の為に尽くすと決めた。


 ガルシア=ゾルダートの死亡、そしてガルフォード=ゾルダートの乱心。

 あの日、帝国軍は間違いなく傾いた。

 起きた事件に現実感が無く、ただ状況だけが移り変わっていった。

 未だに信じられない。

 あれからというもの、帝国を蝕む毒素は増すばかりだ。


 かの悪魔がメフィス帝国に現れ、帝国は他国の蹂躙を始めた。

 一見して天下統一を望む覇王の進軍にも見える。

 だがジャックはレオナルドの残虐性、非道さを知っていた。


 本当にこのような事に意味が在るのか?

 帝国臣民の幸福に本当に繋がるのか?

 そんな疑問は当然在った。

 だが、軍人たるもの、そのような事を考えてはならない。


 自分が間違っているのではないか。

 そんな迷いは己の剣を鈍らせる。

 故に彼は帝国の為に剣を取る。


 この手の平に本当に……ガルシア様の意志が在るのか。


 あの英雄が健在ならば……今、どうして……。


「おぉおおおおおおっっ!!」


 例え、今のメフィス帝国が、レオナルドという悪魔に従う邪悪な国家になりつつあるとしても。


 それでも。

 ガルシア=ゾルダート亡き今、己こそが帝国軍を導いてゆく為に、と。

 彼が人生全てを賭して来た剣術は伊達では無い。


「!」


 対するスレッガーも全身を躍動させ、その剣閃を回避した。

 だが、尚も己に追い縋る剣戟の苛烈さは形容しがたい程に鋭い。


 帝国軍最強の剣士の斬撃は岩を砕き、大地を刻み、相手の防御を貫通する類の代物だ。

 まるで演舞の様な体捌き。

 しかしそこには一切の無駄が無い。

 その技量は数多の修羅場を掻い潜って来たスレッガーから見ても瞠目に値した。


「っ!」

「はぁっ!」


 やがてジャックの振りかぶった刃が、スレッガーの頬に切り傷を残す。

 その瞬間、確かに躱し切れなかった剣閃がスレッガーの防御を上回った。


「……」


 僅かに感嘆の面持ちでスレッガーは目を見開く。

 隻眼の男は己の血を指先で掬うと、そのまま舌先で舐めた。


(いける……か!?)


 油断など出来ないが、隻眼の男の動きは、ジャックを圧倒している訳ではないだろう。

 先程からいくつもの魔術がジャックの足元を攫おうと、あるいは意識を刈り取ろうと放たれているが、それら全てを宝剣アストラルが防ぎ切っている。


 ジャックとしては一刻も早く目の前の男を打ち倒さねばならない。

 これ以上戦場を乱されたくは無い。


(それにしても……この男、どこかで……?)


 何か。


 何か、心の中に呼びかける声が在った。

 何かが引っ掛かる。

 ジャックの記憶が僅かに刺激される。


 何故、何故だろうか。


(私は……この男を……)


 知っている様な、そんな気がする。


 だが、そんな訳は無い。

 敵として相対した中で、これほどの男がいれば、忘れる筈が無い。

 それは帝国軍の中に居ても同じだ。


(いや、待て……この、魔力光……)



 それはどこか……かつての英雄を思い出させるような……。



「戦闘の最中に考え事か、ジャック?」

「っ!」

「甘くなったか? 親父にそのような事を教わったか? 違うだろう?」


 その言葉。

 その口調。

 その眼差し。


「……な、に……?」


 馬鹿な、有り得ない。

 そんな言葉が喉元まで込み上げて来る。


 容姿は随分と変わった。

 こんな風来坊の様な風体ではなかった。


 だが、そうだ。

 この魔力光。

 この体捌き。

 それは確かに記憶の奥底に眠っている彼と重なる。


「まさ、か……」


 ジャックは、ここが戦場である事すら数瞬忘れ、隻眼の男に目を向けた。


 行方不明になった筈だ。

 あの凶行事件があった時から。

 どれだけ捜索しても見つける事が出来なかった……英雄の忘れ形見たる青年。


 やがてはメフィス帝国を導いて行くと誰もが信じ、敬っていた偉大なる名家の嫡子。


「が、ガルフォード……様……?」


 掠れた声でジャックはそれだけを言葉にした。


 信じられない。

 だが、心が叫んでいる。


 目の前の男が何者なのかを。


「幽霊でも見た様な顔付きだな?」

「な、何故……? あ、貴方のような方が……」

「なに、今の俺はしがない傭兵と同じさ」

「馬鹿な……! ゾルダート家程の名家でありながら!」

「今の俺は呪われし家系だろう? 違うか?」

「あのような戯言! 誰も真に受けてなどは……!!」


 メフィス帝国、特に軍部関係者の中で、ガルフォードが家族を惨殺した、などと本気で信じている人間はいない。

 ただ状況がそう物語っていただけだ。

 あれらは単なる状況証拠に過ぎない。


「何を泣きそうな顔をしている?」

「わ、わたしは……」

「今は親父の後釜らしいじゃないか。上将軍筆頭、か。出世したな」


 その時のスレッガーの声には、微かな温かみが宿っていた。


「私には……私には……」


 荷が重い、と。

 何度投げ出そうと思った事か。


 例えどれだけ努力をしようとも。

 結局は……ガルシアには追いつけない。

 己の力量では……メフィス帝国は変えられない。


「敵の前で情けない真似をしてくれるなよ、ジャック」

「っ! ガルフォード様……」

「今の俺はスレッガーと名乗っている。ろくでなしの住まうロスト・タウンのスレッガーだ」

「……」

「雇われの身でな。貴様らを討ちに来たという訳だ」


 昔はついぞ見せる事の無かった酷薄な笑みが浮かんでいた。



「今の帝国の在り方を……この俺が否定してやろう、ジャック」



「っ!!」


 そうしてスレッガーはずっと、腰に差していた鞘から一本の剣を取り出した。


「そ、それは……!」


 凶行事件の在ったゾルダート家から唯一失われていた……ガルシアの愛剣『アシュケロン』。

 竜鱗すら軽々と切り裂くと言われている、帝国随一の名剣だ。

 これもまた……メフィス帝国皇帝より、直々に下賜される宝剣。


「自慢じゃないが……何だかんだで剣術だけは捨てられなくてな。女々しくも訓練をしていた訳だ」


 かつてメフィス帝国最強の剣士はガルシア=ゾルダートだった。

 そしてその才能を全て受け継ぎ、次代を背負うのは間違いなくガルフォードだと目されていた。


「昔は同じくらいの腕前だったな、ジャック」

「……」


 ジャックのアストラルの柄を握る手に次第に力が込められてゆく。

 それは一体どんな感情の表れか。


「今はどれほどか、一つ力比べをしてみよう」


 軽口と共に、スレッガーが動く。

 彼は楽しそうに口角を吊り上げ、大地を蹴った。


「っ!!」


 数瞬後には、ジャックの眼前。

 末恐ろしい切れ味の剣閃が光の軌跡を残す。


 かつて帝国上将軍筆頭確実と呼ばれていた男。

 神童ガルフォード=ゾルダートの剣戟が上将軍ジャックに向かって放たれた。






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