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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第6章 運命の一日
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第二百八話 偽りのルノワール

 

 

 それは――。



 それは見た事の無い少年だった。



 女の子、と。

 そう言われても頷けるだけの中性的でありながらも美しい容貌。

 凛とした鼻筋、大きな黒い瞳はどこまでも透き通るようだ。

 颯爽と大聖堂の扉を開いた少年は地味な灰色のローブを纏い艶やかな黒髪を靡かせていた。


 彼は真っ直ぐに私を見つめていた。

 彼は私を見て安堵の息を吐いた。

 彼は私を見て……天使のように優しく微笑んだ。


 それはとても心が温かくなるような、陽だまりの中に差す光のような、懐かしい笑顔。


 その眼差しを見返す私の心臓が高鳴った。

 彼はとてもよく似た顔立ちをしていたのだ。


 私の最も信頼する――大好きな従者に。


 そして。


 少年は次の瞬間には、私の眼前に居た。

 その場で目にも止まらぬ攻防をレオナルド・チルドレンと繰り広げ、それら全てを払いのけた。

 瞬く間に敵兵4人を打ち倒した信じられない程の技量。


 そんな知らない男の子が私のすぐ傍まで静かに歩いて来た。


(知ら……ない?)



 私は本当に……この人の事を知らないのだろうか?



 彼はレーガンに対して鋭い瞳を向けていた。

 端的に言ってしまえば、ひどく怒っていた。

 レーガンが何かを喚く度に少年の表情には憤怒が満ち、彼の雰囲気が変貌してゆく。


 普通に考えれば、感じれば、少年の纏う怒りの気配は恐ろしい筈だ。

 あれだけの強さを誇っているのだから。

 その気になれば、私やレーガンなど一瞬で倒してしまえるだろう。


 でも、私は全く怖く無くて。

 少年が身に纏っているのは、むしろどこか……身に覚えのある怒りで。


 それは。



 かつて何度も……私を護ってくれていた従者と同じで。



 私が腕を引かれ、声を上げた次の瞬間には、レーガンは彼方へと吹き飛ばされていた。


 そして少年が。


 彼は私を真っ直ぐに見つめた。


 その真剣で、しかし穏やかな眼差しを私も受け止める。


(私は……この、人を……)


 どうして?

 どうしてだろう?


(どう、して)


 どうして私は出会った事も無い筈の少年に対して、これほどの安堵を感じているのだろう。

 どうして私の鼓動は先程から早鐘を打っているのだろう。

 どうして私は少年から目を離せないのだろう。

 どうしてこんなにも胸が熱くなっているのだろう。


(どうして?)



 どうして彼は――。



「御身に触れる無礼をお許しくださいませ」



 まるで――『ルノワール』のように――。



(あぁ……)


 目の前で頭を垂れ、膝を付いた少年を見下ろしながら、私は――。


「……はい」


 感極まり、それだけしか言えなかった。


 でも、だけど。


 私は間違いなく、笑顔を作れていたと思う。


 そして彼も。

 僅かに朱が差した頬を持ち上げ、可憐な笑顔で微笑んだ。

 少年は私を軽く持ち上げると、両腕でしっかりと抱きしめてくれた。

 そして一目散に大聖堂の外へと駆け出してゆく。


 細身の割には力強く。

 とても……とても安心出来る両腕。


 それが。

 それがまるで……。


(あぁ……なんだか懐かしいな……)


 ルノワールが初めて私を助けてくれた時。

 あの時も、こんな風に……私を抱えてアゲハの街中を駆け抜けていた。


「……」


 私は間近で少年の顔を覗き込みながら、声にならない声を上げた。


(……ありがとう)


 頬から零れ落ちる涙を見せないよう。

 私は少年の肩に縋る手に力を込めて、その胸に顔を埋めた。




   ☆   ☆   ☆




 転移を繰り返し、一行は人の気配の少ない街外れまで、やって来ていた。

 アトラを迎えに行きたいが、その前に敵の出方を探りたい。

 こちらはメフィルを奪還した身だ。

 下手をすると、何らかの探査魔術を仕掛けられている可能性もある。

 その場合、このまま合流してしまえば、むざむざとアトラを危地に追い込む事になるだろう。


「……追手の様子は」


 ルークが背後を振り返り呟くと、イゾルデが答えた。


「ないわね」

「……ない?」

「えぇ、ないわ。少なくとも追って来ている人間は一人も居ない。単純に付いてこれていないからかもしれないけれど……恐らく敵は既に撤退を始めているわね」


 どこか確信を持った声色だ。

 とはいえ、イゾルデが嘘を吐く理由も無ければ、彼女の実力を知っている以上、その確度を疑う余地も無いだろう。


「探査魔術は……」


 ルークが周囲を警戒するように睨みつけ、その気配を探るもとりわけ特別な力は感じない。

 横目で戦鬼ドヴァンに視線を向けたが、彼も一度頷いただけだった。


「俺は何も感じないな……貴様はどうだ?」

「そう、ですね……僕にも特には……」


 油断なく探るも何も掴めない。

 そんな二人の様子を見つめつつ、イゾルデが言った。


「私も何も感じない。まぁその大男と貴方が言うならば、間違いないでしょう」


 イゾルデとドヴァンはゴーシュ=オーガスタスを介して多少の面識が在る。

 無論、行動を共にした事などはほとんどないが、互いが互いの実力を推し量れる程度には交流が在った。


「そっか……」


 安堵の吐息を吐き出したルーク。

 彼は腕の中の少女が己をじっと見つめているのに気付いた。


「……ぁ」

「貴方、は……」


 真剣な眼差しが少年に突き刺さる。

 この姿でメフィルに相対するのは初めてだ。

 一体何を言えばいいのだろうか。


 この後に及んで誤魔化すか?


 いや、しかし……。


「……」


 何かを確かめる様な声色で……メフィルは再度小さく呟く。


「……貴方、は?」


 真剣な瞳で真っ直ぐに問いかける。

 メフィルの声には驚愕の色は無く、静謐な響きが在った。


「……ぼ、僕、は…………」


 言い淀み、視線を彷徨わせるルーク。


 彼は迷い、一体何を言葉にしようとしたのか。

 目を白黒とさせながら狼狽を見せる少年。

 だが少年の逡巡は長く続かなかった。

 何故ならば。



 彼が何かを言葉にするよりも素早く――メフィルが力の限りに抱きついたから。



「……ぇ? あ、あのっ」

「あぁ……やっぱり……」

「あ、あのあの、めめ、メフィル、様……っ?」

「……」


 ぎゅっと。

 更に力を込めてメフィルがルークの温もりを確かめるように少年の胸に抱きついた。


 いつの間にか。

 戦鬼ドヴァンもイゾルデも、その場から姿を消していた。


 この場に残されているのは、少年と少女の二人のみ。



「――分かるよ」

「――ぇ?」



 瞳を閉じ、決して涙が零れぬように我慢しながら、メフィルは震える声で告げる。

 たとえどんな姿になっていようとも。

 これだけ近くで鼓動を感じていて。



 愛しい人を間違えたりするものだろうか。



「――分かる、とは……?」



 掠れ声で聞き返すルーク。

 そんな問いかけに対して、メフィルは更に、更に腕に力を込めた。



「貴方がどんな格好をしていても……」



 この心が感じている安堵と親愛。

 決して紛い物なんかじゃない。

 決して勘違いなんかじゃない。


 これは本物の感情だ。



「――ちゃんと、分かるから」

「…………ぁ」



 愛しき信頼する従者は。

 ちゃんと、約束を護ってくれたのだ。

 ちゃんと、助けに来てくれたのだ。


 震えていたのはメフィルばかりではなく、ルークも同様だった。



「――ありがとう」



 そんな主人の言葉を聞いて。


「……ぁ」


 ルークの眦からは自然と熱い雫が漏れ出でていた。

 美しい煌めきが少年の頬を伝っていく。


 ルークも。

 ずっとずっと、メフィルに会いたかったのだ。

 敵国に奪われた主人が気掛かりで。

 いてもたっても居られずに、彼女をこの手に抱きしめたかった。


 迷い、中空で彷徨っていた少年の手の平。

 それがゆっくりとメフィル=ファウグストスの背中に回された。

 おずおず、と。

 何かに怯えた両腕が目の前の少女の身体に触れる。


「ぼ、ぼく、も……」


 ずっとずっと。

 今までずっとメフィルを騙していた。

 敬愛する主人を欺き、裏切り、偽りの姿で接していた自分。


「っ」

「へっ?」


 それらの罪悪感をまるで消し去る様に。

 メフィルは、勢いよく、少年の顔を美しい手の平で包んだ。

 少年の葛藤などが、まるで下らない事であると吹き飛ばす様に。


 彼の主人は。



「ありがとう! 『ルノワール』!!」



 満面の笑顔で。

 涙で濡れた顔で微笑んでくれたから。



「――ぁ」



 衝動が燃え上がる。

 ルークは何も考える事が出来ずに、目の前の主人を抱きしめ返した。

 もはや思考など、罪悪感など、かなぐり捨てている。

 二人の間にあるのは、熱い感情だけだった。



「あの時、御身を護る事が出来ず、申し訳ありませんでした」

「ううん」

「怖い思いをずっとさせてしまい、申し訳ありませんでした」

「ううん、いいの……」



 ずっと。

 ずっとずっと。



「ルノワールが助けに来てくれる、って信じてたから」



 そんな風に。

 可憐な笑顔で微笑み、メフィルは目の前の少年の瞳を見つめ返した。

 主従は互いに涙を流しながらも、決して互いの身体を離さない。



「メフィル、お嬢様……」

「……ん」



 異国の冬空の下、二つの影が重なった。




   ☆   ☆   ☆




「それにね。逃げる最中、イゾルデが貴方の事をゾフィーと呼んでいたわ。ゾフィーとはルノワールのことよね? それに、ドヴァンさんが面識の無い人相手に、こんな風に接してくれるとは思えない」


 互いに認め合う者同士だからこそ。

 戦鬼ドヴァンとルノワールの間には、不可思議な友情の様な絆が生まれている。

 混乱する状況の中でもメフィルという少女の聡明さには曇りが無かった。


「まったくもって御慧眼の通りです」


 答えつつ、ルークは観念したように告げた。

 既に彼の護衛任務の事については、メフィルに話してある。


 自分は性別を偽り、貴女の護衛を務めていた、と。


 そんな事実に対しても彼女は冷静に受け止めていた。

 否、ルークは気付いていなかったが、冷静に受け止めた様に見せかけていた。


「……本当は男性だった、ということよね?」

「はい。今の僕の姿が本来の物です。ユリシア様のお造りになられた性転換魔法薬によって、女性の姿になっておりました」

「お母様も知っている、と」

「……はい。その、申し訳ございません」


 深々とルークが頭を下げると慌てた様子でメフィルは手を振った。


「あ、貴方が謝る必要はないでしょう? お母様の依頼だった訳だし……」

「ですが……」

「それに何だか考えてみるといくつか思い当たる節があって……」

「え……?」

「貴方はいつも学院で着替える時も隅の方でこそこそしていたじゃない? それに全然周囲の女子生徒の身体とかも見ようとしなかったり……」


 時には何故か目を瞑って着替えを済ませていた。

 理由を尋ねると「しゅ、修業なんですっ」という意味が分からない回答が返って来るのだ。


「お風呂とかも一緒には絶対に入らないし……たまにね。何でかな、って考えていたのよ」

「そそ、それはその……ほ、本当は男ですし」


 好き勝手に振舞える訳が無い。

 顔を真っ赤に染め上げてルークは狼狽した。


「うん、だからそう言う事なのよね。リィルは知っていたの?」

「えと、はい……リィルは僕のフォローをしてくれていました。いつもいつも助けてもらって……」

「そう……」


 しばらくじっと黙ったままメフィルは目を閉じていた。

 不安に駆られたルークが声を掛けようとした時。


「あ、あのっ」

「私ね」


 静かな声色で。

 メフィルはゆっくりと語り出した。


「貴方が最初に大聖堂に助けに来てくれた時、ね。あの瞬間から初めて会った気がしなかったの」

「……」

「男の人は今でも苦手意識が在る筈なのに……不思議よね」


 優しい眼差しで彼女は続ける。


「それで少し話してみて、貴方に触れて……あぁ、この人はルノワールだ、ってすぐに分かった」

「私は未だに男性恐怖症が完全に治った訳じゃない。でも、ね。貴方の事は全く怖くなかったし、むしろ落ち着いた」

「私はね。多分、ルノワール……貴方の事はきっと、男性だとか女性だとか。そういった枠組みとは別で……特別なんだと思うの」

「確かにルノワールが本当は男だった、って口頭で言われるだけじゃ納得も出来なかったでしょうけれど」

「貴方に会って、貴方と話していると……自分でも不思議なくらい……あぁ、間違いなくそう言う事なんだ、って思える。あぁこの人はあのルノワールと同じなんだ、って思える」

「そして別にそれが気にならない。貴方が傍に居てくれる、という事が何よりも大事で。性別なんて二の次なんだわ」

「本当に……不思議よね」


 ぽつぽつと自分の考えを纏める様に話したメフィルはそこで言葉を区切った。


「ねぇ、ルノワール」

「何でしょうか、メフィルお嬢様」

「あの時の返事をもう一度だけ聞かせて欲しいの」

「何なりと、お申し付けください」


 真っ直ぐに。

 瞳を逸らさず、メフィルは聞いた。



「貴方はこれからもずっと……私の傍に居てくれますか?」



 その言葉。

 全てを曝け出した少年の心は決まっていた。


 『ルノワール』というのは、ルークとしての、偽りの名前、偽りの姿だ。

 だが『ルノワール』として生きて来た彼女の意志は、想いは、時間は本物だ。



 『ルノワール』という存在そのものは――決して偽りなんかじゃない。



「メフィルお嬢様がそう望んで下さる限りは……どうか私を貴女のお傍に居させて下さい」



 ルークの言葉を聞いたメフィルは微笑みながら、自分のおでこを少年のおでこに重ねて言った。



「ふふっ。これからもよろしくね、ルノワール」




   ☆   ☆   ☆




 メフィル救出の幕が上がった同時刻。


「では、作戦開始だ」


 帝都ウィシュハーン、コルネアス城にてもう一つの戦いが繰り広げられていた。







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