第二百四話 潜む者
その日。
帝都ウィシュハーン北東に位置する、ナーゲンハットという街には不可思議な雰囲気が醸成されていた。
とりわけ街の中心部、アルメリア大聖堂の周辺は異様だ。
絢爛豪華な馬車がいくつも立ち並び、まるで祭典時のように着飾った人々が跋扈している。
賑やかな喧騒がそこかしこに見受けられる。
しかし、そんな雰囲気を台無しにするかの如く。
(なんて防備……)
一体何人の警備員が動員されているのか。
目算では計る事も難しい。
優に千人を超えるだろう人々が、アルメリア大聖堂を取り囲み、やって来るだろう『襲撃者』を撃退する構えを取っていた。
蟻の一匹すら見逃さない包囲網の中、各所にはレオナルド・チルドレンの姿も散見される。
アルメリア大聖堂の周囲には強力な結界魔法陣も組まれている。
無論、ルノワールの転移を用いれば突破は容易だろうが、どのような罠が仕掛けられているか分からない以上、攻め込む際には、まずは魔法陣を崩す事が求められるだろう。
「……これ以上近づくのは難しいな」
事前の調査で、場所は特定出来ていた。
時間も分かっている。
アルメリア大聖堂にて、正午。
アンダーソンの結婚式が執り行われる、と。
「ええ……これ以上アルメリア大聖堂に近付けば……」
「捕捉されるな。恐らくそういったゲートスキルを持ったチルドレンも控えているだろう」
現在ルノワールとドヴァンは、アルメリア大聖堂からは随分と離れた時計台の上から監視していた。
距離にして、5キロメートル程か。
流石にこの位置ならば、ディル=ポーターと同等の探索能力を持つゲートスキル保持者が居たとしても、捕捉される事はないだろう。
今回の作戦の場にはアトラは連れて来れない。
彼女には近くの宿で留守番をお願いしている。
いざとなれば、転移ですぐさまアトラを連れ出せるように紅い仮面を手渡していた。
「あの何処かに……」
愛しい主人が居る。
それを考えるだけで胸が裂けるような痛みが走り、どうしようもない程に熱くなる自分がいることをルノワールは自覚した。
「慌てるなよ。今頃はコルネアス城の方でも準備が進められている筈だ。機を見計らえ」
「分かっています」
ドヴァンに同意の頷きを返す。
だが。
「いいや、分かっていない。お前は何も分かっていない」
厳しい声色でドヴァンは告げた。
「何を……!」
断言する戦鬼に強い眼差しを向けてルノワールは吠えた。
「ふむ。そういった点は歳相応だな」
逆に何故か興味深そうにドヴァンは顎先を撫でている。
彼には慌てた様子は微塵も無い。
「自覚出来ていないか?」
真っ直ぐに。
戦鬼に瞳を向けられ、ルノワールは僅かに怯んだ。
「……っ」
「気持ちは分かる、などとは言わんがな。今のお前からは明らかな焦燥、憤怒の色が透けて見えている」
感情が先行し過ぎているのだ。
王宮の時もドヴァンを相手に怒っていたが、あの時とは別種の焦りがある。
今彼女の手の届く範囲にメフィルが居ない事が原因であろう。
「それは……」
「今のお前相手ならば、俺が後れを取る事は万が一にも無いだろう」
冷静に。
ルノワールと互角の戦闘を繰り広げた戦鬼は諭すように告げた。
「いいか? 確かに怒りは『力』を生む。しかし同時に、得た力と同じだけの『隙』を生む」
ドヴァンもまた、ルノワール以上に長年戦場を渡り歩いてきた男だ。
ルノワールを遥かに上回るだけの戦闘・人生経験を積んでいる。
「……」
彼の言葉に反論するだけの言葉を用意出来ずにルノワールは黙り込んだ。
それはある意味、ドヴァンの言葉の意味を理解し、納得できる程度にはまだ冷静だということだ。
「制御して見せろ」
「え?」
「お前はまだ若い。怒りと興奮、それらを上手く制御し力に変換し得た時。更なる境地にお前は立てるだろう」
「……」
まるで。
まるでディル=ポーターやスレッガーのように。
いつの間にか戦鬼ドヴァンは自然とルノワールにアドバイスをしていた。
「まぁ言葉で言うだけで実行出来るならば、誰も苦労はせんがな」
「ドヴァン……」
「何だその眼は?」
ぼんやりと。
かつて死闘を演じた好敵手をルノワールは見つめた。
やがてドヴァンは一度軽く溜息を吐いて。
「あの時は敵だった」
そう彼は口火を切る。
「だが今は少なくとも目的を同じにする者同士だろう? 腑抜けてもらっては俺も困る」
それは事実だ。
今やたった二人で強敵渦巻く鉄火場に突入しようとしているのだ。
相方のミスはそのまま計画の失敗に繋がる。
「熱くなるな、とも、焦るな、とも俺は言わない」
戦鬼ドヴァンは戦場では非常に熱く己を滾らせる類の戦士だ。
そしてそれはルノワールも同じだろう。
だが戦鬼はそれこそが彼に力を与えている事を自覚している。
だがルノワールは自覚していない。
自覚していないが故に制御が出来ない。
「お前にとって……ここは大事な局面だろう。ならば己を律し、成し遂げて見せろ」
マリンダもおらず、敵は無数にして未知数。
そんな中で敵陣に殴り込み、主人を救い出す。
傍から見れば無謀な勝負だ。
荒唐無稽な作戦である。
いや作戦とすら呼べないだろう。
やる事はたった一つ。
一気果敢に攻め込むだけなのだから。
戦闘が始まれば、あとは力任せの攻防が待っているのみだ。
しかしいつだってマリンダはそのような局面を乗り越えてきた。
自分はそんな紅牙の長の子供である。
そして今は……隣に背中を任せるに足るだけの男がいる。
「……しばし待て。時が来次第、お前の転移で仕掛けるぞ」
「はい」
そう頷きを返し、誰にも聞こえぬような小声でルノワールは呟いた。
「……ありがとう、ドヴァン」
☆ ☆ ☆
時刻にして正午。
アルメリア大聖堂の荘厳な鐘が鳴り響いた。
それは婚姻を言祝ぐ為の歌か、それとも。
鐘の音と同時――アルメリア大聖堂前の噴水前に二人の襲撃者が忽然と姿を現した。
現れたるは赤と白の輝き。
その突然の出現に泡を食った警備の兵士達が二人に襲い掛かろうとしたが、その行動は遅きに失する。
いち早く気付いたレオナルド・チルドレンがその拳を大男に向けて放つも、それを難なく受け止めた戦鬼は、口角を吊り上げて真っ赤に燃え盛る右拳を振りかぶる。
直後。
「おらぁああっ!!」
怒号と共に凄まじい魔力を秘めた赤い輝きが周囲の兵士達を巻き込みながらレオナルド・チルドレンを吹き飛ばす。
その余りにも強力な力に戦慄した帝国兵士が足を止めた瞬間には、白い輝きを放つ少女はアルメリア大聖堂の周囲一体に張り巡らされていた結界に手を付けていた。
気合一閃。
「はぁあああっ!!」
少女の全身が一層の輝きを帯び、彼女の手の平が瞬いた。
膨大な魔力が結界に流れ込み、その組成を阻害してゆく。
そして。
「ば、馬鹿なっ!?」
結界が虚しく破壊された。
一人の兵士が恐慌の声を上げた。
その結界はとてもではないが、魔術師一人で破れる様な類の術式ではない、その筈だった。
だが現に目の前で解除されている。
「くっ……」
しかしルノワールとて無理はした。
結界魔法陣解除に伴う魔力の喪失と負担は大きい。
だがこれは必要な事だ。
魔法陣解除中にも感じたが、この結界は攻撃性のある危険な術式だった。
解除せずに攻め込めば、どんな目に遭っていたか。
「ドヴァン!」
ルノワールは相方の名前を呼んだ。
すぐさま結界解除に気付いたドヴァンが少女の元へと駆け寄る。
「一気に大聖堂前まで行きます!」
「承知した」
そのまま二人は転移を敢行、次の瞬間にはアルメリア大聖堂前に着地し――。
「しゃあっ!!」
――獣の牙を眼下に捉えた。
「っ!?」
閃光の如き瞬きと共に繰り出された鉤爪。
その男の一撃をさしものルノワールも回避し切れず、その頬に鮮血が舞う。
更には後ろからの追手、周囲を囲むは無数のレオナルド・チルドレン。
(なんて数……!)
とはいえ敵軍の渦中に突撃をしているのだ。
罠が待ち構えている事は予測済み。
だが。
そのチルドレンの数もさることながら。
最も厄介なのは。
「――久しいな」
眼前の獣だ。
ミストリア王国最強の魔術師であるマリンダ=サザーランドとすら引き分け、足止めして見せた男。
メフィス帝国に覇を唱える特務官レオナルドの右腕にして、帝国最強の戦士。
「……ジョナサンっ!?」
何故彼がここに?
この男は平時は常にレオナルドの傍に侍っているものと思っていた。
ユリシアに比べれば重要度の低いメフィルの為に、まさかレオナルドは最強の駒を配置したというのか。
驚愕の声も上げる暇は無かった。
その次の瞬間には、ルノワールですら追従する事の難しい神速の鉤爪が再度眼前に迫る。
「くぅっ!?」
ゆらりと陽炎の様な微かな残像だけを残し、研ぎ澄まされた殺気と暴力。
他者を傷付け、殺す事を躊躇わぬ一撃。
――死。
一瞬の油断、気の緩みがそのまま死に繋がるだろう一撃だ。
相手の強大さは知っている。
ならば。
ルノワールは即座に『翼賛輪』に魔力を込めた。
両腕両足に装着された魔石が光を帯びる。
身に纏う魔力光の輝きが更に増していき、眩いまでの白光が周囲を染め上げた。
(邪魔を……)
少女の姿が美しく煌めき、降臨せしは白銀の戦女神。
(するな……っ!!)
流れる様な体捌きで獣と化したジョナサンの鉤爪を回避、鎧を変形させ、そのままカウンターの態勢に入ろうとしたルノワールの額目掛けて、ジョナサンの尻尾が唸りを上げて迫った。
(は……やい……っ!)
このタイミング、そして速度。
反撃の姿勢を取っていたルノワールは茫然と目の前の尾を見つめている。
反応出来なかった。
「がっ……はっ!」
強かに額に一撃を受けたルノワールは、そのまま中空を吹き飛ばされていった。
☆ ☆ ☆
「ちぃっ!」
ドヴァンがゲートスキル『移動』を駆使しつつレオナルド・チルドレンの相手をしている内に相方が敵にやられている姿を視界に捉える。
だが戦鬼とて余所見をする程の余裕は無かった。
(数が多いな……)
総勢20名のレオナルド・チルドレン。
付け加えて言えば。
「ここで貴様を討ち取らせてもらおう」
「邪魔な異国の姫の騎士団長」
「野蛮な貴様は主の庭からすぐさま去りたまえ」
3人の『アーク・チルドレン』。
一人一人と相対すれば、戦鬼には及ぶべくも無い兵士だ。
だが同時に3人ともなると、話しは変わって来る。
アークの攻撃は十分にドヴァンに通じ得るのだから。
「くははっ!」
しかし、そんな戦場の中にあっても戦鬼の戦意は一向に鈍らず、むしろ彼の全身には更なる赤い輝きが灯る。
出現するは黄金の馬『アルス』。
無数の戦場を駆け抜けて来た相棒だ。
「上等だ、餓鬼共!」
唸り、吠え、鬼が疾駆する。
「貴様らに真の戦を教えてやろう!」