第二百三話 行動開始
リィルからの報告を聞いたルノワールはすぐさまキースに打診をしていた。
己の我儘だとは分かっていても、もう隠し立てはしない。
正直に己の気持ちを吐き出した。
メフィルを救いだしたい、と。
「そうか、ファウグストス公の娘が、か」
政略結婚。
いや、政略……という言葉は相応しくはあるまい。
これは政治的な策謀、というよりも戦争の行く末を握る作戦の一環だろう。
メフィス帝国とミストリア王国の敵対関係を考えれば、これはもはや戦略結婚と呼ぶべきかもしれない。
この結婚をメフィル嬢が望んだ物では無い事は明白だろう。
キースはレーガン=アンダーソンという人物を知っていた。
彼の人と為りを知っているだけに、若きメフィル嬢が好意を抱くとは到底思えない。
キースは難しい顔で頷きながら、思案を巡らせている。
「キースよ、大々的に今回の婚儀を広めるレオナルドの意図は何だと思う?」
横で聞いていたドヴァンがキースに尋ねた。
「そうだな……敵の……つまりレオナルドにとっての敵である我々の目を引きつける事、ではないか? そもそもメフィス帝国の人間はファウグストス公などと言われても、よく知らない人間がほとんどの筈だ」
キースのような立場にいる人間であれば、隣国の要人の名前は知っているが……それにしたって政務や軍務に携わる機会の乏しい人々までに名前が知れ渡っているとは思えない。
「つまり今回の情報拡散の標的が、ミストリア……もっと言えば紅牙騎士団への罠、という可能性は高い。それが直接的な罠なのか、それとも……」
「別の目的を達成する為の囮、か?」
「その判断は出来ないが……そういうことになる。そうでもなければ、レオナルドにとってのメリットは少ないだろう」
二人の話を聞いていたルノワールは一つの疑問を投げ掛けた。
「愉快犯、という可能性は無いでしょうか?」
レオナルドという男が非常に有能な男であるという事は、これまでの手際を見ていても明らかだ。
発想が大胆なだけではなく、しっかりとした地盤固めをした上で手を打ってくる。
しかし、彼にはどこか状況を楽しみ、弱者を嬲る嗜虐心のような物が垣間見えるのだ。
「いや、確かにあの男にはそういった側面はある。だが……」
人を小馬鹿にするような態度を取る人間ではある。
自分こそが至上だとでも言わんばかりの言動も目立つ。
しかし。
自国内で彼の行動を見て来たキースだからこそ尚更に思うのだ。
「あの男は自分の愉しみと目的達成を両立させる男だ」
ふざけているように見えても、その結果を見ると全てがあの男の掌の上なのだと気付かされる。
つまり本当の意味で無駄な事は何一つとしてしない。
「そういった点は恐らく徹底している、と考えても良い。しかしそんなこちらの思惑まで見透かしている、という可能性もなくはないが……」
そこまで考えてしまえば、流石に堂々巡りだ。
結論など出ない。
可能性でしか語ることが出来ない。
「そうですか……」
ルノワールは僅かに目を伏せ、どこか落ち込んだ様子で佇んでいる。
「どうした、ルノワール?」
確かにメフィルの救出はルノワールにとっては最優先事項だ。
しかし手を結ぼうと提案をしておきながら、早速己の都合を優先させようとしている自分が我儘なのではないか、という葛藤が彼女には在った。
キースの方こそ、誠にレオナルドを打倒したいと願っている筈なのに。
彼にとってはメフィル=ファウグストスは見た事も無い少女に過ぎないだろう。
それを救出する為の協力を要請し、レオナルド打倒への寄り道を願っている事に躊躇いをルノワールは覚えていた。
そんなルノワールの心情を読み取ったのか。
殊更に優しい笑みを見せてキースは言った。
「君がそのような顔をする必要は無いよルノワール。君は私とアトラにとって命の恩人だ。私は君には返しきれない程の借りがあるのだ。それに考えようによっては……これはある意味好機かもしれない」
「え?」
キースから意外な言葉を聞いて、ルノワールは顔を上げた。
「先程も言ったがな。あの男は無駄な事を好まない。つまり今回のメフィル嬢の結婚についても狙いがあると見るべきだ。恐らく奴はこちらの目が逸れると考えるだろう。だが逆にあいつの目もどこかに逸れている可能性が高い。その内に私は私の方でレオナルドの動向を追いたい」
つまり。
「別行動を提案する」
彼は告げた。
「それは……」
「勘違いしないで欲しいのは、君達との協力関係を破棄したい訳ではない、ということだ」
彼は軽く首を振りつつ続ける。
「メフィル嬢の結婚式が執り行われる日取りの情報を入手するのは難しくないだろう。そしてその日に何かが起こるとしても……恐らく戦闘能力の低い私では、君達の足を引っ張る事しか出来ないだろう」
キースは冷静に状況を見て、物事を判断していた。
実際に彼の言葉は謙遜も含んでいるが事実だ。
もしもルノワールとドヴァンの二人であっても成し遂げられないような状況下では、キースの戦闘能力など微々たるものだろう。
「私には個人的な伝手もある。情報は逐次君達にも届ける。だが、それとは別に調査をさせてもらえないだろうか?」
「危険が伴うと思うが?」
既にキース=オルフェウスは明確なレオナルドの敵としてマークされているだろう。
レオナルド・チルドレンにでも見つかれば無事では済むまい。
「そこは信用してくれ、としか言いようがないな。伊達に帝国内で一人動いていた訳ではない……と言いたくとも先日は無様を晒してしまったしな。ここで名誉挽回の機会を与えてくれないか?」
苦笑と共に彼は言う。
「き、キース様がそう仰るのでしたら……」
そしてルノワールは尋ねた。
「アトラお嬢様は……?」
既にオルフェウスの部下は一人も居ない。
使用人達も散り散りに去ってしまった現状で、彼は娘をどうするつもりなのか。
「それなのだが……」
言いかけたキースの言葉を遮り、ドアを開いたのは幼き少女。
「わたしはモネと……ルノワールと一緒にいたい」
先程まで眠っていた彼女。
目を覚まし、3人が話し合う部屋へと足を踏み入れたアトラは不安げな顔付きでルノワールを見上げた。
「アトラお嬢様……」
「……わた、しは」
自分の我儘を自覚しているアトラの声は小さい。
言い淀むルノワールは視線を彷徨わせていた。
しかし。
「別に構わないだろう」
真っ先に言ったのはドヴァンだった。
意外な面持ちで戦鬼を見つめるルノワール。
彼は呪いの正体を知らない筈だ。
だが迷う事無く、そのような情報に恐怖する事など微塵もなく言いきって見せた。
「直接戦場に連れて歩く訳ではない。ならば、一人の子供の相手ぐらいは貴様ならば出来るだろう?」
「危険は……」
「危険はどこにでもある。むしろ現状を踏まえれば、貴様の傍が一番安全だろう」
何故か自分の思いの後押しをしてくれた大男を不思議そうな顔付きでアトラが見上げた。
そんな二人を見つめていたキースも言った。
「もしもルノワールさえよければ……私からもお願いしたい」
「キース様?」
「情けないが……私にはアトラを連れて行動できるほどの余裕がない。そしてドヴァンの言う通り……万が一の際にアトラを護りきれるだけの力も無い」
寂しそうに言う父親の言葉に反論を告げようとしたアトラだったが、彼は娘の言葉を遮った。
「事実だよ、アトラ。私一人では……レオナルドの相手をするのは難しいんだ」
しかし卑下するばかりでは無い。
「だから頼りになる協力者と一緒に行動する事にしたんだ」
穏やかな表情で。
帝国の未来を憂う男は言った。
「この二人は頼りになるよ……とても、とてもだ。彼らとならば、レオナルドにも太刀打ち出来ると信じられる程に。まぁルノワールについては私よりもアトラの方が詳しいだろうけどね」
そう冗談交じりに締めくくった彼は、とても優しい手付きで愛娘の頭を撫でる。
目を細めて、彼は言った。
「ルノワール。どうか私の我儘を聞いてはもらえないだろうか?」
これだけ3人に言われてしまえば、ルノワールに断る理由などは無い。
「……はい。畏まりました」
「頼む」
「必ずや。アトラお嬢様はお守り致します」
「あぁ。君を信頼しているよ」
話の切れ目を察したのか、ドヴァンが告げた。
「では……メフィルの挙式の日まで俺とルノワールは結婚の情報収集。キースは個別にレオナルドを追う、ということでいいか? 当日は各々が別々に動く、と」
「えぇ、そうしましょう」
「私にも異論は無い」
だがそこで。
「でもドヴァン。お願いがあります」
ルノワールは声を上げた。
「なんだ? 何かあるか?」
先程からの会話の中。
どうしても聞き捨てならない言葉が在ったのだ。
「先程からメフィルお嬢様の挙式、挙式と言っておりますが」
そうだ。
その日、執り行われるのは、断じてメフィル=ファウグストスの挙式などではない。
そんなものは行われない。
そんなものは存在しない。
「あの御方はまだ結婚など為さりませんよ」
ニッコリと。
微笑む笑顔の中に怒気を滲ませた声色でルノワールは告げた。
子供っぽい感傷かもしれない。
それはきっと、醜い独占欲の現れだろう。
ただの言葉に躍起になるなんて。
(でもいいんだ)
例え子供っぽくても、みっともなくとも。
あの御方の結婚など断じて認めない、と決めたのだから。
「挙式は行われません」
何故ならば。
「私がこの手で……ぶち壊すのですから」
可憐な笑顔で物騒な事を呟いたルノワールは、再度微笑んだ。
そんな彼女を見ていたドヴァンは口角を吊り上げる。
「くくくっ。良い面構えだ」
楽しそうに笑う戦鬼。
彼はかつてのミストリア王宮でルノワールと対峙した時の事を思い出していた。
メフィル=ファウグストスを手に掛けようとしたあの時。
『――その罪、万死に値する』
真顔で己に殺意を振りまく恐ろしき騎士の姿を。
戦鬼をもってして心胆を寒からしめる戦士の気迫を。
「あの時と同じ顔をしているな」
「……あの時?」
「いや……なんでもない。気にするな」
「そう言われましても……」
笑う戦鬼と首を傾げるメイド。
二人の超越者を不思議そうな顔付きでオルフェウス親子が見つめていた。
「まぁ……なんにせよ」
最後にキースが場を締めるように言った。
「それぞれの武運・健闘を祈る」
☆ ☆ ☆
そして――大陸の行く末を左右する、運命の一日が訪れた。