第二十三話 護衛
「私のゲートスキルは――『転移』です」
「転移?」
「はい」
首を傾げるお嬢様に僕は説明した。
「目視出来る範囲、もしくは私が魔力を込めた場所であれば、瞬時にその場所に移動することが出来ます。対象箇所との間に建造物があろうが結界があろうが関係ありません。効果範囲はおおよそ3000メートルです」
ユリシア様が僕の言葉の後を引き継ぐように言った。
「ふふっ。護衛にピッタリの能力でしょう?」
そしてどういうわけか、得意げな様子である。
「今回の作戦もルノワールのゲートスキルあってこそなのよ。相手がどのような手段で移動しようが、一瞬でルノワールのゲートスキルの効果範囲から抜け出すことは不可能」
これは言葉にしなかったが。
実はこの魔法具の交信機能は僕の転移の力の応用、というか複写であったりする。未だ研究結果を公にしてはいないが、僕とマリンダはゲートスキルの力の一部を魔法具という形で固定することに成功している。
「この魔法具を作成するのに少し時間がかかってしまいましたが。ともあれ敵がお嬢様に接近し次第、私がゲートスキルでお嬢様をお迎えにあがります」
お嬢様は手元のペンダントに視線を落とし、次いで僕の顔を見た。
「もしかしてこのペンダントって……貴女の自作?」
「えっと……はい」
も、もしかして気に入らなかったのでしょうか。
自分で言うのもなんだけれど良い出来だと思ってたの……だけど。
魔法具としての機能を持たせるだけならば、おそらく2日もあれば完成するだろう。
しかし僕は見た目にもこだわった。
曲がりなりにも、メフィルお嬢様が身につけるものである。
必要な魔法具である以上は、今後も彼女が普段から持ち歩く物として自然なアクセサリでなければならない。
故にペンダント。
そして僕はどうしてもメフィルお嬢様が身につけても恥ずかしくないものにしたかった。
だからデザインも凝ってみたのだ。
屋敷に来てからは毎日この魔法具製作に寝る前の時間を充てていた。
ペンダントは銀製の親指サイズ。
表面の波打つような模様は風をイメージしたデザインになっており、中央に嵌め込まれた魔石に薄らと薔薇の紋様を描いてある。
派手過ぎず、地味過ぎず。
それでいて女性らしさも消すことなく仕上がった、と自負している。僕の独りよがりで無ければ……。
「ふぅん」
う……ももっ、もしかしてお気に召さなかったのだろうか。
考えてみればメフィルお嬢様は芸術において天性の才能を持った御方である。
僕程度の作品では不満があるのかもしれない。
「あ、あの……もしもお気に召さないようでしたら、後日別の細工師の方に頼んでデザインを変えていただいても……」
あ、だめだ、声に悲しみが混じっている……。
落ち込み気味で僕が言うと、彼女は頭を振って仄かに微笑んだ。
「ふふっ。違うわよ」
「えっ?」
「良い出来だな、って思っただけよ」
それはとても……優しい声色だった。
お嬢様はじっとペンダントを見つめ、その表面をそっと撫でる。
魔石の中に映り込んだ紋様を真摯な瞳が覗いていた。
「貴女もしかしたら絵よりもこういった装飾品作りの方が向いているんじゃないかしら?」
「え?」
「ルノワールって手先が器用そうだし」
「そ、そうでしょうか?」
うーん、ペンダントを褒めてもらえたのは嬉しいけれど、絵はイマイチ、って言われたような気がしてなんだか微妙な気分……。
「なんにしても……ありがとう、ルノワール」
でもメフィルお嬢様は嬉しそうな顔で微笑んでくれたから。
僕の心の中の小さな悲しみはたちまち吹き飛んでいった。
「つけてもらってもいいかしら?」
「は、はい」
彼女の背後に回り込み。
僕はお嬢様の首にそっとペンダントをかけた。
「へぇ……いいじゃない?」
ユリシア様が言うとお嬢様もまんざらでもない様子でペンダントを見やった。
彼女はペンダントを右手で弄ぶ様に触れる。
お嬢様は振り返り、僕に視線を向けた。
そして彼女は静かに一度瞳を閉じる。
メフィルお嬢様の透き通る――まるで初雪のような美しく白い髪が微かに揺れる。
真白い輝きの中に薄く混じるのは、ユリシア様譲りの優しい桜色の髪。
窓から差し込む月明かりに照らされたメフィルお嬢様を僕はじっと見つめていた。
「……」
しばしの瞑目を経て。
「いいわ……明日頑張ってみる」
次に瞼を開いたお嬢様の瞳は力強い輝きを放っていた。
「ルノワールが折角ペンダントも作ってくれたし……自分のためでもあるし」
自分に言い聞かせるように彼女は呟く。
「ルノワール」
「はい、お嬢様」
低頭し、僕は続く彼女の言葉を待った。
「貴女が私を護ってくれるのよね?」
例え僕の存在が、姿が、偽りの物であったとしても。
「はい、必ず。お約束致します」
この言葉に偽りは無い。
「そっか」
彼女はもう一度呟いた。
「……そっか」
憂いを帯びた表情。
それが何も自分の危険だけを考えた恐怖ではないことに僕は気づいた。
「私は……」
だから僕は励ますように言った。
お嬢様の心配は杞憂なのだ、と。
そう伝えたくて。
「貴女の御身はもちろんのこと、私自身も決して怪我など致しません」
「えっ?」
彼女はウェンディさんの時のように身近な人が傷つくことを恐れている。
自分の身に危険が及ぶ可能性も怖いだろうが、彼女は恐らく僕に害が及ぶことも恐れているのだ。
だけどそんな心配はいらない。
メフィルお嬢様の抱く、その不安を払拭するために。
僕は女性の姿をしてまで、ここにやって来たのだから。
「頼りなく思えるかもしれませんが、どうか私を信用して頂けないでしょうか?」
僕が力強く言うと、お嬢様も微笑んだ。
「……ありがとう、ルノワール」
☆ ☆ ☆
約束通りやって来てくれた護衛の姿を見てメフィルは安堵のためか、先ほどとは違う感情を伴った涙を流していた。
瞼に浮かぶ雫が輝く。
涙が頬を伝うメフィルを視界に入れた直後、ルノワールの瞳には怒りの炎が宿った。
馬車内に転移したルノワールが浮かべていた表情は普段の彼女とはまるで別物だ。
違わぬ端正な美しさ。
しかしそこには普段の愛嬌は無かった。
冷酷な表情に獣の瞳を輝かせたルノワールはすぐさま行動した。
ルノワールの目の前でしゃがんでいる男が、妙な気配に気づいて振り向いた時――既にその男の両腕は宙を舞っていた。
いつの間にかルノワールが手にしていたのは一対のトンファー。
もちろん刃などはついていない。
彼女は力任せに男の腕を捩じ切ったのだ。
当然無理矢理に神経をズタズタに引き裂かれた腕からは、本来であれば大量の出血があるはずだった。
しかし血は出ない。
ルノワールが男の腕を切断する際に、魔術で止血を施したのだ。
大量出血で死んでしまわれては都合が悪いし、血の臭いや痕跡は消しにくい。
故になるべく血は残さないように処理する。
これはルノワールのいわば癖のようなものであった。
「ぁああっ!?」
腕を吹き飛ばされた男は激痛に顔を歪める暇もあればこそ。
次の瞬間にはルノワールの手のひらが男の額に打ち付けられ、そのまま気絶した。
すぐさま残り二人の男も動こうとしたが、その動きはルノワールに比べれば緩慢の一言に尽きた。
彼らが何か魔術を施そうとしようにも、その時には既にルノワールは目の前まで迫っている。
神速の如きトンファーのひと振りは男たちの肉体を洩れなく抉り取っていく。
痛みを感じるも血の出ない光景に呆然としつつ、彼らもたちまち気を失った。
その間ルノワールは一言も発することはなかった。
「……」
敵と対峙した時に無闇矢鱈と口を開くのは一流の戦闘者とは言えない。
もちろん交渉や時間稼ぎ等の特別な理由があれば話は別であるが、そういった状況以外では相手に情報を与えるだけであり、何らメリットがない。
ルノワールは経験的にそれを知っていた。
彼女が馬車の外へ出ると、間もなく馬車の動きが停止した。
ルノワールの手によって御者も他の3人と同様に気を失っており、馬車の中へと放り投げられる。
周囲から敵の気配が消えた。
その段になってようやくルノワールは口を開く。
「お嬢様、失礼致します」
言いながらメフィルの拘束を解いていく。
その手つきは優しく、それでいて素早かった。
「お見苦しい光景をお見せしてしまい、申し訳ありません」
ルノワールは心底申し訳なさそうな口調で言った。
だがメフィルは即座に違う、と思った。
確かに男達の腕が宙を舞う光景はショッキングなものだった。
戦闘に慣れていないが故に、そう易々と受け入れることは出来ない。
しかしルノワールは役目を果たしただけだ。
無闇に情けをかけて手加減をしたとして。
それで万が一にでもメフィルやルノワールが傷ついたらどうするのか。
それに普段は慈愛に満ちているユリシアだって何度も戦場は経験している。
状況次第ではユリシアも敵を、人を殺したのだろう。
例え人道に悖る行為であったとしても。
やらねばならぬ時がある。
だから。
自由になったメフィルは従者に声をかけた。
ルノワールの謝罪の言葉は不要なのだ、と伝えたくて。
自分が感じている気持ちはただ一つなのだ、と伝えたくて。
続く言葉、その声に震えはなかった。
「ルノワール、ありがとう」
そう、助けてもらったのだ。
そんな時に言う言葉は感謝だけで十分のはず。
メフィルの気持ちが少しでも伝わったのか、主人に対し、ルノワールは一度柔らかく微笑み――すぐに真剣な表情に戻った。
真剣な瞳に戻ったルノワールの気配が再び研ぎ澄まされていく。
「……ルノワール?」
訝しく思ったメフィルが首を傾げた、次の瞬間。
「失礼致します、お嬢様」
「きゃっ」
ルノワールは突然メフィルを抱きかかえると、風のような速度で馬車の外へと飛び出した。
「な、なにっ。どうしたの?」
「敵です」
「て、敵って……」
しかしそれ以上はルノワールは答えずに、走り出す。
常らしからぬ好戦的な表情でルノワールは呟いた。
「ようやく捉えた……っ!」