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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第6章 運命の一日
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第二百二話 焦点

 

 目まぐるしく蠢く情勢の中。


「果たしてどこに焦点を当てるべきか」


 それが問題だ、とディルは言う。

 彼が伺うように団長に視線を向けた。


 しかしマリンダは参謀が考えを告げる前に断言した。



「……動くぞ」



 短く一言。

 故に誤って捉えようの無い明確な言葉。


「どちらへ?」

「どちらへ、だと?」


 片目を吊り上げ、マリンダは尋ねる。

 殺気こそ含まれていないが、その眼光は泣く子も黙る迫力に満ちていた。


「国境線上の主戦場になると予想される地点は……」

「そちらはオードリーに一任する」


 迷わずマリンダは言った。

 暗躍しているのは自分達であるが、実際に戦端が開かれた時に矢面に立って動くのはオードリー大将軍率いる外軍の仕事だ。

 

「では、ファウグストス親子は……」

「どちらも、だ。同時に救出する。エンジの協力によって、コルネアス城攻略の突破口は開く事が出来るだろう」

「かなり危ない橋を渡る事になります……戦力差が大き過ぎる」

「その程度は覚悟の上だろう?」


 マリンダは己の部下に挑発的な視線を投げ掛けた。


「おいおい、まさか……スレイプニルに出来て、私自慢の騎士団に出来ない、などと言ってくれるなよ?」


 ドヴァンが攻めた時のミストリア王宮と現在のコルネアス城では、防備がまるで違う。

 コルネアス城の防御は末恐ろしい程に高く、スレイプニルの作戦行動とは難易度が比較になどならないのだが……ディルはあえて、微笑んで見せた。

 団長の無茶な提案にはほとほと慣れている。


「まさか。やってやりますよ」


 腹に据えかねているのは、何もマリンダだけではない。

 ファウグストス親子を奪われて、怒りを覚えているのは紅牙騎士団全員だ。


 彼ら彼女らはマリンダに忠誠を誓った誇り高き騎士の集団だ。

 しかし、それはユリシア=ファウグストスあってのこと。

 騎士団の誰もがマリンダに『憧れ』を抱いているとすれば……対するユリシアには誰もが『感謝』を抱いている。


 紅牙騎士団の心は一つ。



 我らが主人を取り返す。



「しかしどちらも、といっても……」


 意志だけで事を為せるのならば苦労は無い。

 思いだけでは駄目なのだ。

 為すべき事を為す為には力が必要。


 メフィルの居場所はもうじき特定出来るだろうが、それにしたって気になるのは先刻の情報だ。

 メフィル=ファウグストスとレーガン=アンダーソンとの結婚。

 もしも入手した情報に誤りが無ければ、近い内に挙式が行われる手筈になっている。


「私達の担当はコルネアス城だ。ユリシアを奪還する」

「では、メフィル嬢は……?」

「メフィルは……あいつに任せる」


 遠くを見つめる眼差し。

 マリンダは現在傍には居ない息子に思いを馳せた。

 そしてディルも「あいつとは誰か」などという問いはしない。

 誰かなど……分かり切っている。


「リィルから連絡だけは入れているのだろう?」

「……はい」


 これだけ大々的に情報を拡散している以上、挙式当日までにメフィルの居場所を突き止めるのは容易だろう。

 今まで散々捜索していた身からすれば、肩透かしを食らった気分ではあるが、状況は悪くない。

 紅牙騎士団の捜索範囲内にアンダーソン家も入っている。

 もしかしたら彼の屋敷に囚われているのかもしれない。その可能性は決して低くないだろう。

 それを踏まえれば、事前にメフィルを救い出す事も不可能ではない。


 だが。


「ならば、ルークは動くさ。必ず、な」


 以前にも彼女達は話しあった事が在る。

 もしも二人を救出するならば、同時に救出するのは理想的だ、と。

 もどかしい思いもあるが、挙式を事前に防止してしまった場合、メフィルは救い出せてもユリシアの救出が困難になってしまうだろう。


「今回の結婚を逆手にとって行動する、ということですね?」

「あぁ。奴はあの一件以来、確かに情緒不安定気味だが……」


 あの雪山でマリンダとルノワールは完膚なきまでに敗北した。

 イゾルデの時の様に、メフィルの命を守る為に離れた訳ではない。

 真っ向から戦い、敗れ、そして奪われたのだ。

 それはルークの心に深い闇を齎したように見える。


 だが。


「大切な場面で踏み外し、選択を誤るような男ではない、ですか?」

「ふん……よく分かっているじゃないか」

「自慢の弟分……いや、妹分ですからね」

「その前に私の自慢の息子だ」

「親馬鹿ですね」

「ふん、何とでもいえ」


 いざ、という時。

 ルークはやるべき事を為すだろう。


 彼の才覚はマリンダすらも凌駕する。

 持ち前の天分を発揮し、必ずやメフィルを救ってみせる筈だ。

 かの少年の力を二人は疑っていなかった。


「タイミングだけ見計らう必要があるが、今回ばかりはな」

「決定的でしょう。メフィル嬢の挙式の日。それ以外は有り得ない」

 

 メフィルの結婚式。

 その日が全てのターニングポイントとなるだろう。


 恐らく最もメフィルを救出し易く、様々な目が逸れるタイミング。


「しかしレオナルドも必ずや手を打ってくる筈です」


 これだけ大々的に動いているのだ。

 何らかの意図が無ければ説明がつかない。


「はっきりと言ってしまえばルークは敵の罠に自ら飛び込んでいくことになる」


 そしてそれはコルネアス城を攻めるマリンダとディルも同様だろう。

 敵は準備万端でこちらの動きを待っている。

 どちらも危険は付き纏い、成否の可能性など測れない。


「ディル、間違えるな」

「……え?」

「私達の目的はファウグストス親子の奪還。それはあらゆる物事に勝る最優先事項だ」

「……」


 ここは敵地で在り、自分達は異邦人。

 敵の中枢に喧嘩を売りに行くのだ。

 無理は承知、無謀は承知。


「最悪の場合……私とルークが命を落とすような状況になったとしても……あの二人を救えるのならば、それでいい」


 だが諦めるなどという選択肢は無い。


「団長……」


 考え方は単純だ。

 不利? 危険? 無謀?

 それら全てを押しのけ、事を為すだけ。

 その為の策を練るだけ。


 ただそれだけでいい。


 もちろん、ユリシア救出はミストリア王国側としても非常に有益だ。

 彼女の不在はミストリア王宮の帝国への対処に深刻な影響を与えていた。

 これ以上の遅滞が発生すれば、取り返しがつかなくなるかもしれない。


 だが、それ以上に。

 友として。

 マリンダはユリシアを救いたいのだ。


 ユリシアとマリンダの仲の良さはディルとて、痛い程に知っている。

 この二人の間には数えきれない思い出と確かな絆が存在しており、親友という枠組みですら生ぬるく感じられる程だ。


「私は己が不甲斐ない上に……これ以上ユリシアが敵の手に落ちている、という状況を看過する事が出来ない」

「……」


 今のマリンダの心情を思えば、ディルは頷く事しか出来ない。


「それにコルネアス攻めはディル。お前が考えた作戦だ」


 マリンダはそこで鋭い眼差しに優しい色を混ぜて告げた。


「他の誰よりも信頼出来る」

「ですが」


 今回ばかりは分が悪いのだ。

 それは参謀たるディル自身が一番よく分かっている。


「正直に言えばルノワールにもこちらの作戦を手伝って欲しいくらいです」


 彼女の転移の力があれば、ユリシア救出の成功確率は格段に上がるだろう。

 紅牙騎士団の『紅い仮面』のような近距離かつ魔力消費の大き過ぎる転移とは訳が違う。


「……それではあちらの算段が悪くなり過ぎるだろう」


 結局は無い物ねだりだ。

 ユリシアに比重を置こうとすれば、メフィルを救い出す事が困難になる。

 ルノワールは一人しか居ないのだ。


「……」


 だが続く言葉が。

 マリンダ=サザーランドという英雄の言葉が。


 ディル=ポーターの心の中の暗雲を振り払った。



「だからディル……貴様も私を信じろ」



 紅の髪は眩い程の輝きを放ち、月下の闇の中で煌めいた。



「例えどのような状況に陥ろうとも……私が道を切り開いて見せる」



 迷い無い力強い口調で紅牙の団長は告げた。



「いいか? 紅牙騎士団は今までも、全ての脅威に最終的には打ち勝ってきた。ならば今回も必ず勝てる。私がいるのだからな」



 傲慢な言い方も台詞も。

 彼女にはとてもよく似合っていた。



「ユリシアは……私がこの手に取り戻す……!!」


 

 これだけは誰にも譲れない。




   ☆   ☆   ☆




 あれから皇帝ハインリヒがこの地下牢にやって来る事は無かった。


(何かを企んでいる……)


 それは分かるも、では現状の自分では何が出来るか。


 ユリシアの両腕には、メフィス帝国の囚人が付ける物と同じ手錠が嵌められている。

 これは魔力を封印する為の魔法具だ。

 暗い廊下には階段脇から漏れる微かな魔石の明かりしかない。

 外に通じる様な穴のような物は何一つとして存在せず、流石にこの場所から一人で脱出するのは難しそうであった。


「……」


 番兵はレオナルド・チルドレンの二人が交代制で行っているらしい。

 最近はハインリヒが訪れなくなったからか、食事の量もめっきり減らされた。

 

 近頃は四肢に力が入り辛くなっているのを自覚している。

 見るからに衰弱の影が見えた。


(……情けない)


 マリンダが。

 信頼する親友が己を助けに来てくれる。

 それは疑っていない。

 彼女は例えわたしが助けに来なくていい、と言っても言う事を聞かないだろう。

 その程度では止まらない。

 そんな信頼がある。


 故に諦めこそしていない……けれど、流石にここまで何も無い空間でじっとしていると気が滅入るのも事実だった。

 今にして思えば、ハインリヒが話し相手になってくれていた事には随分と救われていたようだ。


(あの子は……)

 

 とても。

 とても澄んだ瞳をした少年だった。

 だが、純粋一辺倒では決してなく、修羅場も経験しているのだろう。

 あの瞳の奥には確かな絶望と闇の影が秘められていたように思う。


 レオナルドと共に覇道を目指す、と。

 そう言った時の彼には迷いの様な物が全く感じられなかった。


(本気で天下統一を目指している)


 レオナルドのやり方は気に入らないが、なるほど確かにあの男にはそれだけの力を感じさせるものが在るのだろう。

 そしてあの悪魔は止まらない。

 これからも天下を目指すという目的を言い訳に残虐の限りを尽くすに違いない。


(……この戦は……)


 レオナルドを倒せば終わる。

 本当にそうだろうか?

 確かに彼が居なくなれば、メフィス帝国は力を失うだろう。

 いや、失うとまではいかないかもしれないが、それでも減退する事は間違いない。


 そうなれば……本当にこの国は止まるだろうか?

 本当にメフィス帝国の方針は変わるのだろうか?


 本当に止めなければいけないのは……倒さねばならないのは……ハインリヒなのではないだろうか。


(わたしは……)


 誰もがレオナルドばかりに注目していた。

 ミストリア王国側も。メフィス帝国側も。

 しかし実際に直接対面し、何度も会話を交わしたユリシアは思う。


 この戦争で最も大事な部分は何か、を。


(わたしは……あの子の……ハインリヒ皇帝の本心が知りたい)


 宵闇の中、ユリシアは絶えず巡る頭の中の考えを整理していた。


 いずれ来るだろう時に備えて。






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