表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第6章 運命の一日
227/281

第二百話 騎士の役目

 

 頭の中が一瞬真っ白になった。

 リィルの報告の意味がすぐに理解出来ない。

 混乱している僕は、馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返した。


「けっ……こん……?」


 結婚、って?

 誰……が?

 メフィルお嬢様……が?


「な、なんで?」


 何がどうなってそんな事になっているのか。

 メフィスお嬢様は人質として攫われたのでは無かったのか。

 それが何故、結婚などという話になる?


 未だに理解の追いつかぬ僕を宥めるようにリィルは告げた。


「細々とですが、貴族達を中心に話は広がっているそうです。恐らくは故意にレオナルドが広めようとしているとしか……」


 メフィルの誘拐。

 それは本来であれば、レオナルド側として隠匿しておかねばならない事実の筈だ。

 例え、知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりだとしても。

 ミストリア王国側に知られて良い類の話では無い。


 わざわざ大々的に喧伝する意図は何か。


「……」

「意図は分かりません。兄は罠の類だろうと予想していますが、それにしてもレオナルドにしてはやり方が杜撰で……」


 そう、杜撰なのだ。

 まるで……わざと、敵側に教えているかのようだ。

 それも彼自身にもデメリットが生じる様なやり方で。

 あの狡猾な男の手際としては些かの違和感が残る。


 黙したまま彼女の言葉を聞いていた僕だったが、やがて弱々しい声が自然と口から漏れていた。


「それは……」


 それは。


「め……」



 それは――。



「メフィルお嬢様、は……了承しているの、かな……?」

「……は?」


 何を問われたのかが分からぬリィルは呆けたような声を上げて僕を見上げていた。


「……」


 僕は何を言っているのだろうか。

 混乱している。

 混乱しているのは自覚している。


「お……お嬢様、は……その相手の方との結婚を望んで……?」


 もしもそうであるならば。

 彼女にとっても良い事、なのではないだろうか。

 メフィルお嬢様の相手がどんな人かは知らない。

 だけど、もしかしたら、それはとても優しくて格好良くて。

 彼女を大事にしてくれる男性だとしたら?

 僕達は余計なお節介を焼いてしまうだけなのでは?



 だとしたら、あの御方の心は――。



「……っ!! 馬鹿……っ! そんな訳無いでしょう!?」



 余程僕の言葉が非常識だったのか、普段物静かなリィルが声を荒げて怒鳴った。

 その瞳には本気の怒気が宿っている。

 彼女は物分かりの悪い子供を叱るような表情で僕を睨んでいた。


「で、でも……っ」


 あの事件が在った日。

 雪山での会話が自然と思い起こされる。



『お母様みたいに……私もお見合いとかするのかな……』



 メフィルお嬢様だって年頃の少女だ。

 それに貴族の淑女であれば、10代での結婚なんて珍しくも無い。

 男性恐怖症だって克服しつつある。


 ならば。


 ならば。


「……」


 誰かと結婚をしたい、と願っていてもおかしくはないじゃないか。

 メフィルお嬢様はあんなに綺麗なんだ。

 あんなに優しくて、あんなに誇り高くて、あんなに才能に溢れて、あんなに魅力のある女性を他に僕は知らない。

 彼女と添い遂げたいと思う人などたくさん居るだろう。

 

 それを彼女が望めば――それは――。


「何を弱気になっているのです!?」


 しかし戸惑う僕を見ているリィルは尚も僕に詰め寄り言った。


 その瞳が語っている。

 彼女の感情を。

 怒っている。

 かつてない程にリィルが物凄く怒っていた。


「もう! 普段は格好良いのに、本当にメフィルさんのことになると、貴女という人は……!」


 「あぁもう、どうしてそうなんですか!」と頭を抱えながら、リィルは地団太を踏んだ。


「……ぇ?」


 情けない声が漏れた。

 あぁ……でもそうか。自分でも分かる。自覚できる。

 今の僕の声は何て情けないのだろう。

 僕の瞳は何て弱いのだろう。


「本気で言っているのですか!? メフィルさんが見ず知らずの! それも40歳の男性の事を好きになるとでも!?」

「あ、有り得無くは……!」


 可能性ならばいくらだってある。

 分からないじゃないか。

 もしかしたら物凄く素敵な男性かもしれない。

 メフィルお嬢様が心の中で望んでいた理想像に近いかもしれない。


 歳の差があったって、良い人は居る筈で……。



「では、貴方は……っ!! それでいいのですか!?」



 今にも張り手が飛んでくるのではないか。

 そう思えるほどの剣幕でリィルが吠えた。


「……っ」

「碌に知りもしない、どこの馬の骨とも知れぬ男にメフィルさんが取られてもいいのですか!?」

「と、取られても、って……」

「貴方の想いは、その程度なんですか!?」


 彼女の言葉を聞く度に胸に熱い物がせり上がって来る。

 得も言えない感情が喉から飛び出しそうになる。

 「別にメフィルお嬢様は僕の物では――」と。

 弱々しく、僕がそんな言い訳を口にしようとした時。


 リィルは言った。

 真っ直ぐに僕の瞳を見つめて。


 まるで――僕の目を覚ますような一言を。



「――好きなんでしょう?」



 初め、言葉は何も出て来なかった。


 どうして僕の気持ちを知っているのだろう、とか。

 思わず込み上げてきた羞恥心とか。

 その言葉の意味する事を考え、溢れそうな熱情とか。


 纏まらない想いと感情が頭の中を巡っていたが……結局。


 しばらく僕は黙ったまま、彼女の顔を見つめ返すばかりで。

 碌な返事を返す事も出来なくて。

 吸い込まれる様に、年下の戦友の瞳を覗いていた。


「な、なにを……」


 どうして。


「……見ていれば分かりますよ」


 どうしてリィルは震える声で。



「私が今まで……どれだけ貴方の事を見ていたと思っているのですか?」



 その瞳に涙を溜めこんでいるのだろうか。


 可憐な笑顔で僕を諭す彼女の頬を流れる雫は何て美しいのだろうか。

 その涙の源泉、感情の在り処は僕には分からない。


 でもそれは……何か、とても尊いものであるように感じられて。


 思わず頷き視線を下げた。

 彼女の言葉を否定する事は、あらゆる意味で冒涜になる気がした。


「……でも、僕は」


 僕はこんな格好で……ずっと彼女と過ごしていた。

 僕はずっと、彼女の好意に甘え、ずっと騙していた。


 僕は……最愛の女性を騙し、裏切り、こうして……。



「逃げないでください!!」



 いつか聞いたような強い言葉。

 何度目になるかも分からぬ叱責が飛んだ。


「っ!!」

「逃げないでください……女の格好をしているだとか。今まで騙して来たとか。確かにそれは事実かもしれない。メフィルさんを傷付けるかもしれない」

「……」

「貴方の悩みは、苦悩は……貴方にしか分からないのかもしれない」


 今僕はきっと。


 何かとても大切な事を教えてもらっているのだ、と。

 心の奥底で感じ、本能的に理解していた。


「でも、貴方の気持ちは? 真心は?」

「……」

「それは偽りなんかじゃない。本物でしょう? 貴方が今まであの御方の為に尽くして来た時間は嘘ではないでしょう?」

「リィル……」

「メフィルさんが……私達の自慢の主人が……あの御方が、そんな貴方を責めるでしょうか? 貴方の事を厭うでしょうか? 貴方のお気持ちを少しも汲んではくれないでしょうか? 私達の愛するメフィル=ファウグストスという女性は、それ程に狭量でしょうか? それ程に器の小さな御方でしょうか?」


 何故だろう。

 リィルに触発されたのか。


 今や僕の眦からも目の前の少女と同じように涙が零れ始めていた。

 会えない寂しさ、突然の出来事に対する動揺。

 脳裏に過ぎる思い出。

 それらが感情と共に溢れ出す。


 そして。

 混乱の坩堝と化していた頭の中に一つの想いが形作られていく。


「他の誰がメフィル様を助けるのですか!? 他に誰が居るのです? 貴方しか居ないでしょう!?」

「私は……僕は……」

「メフィル=ファウグストスを救えるのは……他ならぬ貴方でしか有り得ない。あの御方が待っているのは……貴女なんです」


 メフィルお嬢様を救う。

 敵に捕らわれた我らが主人を。

 故郷を離れ、寂しい思いをしている彼女に自由を取り戻す。


 では……僕が抱いている思いは本当にそれだけ、か?


 いつの間にか右手が持ち上がる。

 そして無意識の内にしっかりと。

 瞳を閉じ、拳が固く握られた。


 心の中で――声を聞いた。


「……」


 ほんの少し記憶を手繰り寄せるだけで。



 『ルノワール』



 優しい主人の声が木霊する。

 愛しい主人の笑顔が世界を照らす。

 輝かしい記憶が瞬き、彼女への愛しさが僕の心を支配した。



「…………渡したく……ない」



 僕の思いは、口に出すと、とても簡単で単純で。


「ルノワールさん……」

「あはは……本当に……リィルの言う通りだね」


 呆れるほどに。

 彼女の言葉は的を得ていた。

 何を迷っていたのか。

 何故、言い訳を科していたのか。


「……ありがとう、リィル」


 ロスト・タウンの時もそうだった。

 この金髪の聡明なる少女の言葉はいつだって僕の背中を押してくれる。

 弱虫の僕はすぐに方向を見失ってしまう。

 そんな時、うじうじと悩む僕の心にいつだって正しい方向を指し示してくれる。



 いつだって僕に……一歩を踏み出す勇気をくれる。



 本当に……なんて頼りになる戦友なのだろうか。


「リィルの言う通り。こんな格好で仕えていながら……主人を騙していながら……僕は彼女に抱いてはいけない感情を抱いた」


 だけど、この感情を消したくは無い。


「……」

「そして僕の本心は言っている」


 否、心が叫んでいるんだ。


 それは醜い独占欲だろうか。

 まったく自分を何様だと思っているのか。


 彼女に思いを告げた訳でも無い。

 己の真実の名前すら告げていない卑怯者の身でありながら。

 なんて不遜で無神経で無責任な感情なのだろう。


 でも、それでも。


 それでも罪深い僕の深奥が叫んでいる。

 あぁ、頭の中が整理できた。気持ちは一つだ。

 何度でも何度でも。

 絶えず主人を求める己の心。

 馬鹿の一つ覚えのように告げよう。

 不格好だって構わない。



「僕はメフィルお嬢様を……誰にも渡したくない……っ!!」



 それが偽らざる僕の本心。

 そうだ、イゾルデに襲われ……もう彼女に対して逃げないと誓った。

 逃げちゃいけないのだ。

 それが肉体的な事では無く、感情的な面でも。


 例えメフィルお嬢様の相手が。


 例え相手の男性がどれだけの好漢であったとしても。

 例え故あって、彼女が結婚を良しとしていたとしても。

 例え世界が彼女を追いこみ、僕達からその手を奪おうとしても。


(僕は……)


 全てに抗おう。



 メフィルお嬢様の結婚など……『僕は』断じて認めない。



 例えどれだけの敵が邪魔をしようとも追い払ってみせる。

 僕はメフィルお嬢様の騎士だ。


 ならば……やるべき事は唯一つ。



「僕は……」



 花嫁を強奪する盗人となろう。


 囚われの姫君を救い出すのは……いつだって騎士の役目の筈だから。






※いつも通り、新章開始直後は連日投稿致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ