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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第5章 メフィス帝国
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番外編 皇帝と虜囚

 

 薄暗い地下に降り立つ。

 それもここはただ暗いだけでは無く、囚人の類を繋いでおくための独房だ。

 皇帝ハインリヒは、二人のレオナルド・チルドレンを引き連れ、この場にやって来ていた。


 目的は一つ。


「気分は如何か?」


 声変わりを経ていない声が、牢屋の中の女性の耳に届く。

 彼女はゆっくりと眦を持ち上げ、視線を相手の少年に向けた。


「……メフィス帝国の皇帝が、わたしに一体どのような御用でしょうか?」


 冷めた声色ではあったが、弱さは無い。

 未だに闘志の消えていない挑戦的な瞳が帝国皇帝に突き刺さる。


「貴女に興味が在ったので」


 対するハインリヒも臆することなく、軽く微笑みを交えて応えて見せた。


「……レオナルドが怒るのではないのですか?」

「問題ない。彼には許可をもらっている」


 皇帝が特務官に許可をもらう、という構図は歪なものであるが、ハインリヒにとってはそうではない。

 彼にとってはレオナルドの言葉は絶対だ。


「……余の話相手というのは、存外少なくてな」

「みな、恐れ多いのでしょう」

「いいや、違う。レオナルドが怖いのだ」


 その時、意外な物を見るような眼でユリシアは皇帝の顔を見つめた。


「余がこのように言うのが意外か?」

「……有り体に言ってしまえば」

「まぁ無理も無い、か。大方、余の事を傀儡だとでも思っていたのだろう?」


 レオナルド・チルドレンの一人が椅子をハインリヒの為に用意する。

 彼は悠然と腰掛けると話を続けた。

 未だ幼く、皇帝としての月日は短いものの、その佇まいには確かな威厳が備わっている。


「それはある意味正しく、ある意味間違っている」

「……」

「ふふ、流石に興味がありそうだな?」


 そこで薄く微笑むハインリヒ。

 その笑顔だけは年相応の幼い容貌だった。


「とはいえ、あまり内情を話すのも、な。良ければ貴女の事を教えてもらえないか?」

「面白い話は特に思い当たりませんが」

「謙遜はよしてくれ。聞いているぞ。武勇伝が数多在るのだろう? それも帝国を相手取った事もあるそうじゃないか」

「恐縮です」

「なに、別に構わん。その時は余が皇帝では無く……レオナルドも居なかった故に、な」


 この会話の意図は果たして何だろうか。

 ユリシアはハインリヒの眼光を覗き込みながら、知恵を振り絞る。


 しかし。

 まるで彼女の心の中を覗き込んだかのように先手を打ってハインリヒは言った。


「ははは。余からは何も引き出せんぞ」

「……」

「全く自慢にもならんがな。余はレオナルドから大事な事は何も教えてもらえないのでな」


 投げやりではないが、そこには少年らしい拗ねた様な感情が見え隠れしている。


「どうして陛下は……」

「うん?」

「どうして陛下はレオナルドを慕っているのでしょうか?」

「直截だな……随分な事を聞くものだ」

「……」

「ふむ……」


 一度だけ考え込むようにしてハインリヒは黙ったが、何かを思いついたのか楽しそうに微笑んだ。


「男ならば」

「え?」

「男ならば誰でも……一度は天下を取りたい、と夢想するものだろう?」


 悪戯っ子の表情で笑うハインリヒ。


「生憎とわたしは男ではありませんので」

「ははは、そうだったな。だがな、余はそう妄想したことはあるぞ。この世界に覇を唱え、天下をこの手にする。ふふ、そしてレオナルドは余の描いた夢物語を実現させてくれる」


 まさか本心ではあるまい。

 嘘ではないかもしれないが、それだけではない。

 この少年がそこまで考えなしの人間にはとてもユリシアには見えなかった。


「……本心をお話になっては頂けないのですね」

「あははっ、ある意味当然であろう? 貴女と僕では立場が違う」


 ハインリヒの質問に答えるのがユリシアだ。

 ハインリヒがユリシアの要望に答えてやる義理など無い。


「……『僕』?」

「おっと、しまったな」


 己の失言を悟り、困ったような表情でハインリヒが頬を掻いた。


「まだ自分の事を『余』などと呼ぶのには慣れていなくてな」


 それは本当に。

 市井の少年がちょっとした失敗を恥ずかしがっているようで。


 幼くも整った容貌のハインリヒ。

 彼の白磁の様な麗しい肌艶が僅かに朱に染まっている。


(とてもではないけれど……天下を取ろうと野望を抱く男には見えない)


 数多の犠牲の上に戦争を敢行し、それを何とも思っていないのか。


「戦争を……望んでいるのですか?」

「天下を取るには、な。それが必要だろう? まさか一戦も交えずにミストリア王国は領土をくれるわけではあるまい?」

「そもそも、何故――」

「先程から何度も言っている。天下を取る為、だと」

「……」

「なんだ、余の話ばかりだな。余には貴女の話は聞かせてくれないのか?」


 ユリシアにとっては不思議な感覚だった。

 目の前のハインリヒという若き皇帝。

 彼の眼差しからは確かな聡明さを感じる。

 だが、如何に聡明とは言え、幼さの残る彼がいくつもの修羅場を潜り抜けて来たようには見えない。

 しかしそれでいて、どことなくユリシアの言葉を楽しみながらも、のらりくらりと核心をぼかしてしまう術に長けている様に感じられる。


 ユリシアは頭の中を切り替えた。


「では……以前帝国と王国の間で勃発した紛争の話でもしましょうか」

「おっ。なんだなんだ、俄然余の興味をそそる話だな」

「……えぇ、そうかもしれません」


 軽やかにユリシアが微笑むとそれに応えるようにハインリヒも笑う。


「よいぞよいぞ。大方戦争の愚かしさなどを、それとなく余に伝えるつもりであろうが……そういった試みというものも良いだろう。純粋に興味も在るしな」


 笑顔はまさに少年そのもの。


 だがその深奥に眠るモノは……一体?




   ☆   ☆   ☆




「……また来たのですか」

「あぁ、余はやる事も少ないのでな」

「皇帝なのではないのですか?」

「仕事はほとんどがレオナルドやオットーがこなしてくれる。それに彼女達も居る事だしな」


 傍に侍らせたレオナルド・チルドレンの少女を視線で示しながら、彼は続ける。


「ユリシアと話していた方がずっと有意義というものだ」

「はぁ……まったく」

「お……今無責任だと思ったな?」

「いえいえ」

「しかしな、ユリシア。これは王としての必要な素質でもある」


 ハインリヒは真面目な顔で言った。


「上に立つ者が全ての仕事をこなしてはいかんのだ。それでは国は立ち行かん。どのみち一人で出来る事などタカが知れている訳だしな」

「それはレオナルドの受け売りですか?」

「いや……余は暇な時間が多いと言うたであろう? 読書は余の数少ない娯楽だ」


 つまりハインリヒは日頃から時間さえあれば、書物に目を通しているのだろう。

 それら知識の集積によって、彼は年齢に比して大人びて見えるのかもしれない。


「それはそうかもしれませんが……任している相手がレオナルドで良いのですか?」

「なるほど、敵対する人間からすれば、レオナルドは恐ろしい悪鬼のように見えるのだろうな。しかしな。敬愛している身からすれば無用な心配だ。味方からすれば、レオナルド程に有能な人間というのはおらん」


 迷わずにハインリヒは断言する。


「……彼が優秀な人間であることは認めましょう」

「だが貴女はレオナルドを壊れた人間だと思っているのだろう?」


 少年は顔色一つ変える事無く言う。


「そうかもしれないな。そして恐らくは余も同類なのだろう。歴史家の書を紐解けば紐解く程にそう思う」


 数多存在する歴史が証明してきた。


 戦争の愚かしさ。

 虚しさ、儚さ、醜さ。


「だが悪いことばかりでは無い」

「なにを……」

「戦争に躍起になり、人々が奮闘する事で生まれた知恵や技術というものも数多く存在する。それらは否定できない事実だろう?」


 それらは何も戦う為だけに役立つものではない。

 戦争で勝つ為に。

 己の領分を護る為に。

 必死に戦った人間達が生み出して来た物は数多い。


「否定はしません。しかしそれらの技術向上の為に人々を犠牲にして良い訳がないではありませんか」

「うん、そうかもしれない。しかし、ユリシアよ。例えば、だが。貴女がとても貧乏で貧相で、毎日毎日空腹で過ごしていたとする。そして隣を見れば、幸せそうな顔で肥え太った人間がいたとする」


 よくある話だ。

 この手の話で付き纏う例え話。


「さて貴女はどう思う? 妬ましいと思うだろう? それが正常な反応だ」

「……それがミストリアとメフィスの関係だと?」

「極論だがな。正直に言ってやろう。メフィス帝国の人間達は誰もが誇りや尊厳、故郷を愛する気持ちはあるがな。それでもやはり、本心では。心の奥底のどこかではミストリア王国を羨んでいる者も多いのだ」


 経済力、生産性、肥沃な大地。

 それら全てがメフィス帝国にはないものだ。


「貴方達から歩み寄ってくれれば……」

「そうだな。余もな。誰もが貴女のような人間だったのならば、そんな未来もあったのではないかと思う」


 とはいえ、現在語っているのはあくまでも一般論だ。

 ハインリヒは知っている。

 此度の戦はそんな一般的な観念で行われている物ではない事を。

 レオナルドという希代の天才による天下統一の第一歩である事を。



「それに戦争はな。人々の心に残すべく、記憶に留めるべき、教訓と悲劇を生んでくれる」



 悲しげに目を伏せ、ハインリヒは呟いた。



「無意味ではないさ。それにこの世界を……」



 それはどこか空虚で、哀愁に満ちた表情。

 その眼差しが見つめているモノは一体何か。


「ハインリヒ皇帝……?」

「うん? いやなに、昨日少しばかり夜更かししてな。眠いんだ」


 明らかに嘘。

 ユリシアの瞳には、今のハインリヒが何かを思いつめていた事がありありと分かっている。


 彼も誤魔化しきれていない事を自覚しているのだろう。

 そそくさと立ち上がり、ハインリヒは背を向けた。


「ハインリヒ皇帝……っ」

「すまん、今日はここまでにしよう」

「お待ちを……!」

「心配しなくても、また来るさ」


 そういって彼は振り返る事無く、颯爽と地下から去っていった。


「ハインリヒ皇帝……」


(あの子は……一体……)




    ☆   ☆   ☆




「今日は報告がある」


 本日訪れたハインリヒ14世の眼差しは普段とは違っていた。


「なにが……?」

「我々の戦争は次の段階へ進む。その為の準備が整った」

「……!!」

「ユリシア。貴女には悪いが……ミストリア王国は落とさせてもらう」


 まるで既定事項のように述べるハインリヒを鋭い眼光でユリシアが見上げる。


「そう簡単にいくとでも?」

「思っていないさ。ミストリアの強大さは知っている。だがな、貴女達と我々では覚悟が違うのだよ」

「オードリー大将軍を甘く見過ぎでは?」

「うむ。彼はジョナサンなどに連なる実力を有しているのであろうな。大層な武人と聞く」

「……」

「だがな、ユリシア。戦とは個の力だけで、どうなるものでもない」

「止める事は出来ないのですか……!?」

「元より余には止まるつもりがない。無論、レオナルドもだ」


 彼は一度だけ目を伏せると小さな声で呟いた。


「ユリシア。貴女との話はとても面白いものだった。だが、やはり……」

「これから貴方も忙しくなるのですか?」

「もう少ししたら、な。そうだ、余は忙しくなる」


 白く小さな己の手の平を見つめるハインリヒ。

 彼は強く握り拳を作り言った。



「『この手』で余が……覇道を掴むのだ」



「ハインリヒ……皇帝?」

「そしてもう一つ報告がある」

「……ぇ?」


 その時ばかりは、ハインリヒは言い辛そうに言い淀んでいた。


「こればかりは……あまり良い趣味とは思えないのだがな」

「……何でしょうか?」


 メフィス帝国皇帝は疲れた様に首を振り、告げる。



「貴方の娘のことだ」






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